怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

2月23日若宮公園テニスコートの後は3人で何時もの紫禁城へ。

2023-02-27 19:58:16 | テニス
終わっていつもの森の熊さん、1059さんと3人で、昼飲みできる店を探して鶴舞へ。
通りを1本西に入って歩いて行ったのですが、夜しか営業していない店とかうどん屋さんで昼飲みには不向きな店しかなくて、結局鶴舞まで出て来てしまい、いつもの紫禁城へ行くことに。

12時過ぎなので結構席が埋まっていて一番入口に近いテーブルに。
座ってとりあえずの生ビールと私はハイボール。

料理はホワイトボードに書いてあるものからと選んだのですが、なかなか出てこない。

手持ちぶたさに飲んでいる姿を見てか、気を利かしてryuちゃんが皮つきピーナッツを持ってきてくれました。

たぶんサービスなんでしょうけど確認はしていません。
結構塩辛いのでつまみにはいいのですが、塩分摂りすぎで血圧にはよくないか。
そうこしているうちに塩昆布きゅうりが出てきました。

これも結構塩が効いている。塩昆布であえてあるので当たり前か。
続いてチーズ春巻きです。

これはチーズが美味しいのですが、またまた塩が効いていて血圧にはよくない…実は寒いこの頃は毎朝計る血圧が高め。一度高いと何回も測り直してしまいます。当然ながら何回も測れば下がる訳ではないのですが、どうも気になってしまいます。まあ、境界域ぎりぎりというところなので不都合な真実は見ないようにスルーしているんですけどね。
ここらでビールもハイボールもなくなり、お酒にします。
森の熊さんは辛口の酒がお好みなので、今回は「立山」をぬる燗で。

1059さんが少しお腹に入るものとカキのチヂミを注文

もう1品つまみに私たちの定番の干し豆腐サラダ

何だか山盛りで来たのですが、ryuちゃんが多めに出してと頼んでおいたとか。これもつまみにはいいんですが、ちょっと塩分きつめ。
勢いがついてきて「立山」のぬる燗をもう1本。
そこにチンジャオロースを追加。

さらに八宝菜を。

これで結構おなかも膨れてきたのですが、まだまだと〆に台湾五目焼きそばを。

何が台湾かというと上に辛いひき肉の炒めがのっていることみたいです。
それならば「立山」をもう1本追加。
結構飲んで食べてしたので、会計は一人3600円。どうも昼飲みにしては料理1品と燗を1本ぐらいが余計だったかも。
こうなると家に帰るとソファーで爆睡といつもながらの体に悪いパターンでした。
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2月23日若宮公園テニスコート

2023-02-24 15:16:01 | テニス
天気予報は曇り。でも午前中は小雨が降るかもしれないので折りたたみ傘を念のために持って行ってください。
さえない予報ですけど果たして朝夜明けの時間に外を見てみると空は雲に覆われどんよりした天気。

でも雨は降っていない。
この日はかみさんは仕事なので、大急ぎで部屋の掃除をしてから8時40分に家を出て雁道バス停に。
ところが丁度家を出た時ぐらいから雨が降ってきた。
細かい雨ですが、道ゆく人は傘を差しだした。

55分発の基幹バスで丸太町まで行っても雨は降りやまない。
それでも若宮公園テニスコートは高架下なので、風がなければコートには雨は降りこまない。

9時15分にはCコートに着いたのですが、既にコートにははげ親父、えみちゃん、サザエさんに、ノり平夫妻がいて乱打をやりだしたところ。
軽く準備運動をしてから私も入れ替わって乱打に入れてもらいます。
サザエさんは実に何年ぶりでしょうか、本当に久し振りの参加です。
そのうちに森の熊さんも登場。でも未だに腕の痛みは続いているみたいで、2週間に一度の参加が目一杯みたいです。
さらに乱打が終わる頃に1059さんが登場。雨が降ってきたのでやめようかとLINEがあったのですが、高架下でテニスには支障がないと返信すると来てくれました。まあ、雨も小降りですしね。
この日は8人といつになく人数が多いので、すぐにじゃんけんして試合に。
最初ははげ親父と組んでノリ平、サザエさん組と対戦。ゲームはデュースまで縺れるのですが、結果は2:2の引き分け。
試合の合間に休んでいると日差しはなくて雨は降り続いているので寒い。

次の試合はサザエさんと組んではげ親父、ノリ平組と対戦。久しぶりに私たちとテニスをしたサザエさんはずいぶんうまくなっていました。いいボレーを決めるなどの活躍で3:1の勝利。
今度はノリ平さんと組んではげ親父、サザエさん組と対戦。ここではミスも多くてうまく決められて何とか最後の1ゲームを取って1:3の敗戦。
この時点で11時ごろ。サザエさんは午後から用事があるとかでここで帰ります。
1059さんも最初の試合で太ももを軽い肉離れをしたみたいで、もう動けないとリタイア。遅れて来て準備運動がてらの乱打もやらずに小寒い中いきなり試合をしたのでやっぱりどこか無理をしたかも。やっぱり準備運動は大切です。
残りの6人でじゃんけんをして組み直し。
組み直した試合は、最初エビスケさんと組んでえみちゃん、のり平組と対戦。一進一退の展開で結局2:2の引き分け。
じゃんけんで勝ち残りを決めて、私たちは一休み。
次はもう一度エビスケさんと組んで森の熊さん、はげ親父組と対戦。押され気味だったのですが、森の熊さんに疲れが見えてきたのか、エビスケさんが積極的にボレーに出て何とか2:2の引き分けに持ち込むことが出来ました。
12時前でしたが、ここで終了してコート整備して帰ることにしました。肌寒い中で5試合こなしたこともあってなんだかとっても疲れてしまいました。お疲れさまでした。

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2月19日鶴舞公園テニスコートは雨

2023-02-19 13:29:11 | テニス
19日日曜は久しぶりの鶴舞公園でのテニスで、参加者もたくさん見込まれていました。
しかし、しかし、天気は無情にも雨の予報。
前日の予報では午前中は雨。

それでも降り始めが土曜の昼過ぎからと早かったので、雨の上がるのも早いかもと淡い期待を抱いていました。
朝起きてみると夜の間は降っていた見たいですが、路面は濡れていても雨は降っていない。

とは言っても雲は低くいつ降りだしてもおかしくない空模様です。
8時過ぎに雲の動きを見てい見ると10時ごろは雨雲が覆っています。

それでも降っていなければできるかもとLINEではどうしようかと情報が飛び交います。
雨雲レーダーを見てみてもyahooとsmartanewsでは細かいところで微妙に違い、ミクロでは必ずしも全面的に信頼置けない気もするのですが、どうしたもんだろう。
9時過ぎまで様子見だったのですが、結局9時30分ごろから降り始め10時には本降りになるという予想となり、みんなテニスは断念することに。
天気はままならぬもので、せっかくの日曜の鶴舞公園テニスの日に限って雨にすると言うのは意地悪です。
果たして予報通り10時前には雨が降ってきました。

結果から言えば的確な判断だったのでしょうが、もう少し早く分かるように降るなら早くから降れと言いたい。
こうなると一日やることもなく引き籠りの日曜日とならざるを得ない。
暇に任せて益田ミリの「世界あちこち旅日記」を読了。

この本はコロナ禍の真っ最中に日経新聞の夕刊に連載されたものをまとめたものですが、コロナ禍なので当然リアルタイムの旅日記ではなく今まであちこち行って来た諸外国を日記を読み返しつつまとめたもの。それこそ大学の団体旅行から取材旅行からツアー旅行への一人参加とか多彩です。それにしても益田ミリのバイタリティと言うか一人でどんどん行ってしまう行動力には驚きます。そういう好奇心が作家活動を支えているのだと実感しまう。それでも日記を読み返してみても全く記憶にないことも多々あるみたいで、変なことだけ覚えていたりして旅の記憶とは淡いものです。
私は出張は別として一人旅はほとんどしたことがなく、ツアー旅行に1人で参加というのも触手が動かないのですが、本を読むと女性の一人参加は結構あるみたいです。
言葉の通じない海外旅行はともかく国内一人旅はその分お金がかかるにしても老人の趣味としてはいいかも。旅のプランを考え旅館を吟味するだけでも楽しいですからね。
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原田ひ香「一橋桐子(76)の犯罪日記」

2023-02-16 21:04:48 | 
見てから読むか、読んでから見るか。
この小説は見てから読む。NHKのドラマを見て、結構面白かったので読んでみました。

ドラマを見てからだと、どうしてもドラマの俳優の顔が思い浮かんできて、一橋桐子はもう松阪慶子の姿しか想像できないのがつらいところ。亡くなった親友のトモは由紀さおり(この名前を思い出せなくて夜明けのスキャットをうたった人、手紙という曲もあったよなとしばし呻吟して、突然名前が降ってきました。かなり老化が進んできたと洗絶えて自覚した次第)、三笠隆が草刈正雄だったんですけど、ドラマの方がかっこよすぎ。まあ、ドラマを思い出しながら、ここは違うぞと思いつつ読んでいきました。
親の介護もあって結婚を逃し独身で貯金もほとんどなく清掃のパートと年金でどうにか食いつないでいる桐子。家族はなく、身内と言える甥は長く音信不通。トモ亡き後は孤独な日々を送るしかなく将来の不安もあって、犯罪を犯して刑務所へ入れば老後も安心と思いつくのですが…
そこは貧しくても善良な人生を送ってきて悪いことなどしたこともない老人、上手く行くわけはありません。
万引きしようにも挙動不審で目をつけられていてすぐに捕まる。
偽札つくりはどうかとコンビニでカラー印刷をして店員に説教される。まあ、その高校生バイトの店員と仲良くなってしまい、狂言誘拐騒ぎまで引き起こすのですけどね。
闇金の口利きは上手く行くのですが、それは双方から感謝されてちょっとした小遣い稼ぎはなっても犯罪とまではならない。
ところで詐欺の話が出て来て、三笠隆が見事に引っかかるのですけど、この話はちょっと身につまされる。
ドラマでは草刈正雄演じていることもあって、そんなにもみじめに感じなかったのですが、小説では,入院して認知の症状も少し出て来てみじめな姿をさらします。結局は疎遠だった沖縄の息子のところへ引き取られます。通っていた接骨院の受付の叔母さんと親しくなり、ついには一緒に住んで結婚しようとまで行くのですが、その間にいろいろ口実をつけてお金を借りていく。累計400万円ぐらいになったところで見切りどころかと判断されて音信不通に。それでも三笠は騙されたとは思いたくなくて望みを託しながら呆然とした日々を過ごすことに。お金は借りたことになっているし借用書も取っていなくて、三笠は詐欺被害にあったとは認めたくないので犯罪にもならない。男というのはいくつになっても馬鹿だからちょっと愛想よくしてくれると自分に魅力があるのかと勘違いしてフラフラとついて行き篭絡されてしまう。そうなったら私も勘違いしてにやけてしまうことは必定。言葉巧みにお金をむしり取られてしまうかも。こうして読んでいる分には色狂いの馬鹿な老人の勘違いと笑っておれるのだが、すりすりと色目を使って擦り寄られるような場になったらどうだか。
ところで桐子はこの後結婚詐欺のワークショップなるものに参加するのだが、そこで受けた講義は世の男は心しておかなければいけない!
曰く,散々男から金を搾り取って何人もの人を殺したのは最低。殺すことなんてしなくてもお金をちゃんと取れる。殺さなくてはいけないほどまで搾り取っちゃだめでその前に止める、寸止めの美学。
よほど効果的だと思われるまではセックスはしてはいけない。まあ、後期高齢者だといくらしたくても体がついてこないので出来ないでしょうけどね。
ターゲットはお金があって孤独な人、子どもたちと別居していて奥さんに先立たれた一人暮らしの人。そういう老人と仲良くなって少しづつお金を引き出す。
美人じゃなくていいのであなたは頼りになるとかあなたしかいないと言って相手のプライドをくすぐり、いい気持にしてやること。
幾ら引き出せるかは確認しること。全財産の10%から20%、400万円くらいまでが目安。そのくらいなら警察に駆け込まれたりする心配もない。男は見栄っ張りだし、降られたとは思いたくないのでその程度なら家族にも相談せず、人にも話さない。
ところで桐子のように身寄りもなく財産も貯金もなくてわずかな年金とパートでなんとか暮らしている高齢者は多い。日本では生活保護基準より低い収入しかない人たちもなかなか生保を申請しないのだが、セーフティネットとしては機能している。将来の不安のために犯罪を犯して刑務所に入るのを考えるのなら民生委員さんなりに泣きつき役所に相談に行くべきだと思うのだが、とにかく自分で何とか出来るうちはしようという意識が強いのだろう。この小説でも最後に頼らなければいけなくなったらそういう道もあるのだよと提示されているのですが、地域社会とも交わりがなくて孤立していると民生委員さんにたどり着けないし、役所の生活保護部署の敷居は高いんだよね。
ところで改めて思うのは松坂慶子の歳相当の体を隠そうとせず役をこなしていく存在感と演技力。若かりし彼女を知っているだけにすごい。
ドラマを見ていない人も十分楽しめる小説です。
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2月12日東山公園テニスコート

2023-02-14 14:07:01 | テニス
予報では晴れだったのですが、朝起きてみると雲が結構空を覆ている。

それでも雨は降りそうもないし、気温も結構高め。
午前中はダラダラと過ごして13時30分に家を出て西高蔵の駅へ。
地下鉄に乗ると席が空いているぐらいの込み具合ですが相変わらずみんなマスクをしていて、私はまだ咳が残っているので恥し気にして座っていました。
ところが座ってウトウトしていると八事日赤で降りるところを乗り越してしまい、慌てて名古屋大前で降ります。

距離的にはほとんど違わないのですが、一山越えていかなければいけないところがつらいところ。
それでも半世紀前ですが、教養部の時には体育の授業の時に息を切らせて山の上にあるグランドへ登って行った記憶もあり、久し振りに名古屋大学の構内を突っ切ってみました。豊田講堂は昔と変わらずですが、古川図書館は博物館になっていました。建物の外壁塗装などはしていても配置は昔の通りのようですが、変わっているかも。
14時27分にはコートに到着したので時間的にはほぼ変わらなかった。
丁度すぐ前をタケちゃんマンが歩いていたのですが、ホワイトボードン前で止まっている。声をかけるとクラブの名前を忘れたのか何番コートへ行くんかというので4番コートと書いてあるでしょうと言うと分かったような分からなかったような顔をしています。久しぶり(今年初めて)なのからでしょうか…
コートにはすでに1059さん、ちょっと見小野ヤスシさん、えみちゃんといて、5人いるので早速ボレーとストロークに分かれて乱打。暫くするとはげ親父も来て乱打に入ります。
乱打を終えて一休みしたらじゃんけんして試合にします。
最初の試合はタケちゃんマンと組んではげ親父、1059組と対戦。タケちゃんマンは久しぶりでサーブをやっていないと言うので最初に4球練習したのですが、すべてフォールト。この悪い流れのまま試合に突っ込んだのでいいところなし。対するはげ親父、1059はサーブがよくてビシバシ決まり、結局0:4の完敗でした。
試合をしている時にかばちゃんが30分遅れで到着。早速試合に入ってもらいます。
次の試合は1059さんと組んでちょっと見小野ヤスシさん、タケちゃんマン組と対戦。まだまだ本調子でないタケちゃんマンは走れないので、ここは4:0の勝利。
天気は相変わらず雲が多いのですが、時折晴れ間が出ると気温が高いので暑いくらい。

この日の最高気温は17度でした。
試合の合間にタケちゃんマンと話していると最近猫を飼いだしたとか。今では遠くの孫(アメリカ在住)よりもよほどかわいいとかで、かみさんと取り合いをして文字通り猫かわいがりしているみたいです。もっとも食事とかトイレの世話はかみさんがやっているみたいで、猫的な家の中の序列はかみさんの下とか。
次の試合はちょっと見小野ヤスシさんと組んでタケちゃんマン、えみちゃん組と対戦。この試合は最初のゲームがデュース続きの長いゲームで毎度ながらえみちゃんに右に左にと走らされてヘロヘロになったのですが、何とかキープ。次のゲームでも動悸が収まらず、それでも何とか最後のゲームを踏ん張って3:1で勝利。疲れた~
タケちゃんマンも疲れてもう早々と個人的に予定終了として30分早く帰ってしまいました。
ところがここで私は連続の試合となりカバちゃんと組んではげ親父、1059組と対戦。もうヘロヘロで足が動かず、体力の無さを実感するのですが、デュースまで行っても肝心な時にミスを重ねてカバちゃんの足を引っ張り、結果0:4の完敗となりました。
もう一試合やってこの日は終了。コート整備して帰るのですが、この頃には晴れ間ものぞいてきました。

終わってこの日はまっすぐ帰るのでちょっと見小野ヤスシさんに送ってもらいました。


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鈴木邦男・内田樹「慨世の遠吠え2」

2023-02-10 21:19:53 | 
鈴木邦男さんが亡くなった。最近は闘病生活(パーキンソン病?)で一線から遠ざかっていて、ブログ「鈴木邦男をぶっとばせ」も更新されないままだったのだが、先日訃報が報じられた。
新右翼の論客で、一水会代表を務め、赤報隊の犯人とも接触があったと言われ、何回も警察のガサ入れも受けていた。
一方で、近年は左翼とも行動を共にすることもあり、辻本清美の戦況の時には応援演説もしている。
テレビなどで見ると穏やかな語り口で、本当に学生時代は早稲田で左翼と殴り合っていたのかと思ってしまうのですが、今は例え主義主張の相いれない敵であろうと言論の自由は守らなければいけないという覚悟が伝わります。
鈴木邦男さんは住所も公開して自己の言説に対してとことん逃げずに責任を取ろうとしている。おかげで放火までされたことがあるのだが、暴力で人を傷つけ殺すことが出来るように、話したこと書いたことでも人を傷つけ殺すこともある、だからこそ言説にきちんと名を出し住所も公開している。最近SNSの匿名性に隠れてフェイクニュースを拡散し罵詈雑言を垂れ流す輩は、鈴木さんの生き方を見て恥を知れと言いたい。もっともこのブログは分かる人には分かっているのですけど匿名ですし、もとより住所までを公開する勇気はまったくない私がえらそうなことを言えないのですけど。
対談している内田さんも鈴木さんの逝去を惜しんでブログ「内田樹の研究室」にこの「慨世の遠吠え2」の内田さんの書いた「終わりに」を採録している。
それならばさっそく「慨世の遠吠え2」を図書館で借りてきました。

改めて読んでみると鈴木邦男さんは聞き上手で、対談と言いつつ内田さんが気持ちよく語り、鈴木さんが相槌を打つような感じです。鈴木さんが入ることによって内田さんの論説が非常にわかりやすく語られているので、すいすい読めました。「終わりに」で内田さんが述べているように鈴木さんは「あ、そうか」と何回も言っています。鈴木さん自身は今までの経験と現下の立ち位置で簡単には同意できないようなことでも、目を開かれた時には「あ、そうか」と言います。これは内田さん曰く自分の頭で考え自分のオリジナルな知見を持っているからこそ出来ること。自分の頭で突き詰めて考えることなく虎の威を借りる如く付け焼刃で人の意見を適当に切り貼りしてきた人には、無理なんでしょう。
日本の論壇で鈴木さんが都合が悪いので代りにと言っても誰も出てこない唯一無二の人というのですが、唯一無二の人を失ってしまいました。
ご冥福をお祈りします。
一緒に写っているのは浅田次郎の「見果てぬ花」JALグループのに連載されているシリーズ7冊目のもの。2017年から2020年までの連載分ですので話題も最近のことです。浅田次郎は私と生まれが3年違いなので、老いの実感とか日常の在り様では共感することが多く、楽しく読めました。でもJALにはもう何年も搭乗していないなあ、機内で最新のものを読んでみたいものです。
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2月5日東山公園テニスコートの後は浜木綿へ

2023-02-08 17:59:57 | テニス
ちょっと見小野ヤスシさんに送ってもらい3人で浜木綿へ。
入口には結構人が待っていたのですが、順番表に名前を書いたら2番目ですぐに呼ばれたのでびっくり。さすがにそれは向こうの人が順番を間違えたのですが、あまり待つことなく席に案内されました。丁度お昼を食べ終えた人が入れ替わる時間だったのでしょうけど、ラッキー。
取り合えず生ビールと私はハイボールで乾杯。

料理は前回セットメニューを頼んでみたらよかったので、今回もポピュラーセットを2人前。

コースは2人前からで、結構品数が多いので、これに足りなければ単品を追加すればいいとしました。
最初に出てきたのは蒸し鶏のピーナッツソースかけ

これは鳥がダメなはげ親父を除いた二人で食べるのですが、結構量が多い。
続いてエビチリに蒸しパン。

エビチリを蒸しパンにはさんで食べるのですが、当然ながら蒸しパンは2個だけ。
まあ、エビチリだけを食べても美味しいのですけどね。
コーンスープも来ましたが、これも2カップだけ。私は遠慮しておきました。
続いて生春巻き。

これは2本をそれそれ3等分してあり6切れなので、3人でちょうどいい。
ここではげ親父は生ビール、私はハイボールの追加。
どうも食事をしていると咳が断続的に出て、特に話そうとすると咳込み、けどせっかくの飲み会なのでおしゃべりしたくて仕方なくて、咳込みながら話すので、お二人には不快だったでしょし、ご迷惑をかけてしまいました。
今度出てきたのは酢豚。

これは丁度いい量で、3人でシェアしました。
まだまだ出てきます。
次はせいろに入った小籠包。

せいろ2つに2個づつ入っているので全部で4個。一人だけ2個食べることに。
熱いうちにレンゲに乗せて中のスープをこぼさぬように飲みます。
もうこれで〆に入りチャーハン。

だいぶ飲んで食べたので丁度いい量です。結構たくさん出てきたので追加注文はなし。
それでも無料サービスでピーナッツ団子があったので注文。

ほぼ1時間ちょっとでお腹いっぱいになって会計は7535円。一人2500円でした。

35円は基金から出しておきました。
会計して山手通りのバス停まで行くと5分後にバスが来ると言うグッドタイミング。
何時も30分に1本のバスが出た後で、八事まで歩いたりするのですが、こういうラッキーな時もあります。
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2月5日東山公園テニスコート

2023-02-06 21:25:36 | テニス
きょうもいい天気です。

日の出30分ほど前の窓からの風景ですが朝焼けで空が美しく染まっています。
リビングの窓から見る夜明けの風景は日の出が遅い冬のこの時期のお楽しみです。
天気はよくても体調はイマイチ。咳がなかなか治まらずもう2週間になります。薄皮をはぐように、少しづつよくなっているのですが、歳のせいか免疫力が落ちているんでしょう。夜寝れないほどではないのですが、朝晩とかしゃべると咳込んでしまう。
それはともかく、いつものように9時30分に家を出て地下鉄西高蔵駅へ。八事日赤駅までほぼ20分。
この日は風もあまりなく、確か先週は歯医者さんの気温計が3度だったのですが、この日は7度。
高気圧のど真ん中で雲一つないような天気です。

コートに着くとこの日は2番コートだったんですが、すでに1059さん、はげ親父、ちょっと見小野ヤスシさんといます。森の熊さんも誘ったのですが、マンションの役員会と重なっているとかで欠席。他にカバちゃんが来る予定なのですが、いつも遅れてくるので時間が来たら早速乱打を始めます。
ところでコートの入り口には建築予告の看板が立っていました。

いよいよアジア大会に向けて改修が始まるみたいですが、看板によると工事開始は令和6年3月予定。来年度に入札をして工事開始は年度末と言うことか。
工事になるとコートが取れなくなるなあ~
一通り練習をしてから一休みして試合に。
最初はちょっと見小野ヤスシさんと組んではげ親父、1059組と対戦。この試合はヂュースまで行くのですが、結果が出ずに0:4の完封負け。どうもここ一番の決め手に欠けるか。
1時間近くたってもカバちゃんは来ない。メールもないのですが、日程を忘れている?仕方ないから4人でやるしかないか。
次は組み替えて1059さんと組みはげ親父、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。一進一退の展開になるんですが、最後のゲームをなんとか取って3:1で勝利。
合間にははげ親父がビールを出してくれます。

350缶2本ですが、咳込みながら私もお相伴にあずかりました。
次は最後の組み合わせではげ親父と組んで1059、ちょっと見小野ヤスシさん組と対戦。この試合も最後逃げ切って3:1で勝利。はげ親父はサーブがいい時はいいサーブがビシバシ決まるのですが次の試合ではダブルフォールト連発したりして安定性に欠ける。自分でもよくあるのですが、どうして同じように打てないのだろう。
この時点で12時。まだ30分あるのでもう一度最初に戻ってちょっと見小野ヤスシさんと組んで1059、はげ親父組と対戦。今度は1ゲームは取ろうと挑んだのですが、結果は何とか1ゲームは取れて1:3。
まだ15分残っていたんで、もう2ゲームやることに。こういう時はいつもリベンジならずでやらなければよかった思うのが常だったのですが、この日は何と2ゲーム連取。最後の試合は通算3:3と引き分けにまで持ち込みました。
ここでコート整備して終了。
はげ親父と1059さんの3人で浜木綿に行くことになったので、ちょっと見小野ヤスシさんに車で送っていただきました。
合間にははげ親父が
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なだいなだ「江戸狂歌」

2023-02-04 17:29:56 | 
毎日が日曜日で徘徊老人としてうろついている日々なのだが、家にいる時はテレビを見るか本を読むかしかない。
BSで昼間やる映画を腰を据えてみるのだが、あまり触手がそそられないものもあって、毎日水戸黄門を見るのも業腹。
図書館で借りてあった本は読んでしまって、さあどうする。
この機会に学生時代に読んだ本でももう一度読み直してみるか。
ところが本棚を探って高橋和巳の「邪宗門」でも読んでみようと思ったのですが、手に取ってみると分厚い。しかもハードカバーなのですが2段組の小さな活字。これは内容云々ではなくて今の私の視力では読了するのもなかなか難しい。学生時代は活字が小さくて2段組だとコスパがよくてなんか得になった気分でしたが、今は昔。
そこで方針を変えて、なだいなだの「江戸狂歌」を読んでみました。決め手はハードカバー200ページほどで活字が大きいこと。

そんな動機でも読んでみたらこれが面白い。1984年初版なので、多分読んだのは私が30歳すぎたごろのこと。あまり記憶がないのですが、当時はなだいなだのもっと理屈っぽさに魅力を感じていて、この面白さがちょっとピンと来なかったかもしれない。まだまだ人生修行が足りなかった若気の至りの時代でした。
なだいなだは戦時中は陸軍幼年学校で過ごし、当然ながら冗談が全く通用しない世界。真面目くさった顔をして建前だけを居丈高に言うだけの時代。
だからこそ江戸狂歌との出会いは、日本人はこんなにもユーモアを解する人達だったのかと目が開かれる思いがあったのでしょう。
江戸狂歌はそもそもは内山賀邸の私塾の門人たちの間で唐衣橘州が狂歌好きのメンバー4~5人を集めて作ったサークルから始まる。太田南畝も誘われ参加している。太平の世が続き封建社会の身分のしがらみにがんじがらめになりつつ、自らの才能を発揮することが出来ずにはけ口を求める若者たち。その姿はまさに「しおれし花飾りのごとく」に書かれている医局でくすぶりながら同人誌で日本の文学界に革命をおこそうとたむろする若者たちと重なる。太田南畝たちは実際に江戸狂歌という一大ムーブメントをおこした点が違うのですけどね。
そのサークルには太田とか唐衣のような武士だけでなくタバコ屋を営む商人とか湯屋の主人とかがいて、武士と違って自由の利く町人たちはその仲間の輪をどんどん広げていく。いつの間にか狂歌は一大文学運動となっていく。封建時代の身分に縛られ自由に生きることが出来ない庶民が精神の解放区を作ろうと狂歌に熱中していく。その中で頭角を現しスターになっていくのが太田南畝=蜀山人です。
太田南畝は下級武士の徒士身分で内職しなければ暮らしていけないような70俵5人扶持の家禄。江戸では知らぬ人がないと言われるぐらいのスターになるのだが、ブームに危うさを感じたのかいつしか狂歌から離れて46歳で学問吟味の試験を受け主席合格しているが、与えられた仕事は古い文書の整理ばかり。それでも有能な役人としての能力があり、古い帳面から面白いものがあればすべて書き留めていて、後世の研究者の実に有用な資料になっているとか。
試験を受ける前に狂歌師、洒落本の当代随一の作家として名を成した有名人の太田南畝ですが、試験を主席合格しても、幕府は天才を処遇して使いこなすことが出来ない。太田南畝としてはやりきれない日々だったのだろう。
太田南畝が狂歌から離れたのは寛政の改革を揶揄する有名な句「世の中に蚊ほどうるさきものはなし、文武というて夜もねられず」の作者と疑われたことによる。太田は上役の調べに対して「知らぬ、存ぜぬ」と否定しているけど本当はどうだったか。研究者は蜀山人作と推定している。
狂歌のムーブメントが町人に間に広がっていくに従って、直接的ではないにしろ庶民の本音的なお上批判の歌も出てくる。武士たちが後ずさりしていき主役は町民たちとなっていく。それでも当時の狂歌ブームのすごさは一般公募した時に集まった歌が車5台分一千箱に一杯になるほどだったことからも分かる。このことは当時の町人たちが読み書きができ、パロディにする花鳥風月をうたう元歌を教養としてみんな知っていたということであり、その教養水準の高さが分かると言うもの。
花鳥風月をうたうのではなく生活実感から笑い飛ばしていくと言うことには幕府政治への批判をはらんでいる。時代は松平定信の締め付けの時代になっていき、庶民の自由な狂歌運動もエスカレートしていけば幕府としても放置できずに圧力をかけてくる。江戸庶民の文化ムーブメントとして花開いた狂歌運動もやがて散っていく。それでもその精神は地下で脈々と生き続け、詠み人知らずの落書として時代時代を生き生きと活写している。
この本にはたくさんの狂歌が引用してありますが、それを読んでいるだけで当時の庶民の生活が想像でき、人間というのは昔も今もあまり進歩していないなと感服する次第。



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池谷敏郎「胃弱のトリセツ」

2023-02-02 20:55:25 | 
胃は物言う臓器です。
痛いとか重いと言うだけではありません。
胃がキリキリする。
胃がしくしくする。
胃がどんよりする。
胃が気持ち悪い。
あまり上機嫌で快調なことは言いませんが、とにかく存在を忘れることがありません。
肝臓などは物言わぬ臓器と言われていますが、確かに肝臓が痛いと言うことはありません。でもその代わり健康診断では血液検査で目一杯ものを言われますけど。
池谷先生によると胃弱で通院している人は国民生活基礎調査によると約196万人。しかし、胃弱の場合医療機関にかからず胃腸薬を飲むとか消化によいものを食べるとかのセルフケアで対処する人が多数で、慢性的なものと思って諦めている人が多いので実態は何倍かの人が悩んでいて多くの人が痛む胃を押さえています。
そんな日本人の国民病ともいうべき「胃弱のトリセツ」を池谷先生が書いています。

でも池谷先生は循環器が専門だったのでは?
開業して今は生活習慣病対策を専門としている総合内科医として活躍しています。胃弱もたぶんに生活習慣病の面があり、問診をしているとその症状は胃が原因ではないかという人も多くいて必然的に治療をしているそうです。
今の池谷先生を見ると意外なのですが、若い頃は胃弱に悩まされていたとか。ストレスがあるとすぐに胃がきゅんとなったみたいです。本人の診断としては逆流性食道炎だったとか。でもストレス対応に気を付けて生活習慣を改善すると胃弱の生活から別れられたとか。
最初に胃弱がどうかの簡単なチェックリストからの診断があります。私もやってみたのですが、胃弱レベルは2。本人的にはもっと深刻かとも思っていたんですが、隠居暮らしの今はあまりストレスもないからこんなもんか。とにかく言祝ぐことにストレスで胃がキリキリ痛むなんてことは無縁になりました。
それでもつい羽目を外しての暴飲暴食の後とか、脂っこいものを食べた後には胃がどんよりすることも多々あり、漢方胃腸薬のお世話になっています。

胃を荒らす最大の原因はピロリ菌と言うことで、50代以降は40%が保菌者で、団塊の世代では70%とか。実は私も健診で血液検査を受けていたのですが、強陽性。
もう10年以上前のことですが、慌てて近所の開業医に受診して除菌の薬を飲みました。薬を飲むだけなのですが、3種類の薬を毎食後1週間飲まなければならず、ある意味腸内細菌を全部殺すみたいなものなので、服薬期間中は絶えず下痢をしていて仕事に出ていると結構苦しかった記憶です。
とにかく胃弱の人は方法はいろいろあるのですが、ピロリ菌の検査をして、結果陽性なら除菌することが第一順位。
胃弱の第2の容疑者は「機能性ディスペプシア」胃の機能に異常があるので消化不良が起きると言うもの。ただこれには原因となる病気や異常が見つからないという厄介なもの。こうなると薬物療法が中心ですが、LD21乳酸菌入りヨーグルトがいいとか。LD21乳酸菌は胃酸に強くて胃の中で能力を発揮するそうです。これは私も毎朝食べています。ちょっと高くてスーパーでも安売りしていないですけどね。
胃弱の原因第3は「胃食道逆流症」、胸の痛みを訴えても前かがみになった時とか食事と食事の間で痛みが20分ほど続くとなると狭心症ではなくて逆流性食道炎の可能性が大。
胃酸が逆流しやすいタイミングは食後と夜間。睡眠中の胃酸の逆流を防ぐには左向きで寝ることを心掛けるように。
この他に胃弱の容疑者としては加齢とストレスがあるので、ストレスに反応しやすい人はストレスコントロールが大切みたいですけど、それが出来れば苦労しない…一応ストレスマネジメントについても書いてありますけどまあ、参考程度ですね。
加齢については年齢を重ねるごとに血管へのダメージが蓄積して動脈硬化が進行、血流が悪くなるので胃の機能低下を招く…歳をとったら飲む食べるはほどほどにと言うことか。
では胃弱の人はどうすればいいか。胃薬については表にしてまとめてありますが、商品名でないとイマイチ分かりにくい。
生活習慣については、朝食はきちんととる!夕食は就寝3時間前に食べ終えること。当然夜食はだめ。ちょこちょこ食べも胃を絶えづ使うことになるのでNG、タバコはだめというのは言うまでもない。
食材としてはヨーグルトとブロッコリースプラウト。お酒は強いお酒は避けて、薄めてゆっくり味わってください。日本酒はいいことにしましょう。でも糖質制限的には蒸留酒がいいみたいなのですけど。
ここで心と体をリラックスさせる「ゾンビ体操」がお勧めです。ちょっと池谷先生、自分の得意分野へ誘導しすぎでは。私はゾンビ体操は胃弱とは関係なくやっているのですが、血流がよくなって内臓があったまるので胃にもいいとか。個人的には実感はあまりないのが残念ですけど。ストレスを軽減する「4-7-8呼吸法」も紹介されていますので興味がある人はどうぞ。
巻末には胃にやさしい食べ物事典もありますが、率直に言って体に悪いものは美味しい。胃にやさしくてもあまり食べようと言う気が起きないものはなんだかな~
200ページもない読みやすい本ですので胃が弱いと思っている人は是非読んでください。
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