怪しい中年だったテニスクラブ

いつも半分酔っ払っていながらテニスをするという不健康なテニスクラブの活動日誌

「小田嶋隆の学歴論」

2024-08-09 20:37:51 | 
題名に小田嶋さんの名前が入っているのですが、これは小田嶋さんの個人の思いの入った学歴論と言うことか。
小田嶋さんが実際に経験した自身の学歴に対する世間的な評価も述べています。
でもそんなことは関係なく、いつもながら小田嶋さんの言説は鋭い。

江戸幕藩体制による封建社会は士農工商の身分秩序によって内部から支えられてきたのだが、貨幣経済が活発となり開国されると徐々に現実から乖離、世襲による固定的な職業選別が機能しなくなってきた。代わって現れたのが、学歴システムによる身分社会の再編成。学歴はある意味「後天的な身分」とも言えるのだが、社会的な役割としては身分と同じ機能をはたしていながら固定的でなく獲得可能な身分であり世襲不能な身分と言うことがユニークな点。明治以降の日本の飛躍にはこの学歴身分制の成功があった。
ところがこの成功によって学歴は人々のレッテル、値札として機能するようになる。人々は学歴に対して批判的で、行き過ぎた受験戦争には反対している。しかし自分の子どもを持つ当事者としては学歴で差別をされる立場になるのを避けようとする。結果受験戦争の益々の激化と低年齢化に突き進む。
子どもの学力は低年齢であればあるほど、親の教育水準及び経済状態をストレートに反映する(これは説得力ありますが、小田嶋さんが断定的に述べているだけでエビデンスが示されているわけではありません)。受験の低年齢化は「親の身分をほぼそのまま反映した学業成績を重視する傾向」となり、「学歴は後天的な身分」でありながら現実には身分が世襲されていくようになる。
明治以来社会的競争、身分的秩序の流動化によって我が国を活性化してきた学歴が、階級固定の道具になり社会的競争の阻害要因になろうとしている。
ここから小田嶋さんの経験を含めて如何に「学歴」による身分制が深く社会に浸透しているかを述べている。
小田嶋さんは早稲田の教育学部卒業なのだが、自慢話が大嫌いで高等小学校卒の職人だった父親が、息子の早稲田入学を自慢したのを聞いている。父の学歴への劣等感、怨念が分かってしまい、その思いを相続した気分になっている。
就職して会社に入れば学閥の暗躍を実体験する。早稲田の場合は「稲門会」というのだが、小田嶋さん、入社前から非公式に招集をかけられ稲門会での活動を誘われる。学閥は社内横断的な広がりを持った情報網となり、出世のパスポートになっていく。早稲田以外にも慶応の「三田会」とかも有名ですが、以前週刊ダイアモンドで三田会と稲門会の比較なんて言うのも堂々と特集されていた記憶があります。まあ、早稲田も慶応も卒業生は多くてそのネットワークは力になっているのでしょう。私の個人的な経験では、同じ係なり課にいる数人は仕事のできるできないははっきり分かるのですが、隣の課に行くだけでうわさで判断するしかなくなる。人事を行う部局は自分で直接一緒に仕事をした人以外については多分あがってきた推薦と評判で判断するしかないのだが、同じような評価ならば学歴が重要な判断材料になるのだろう。もちろん学歴などと言うのは受験という限定された範囲の知識を競ったものにすぎず、仕事のできるできないとは一致しないし全人格的な評価とは無縁です。高学歴で仕事のできない人とか近づきたくないような人のなんと多いことか。
それでも恋愛に学歴無用と言いながらカップリングパーティの参加資格で男性に求められているのは年齢を別にすれば学歴、身長、年収。東大、早慶の出身者は身長はあまり問題にされない。真剣な交際を求めているカップリングパーティでは学歴は明示されて重要視されている。
テレビ、新聞とかのいわゆるマスメディアの業界で働いている人間はほとんど100%大学卒。日本人の大学進学率は伸びたと言え50%そこそこくらい?今の日本人の中で中高卒者は70%くらいだろうか。その中でマスメディア業界は異様ともいえる学歴構成で、学歴に対する見えない差別感情があり学歴ヒエラルキーを売り物にしている。クイズ番組とかに東大とか名門大学とかの回答者を集めて競わせているのを見ると高学歴の優秀な方々は違うよとなるのだろうが、一生懸命勉強して受験競争を勝ち抜いてこれかよと言いたくもなる。
知性派タレントなどと言われる人たちの知性は何だと言うとつまるところ学歴。プロスポーツ界でも知性派選手などと言われている人たちは学歴からなのだが、競技の能力、頭の良さは学校では学べないことで学力とは関係ないと言うのは少し考えれば分かる。
田中角栄が出てきた時、「今太閤」ともてはやされたのだが、それは田中角栄が低学歴だったからこそ。東大や早稲田慶応といった有名大学の卒業生で首相になっても決して今太閤などとよばれなかった。出世という意味では大学卒でも総理大臣になると言うことは大出世のはずなんだが…そこには中高卒は一生下積みが普通という認識があったはず。マスコミは庶民を励ます意味で、学歴なんかなくてもこうして出世する人がいるんだと言っている。
まだまだ意識しなかった学歴に対するマスコミの取り上げ方はいろいろ出てくるのですが、結構頭に突き刺さった話を全部書いているときりがないので興味を持った人は読んでください。
それにしてもわが豚児たちはなんであんなに学力がなかったのか。全然世襲されていないのですけどと私も当事者としては学歴信者です。
小田嶋さんの早世を本当に残念に思います。
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逢坂剛「暗殺者の森」

2024-08-08 07:50:10 | 
逢坂剛のスペインシリーズ。
おなじみの陸軍参謀本部総務部付情報将校で日系ペルー人を名乗りスペイン国籍を持つ北都昭平、聯盟通信ベルリン支局長の尾形正義、イギリスМI6第5課員のヴァジニア・クレイトンがスペイン、ドイツを舞台に活躍します。この逢坂剛のスペインシリーズ、「イベリアの雷鳴」からもう何冊目か分かりませんが読んだことがあるのは1~2冊のはず。連作なのですが、順番に読まず、途中経過をすっ飛ばしてこの本をいきなり読んでも十分楽しめます。
いよいよ佳境に入りドイツも日本も敗戦必至の状況に。ノルマンディ上陸作戦が挙行される中、ドイツ内部ではヒットラー暗殺計画が進んでいく。

今回は北都昭平も尾形正義もどちらかというと主役ではなくて脇役と言うか狂言回し役。
物語は結局失敗に終わった1944年7月のヒットラー暗殺計画を詳細に描写していく。確かトムクルーズ主演の映画にもなっているのですが、見ていませんし、この件についての知識はほとんどありませんでした。たぶん膨大な資料と格闘し詳細な取材によって作戦の全貌を明らかにすることによって、かなり確度の高い事実に基づいているものとして小説というよりはドキュメントを読んでいる気分でした。
ヒットラーを暗殺しナチス体制を崩壊させ、ドイツを完全な破壊から救い英米と講和を結ぼうとするクーデター計画「ヴァルキューレ作戦」。主役はヒットラー暗殺計画の実行犯の国内予備軍参謀長のクラウス・フォン・シュタウフェンベルク大佐。見事ヒットラーの出席する会議室に爆弾をセットしたうえで会議を中座して爆弾を爆発させる。
暗殺は成功したと思われ、ただちにベルリンに戻ったシュタウフェンベルク大佐は、SSがヒットラーを暗殺しクーデターを起こしたためこれを制圧して首都の秩序を維持すると言う名目でヴァルキューレ作戦を発動を要請。ナチス政府の主要機関や先頭集団を無力化し、放送局等の報道機関を占拠してベルリンにいるナチス高官を逮捕する。
ところが兵舎の会議室で爆発はあったが、なんと軽傷を負っただけでヒットラーは生きていた。厚い樫の樹の天板と同じく厚い板の脚のテーブルで爆発がヒットラーを直撃することはなかったみたいだ。暑いので会議室の窓が開いており爆風がこもらなかったとか、爆弾の入ったカバンの位置を後でずらしたものがいたとか偶然の賜物なのだろうが、あれだけの爆発があってもヒットラーは生きていた。
まさにヒットラーは幸運の星のもとに生まれた神に選ばれたものだったのか。
ヒットラー死亡の確証が取れずに国内予備軍司令官フロムは逡巡し、計画発動は遅れていく。結果的に通信網は遮断されずに放送局等報道機関も占拠されないままとなり、逆にヒットラーが生きていると報道されてしまう。クーデターに参加するはずの将校もヒットラーが生きているとなると次々に日和見してしまい、あえなくクーデターは失敗してしまう。
会議室にはヒムラーもゲーリング、ゲッペルスもいないなか、例えヒットラー暗殺に成功したとしてもクーデターを成功させるのは難しかったか?暗殺実行犯のシュタウフェンベルク大佐では荷が重く、不退転の決意で責任ある立場の者が強い意志をもって厳正かつ迅速に遂行しないといけなかったのだが、国内予備軍の将軍たちにはその意思がなかった。どうも末期的な組織のひっちゃかめっちゃかの在り様は読むだけで胸が悪くなりそうです。
もはやドイツの敗戦は免れないと誰もが思っていてもヒットラー1人が降伏を拒否し、それに誰も逆らえないと言う体制はどこかに決定的な病根があるように見える。
因みにこの計画には関係はなかったのだが、ヒットラー亡き後の体制について相談を受けたことによってロンメル将軍は自殺を強いられている。発表は脳血栓による急逝で英雄として国葬された。
この小説はドイツの無条件降伏で終わっているのだが,九死に一生を得てスペインに戻ってきた北都とヴァジニアはその後どうなるのだろうか、ドイツ降伏後の尾形正義は日本に帰るのか?処刑されたはずのカナリス将軍は生きているのか。ドイツ降伏後はソ連との諜報戦が始まるのだが、МI6の密かにソ連寄りのフィルビーはどう振舞うのか。
ドイツ降伏でいわゆるこのイベリアシリーズはクライマックスを迎えたのだが、さあこれからどうなる。


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8月5日鶴舞公園テニスコート

2024-08-05 22:21:50 | テニス
連日の猛暑日です。
朝8時の段階で名古屋は30度超え。
この日も最高気温予想は36度(実際の最高気温はさらに高く39度!)です。

当然ながら熱中症警戒アラートが発令。
それでも警告を無視してテニスに行きます。
8時50分過ぎに家を出て雁道バス停へ。
しかし交差点にたどり着いた時ちょうどバスが通過していきました。
通過したバスは時間通りでしたが次のバスは時刻表から5分遅れて到着。なんだかな~
それでも9時30分には鶴舞公園に到着。
市公会堂に人だかりがあって、どうやらピアノコンクールの授賞式があるみたい。

コートに行くとはげ親父、1059さん、えみちゃん、飲めない飲むにヤッターマンがいます。程なく森の熊さんも来てこの日は7人です。
早速ボレーとストロークに分かれて乱打にします。
コートの上では立っているだけで暑さでくらくらするので乱打は早めに終了して休憩。
えみちゃんが水分補給にとスイカをカットして持ってきてくれたので頂きます。
ベンチ付近は蚊がぶんぶん飛んでいるので蚊取り線香を焚きます。


この蚊取り線香、安かったのでベストプライスを買ったのですが、ナショナルブランドと比べると折れやすくて点きが悪い。やっぱり蚊取り線香はキンチョウですね。
一休みしてじゃんけんして試合にします。
最初の試合ははげ親父と組んで飲めない飲む、1059組と対戦。この試合はなぜか私のサーブが決まって、その勢いで押し切って4:0で完勝。最初だけという説もありましたが、とにかく最初だけでもよければいいでしょう。
次の試合は森の熊さんと組んでヤッターマン、はげ親父組と対戦。2試合目に早くも疲れが出て来てサーブも入らなくなり、穴がないヤッターマンに対抗しようとより厳しいところを狙うのでミスを重ねてしまい森の熊さんの足を引っ張り、1:3の負け。
この日は暑さで倒れるといけないのでビールを持ってこないでノンアルコール。

塩分も補給する必要があってエビせんべいも。
今度の試合はヤッターマンと組んではげ親父、森の熊さん組と対戦。11時過ぎるとコートに立つだけで、もはや暑さで半分ギブアップ。朦朧とした中でミスを重ねてしまいヤッターマンの足を引っ張ります。そう言えば前の試合では森の熊さんの足を引っ張っていて、この日は人の足を引っ張るばかりでした。それでもヤッターマンの動きは疲れを知らず、何でも今週は月曜から金曜までテニスか卓球とか。
それやこれやで結果は2:2の引き分け。
この時点で11時20分になり、私はここであがり。
この日は急遽義妹から緊急連絡があって、お昼を食べることなく早退しました。


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なごやの古代遺跡を歩く

2024-08-01 07:41:55 | 
名古屋市教育委員会の学芸員さんが書いた本です。
一読して名古屋にもこんなに古代遺跡があったのかとちょっとびっくり。
何でも名古屋市内だけでも約900か所とか。
この本では身近な遺跡を体験してみようと9の遺跡散策コースを紹介しています。

最初の登場するのが志段味東谷山周辺の古墳群。ここにはたくさんの古墳が築かれていて市内最大の古墳群(約50基)があります。
交通の便もJR高蔵寺駅かゆとりーとライン東谷橋からのスタートと至便です。古墳を巡りながら東谷山からフルーツパークを巡って戻ってこれます。ハイキングコースとしても最適だと思いますが、距離がどれくらいで所要時間がどれくらいかがはっきりと書いていないのが残念。コース案内地図もあるのですけどちょっと小さくてよく分からない。別刷りで持ち運べる地図をつけていただけたらと思うのはぜいたく?
この本は「歴史の里しだみ古墳群」として整備される前に書かれていますが、今は歴史の里として整備され「体感!しだみ古墳ミュージアム」も出来ています。ホームページで見てみるとガイドツアーなどもあり、古墳群も階段をつけたり雑木を伐採したり案内板を新設したりと、かなり整備されているみたいです。ミュージアムは展示室は有料ですが、高齢者は100円。展示室に入らなければ無料ですし、多分イラストマップは無料でもらえそうなので最初に行くといいみたいです。ミュージアムの最寄りのバス停はゆとりーとでは上志段味です。
残念ながら私は志段味近辺はフルーツパークしか行ったことがなく、気候がよくなったら折を見て古墳ミュージアムから古墳を体感しながら名古屋の最高峰東谷山を登って周辺を逍遥してみたいと思います。
因みにこの本で初めて知ったのですが、掘削に届け出が必要なこともあって市内各区の「遺跡分布図」なるものがあり、市役所西庁舎1階の市政情報センターで入手できるそうです。ただし港区は遺跡がないので地図もないと言うのですけど、古代はすべて海の中だったと言うことか!値段は区によって違うのですが、これは遺跡の数の違いか?
それにしても古代遺跡となると当時の地形を想像しなくてはいけない。川とか入り江に近い台地の上とかが集落とか古墳のメインで、台地を降りた水辺近くが古街道となっています。ブラタモリでよくタモリが言っていますけど高低差は大切です。 
紹介してある市内のコースの中でも中区の地下鉄上前津から名古屋城迄のコースとか、金山近辺の古渡遺跡群、さらには金山から熱田神宮へのあゆち潟を臨むみちはよく知っているあたり。断夫山古墳とか白鳥古墳とかはいつもの散歩コース。古墳はともかく遺跡がそんなにあったとは知らずに歩いていました。

高蔵公園は最近整備されて古墳がよく分かるようになっていますが、高蔵保育園の中を弥生時代前期の濠が突っ切ていたとは初めて知りました。
路地を訪ねて瑞穂台地は、私の地元近辺を周るのですけど、コースとしては地下鉄桜山駅から地下鉄妙音通、地下鉄新瑞橋を経て、さらには中根の天白川まで行き瑞穂運動場を経て地下鉄桜山駅の戻るってコースは何キロ?かなりの健脚コースになるので適宜交通機関を利用しなさいと言うことでしょうけど1日がかりです。
取り合えず「高田村を歩く」として出ている八高古墳(これは小学生時代の遊び場の一つで当時は名古屋大教養部だったので入口の門に衛視?がいて裏口から入っていた。因みに門は今明治村の入り口になっているはず)から乳花薬師までは私の中学校区の中で歩きなれた道ですから、すぐに行けますけどね。
近所にめぼしい遺跡があるのなら、この本を持って歩いてみたらどうでしょうか。古代遺跡というと古墳とか地中に埋まっているものが中心なのですが、この本でも触れられていますが、一緒に中世、近世の遺跡とかもも確かめて行けば街歩きも楽しみが増すのでは。
付属で歩いて行くの便利な大き目の地図に、標準的な距離と時間が書いてあると便利なのですけど今はスマホでみんな分かるのかな。
学校とか神社とかお寺は古墳とか城跡に立っていることも多いのですが、都市公園に残る遺跡たちという記事も最後にあって近くの公園にも遺跡があるのかも。
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