【新井恵美子著、北辰堂出版発行】
5月29日夜、テレビをつけるとたまたまNHKの「歌謡コンサート」が始まったばかりだった。美空ひばりの誕生日ということで「ひばり特集」。女性演歌歌手たちがひばりの名曲を次々に披露したが、中でも田川寿美の「悲しき口笛」と伍代夏子の「みだれ髪」は心に染みた。演歌や歌謡番組はあまり見ないほうだが、ひばりの生前の映像や歌が流れるとつい目が行ってしまう。このコンサートを見なかったら、長い間埃をかぶっていたこの本のことも忘れていたかもしれない。
著者は1939年生まれで平凡出版創立者岩堀喜之助の長女。娯楽雑誌「平凡」は戦後、ひばりの活躍とともに部数を伸ばした。ひばりが52歳の若さで亡くなってから随分たつが、多くの人の心の中になお不死鳥のように生き続けている。ファンの1人としてひばりの足跡を改めてたどった本書は、芸道にかける母子のすさまじいばかりの執念と、ひばりを取り巻く様々な人間模様などを浮き彫りにしている。
昭和22年、ラジオののど自慢素人演芸会で「子供が大人の歌を歌ってはいけない」と諭され「ゲテモノ」とまで酷評された加藤和枝(ひばり)。だが、その2年後には初主演の映画「悲しき口笛」で一躍脚光を集める。生涯に出演した映画は165本。ひばりの相手役を務めたことがきっかけで大きく育った俳優も多い。中村錦之助、大川橋蔵、東千代之助、大友柳太朗、里見浩太郎……。生涯に発表したオリジナル楽曲は517曲に上るが、そのひばりが「私、恥ずかしながら楽譜が読めないから、新しい曲は音符の感じで覚える」と言っていたという。信じられないような話だ。
ひばりの人生はまさに山あり谷ありだった。小さな歌姫へのバッシングから始まって、初巡業先四国でのバス事故、浅草国際劇場での少女ファンによる塩酸事件、小林旭との短い結婚生活、NHKとの確執と紅白歌合戦の落選、ひばりを支え続けた母喜美枝や弟たちの相次ぐ死……。ひばりが生まれた時、父増吉は魚屋だった。「ひばりの世話になんか絶対にならない」が口癖で、その後もすし屋、トンカツ屋、土建業などを手がけた。だが、どれもあまりうまくいかなかったらしい。ひばり25歳の時に亡くなるが、母喜美枝はある時、ひばりにこう言ったという。「お嬢のお父さんは偉い人だったよ。あの人はね。お嬢のお金には五厘だって手をつけやしなかったよ」。