【「紅一点」は中国の「石榴の詩」に由来】
原産地はイランやアフガニスタンなどの西南アジア。日本には中国経由で平安時代初期の10世紀ごろにはすでに渡ってきていたらしい。日本最古の薬物辞典といわれる「本草和名(ほんぞうわみょう)」に、ザクロは「安石榴、和名佐久呂」として出てくる。中国では紀元前2世紀の漢時代、武帝の命で西域に派遣された使者が当時安石国と呼ばれたペルシャから種子を持ち帰ってきた。瘤(こぶ)のような実の形から当初「安石瘤」と呼ばれ、これが変化し略されて「石榴」(または柘榴)になったという。
ザクロと人間のつきあいは有史以前にさかのぼるらしい。古代エジプトのツタンカーメン王の墓からはザクロをモチーフにデザインされた埋葬品が多く見つかった。紀元前5世紀の古代ギリシャの医学者、ヒポクラテスの書物にもザクロの効能が書き記されている。スペイン国旗にはザクロが中央の下の方に小さな紋章として描かれている。アルハンブラ宮殿で有名な南部の都市「グラナダ」という地名はもともとスペイン語で「ザクロ」を意味するという。ザクロはスペイン最後のイスラム教国グラナダ王国(1238~1492年)のシンボルだった。カスタネットはスペイン舞踊のフラメンコに欠かせないが、グラナディザクロの木)はその高級素材にもなっている。
男性陣の中の唯一の女性を指す「紅一点」の紅はザクロの花のこと。11世紀の中国・宋時代の詩人、王安石が作った「石榴の詩」の一節「万緑叢中紅一点」に由来する。宝石のガーネット(1月の誕生石)の別名は「ザクロ石」。色や形、光沢などがザクロの実に似ていることによる。ザクロは粒状の実を無数につけるため豊穣や子孫繁栄を象徴する果物ともいわれる。
安産や子どもの守り神、鬼子母神は左手で子どもを抱き、右手に魔除けの吉祥果ザクロを持つ姿で表現されることが多い。鬼神はインドで訶梨帝母(かりていも)と呼ばれていたころ、近隣の子どもをさらって食べるため恐れられていた。釈迦は子どもを奪われた親の悲しみを教えるため、鬼神が一番かわいがっていた末の子を隠して改心させた。その際、子どもを食べないという約束の代わりにザクロを与えたともいう。そんな言い伝えもあって、鬼子母神の縁日にザクロを供えたり、東京の雑司が谷や入谷の鬼子母神のように、絵馬の図柄にザクロを採用しているところも少なくない。