【斑鳩文化財センターで春季企画展】
奈良県斑鳩町の斑鳩文化財センターで開催中の企画展「弥生時代の斑鳩のようす―弥生びとのくらし」(26日まで)を3日見学。斑鳩といえば法隆寺をはじめとする飛鳥時代の古寺や藤ノ木古墳が有名だが、それ以前の弥生時代はどんな様子だったのだろうか。企画展では発掘調査で出土した多くの土器や石器を、遺構の写真パネルなどとともに展示し、弥生時代の斑鳩を紹介している。
斑鳩ではこれまでに東里、西里、岡原、服部、上宮などの各遺跡から弥生時代の壷や甕(かめ)、高圷(たかつき)、石器の石鏃(せきぞく)、石錐などが見つかっている。そのうち岡原遺跡では弥生後期の竪穴住居跡5棟や掘っ立て柱の建物跡2棟が発掘され、竪穴住居跡の周りからは〝投弾〟とみられる石も出土した。投弾は紐を巻き付け振り回して投げる武器の一種。このため軍事的機能を持つ集落ではないかとみる専門家もいるそうだ。
服部遺跡からは約2200年前の弥生前期後半の壷(写真右側)がほぼ完全な形で出土。壷の胴部下側には中から開けたとみられる穴があり、水に関わる祭祀に用いられたと推測されている。西里遺跡からは方形周溝墓4基が見つかった。溝の中に木棺や土器棺を並べて埋めたもので、家族単位の墓とみられる。大きさは一辺数mから20m超のものまであり、被葬者の権力の大きさを反映しているのではないかという。藤ノ木古墳の下からも弥生中期の壷棺や高圷、壷などが見つかっている。壷棺は2つとも小型のため子ども用とみられる。
奈良県内の弥生時代の遺跡としては国史跡にも指定されている唐古・鍵遺跡(田原本町)の環濠集落が有名。斑鳩ではそのような大集落は見つかっておらず小規模なものばかりだが、それらの遺跡の集落がいずれも現在の集落に連綿とつながっているという。法隆寺の境内の地下にも多くの弥生時代の遺物や遺構が眠っているに違いない。