く~にゃん雑記帳

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<平山郁夫展> 京都で没後初 被爆体験のスケッチに平和の祈り込め!

2012年09月13日 | 美術

【シルクロードのほか古都、故郷・生口島を描いた作品も】

 「平山郁夫展 次世代へのメッセージ」(19日まで)が京都の大丸ミュージアムで開かれている。元東京芸大学長で文化勲章受章者。文化財保護活動や国際交流など多方面で活躍していたが、2009年12月、79歳で亡くなった。「道半ばにして倒れたという印象は禁じえない。その画業や活動を改めて振り返り、生涯をかけて訴えたメッセージを次世代に伝えるきっかけになれば」と、弟の平山助成「平山郁夫美術館」(広島県尾道市瀬戸田町)館長。同館などが所蔵する本画や水彩の素描など約100点が出展されている。

 平山1

 会場を入って正面に「月光流砂らくだ行」(2001年、写真㊤)。シルクロードシリーズの代表作の1つで、月明かりの中を7頭のラクダが静かに進む。この青の世界と対象的なのが「流砂浄土変」(1976年、写真㊦)。夕焼けで赤く染まる中を、隊商のラクダの群れが進む。ラクダを描いた有名な大作がもう1点。「絲綢の路パミール高原を行く」(2001年)。雪山を背景にラクダ隊が緩やかな山を登っていく。

 平山2 

 このほか「マルコ・ポーロ東方見聞行」(1976年)や「求法高僧東帰図」(1964年)、「アンコールワットの月」(1993年)、「黄河夕陽」(1976年)、「黄河(宵)」(1986年)などの大作も出展されている。「月光の塔法隆寺」(1987年)など古都を描いた作品もあった。平山は学生時代の1949年、古美術研究旅行で初めて奈良を訪れる。その印象をこう書き記している。「それまで焼け跡ばかり見てきた目には、草木濃い古都のたたずまいはみずみずしかった。古都奈良との初めての出会いは心の奥深いところに確かな刻印を残した」。

 こうした本画のほか、被爆体験や郷里の風景、学生時代の思い出などをスケッチした約30枚の水彩も人気を集めた。1枚1枚解説文付きで、熱心な来場者が長い行列を作った。平山は中学時代、勤労動員されていた広島で被爆する。「青空」のタイトルが付いた最初の1枚目には原爆投下の場面が生々しく描かれていた。「広島の空はその朝も青く晴れ渡っていた。空を眺めていた。と、白い飛行機雲を引っ張ったB29がスーッと上空に入ってきた。警報も出ないしサイレンもない。そして、頭上はるか高いところでパッパッと落下傘が開いた」。そして閃光。3枚目の「惨禍」の説明文には「全身にやけどを負い、皮膚がめくれて雑巾のようにたれさがっている人がいた。体中にガラスの破片が食い込んでいる人がいた。広島の惨状は15歳の中学生には強烈すぎた」。平山はその後、原爆の後遺症で苦しめられることになる。

 平山は仏教伝来の道を求めて中国やシルクロードをくまなく旅した。その集大成の1つが「大唐西域壁画」。奈良・薬師寺の玄奘三蔵院の壁面を飾る。なぜ、そんなに西方に引かれたのか? 学生時代の思い出を描いたスケッチと解説文でその謎の一端が解けた。平山は焼失した法隆寺の金堂壁画の模写を任せられる。「(仏画の)模写をして仏教美術の源を意識せざるをえなかった。日本の仏教美術が中国、インド、さらにもっと西方の地域からの影響を受けているのは常識だが、それを自分の目で確かめ比較したいという思いが募った」。平山の西方への長い旅路の原点は、奈良・法隆寺の壁画だった。

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