く~にゃん雑記帳

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<安野光雅「洛中洛外展」> 淡い水彩で描く古都

2012年09月20日 | 美術

【86歳、原動力は「子どもの頃のような好奇心」】

 画家、安野光雅の「洛中洛外展」(10月8日まで)が19日、大阪高島屋で始まった。1926年島根県津和野町生まれの86歳。小学校の美術教師などを経て43歳のとき絵本作家としてデビュー。以来、想像力あふれる多くの絵本や装画、風景画などを手掛けてきた。絵本のノーベル賞といわれる国際アンデルセン賞(画家賞)を受賞するなど内外での評価は高い。創作の源は「好奇心。〝私は下手、まだ子ども〟という自己暗示がいつもスケッチを始めるときのおまじないになっている」という。

 銀閣寺遠望

 同展には産経新聞に連載中の「洛中洛外」シリーズをはじめ「日本のふるさと奈良」、ヨーロッパを描いた「風景画を描く」、共同通信加盟地方紙に連載中の「日本の原風景」、メルヘンチックな「野の花と小人たち」、唱歌など歌の世界を描いた「絵本歌の旅」、初公開の「絵のある自伝」など、合わせて120点余の作品を展示している。

 「洛中洛外」は奈良に続く古都シリーズ。「京都を描くことによって忘れていたこと、つまり文化の大切さを思い知らされている」という。そのうちの1点に『銀閣寺遠望』(上の絵)。銀閣寺の全景を俯瞰する形で描いている。その説明文に「見晴らしのいい丘の上まで登ったが、少し息がはずんだ。先月、心臓の定期検診に行ったが、異常はなかった」。日経新聞に昨年2月掲載された「私の履歴書」によると、安野は2005年、狭心症の手術を受け、その半年後には肺に影が見つかり、がんの告知を受けた。ただ担当医から「今のところ、がんはないと思ってください」と言われ、「先生の言葉に拍子抜けし、そしてまた元気が出た」と述懐している。そんな経緯もあってか、この『銀閣寺遠望』はまるで〝いぶし銀〟のように輝いて見えた。

伏見酒蔵りんどう

 奈良については「仏教文化など沢山の物が人間とともに渡来した。百済、高句麗、新羅などを抜きにして、わが国の文化を語ることはできない。昭和を生きた私には『いにし世を静かに思え、百年も昨日の如し』という感慨がある」という。田園風景の奥に大仏殿が描かれた『奈良坂から大仏殿』からは、そんな悠久の時の流れを感じさせられた。安野の描く世界は極力原色を排した淡い色遣いが特徴。『春の小川』『長崎の鐘』などの「歌の旅」シリーズ、『ほたるぶくろ』『りんどう』などの「野の花と小人たち」シリーズなども、いずれも穏やかでやさしさにあふれていた。(上の絵は㊧伏見酒蔵、㊨りんどう)

 安野は1991年夏から司馬遼太郎の「街道をゆく」(週刊朝日連載)の装画を長く担当し、取材旅行にも同行した。司馬が亡くなった後、遺品として靴を2足頂いたが、これが不思議とぴったり合った。「これは司馬さんの靴だぞ、といって威張ってみせた」という。「私の履歴書」にはそんな愉快なエピソードも載っていた。安野の故郷津和野への思い入れは深い。2001年の75歳の誕生日、その津和野の駅前に「安野光雅美術館」が開館した。同じ津和野生まれの森鴎外翻訳の「即興詩人」(アンデルセン原作)の熱心なファンとしても知られ、2010年には自ら「口語訳即興詩人」まで出版した。まもなく米寿を迎えるが、創作への意欲と情熱はなお尽きないようだ。

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