【透明感あふれる山口宗季(中国名・呉師虔)の「花鳥図」】
奈良市の大和文華館で特別企画展「明清の美術―爛熟の中国文化」(30日まで)が開かれている。同館所蔵品を中心に16~18世紀の明清時代の花鳥画や山水画など約70点を展示。琉球(沖縄)から中国に絵画留学した絵師、山口宗季(呉師虔)の「花鳥図」(写真)は画面全体に透明感があふれ、高い品格を放っていた。白菜を描いた「墨菜図」や絶世の美女・王昭君(明妃)の故事を描いた「明妃出塞図巻」も印象に残った。
山口宗季(1672~1743)は31歳の時、琉球との間で文化交流が盛んだった中国・福州に留学し4年間絵画の修業を積む。この「花鳥図」は帰国後の1715年の作。「太湖石」という中国の奇石にボタンやシャクヤク、野菊、ツバキなどを生けるように描き、文鳥など数種のつがいの小鳥を配している。白を基調とした中でボタンとツバキの赤が際立つ。清朝の花鳥図の画風が随所に見られるという。清朝の花鳥図は1731年、長崎に渡来した中国の画家によって日本に伝えられ、江戸後期の画壇に大きな影響を与えたという。
沖縄の文化財はその多くを沖縄戦で焼失した。ある美術書によると、宗季の作品も存在が確認されているのはこの「花鳥図」も含め僅か7点(うち2点は米国へ流出)。いずれも沖縄戦以前に本土に出ていたものといわれる。宗季の作品には印章に中国名の「呉師虔」が使われていたため、本土では長く中国人と思われていたという。この「花鳥図」にも「呉師虔」と「子敬書」の2つの印章が押されている。「子敬」は宗季の字(あざな)。
「明妃出塞図巻」は長さ約175cmに及ぶ明時代の巻物。前漢の宮女・王昭君が匈奴(きょうど)の王に嫁いだ故事を絵画化した。匈奴王から女性を所望された漢の元帝は似顔絵の中から一番醜い宮女を選んで差し出すことを決める。この女性が王昭君。宮女は美しく描いてもらおうと絵師に袖の下を贈っていたが、王昭君だけはそれを拒んだため醜く描かれていた。王昭君が絶世の美女と知った元帝は激怒し、その絵師を斬首刑に処したという。
「墨菜図」は清時代の画家・栖巌鳳臣によるもので、大きな白菜2玉を墨で精密に描いた作品。葉の柔らかそうな感触まで伝わってくるようだ。白菜をモチーフの一部としてではなく、主題として大胆に描いたところが目を引いた。