【唐古・鍵考古学ミュージアム「弥生遺産展」で展示】
奈良盆地の中央部に位置する弥生時代の環濠集落遺跡「唐古・鍵遺跡」(国の史跡)で、近畿の弥生遺跡では例を見ない北部九州の土器片(写真㊧)が発見された。これまで出土していた最も西方の土器は吉備地域(岡山県南部)のもの。今回の発見により交流圏域が遥かに広域だったことになる。この土器は唐古・鍵考古学ミュージアム(田原本町)で16日から始まった秋季企画展「弥生遺産展」(12月23日まで)で展示されている。
唐古・鍵遺跡からは地元産の土器のほか他地域から持ち込まれた土器が多く出土している。西は摂津や播磨、吉備など、東は近江や尾張、三河など。各地域の土器は土質や形態、文様などの特徴から産地が特定される。例えば、吉備の土は白っぽく土器の頚部に凹線を配置し、河内の土は角閃石を多く含みチョコレート色を呈す。
注目の土器は甕(かめ)の口縁部に当たる幅13cmほどのかけら。一見何の変哲もない土器片だが、縁には赤い塗料が鮮明に残っている。1988年の第34次調査で遺跡東側の環濠部分から出土していたもので、土器を再調査した結果、その特徴から北部九州で作られた可能性が極めて高いことが分かった。
地元で作られた弥生土器に比べると、①口縁部を赤彩している②外面の刷毛調整の工具が異なる③土器の成形方法は粘土紐ではなく板づくりの可能性がある――といった違いがある。中でも口縁部を外側に直角に折り曲げた「逆L字形」になっているのが最大の特徴という。
こうした特徴は北部九州の筑前地域、後の魏志倭人伝の時代に奴国・伊都国と呼ばれる地域に見られる「須玖(すぐ)式」と共通しているそうだ。製作時期は環濠から出土した他の土器から弥生中期中頃(紀元前2世紀頃)と推定されている。吉備地域の土器が弥生中期後半とみられることから、持ち込まれた時期も大きく遡ることになる。
今回の企画展では出土した弥生時代前期から古墳時代前期の土器類の変遷をたどるとともに、特徴的な土器を分類・展示している。展示総数327点のうち、ほぼ半数は初展示。火災に遭った土器や用途が不明な高さ数cm~10cm前後の〝ミニチュア土器〟(上の上の写真)、復元できた土器としては唐古・鍵遺跡最大の大壷(高さ約90cm、胴部径約66cm)、約150m離れた地点に分割投棄された甕、鹿や魚などが描かれた〝絵画土器〟(上の写真㊧から順に)なども展示されている。