【中国・朝鮮など海外の古代青銅製品60点も】
天理大学付属天理参考館(奈良県天理市)で企画展「青銅のまつり」(12月2日まで)が開かれている。約2500年前の弥生前期末に日本に伝わってきた青銅器の〝源流〟をたどり、古代人が青銅器に託した思いやその美術的な魅力を紹介するのが狙い。日本で独自に発達した銅鐸をはじめとする国内出土品約30点(一部複製品も含む)と、中国や朝鮮半島、タイなどの青銅製品約60点を展示している。
青銅器の歴史は紀元前3500年頃、エジプトやメソポタミアで剣や斧が作られたのが始まり。中国では紀元前2000年ごろから生産され始め、殷・周の時代に祭器や武器が盛んに作られた。その青銅器文化は春秋・戦国時代、東アジアに広まり、日本には紀元前400年頃、朝鮮半島を経由して伝わってきた。
銅と錫の合金である青銅器は、錫の含有量が少ないと赤銅色に、増えると真鍮に近い黄金色に、さらに増えると銀のような白銅色になる。ただ、錫の含有量が増えると材質が硬くなる半面、脆くなるという性質を持つ。このため、弥生時代の中期~後期に硬くて丈夫な鉄が普及し始めると、武器や農耕具も鉄製が主流になった。同時に青銅製の武器は実用品から祭器に変化し大型化した。(上の写真は㊧「流水文銅鐸」(伝徳島県吉野川沿岸出土)、㊨「袈裟襷文銅鐸」(滋賀県野洲市出土)=いずれも弥生中期~後期のもので重要美術品に指定)
日本の銅鐸は独自に生み出されたものだが、その源流は中国の銅鉦・銅鐘・銅鈴などともいわれる。中でも小型の銅鈴が起源とみられているが、日本では最初から大きさが20cmほどあり、表面に文様が施されている点で異なる。過去に出土した銅鐸は500個を超えるが、その1割強の約60個は〝絵画銅鐸〟で人物や動物、建物などが描かれている。銅鐸も弥生中期までは楽器としての機能を備えていた。だが、後期に入ると武器と同様、大型化して祭器となり、古墳時代に入ると忘れられてしまう。(下の写真㊧中国・春秋~戦国時代の銅鐘、㊨紀元前3世紀頃の銅鼓=中国貴州省出土)
会場には中国の南部やタイに伝わる大型の「銅鼓」という青銅製品も展示されている。銅鼓はその文様や普段使わない時に地中で保管するなど日本の銅鐸との類似性が指摘されている。銅鼓が登場して約2000年。中国雲南省の少数民族チワン族の社会では今も祭礼で使い続け、結婚式や葬送儀礼などで銅鼓による演奏が行われているそうだ。