【京都園芸倶楽部の創立90周年記念式典で】
京都園芸倶楽部の創立90周年式典・記念講演会が24日、京都・宝ケ池の国立京都国際会館で開かれ、法然院貫主(かんす)・梶田真章氏が「こころ豊かに生きる」と題して講演した。梶田氏は1984年に第31世貫主に就任、その翌年「法然院森の教室」を設けて環境学習活動に乗り出し、さらに93年には境内に活動拠点として法然院森のセンター「共生き堂(ともいきどう)」を開設した。
梶田氏は室町時代前半まで日本人は輪廻転生を信じ、どうしたら六道の地獄・餓鬼・畜生に落ちずに極楽往生できるかが最大のテーマだった、と指摘する。この世のことは神様にお願いし、あの世のことは仏様に祈ってきた。だが、室町中頃に生活が安定してくると家を守るという欲望が生まれ、神様にも仏様にもこの世のことをお願いするようになった。その頃から日本人はご先祖様や鎮守様に守られて生きてきた。
柳田國男はそれを〝先祖教〟と名付けた。人々は亡くなった先祖が浄土に行くのではなく、草葉の陰から見守ってほしいと願い、お墓ができるようになった。「その〝先祖教〟文化の象徴が送り火や精霊流し。『千の風になって』という歌の流行も、より近くから見守ってほしいという思いが背景にある」。そんな中で室町後期から江戸初期にかけて、多くのお寺が次々にできた。
「その多くは仏法を広めるためではなく、法事をするためにつくられた」と、お寺の在り方に疑問を投げかける。今では全国に約7万のお寺があり、約5万といわれるコンビニの1.5倍近くに上るという。京都ではいま紅葉真っ盛り。観光客を集めようとライトアップするお寺も多い。梶田氏はこの風潮にも首をかしげる。「まさか法然院はしないでしょうね」と念を押されることもあるそうだ。「夜まで照明を当て紅葉を散らしてどうするのか。周りの生き物とどう向き合うかが問われている」。
人々は長く〝先祖教〟を支えに生きてきたが、「高度経済成長に伴って私中心、小さな家族中心になると、自分のふるさとがどこか分からなくなり、ご先祖様とのつながりも薄れてきた。〝先祖教〟が崩れていく中で、新たに自分の拠り所が欲しいと願う人が増えてきた」。梶田氏は「なぜ宗教が必要なのか。それはこの世が不可解だから。不測の時代に遭遇した時の知恵として宗教がある。人生は苦だから宗教が生まれた。苦と出合わない人に宗教はいらない。だが、いつ出合うかは誰にも分からない」とも話していた。
一昨年の東日本大震災以来「絆」の大切さが指摘されている。「絆はその字の通り、牛をひもでつなぐということ。大震災を機に、誰かとつながっているという実感が欲しいと改めて絆が注目された。知らず知らずのうちに誰かの役に立っている。そんな生き方こそが素晴らしい」。園芸倶楽部での講演ということもあって、最後は「植物と向き合うことで豊かに生きることができるなら、他の生き物から功徳を頂いているということになる」と結んだ。