く~にゃん雑記帳

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<奈良市埋文センター> 秋季特別展「近世奈良の開幕―多聞城と郡山城」

2015年10月25日 | 考古・歴史

【奈良町遺跡に真鍮製品の生産跡、刀の鍔の鋳型など多数出土】

 奈良市埋蔵文化財調査センター(大安寺西)で秋季特別展「近世奈良の開幕―多聞城と郡山城」が開かれている。幻の城と呼ばれる多聞城、大和最大の近世城郭の郡山城をはじめ、中世から近世にかけての奈良の金属生産や酒造、製墨など商工業に関する発掘調査の成果を一堂に公開している。12月28日まで。

 

 中でも注目を集めているのが奈良町遺跡の縁辺部に位置する柳町の発掘調査で見つかった17世紀中頃の真鍮(しんちゅう)製品の生産跡。銅と亜鉛で真鍮を作るための蓋付きの坩堝(るつぼ)や真鍮を溶かす把手付きの坩堝(写真㊧)、刀の鍔(つば)や目貫(めぬき)などの鋳型(同㊨)が多数出土した。真鍮製の刀装具を専門的に製作していたとみられ、奈良が京都などとともに武器生産の先進地だったことを示す。

 

 多聞城は松永久秀が佐保山の東南(現・奈良市立若草中学)に築城した近世城郭建築で、長屋状の櫓(やぐら)「多聞櫓」も多聞城が起源とされる。城跡からは珍しい瓦製の建物の一部2点が出土している(写真㊧)。粘土で作った箱を芯とし、その上に屋根を貼り付けて形作ったもので、邪鬼を彫るなど極めて精巧な作り。築城以前にあった寺院に関わる遺物とみられる。また軒丸瓦、軒平瓦がいずれも10型式ずつ出土した(写真㊨)。京都の二条殿(二条良基の邸宅)跡からも多聞城と同笵瓦が出土しており、多聞城廃城後に殿舎が瓦とともに移築されたとの史料を裏付ける。

 郡山城は昨年の発掘調査で天守の規模が5階建てだったと推測され、出土瓦から16世紀末頃の豊臣政権期に建てられたことが分かった。筒井順慶の没後、郡山城に入城し大規模な築城を行ったのは秀吉の弟の豊臣秀長。天守台南の付櫓(つけやぐら)からは金箔が残る菊丸瓦が出土した。奈良奉行所跡(現・奈良女子大学)の北側の堀からは肥前産など江戸初頭の陶磁器類が多く見つかっている。

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