く~にゃん雑記帳

音楽やスポーツの感動、愉快なお話などを綴ります。旅や花の写真、お祭り、ピーターラビットの「く~にゃん物語」などもあるよ。

<なでしこリーグ後半戦開幕> 連覇めざす「神戸」、雪辱期す「日テレ」

2012年09月15日 | スポーツ

【11月中旬の最終戦にもつれ込む? カギ握る3位「湯郷ベル」】

 ロンドン五輪などのため中断していたサッカー女子のなでしこリーグは15日から後半戦に突入、10チームによる2回戦総当たりの2順目に入る。前半戦はINAC神戸が8勝1分けの無敗で独走、これを6勝2分け1敗の日テレと6勝1分け2敗の湯郷ベルが追う展開。優勝争いはほぼこの3チームに絞られてきた。神戸の連覇が成るのか、過去12回優勝の名門・日テレが雪辱を果たすのか、それとも日本代表の主将・宮間あや率いる湯郷の大逆転があるのか。場合によってはリーグ戦最終日(11月11日)の神戸―日テレ戦が雌雄を決する大一番になるかもしれない。

なでしこリーグ前半戦の順位と勝敗(勝ち点) ①神戸8勝1分け(25点)②日テレ6勝2分け1敗(20点)③湯郷ベル6勝1分け2敗(19点)④浦和4勝4分け1敗(16点)⑤ジェフ市原3勝2分け4敗(11点)⑥新潟3勝1分け5敗(10点)⑦伊賀2勝3分け4敗(9点)⑧狭山2勝2分け5敗(8点)⑨大阪高槻1勝2分け6敗(5点)⑩福岡0勝2分け7敗(2点)

 神戸はロンドン五輪の日本代表7人を擁し、2年前の2010年10月以来公式戦の連続無敗記録(37勝6分け)を続けていた。ところが、9月9日の「なでしこリーグカップ」決勝で、日テレが神戸を3―2で破り2年ぶりに無敗記録にストップをかけた。日テレはこれで同カップが開かれた2007年、10年に続いて3大会を連覇。後半戦も宿敵の両チームを中心に激しい戦いが繰り広げられそうだ。

 神戸の1分けは5月の湯郷との対戦で、0―0の引き分けだった。今季リーグ戦無敗の神戸は得点数も29点で他を引き離している。これは4月の初戦高槻戦、2戦目福岡戦でともに7―0と、2試合で14点を挙げたのが大きい。ただし、その後は接戦が続いている。2位日テレの唯一の敗戦は前半最終戦の神戸戦で0―1の惜敗だった。しかもこの1点もPK(川澄奈穂美)によるもの。日テレにとってはFW岩渕真奈が古傷の右足小指を痛め、この試合の後半に欠場を余儀なくされたのが痛かった。3チームの後半戦の対戦日程は10月21日=日テレ―湯郷、同28日=湯郷―神戸、11月11日=神戸―日テレとなっている。

 前半戦のゴールランキング ①永里亜紗乃(日テレ)8点①吉良知夏(浦和)8点③高瀬愛実(神戸)7点④大野忍(神戸)5点④京川舞(神戸)5点④岩渕真奈(日テレ)5点➆川澄奈穂美(神戸)4点➆荒川恵理子(浦和)4点➆保坂のどか(市原)4点

 日テレが1週間前の「なでしこリーグカップ」決勝で、神戸の連続無敗記録にストップをかけた最大の要因は永里の2得点・1アシストの大活躍。姉・大儀見優季(ポツダム)のロンドン五輪での活躍がいい刺激になっているのだろう。永里はリーグ戦前半のゴールランキングでも吉良とともに8得点で神戸勢を押しのけてトップ。吉良は昨年のリーグ戦で新人賞を獲得しているが、今年も期待通りの活躍を見せている。

 昨年ともに12点でリーグ戦の得点王に輝いた神戸の大野と川澄も2年連続へ後半戦に賭けている。その中でランキング4位に名を連ねる若手のホープ京川と岩渕の2人が、けがによる手術で後半戦ピッチで見られそうにないのが残念。その代わり、U―20(20歳以下)女子W杯で存在感を発揮した田中陽子(神戸)や藤田のぞみ(浦和)、猶本光(浦和)、土光真代(日テレ)、田中美南(日テレ)ら「ヤングなでしこ」勢の活躍に期待したい。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<みんぱく ひょうたん展> 奥がふか~い、「瓢箪」の世界!

2012年09月14日 | 美術

【奈良県立民俗博物館で開催中】

 千成瓢箪、秀吉、酒の容器、ひょっこりひょうたん島、「瓢箪から駒」……。恥ずかしながら「瓢箪」から連想するのはこの程度だったが、「みんぱく ひょうたん展」を見て瓢箪の世界の奥深さを垣間見る思いがした。奈良県立民俗博物館(大和郡山市)で開催中の同展(23日まで)には、「みんぱくひょうたん会」(土井実会長)のメンバーが創作した瓢箪の作品がずらりと並ぶ。私の目には芸術品と呼ぶにふさわしいものばかりに見えた。

瓢箪1瓢箪2

 「みんぱくひょうたん会」が生まれたのは今から6年前。会員数は現在15人で、大和民俗公園の一角にある「ひょうたん畑」(写真下段)で瓢箪を栽培し、収穫した瓢箪を使って作品に仕上げ展示会で発表してきた。今年で5回目。瓢箪といえば、上下が丸く真ん中がくびれた、いわゆる瓢箪形を連想しがちだが、展示作品は球状や棒状、楕円形など形も大きさも実にさまざま。それらの瓢箪に花柄やイラスト、幾何学模様を描いたり、筆で般若心経を書いたりして、瓢箪にインテリアや置物としての息を吹き込む。

瓢箪3瓢箪4
 
  「千成瓢箪はうまく栽培すると1本から1000個の瓢箪が取れるから千成といいます。百成瓢箪は酒の容器に使う大きさ、十成瓢箪はもっと大きいものです」。こう教えてくれたのは会長の土井さん。えっ、百成や十成もあったの? 「さらに大きい〝特大瓢〟という品種もありますよ」。棒状の細長い品種「長瓢」には長さが4m近くまで育ったものもあるそうだ。「それぞれの姿形、個性をうまく生かすと、立派な芸術作品が出来上がります」。

瓢箪畑1瓢箪畑2

 会場の一角に「すかしぼり」と書いた6つの作品(写真上段左)があった。中に電球がセットされており、点灯するとくり抜いた図柄を通して温かい光が漏れてきた。創作したのは小林嘉幸さん(川西町)。自宅で千成瓢箪を栽培していたが、「みんぱくひょうたん会」には今年2月入会したばかりという。それから作り上げた作品はまさに明かりのインテリア。瓢箪の全国組織「全日本愛瓢会」の全国大会で金賞を受賞した栗原秀起さん(大和郡山市)の作品「ついたて」(中段右)も出展されている。これらの展示作品の数々から瓢箪の可能性の大きさを実感させられた。同ひょうたん会は16日と17日、千成瓢箪を使って「みんぱく工作教室」(参加者募集中)を開く。

 「全日本愛瓢会」は1975年、奈良県明日香村で産声を上げた。だから明日香村には「全日本愛瓢会発祥の地」という記念碑が立つ。愛瓢会の名誉総裁は秋篠宮文仁さま。土井さんも愛瓢会の会員だ。その「瓢道綱領」の第1番目は「飄々を旨とし小事にこだわるべからず」。愛瓢会には「瓢道位制」もあり、瓢箪づくりの技能を初段から10段まで分けている。それに従って錬士から教士、範士と上がっていく。その上は名人。瓢箪に魅せられた人は予想をはるかに超えているようだ。「たかが瓢箪」と言うなかれ!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<平山郁夫展> 京都で没後初 被爆体験のスケッチに平和の祈り込め!

2012年09月13日 | 美術

【シルクロードのほか古都、故郷・生口島を描いた作品も】

 「平山郁夫展 次世代へのメッセージ」(19日まで)が京都の大丸ミュージアムで開かれている。元東京芸大学長で文化勲章受章者。文化財保護活動や国際交流など多方面で活躍していたが、2009年12月、79歳で亡くなった。「道半ばにして倒れたという印象は禁じえない。その画業や活動を改めて振り返り、生涯をかけて訴えたメッセージを次世代に伝えるきっかけになれば」と、弟の平山助成「平山郁夫美術館」(広島県尾道市瀬戸田町)館長。同館などが所蔵する本画や水彩の素描など約100点が出展されている。

 平山1

 会場を入って正面に「月光流砂らくだ行」(2001年、写真㊤)。シルクロードシリーズの代表作の1つで、月明かりの中を7頭のラクダが静かに進む。この青の世界と対象的なのが「流砂浄土変」(1976年、写真㊦)。夕焼けで赤く染まる中を、隊商のラクダの群れが進む。ラクダを描いた有名な大作がもう1点。「絲綢の路パミール高原を行く」(2001年)。雪山を背景にラクダ隊が緩やかな山を登っていく。

 平山2 

 このほか「マルコ・ポーロ東方見聞行」(1976年)や「求法高僧東帰図」(1964年)、「アンコールワットの月」(1993年)、「黄河夕陽」(1976年)、「黄河(宵)」(1986年)などの大作も出展されている。「月光の塔法隆寺」(1987年)など古都を描いた作品もあった。平山は学生時代の1949年、古美術研究旅行で初めて奈良を訪れる。その印象をこう書き記している。「それまで焼け跡ばかり見てきた目には、草木濃い古都のたたずまいはみずみずしかった。古都奈良との初めての出会いは心の奥深いところに確かな刻印を残した」。

 こうした本画のほか、被爆体験や郷里の風景、学生時代の思い出などをスケッチした約30枚の水彩も人気を集めた。1枚1枚解説文付きで、熱心な来場者が長い行列を作った。平山は中学時代、勤労動員されていた広島で被爆する。「青空」のタイトルが付いた最初の1枚目には原爆投下の場面が生々しく描かれていた。「広島の空はその朝も青く晴れ渡っていた。空を眺めていた。と、白い飛行機雲を引っ張ったB29がスーッと上空に入ってきた。警報も出ないしサイレンもない。そして、頭上はるか高いところでパッパッと落下傘が開いた」。そして閃光。3枚目の「惨禍」の説明文には「全身にやけどを負い、皮膚がめくれて雑巾のようにたれさがっている人がいた。体中にガラスの破片が食い込んでいる人がいた。広島の惨状は15歳の中学生には強烈すぎた」。平山はその後、原爆の後遺症で苦しめられることになる。

 平山は仏教伝来の道を求めて中国やシルクロードをくまなく旅した。その集大成の1つが「大唐西域壁画」。奈良・薬師寺の玄奘三蔵院の壁面を飾る。なぜ、そんなに西方に引かれたのか? 学生時代の思い出を描いたスケッチと解説文でその謎の一端が解けた。平山は焼失した法隆寺の金堂壁画の模写を任せられる。「(仏画の)模写をして仏教美術の源を意識せざるをえなかった。日本の仏教美術が中国、インド、さらにもっと西方の地域からの影響を受けているのは常識だが、それを自分の目で確かめ比較したいという思いが募った」。平山の西方への長い旅路の原点は、奈良・法隆寺の壁画だった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ギボウシ(擬宝珠)> 欧米で大人気、逆輸入で新品種が続々日本へ!

2012年09月12日 | 花の四季

【清楚で芳香を放つ花に、バラエティーに富む葉の形・柄・大きさ】

 花のつぼみの形が橋の欄干の飾り「擬宝珠」に似ていることから、その名がついた。学名から別名「hosta(ホスタ)」。日本を中心に東アジアの水辺や原野、岸場などに自生する。日本固有種にコバギボウシ、オオバギボウシ、イワギボウシ、ミズギボウシ、ウラジロギボウシ、サガエギボウシ、シコクギボウシ、ヤクシマギボウシ、ハチジョウギボウシ、ヒュウガギボウシ……。

ギボウシ

 半日陰を好み、和洋いずれの庭園にも似合う。以前はユリ科だったが、最近の「APG植物分類体系」ではクサスギカズラ科に分類されている。交雑や突然変異を起こしやすく、葉の形や大小、模様は様々。巨大種のタマノカンザシから小型のオトメギボウシまで株自体も変化に富む。中国の楊貴妃は大輪の白花で強い芳香を放つ中国種のマルバタマノカンザシを好んだという。写真のギボウシはそのマルバと日本のコバギボウシの交配によって生まれた「ホスタ・ロイヤルスタンダード」。

 ギボウシの名前は江戸時代中期の国語辞書「饅頭屋本・節用集」の中に初めて登場したそうだが、日本国内よりむしろ海外で高い人気を集め、交配で次々に新しい園芸品種が生み出されてきた。そのきっかけを作ったのはオランダ医で植物学者だったシーボルト(1796~1866)。19世紀前半、オランダに帰国し紹介すると、その強健さや美しい草姿、栽培が容易なことなどが人気を集めブームが巻き起こった。オオバギボウシの学名はそのシーボルトの名にちなんで「ホスタ・シーボルディアナ」とつけられている。

 米国では今もギボウシの栽培が盛んで、「米国ホスタ協会」は16年前から毎年「ホスタ・オブ・ザ・イヤー」を選んでいる。2000年には日本生まれの「サガエギボウシ」がその年を代表するギボウシに選ばれた。サガエは大きな葉の周囲に鮮やかな白い覆輪が入った品種で、ギボウシの王様ともいわれる。その名の由来に成っている山形県寒河江市は2004年「寒河江ギボウシ」を「市の緑」に制定した。埼玉県狭山市はオオバギボウシを「市の花」に指定している。「絶壁に擬宝珠咲きむれ岩襖」(杉田久女)。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<沖縄・組踊「銘苅子」> 奈良・斑鳩町で公演 「羽衣伝説」を熱演!

2012年09月11日 | 音楽

【地謡に歌・三線の人間国宝2人も出演】

 国の重要無形文化財に指定されている沖縄の伝統芸能「組踊」の特別鑑賞会がこのほど奈良県斑鳩町の「いかるがホール」で開かれた。組踊は2010年、能楽、文楽、歌舞伎、雅楽に次いでユネスコ無形文化遺産の一覧表に記載された。その組踊をもっと多くの人に見てもらおうと文化庁などが後援、各地で公演しているもので、琉球舞踊に続いて組踊の代表的な演目「銘苅子(メカルシー)」が披露された。

組踊1組踊2 

 組踊はせりふを主とする歌と踊りを組み合わせた沖縄の古典歌舞劇。琉球王朝時代、中国からの「冊封使(さっぷうし)」と呼ばれる使者をもてなすため、〝踊奉行〟の玉城朝薫(1864~1734)が日本の能や歌舞伎も参考に伝統芸能を集大成して創作、約300年前の1719年に初めて上演された。現在約70番の組踊が継承されているが、中でも最初に上演された「銘苅子」「二童敵討」「女物狂」など5つの演目は〝朝薫の五番〟として重んじられている。

 演じられた「銘苅子」は日本全国に約130話あるといわれる「天人女房譚(羽衣伝説)」の一つ。銘苅子が下界に下り髪を洗っていた天女の羽衣を盗み、昇天できない天女と夫婦になって2人の子をもうける。ある日、天女は子どもたちが歌う唄から羽衣の隠し場所を知り、子どもが寝ている間に昇天する。「やあ、母親よ、やあ、母親よ。やあ、おめなりよ、母や居らぬ」。目覚めて気づいた弟が姉に訴える……。

 組踊のせりふは独特のリズムと抑揚を持っており、「琉歌」(沖縄の短歌)の「8・8・8・6」のリズムで唱えられる。この日は姉弟役を「1カ月余り猛特訓を重ねた」という9歳と6歳の女の子が演じたが、2人ともよく通る声で最後まで演じきって満場の拍手を集めた。「立方」(演者)はこの2人を含め総勢8人。組踊は原則として女役も男性が担当し、この日の天女も男性が美しい紅型(びんがた)の打ち掛け姿で高い声でせりふを唱えて〝女形〟を演じた。

 演技を支え場面の状況や登場人物の気持ちを表現するのが「地謡」による音楽。組踊の中で果たす役割は大きく、地元の沖縄では「組踊は見るものではなく聴くもの」とまでいわれるそうだ。この日は歌・三線4人、筝、笛、胡弓、太鼓各1人の計8人が伝統的な衣装を身に着けて演奏を担当した。現在、組踊では5人が重要無形文化財保持者(人間国宝)に指定されているが、この日はそのうちの2人、照喜名朝一さんと西江喜春さんがそろって歌・三線で熱演を見せてくれた。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<会津八一の歌碑除幕> 「うまやとの みこのまつりも ちかつきぬ……」

2012年09月10日 | メモ

【法隆寺iセンター前に、奈良県内18基目】

 奈良をこよなく愛した歌人、会津八一(1881年8月1日~1956年11月21日)の自筆歌碑の除幕式が9日、奈良県斑鳩町で行われた。町制施行65周年記念事業の一つで、設置場所は「斑鳩の里観光案内所」(法隆寺iセンター)の東側。斑鳩町内の八一の歌碑はこれで4基目、奈良県内では18基となった。全国では48基目で、奈良県がほぼ3分の1を占めている。

八一1

 歌碑の高さは台座も含めると約1.7m。八一が1921年、聖徳太子御遠忌1300年前に斑鳩を訪れた時に詠んだ短歌が刻まれた。「うまやとの みこのまつりも ちかつきぬ まつみとりなる いかるかのさと」。この歌碑は石工、左野勝司氏(飛鳥建設社長)による寄付で建立された。高松塚古墳の石室解体工事、イースター島のモアイ像の修復、カンボジア・アンコール遺跡群の解体修理などで知られる石工の第一人者で、石材も自ら香川産の庵治石の中から選んだという。

 除幕式には荒井正吾知事や法隆寺の大野玄妙管長、薬師寺の安田暎胤長老のほか、八一の生まれ故郷・新潟市の篠田昭市長らも参列した。八一は新潟市名誉市民。奈良県は八一との縁から、今年2月、新潟市との間で「歴史・文化交流協定」を結んだばかり。大野管長は除幕後、「八一は奈良の風土や景色とともに、仏像などの遺産を通して古代の人たちとの対話を楽しんでいたのではないか。それを見習って古代人の知恵や精神を学びたい」と挨拶。新潟市会津八一記念館の神林恒道館長も「八一は奈良を〝酷愛〟し万葉人となって古代の人と語り合った。そのためいきが八一の歌」と話していた。最後にオカリナ奏者宗次郎がオカリナの演奏で除幕式に華を添えた。

八一2

 宗次郎     

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<京都府南丹市美山町> かやぶきの里 17日まで「そばの花週間」

2012年09月09日 | メモ

【そば打ち体験やスタンプラリーなど】

 美山町北村の「かやぶきの里」で、そばの花が咲き始めた。これに合わせ8日(土曜)から「そばの花週間」がスタート、17日までそば打ち体験や、そばクイズとスタンプラリー、手打ちそばの実演など多彩なイベントが繰り広げられる。かやぶき民家の素朴なたたずまいを背景に、畑一面を真っ白に染めるそばの花。その心癒やされる取り合わせに、今年もアマチュアカメラマンや観光客でにぎわいそうだ。

  
 美山町

 北村は現在50戸のうち住宅32棟と民俗資料館、店舗など6棟の計38棟が伝統的なかやぶき屋根の入母屋造り。棟飾りの千木や破風の意匠にも特徴がある。最古のかやぶき家屋は寛政8年(1796年)築だが、19世紀中頃までの建物が中心。集落でのかやぶき建築数は岐阜県白川村荻町、福島県下郷町大内宿に次いで3番目に多いという。1993年には国の伝統的建造物群保存地区に選定された。

 そば畑は観光駐車場とかやぶき集落の間に広がる。写真は5日に撮ったものだが、そばの花は2~3分咲きといったところ。「そばの花週間」にはちょうど見頃となり、そば畑は一面真っ白に染まりそう。10月後半にそばの実を収穫し、乾燥・製粉して11月23日から「新そば」として提供する。今回のスタンプラリー達成者にはその「新そば割引券」を進呈する。そば打ち体験は8、9、15、17の4日間、「お食事処きたむら」横のテントで行う。有料で、自分で打った約2人前のそばを持ち帰ることができる。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<BOOK> 「命のビザ、遥かなる旅路 杉原千畝を陰で支えた日本人たち」

2012年09月08日 | BOOK

【北出明著、交通新聞社刊】

 第2次世界大戦勃発時、リトアニア駐在の日本人外交官、杉原千畝(1900~86)はナチスドイツに追われたユダヤ人に日本通過ビザを発給、多くの命を救った。その偉業は知れ渡っているが、それを支えた人々がいたことはあまり知られていない。著者は「杉原の行為を人知れず陰で支えた人々の存在も忘れてはならない。特に杉原に恩義を感じているユダヤ人社会の人々にもそのことを知ってもらいたい」と本書執筆の狙いを記す。

   命のビザ
 

 著者は1944年三重県生まれ。大学卒業後、国際観光振興会(現国際観光信仰機構、通称日本政府観光局)に就職、ジュネーブ、ダラス、ソウルの在外事務所に勤務した後、コンベンション誘致部長などを担当し退職。ある時「日本交通公社(現JTB)70年史」の「ユダヤ人渡米旅行の斡旋」の項を読んでいて、JTBから振興会に出向していた元上司「大迫辰雄」の名前を見つける。「当時毎週1回の割で二十数回にわたって日本海を往復、添乗斡旋にあたった」とあった。

  シベリア鉄道でウラジオストクにたどり着いたユダヤ人を敦賀まで運んだのは日本海汽船が所有していた「天草丸」。もともとはロシア船だったが、日露戦争で日本海軍が拿捕し民間に払い下げられた。この客船を舞台にJTBが彼らの逃避行を助けていたというわけだ。日独同盟関係の中で、人道的見地から難民輸送業務を引き受けた背景にはJTB育ての親といわれた「高久甚之助」の意思が働いたのではないか。著者はこうみる。

 大迫氏は乗船中にお世話したというユダヤ人7人からもらった顔写真を大切に保管していた。著者はその7人の手掛かりを得たいと、杉原ビザを手に敦賀を経て米国に渡った〝杉原サバイバー〟とその家族に会うため渡米する。その中には杉原の恩に報いるため2000年マサチューセッツに顕彰碑を建て、その年、大阪での「杉原千畝生誕100年記念式典」に招かれた男性や、手書きの杉原ビザが記載された両親のパスポートを杉原の生誕地、岐阜県八百津町に寄贈したNY在住の娘さんたちがいた。敦賀までたどり着きながら日本通過ビザがなく、いったんウラジオストクに送り返されたユダヤ人たちがいたという新事実も判明した。ただ肝心の7人の消息は不明だった。

 ユダヤ難民の多くは神戸港か横浜港から最終目的地に向かった。彼らを運んだ船の大半は「日本郵船」所属だった。2000年5月ワシントンのホロコースト記念博物館で特別展「逃走と救出」が開かれたが、同年3月6日付日本経済新聞によると、日本郵船はかつて難民を輸送した〝縁〟で同展に資金面で協賛することになったという。同社はその記事の中で「ユダヤ人を差別することなく運んだのは会社の誇りの一つ」とコメントを寄せている。

 最後に日本郵船元社員で、1940年5月、サンフランシスコまでの約2週間、ユダヤ人約200人の食事の世話をしたコックの「今村繁さん」を紹介している。「最初の2日間はすべて消化の良いものを作りました。……毎朝4時前に起きジャガイモ、タマネギなどの食材を細かく切る作業をしました」。ユダヤ人の代表が下船の直前、パーサーにこう言い残した。「飲まず食わずの状態で逃げてきた私たちにとって、この船で受けた厚遇は一生忘れられません。出された料理は全ておいしかったです。お陰で生き返ることができました。どうか、食事の世話をしてくださった料理当番の方々に私たちの感謝の気持ちをお伝えください」。パーサーからこの話を聞いて、今村さんは「コック冥利に尽きると思いました」という。今村さんはその後、ホテルオークラで宴会の責任者だった時、「蝶理」の役員歓迎食事会で主賓の杉原千畝を見かけたそうだ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<ホテイアオイ(布袋葵)> 爽やかな薄紫の一日花 別名「ウォーターヒヤシンス」

2012年09月07日 | 花の四季

【繁殖力旺盛、「在来の水生植物の存在を脅かす」と要注意外来生物に】

 熱帯アメリカ原産の非耐寒性水生多年草。日本には明治時代中期に観賞用として持ち込まれた。葉はアオイに似た円形で、基部が大きく膨らみ浮き袋の役目を果たす。その膨らみが七福神の布袋様の太鼓腹にそっくりというわけで、その名が付いた。花は6枚の花びらから成り、その1枚に黄色の斑が入る。「ウォーターヒヤシンス」「ホテイソウ」の別名も持つ。

 朝開いて夕方しぼむ一日花だが、8月から10月にかけて次々に開く。金魚鉢に入れる水草として欠かせないが、池や湖沼一面を覆ったホテイアオイの群落は圧巻。関西では奈良県橿原市の休耕田1.4ヘクタールを埋め尽くすホテイアオイがアマチュアカメラマンに大人気。大和三山の一つ畝傍山を背景に、国特別史跡の本薬師寺跡を取り囲むように咲き誇る。地元の農業グループ「城殿町霜月会」が2000年に地域起こしの一環として始めた。4年前からは畝傍北小学校の児童たちが毎年7月、どろんこになって植え付けの手伝いを行っている。

 橿原以外にも各地で観光の目玉の一つに育てようという取り組みが行われている。埼玉県行田市の水城公園内の「あおいの池」では毎年7月に小学生の手で親株の〝投げ込み〟が行われる。同じ埼玉の加須市の道の駅「童謡のふる里おおとね」周辺の休耕田もこの時期、毎年薄紫色に染まる。鹿児島県日置市の正円池のホテイアオイは「新かごしま百景」に選ばれた。広島県福山市の丙里池もホテイアオイの名所として知られる。

 そのホテイアオイが世界各地で「blue devil(青い悪魔)」として恐れられているといったら、驚く人が多いかもしれない。日本でも環境省が「要注意外来生物」に指定している。繁殖力が旺盛で、「水面を覆い尽くし光を遮ることで在来の水生植物の存在を脅かす」というのがその理由。ホテイアオイは水中の窒素やリンを吸収し、プランクトンの発生も防いで水質を浄化する効果があるともいわれる。その一方で冬に枯れて腐敗し逆に水質を悪化させるという指摘も。琵琶湖でも数年前、守山市の湖岸でホテイアオイが大増殖して腐敗、水質汚濁が懸念されたことがある。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする