【センター発足30周年記念、発掘調査の成果を公開】
奈良市埋蔵文化財調査センター(奈良市大安寺西)で秋季特別展「平城京を掘る」が始まった。宮殿や役所が置かれた都の中心、平城宮は1959年から奈良国立文化財研究所(現奈良文化財研究所)が継続的に発掘調査を行ってきた。一方、貴族や庶民が居住する周辺の平城京の発掘は、土木建設工事に伴うものが多いことから83年に発足した同センターが担当してきた。特別展はそのセンター発足30周年を記念して企画された。12月27日まで。
会場は「掘り出された建物」「暮らしの用具」「楽しみ」「まじないの世界」「運び込まれたもの」など9つのテーマに分け出土品を展示している。入り口のガラスケースの中には色鮮やかな三彩施釉瓦(上の写真㊧)や朱色が付着した軒平瓦。当時、総瓦葺きの建物は離宮や役所、寺院などの礎石建物や大路に面する築地塀に限られていた。このため、この三彩施釉瓦の出土から付近に離宮または外国使節の饗応使節があったと想定されている。
大きな屋根板や柱、1枚板の扉、床板、窓枠材、巨木を刳り抜いた井戸枠、直径1m近い陶製の井戸枠なども展示されている。屋根板や扉、床材などは井戸枠に、柱は護岸用にそれぞれ転用されていた(上の写真㊨は床板を転用した井戸枠=西大寺旧境内から出土)。物資に乏しかった当時はリサイクルの意識が今以上に高かったのだろう。井戸からは鉄製の吊り金具が取り付けられた木製の釣瓶も見つかった。外面に文字を刻んだ刳り抜き井戸枠も2つ出土。そのうちの1つには「此船主冨福来」とあった。井戸枠を船に見立てて住人の安泰を願ったものとみられる。
木製の木履(きぐつ)や下駄、櫛、帯金具、檜扇(ひおうぎ)、暦など日常の暮らしに深く関わるものも多く出土した。櫛には悪霊をはらう呪力があると信じられ、井戸から横櫛が祭祀遺物と一緒によく見つかる。竪櫛(上の写真㊧の右上)は歯が粗いことから馬櫛の可能性があるという。檜扇(写真㊨)も井戸から出土したもので、13枚の骨板で作られ、表裏合わせて7枚に万葉仮名などの墨書があった。奈良時代に作られた檜扇はメモ帳も兼ねていた。
平城京からは独楽(こま)、サイコロ、碁石など娯楽の道具も出土している(上の写真㊧)。独楽はいずれも砲弾形で、軸がない鞭(ぶち)独楽。棒の先に付けた布などで独楽の側面を叩いて回す。サイコロは六角柱の両端を六角錘に削り側面に数字を墨書きしている。西大寺旧境内からは籤(くじ)引きに使ったとみられる木簡が見つかった(写真㊨)。僧の位の「法王」「法師」「紗弥(しゃみ)」と「我鬼」(餓鬼)と記されており、「法王」なら大当たり、「我鬼」なら大外れだったようだ。籤引きの木簡は長屋王邸からも見つかっている。
「まじないの世界」のコーナーには人形(ひとがた)や人面墨書土器、人形が納められた壷、出産時の胎盤を納めた胞衣(えな)壷、土地を鎮める地鎮のために埋葬した三彩火舎などが展示されている。壷に入っていた人形2点(下の写真㊧)はいずれも折り畳まれ、うち1点の右脇腹には木釘が打ち込まれていた。「悪霊に病がうつるように念じたのではないか」という。
このほか、青緑色の釉薬がかかったイスラム陶器や唐三彩、新羅土器、播磨国で作られた鬼瓦、塩が入ったまま運ばれてきた製塩土器、美濃国の刻印がある須恵器、甲斐国で作られた土師器の杯なども展示されている(写真㊨)。