朴裕河さんは前著『和解のために 教科書・慰安婦・靖国・独島』(2006年 平凡社)で、日本が加えた戦争の被害者(国)からの赦しを解決の糸口と提示した。もちろん加害側の謝罪も前提としているが、猛烈な批判にさらされた。そして本書。韓国での「公式記憶」としての朝鮮人慰安婦像は「10代の少女」で「日本(軍)官憲に(暴力を伴い)無理やり、連行された」「20万人」であるが、それを「多くは20代以上」で、日本(軍)官憲の強制というより「朝鮮人業者の虚偽・甘言での募集」が主で、20万人よりは少ないとした。
「公的記憶」に真っ向から反する本書は、「「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること」をめざしたからとする。(10頁)「耳を澄ませること」とは、証言を丹念に追うことであり、そうすることによって運動体(韓国で「慰安婦」支援を牽引してきた「韓国挺身隊問題対策協議会」)の運動(論)の間違いをも指摘することもある。しかし、朝日新聞の「吉田証言」否定、取り消し以降特に日本で強くなった「慰安婦はいなかった」攻撃の前提である「慰安婦は売春婦」、「強制はなかった」否定派の誤りを前提しているのだが、結果は、本書は「日本帝国主義の過ちを認めない」悪辣なプロパガンダの書として、韓国では訴えられたりもすることになった。
周知のごとく、「慰安婦」の存在は戦後別に隠されていたわけでもなく、日本の小説やノンフィクションものでたびたび登場してきた。しかし、「慰安婦」自身が実名を名乗って声を上げたのは1991年の金学順さんが最初である。戦後50年近くたってからの証言は、日本の韓国(朝鮮人慰安婦)に対する戦後補償の不十分さもあるとしながら、根本的には、日本はもちろん、韓国社会にも根強く残る家父長制、「売春」への差別など女性が早い段階で声をあげられなった実態を指摘する。
また、「公的記憶」の中身は「強制連行」の態様、連れ去られた人数のほか、「慰安所」での彼女らの生活もより悲惨に一色に塗り込めようとする思惑も加速する。それはたとえば、「慰安所」を直接管理・運営していたのが朝鮮人業者であることも多かったとか、日本軍人に疑似恋愛感情を持つとか、軍人のために「性」以外の奉仕や時に甲斐甲斐しく世話をする、来る日も来る日も50人もの相手をすることは通常はあり得なかったなどとする「慰安婦」らの証言をもとに、解き明かしても、すべてなかったことにされるのだ。それは、強制的に「慰安婦」とされたからには、女性らの自意識がすべて否定されることから生じる物語の世界である。しかし、「慰安婦」にされた女性らは生き延びる必要があった。それが、時に帝国軍人の世話役になったり、「郷愁」の対象となったり、同じ帝国を支える同志であったりしたとしても。
生き延びて朝鮮半島に還ろうとした「慰安婦」たちは、日本軍に殺されたり、現地に捨て置かれたりした例ももちろんあるが、彼女らを受け入れる当時の韓国社会の問題の解明については、現在の「慰安婦」支援団体は冷淡であるという。ジェンダー規範を抜きにしていえば、シベリア抑留帰りの元軍人に対して日本社会が極端に冷たかったこと、あるいは、職さえも奪ったことを思えば、国民意識、社会状況としてよく分かることだ。「慰安婦」らは生き延びるために、「帝国の慰安婦」として振る舞うことを要請され、時に、自ら振る舞った。
「「朝鮮人慰安婦」という存在を作ったのは、(中略)家父長制と国家主義と植民地主義である。」(34頁)植民地における、「慰安婦」らの実態は、彼女らの証言を第一に尊重すべきだが、日本の「慰安婦」否定派は、証言に齟齬があることをことさら取り上げる。しかし、思い出したくないことを語らない、覚えているけれど、論理的矛盾が生じることを彼女らの責に帰すべきではないし、そして同時に、証言は一字一句受け止めなければならない。そういった意味では、180度相反する主張である韓国の「公的記憶」派と日本の否定派は、そもそも、自らの立ち位置故に「慰安婦」の証言に本当に(少なくとも否定派はそれが強い)耳を澄まして聞いていないではないか。朴裕河さんの「慰安婦」の証言に真摯に向き合う姿勢が、両者に問われている。
韓国のように朴さんに対して訴訟までして、出版そのものを攻撃する姿勢は日本でないが、否定派に対する「慰安婦」問題解決派(=おそらくは「国民基金」反対派が多い)も、本書については「言いたいことは正確なのかもしれないが、政治的に、否定派を利することにならないか」などという批判、危惧もあるようだ。「国民基金」については、朴さんは、日本政府による法的解決が望めない中での政治的解決としてかなり評価しているが(1965年の日韓基本条約の解釈も大きいが、詳述は避ける。)、人道的解決といった場合、法的解決は済んだという前提で、そもそも被害者たる「慰安婦」にとどくのか。それは、韓国の運動体や、日本の「国民基金」反対派を納得させる論理たり得るのか。さらには、「慰安婦」自身の思いにどう説明、納得を得ることができるのか、十分に提示しえていないように思える。
朴さんは「日韓両政府はただちに、この問題の解決を話し合う国民協議体(当事者や支援者や識者をまじえた)を作るべきだ。そして、期間を決めて(半年、長くて1年)ともかくも〈合意〉を約束して対話を始めるのが望ましい。」とする。(312頁)しかし、それを言うなら、否定派を増長させている現在の日本の極右政権に対しても、一定批判があってしかるべきだと思う。それは「公的記憶」に固執する韓国の政権とは違う位相で訴えるべきではないか。
「慰安婦問題の否定者たちは、植民地支配に関して「朝鮮の責任」を強調することが多い。それは、朝鮮がこうむった苦痛に対して、弱かったあなたが悪い、と言うようなものだ。しかし、自己責任は自己責任の主体が考えるべきであろう。元慰安婦たちにいま必要なのは、「あなたが悪いのではない」という言葉である。そのような「慰安」の言葉を、「慰安」を与え続けさせられてきた彼女たちにいま、贈りたい。」(314頁)という、誠実な姿勢であるからこそそこも期待したいと思う。(2014年11月 朝日新聞出版刊)
「公的記憶」に真っ向から反する本書は、「「朝鮮人慰安婦」として声をあげた女性たちの声にひたすら耳を澄ませること」をめざしたからとする。(10頁)「耳を澄ませること」とは、証言を丹念に追うことであり、そうすることによって運動体(韓国で「慰安婦」支援を牽引してきた「韓国挺身隊問題対策協議会」)の運動(論)の間違いをも指摘することもある。しかし、朝日新聞の「吉田証言」否定、取り消し以降特に日本で強くなった「慰安婦はいなかった」攻撃の前提である「慰安婦は売春婦」、「強制はなかった」否定派の誤りを前提しているのだが、結果は、本書は「日本帝国主義の過ちを認めない」悪辣なプロパガンダの書として、韓国では訴えられたりもすることになった。
周知のごとく、「慰安婦」の存在は戦後別に隠されていたわけでもなく、日本の小説やノンフィクションものでたびたび登場してきた。しかし、「慰安婦」自身が実名を名乗って声を上げたのは1991年の金学順さんが最初である。戦後50年近くたってからの証言は、日本の韓国(朝鮮人慰安婦)に対する戦後補償の不十分さもあるとしながら、根本的には、日本はもちろん、韓国社会にも根強く残る家父長制、「売春」への差別など女性が早い段階で声をあげられなった実態を指摘する。
また、「公的記憶」の中身は「強制連行」の態様、連れ去られた人数のほか、「慰安所」での彼女らの生活もより悲惨に一色に塗り込めようとする思惑も加速する。それはたとえば、「慰安所」を直接管理・運営していたのが朝鮮人業者であることも多かったとか、日本軍人に疑似恋愛感情を持つとか、軍人のために「性」以外の奉仕や時に甲斐甲斐しく世話をする、来る日も来る日も50人もの相手をすることは通常はあり得なかったなどとする「慰安婦」らの証言をもとに、解き明かしても、すべてなかったことにされるのだ。それは、強制的に「慰安婦」とされたからには、女性らの自意識がすべて否定されることから生じる物語の世界である。しかし、「慰安婦」にされた女性らは生き延びる必要があった。それが、時に帝国軍人の世話役になったり、「郷愁」の対象となったり、同じ帝国を支える同志であったりしたとしても。
生き延びて朝鮮半島に還ろうとした「慰安婦」たちは、日本軍に殺されたり、現地に捨て置かれたりした例ももちろんあるが、彼女らを受け入れる当時の韓国社会の問題の解明については、現在の「慰安婦」支援団体は冷淡であるという。ジェンダー規範を抜きにしていえば、シベリア抑留帰りの元軍人に対して日本社会が極端に冷たかったこと、あるいは、職さえも奪ったことを思えば、国民意識、社会状況としてよく分かることだ。「慰安婦」らは生き延びるために、「帝国の慰安婦」として振る舞うことを要請され、時に、自ら振る舞った。
「「朝鮮人慰安婦」という存在を作ったのは、(中略)家父長制と国家主義と植民地主義である。」(34頁)植民地における、「慰安婦」らの実態は、彼女らの証言を第一に尊重すべきだが、日本の「慰安婦」否定派は、証言に齟齬があることをことさら取り上げる。しかし、思い出したくないことを語らない、覚えているけれど、論理的矛盾が生じることを彼女らの責に帰すべきではないし、そして同時に、証言は一字一句受け止めなければならない。そういった意味では、180度相反する主張である韓国の「公的記憶」派と日本の否定派は、そもそも、自らの立ち位置故に「慰安婦」の証言に本当に(少なくとも否定派はそれが強い)耳を澄まして聞いていないではないか。朴裕河さんの「慰安婦」の証言に真摯に向き合う姿勢が、両者に問われている。
韓国のように朴さんに対して訴訟までして、出版そのものを攻撃する姿勢は日本でないが、否定派に対する「慰安婦」問題解決派(=おそらくは「国民基金」反対派が多い)も、本書については「言いたいことは正確なのかもしれないが、政治的に、否定派を利することにならないか」などという批判、危惧もあるようだ。「国民基金」については、朴さんは、日本政府による法的解決が望めない中での政治的解決としてかなり評価しているが(1965年の日韓基本条約の解釈も大きいが、詳述は避ける。)、人道的解決といった場合、法的解決は済んだという前提で、そもそも被害者たる「慰安婦」にとどくのか。それは、韓国の運動体や、日本の「国民基金」反対派を納得させる論理たり得るのか。さらには、「慰安婦」自身の思いにどう説明、納得を得ることができるのか、十分に提示しえていないように思える。
朴さんは「日韓両政府はただちに、この問題の解決を話し合う国民協議体(当事者や支援者や識者をまじえた)を作るべきだ。そして、期間を決めて(半年、長くて1年)ともかくも〈合意〉を約束して対話を始めるのが望ましい。」とする。(312頁)しかし、それを言うなら、否定派を増長させている現在の日本の極右政権に対しても、一定批判があってしかるべきだと思う。それは「公的記憶」に固執する韓国の政権とは違う位相で訴えるべきではないか。
「慰安婦問題の否定者たちは、植民地支配に関して「朝鮮の責任」を強調することが多い。それは、朝鮮がこうむった苦痛に対して、弱かったあなたが悪い、と言うようなものだ。しかし、自己責任は自己責任の主体が考えるべきであろう。元慰安婦たちにいま必要なのは、「あなたが悪いのではない」という言葉である。そのような「慰安」の言葉を、「慰安」を与え続けさせられてきた彼女たちにいま、贈りたい。」(314頁)という、誠実な姿勢であるからこそそこも期待したいと思う。(2014年11月 朝日新聞出版刊)