kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

60年前のお話では済まされない  白バラの祈り

2006-03-26 | 映画
そして汝はかく行動せよ。
汝と汝の行いに
全ドイツの運命がかかっているがごとく。
そして汝一人がその責を負わねばならぬがごとく。
(「白バラ」運動=反ナチの理論的指導者クルト・フーバーが逮捕され最終陳述で述べた哲学者フィヒテの言葉)

 上映の間ずっと考えていたことがある。一つは現在国会で議論されている「共謀罪」のことだ。実際に実行を考えていなくても実行に移さなくても、「悪いこと」を話しただけで罰せられる共謀罪は、内心の自由を侵し、究極の自己規制、萎縮、その前提となる密告社会を生み出す。しかし、マスコミをはじめ世間の反応は鈍いように見える。法務省の説明はくるくる変わっていて、その矛盾を突かれると「居酒屋談義では罰せられません。国際的犯罪ネットワークの断絶が目的」などというが、それならば現行の刑法、国際刑事法などで対処できる。共謀罪は紛れもなく市民社会を見張るための現代の治安維持法なのだ。治安維持法が最初は緩やかな刑罰しか持っていなかったのにどんどん「改正」、拡大解釈されて昭和10年代には「死刑」を含む厳罰化、横浜事件などの冤罪を生み出したことはいくら指摘してもしすぎることはない。
 大学で「違法」ビラを撒いたとして通報したのはゲシュタポの犬、学生の動きを常に見張っていいた用務員だった。ビラの内容はヒトラーの戦争勝利宣伝が間違いで多くの戦死者がスターリングラードの激戦地で出ているから撤兵をとの「良識」に満ちただけのものであった。ドイツ兵をこれ以上死なせまいという愛国心が「国家反逆罪」に問われたのだ。

 上映中考えていたもう一つのこと。東京都では学校現場における「日の丸」「君が代」攻撃がすさまじい。1999年に「国旗・国歌法」が成立した際には法務省は内心の自由を侵すものではないし、静かに拒否できる自由もあるとの答弁をしていたのに、卒・入学式での「君が代」斉唱中に歌わず座っていた教員は処分され、今や教員が大きな声で「きちんと」歌っていても、その教員のクラスの生徒が歌っていなければ、その教員を処分するというのだ。自分の先生が処分されることがわかっていながら自己の良心や内心の自由を守ることは難しい。これはすでに生徒の内心の自由や表現の自由を奪っていることは明らかである。
 ゾフィー・ショルと兄ハンス・ショルの撒いたビラは前述の程度であり、そのビラを信じるか、ナチ政府の言うことを信じるかは人それぞれ、自由であるはずである。またビラはあくまで文字であり暴力をもってして政権に反対したわけでもない。静かな抵抗にすぎない。が、ナチはそれさえも許さなかった。

 時代が違う、現在日本には日本国憲法もあるし、いろいろしゃべっても罰せられることはないし、出版の自由だって保障されていると考える向きもあるだろう。けれどファシズムの動きにはたとえ小さなものであっても敏感に徹底的に反対しなければあっという間に私たちの生活を脅かすものであると思う。そしてその憲法さえ変えられようとしている。
 映画の見所の一つに捕えられたゾフィーと取り調べを担当する警察官モーアとのやり取りがある。賢く毅然としたゾフィーの言動に仲間の名を言えば少しは助けてやると懐柔策まで弄するが信念を曲げないゾフィーは拒否。興味深かったのは一介の取り調べ警察官であるモーアより、「人民裁判」のフライスラー裁判長の方がずっと狂信的、冷静とはほど遠いように見えたこと。フライスラーは自分の担当する「人民法廷」で3年間に2295人の死刑判決を出したという。
 有無を言わせぬ暴力、反論の機会を一切与えない酷薄な時代。ナチの横暴が猖獗を極めた時代であっても、良心に生きた人はいた。しかし、その良心のためにビラを撒いたわずか5日後に断頭台に送られたゾフィーら。
 ナチスドイツの蛮行あるいはその時代を描いた作品は、ホロコーストもの(「シンドラーのリスト」が頂点、「ライフ・イズ・ビューティフル」や「戦場のピアニスト」が続く)から「アドルフの画集」や「ヒトラー 最後の12日間」などより個別的、ミクロなストーリーに変わってきたように思う。「ヒトラー 最後…」はユダヤ人虐殺を否定あるいは無視しているとしてイスラエルなどが猛反発したが、歴史における「客観性」といったものは加害者側からある程度の被害者側の同意・納得を得た上でしか言いにくいものだというはわかる。しかし、だからといって圧倒的な加害責任(ナチスのなしたこと、あるいは日本が中国や朝鮮半島、アジア、太平洋でなしたこと)を認識した前提がないと「史実に基づいた」「客観性」が担保される映像は生まれないのかもしれない。
 ゾフィー・ショルの勇気はプロテスタントであった彼女自身が言うように「神」の存在にも支えられていたのかもしれない。しかし、「神」がいなくともファシズムに抗う勇気は、現在の日本の状況でも十分求められているのではないか。私も。

「文明国の国民が、下劣な本能の命じるままに行動する無責任な一派による支配に、何の抵抗もなく従うとすれば、その国民にとってそれ以上恥ずべきことはない。」
(1942年 白バラグループによる最初のビラ)
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自己受容の困難さと美しさ  ブロークバックマウンテン

2006-03-19 | 映画
セクシュアル・マイノリティに対する無理解、誤解、偏見は相当なものがある。イギリスではエルトン・ジョンが同性婚を選択し、それが法律上も認められたオランダや法律上の結婚は認められていないが、相続などで異性間結婚と同等の権利を認めたフランスなどに遅れている日本。ましてや、20年前それもアメリカ南西部のカウボーイ文化の強い地域ではなおさらのこと。
ただ、性指向と性自認は同じではないし、主人公の2人は結婚し、子どもももうけていることからバイセクシュアルとも言え、また、明るく積極的なジャック・ツイスト(ジェイク・ギレンホール)は同性愛指向も強いが、寡黙で押さえた雰囲気のイニス・デルマー(ヒース・レンジャー)はジャック以外の男性は求めない。イニスは子どもの頃、自分の父親の手によって殺された同性愛者(かどうか定かではないが、男性同士で牧場をしていた一人であり、妻を娶らない男性など論外であった)の凄まじい死体(ペニスに紐をくくり付けられ、引き回されたリンチ後の)を見せられそれがトラウマとなってジャックを愛してしまう自分自身を受容できないでいる。そしてマチズモの席巻するテキサスやワイオミングといった超保守的な地域で同性愛者が受け入れられるはずもなく、現にジャックはホモフォビア(同性愛嫌悪)の暴徒の手によって殺されてしまう。
しかし、この映画は単純な同性愛映画ではない。「ウェディング・バンケット」でもホモセクシュアルの主人公がそれを父親に隠すため、偽装結婚をはかり、それらに気付く家族と本人の苦悩を描いてみせたアン・リーは本作でアカデミー監督賞を受賞した。そう、同性愛を隠して生きる本人もつらいが、それに気付き受け入れられない家族もつらいのだ。イニスの妻、アルマや子どもも殺されたジャックの両親も。そして台湾出身、アメリカに移住したリーは、その微妙な関係、心の機微を描くのがとてもうまい。そして背景には雄大かつ美しいい山々。
ブロークバック・マウンテンというのは実在しないそうだが、莫大な数の羊を追う峰峰は本当にありそうで、そこで芽生えた愛もまた本物だ。純粋であればるほど「愛情」といったものは社会と衝突することもあるし、その桎梏の第1歩が親や家族である。そして親や家族、友人が受け入れないということは社会や世間が受け入れないということだ。しかし同性愛に限らず社会的少数派に対し「それは世間が許さない」という言辞は、それを言った人自身が許さないということであるのだということが本質である。
アメリカでは「ボーイズ ドント クライ」というヘイトクライムを扱ったよい作品もあった。「ボーイズ…」は実在の事件を模したものだが、ヘイトクライムが殺人にまで及ぶのがアメリカらしい。受容できるかできないかをまず話し合うという姿勢が冒頭にあげたヨーロッパ各国より弱いのだろう。そして市民社会に蔓延するガン。アメリカの病理はまだ続く。
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イノセント・ボイス 12歳の戦場

2006-03-12 | 映画
本作が文部科学省の」「特別選定作品」であることに意外であるし、少し驚いている。というのは、この作品は紛れもなくアメリカの帝国主義的政策に対する批判であるし、日本もエルサルバドルの軍事政権とは密接に結びついていたからだ。
ちょうど80年代日本が第3世界の軍事/開発独裁政権に種々肩入れし、それに対して当時の左翼勢力などが「反帝国主義」を唱え、アメリカはもちろん日本にも厳しい批判を浴びせていたときの話だ。当時エルサルバドルのことは軍事政権反対勢力であるFMLN(ファラブンド・マルティ民族解放戦線)への支援(といっても具体的にはどうすることだったかわからないが)を呼びかけていた大学生のグループのチラシや、新聞等で知る程度であったが、キューバと激しく対峙していたアメリカが中米の「裏庭化」を目論み、さまざまな介入を行っていたことも知っていた。そしてニカラグアでは社会主義革命政権が誕生し、アメリカが反政府軍を支援、ホンジュラスやグァテマラへのアメリカの軍政支援などに苛立ちを覚えていたものだ(といっても、恥ずかしいが何もしなかった)。
そのエルサルバドルでの内戦下、戦場に生きる少年が12歳になれば無理矢理政府軍に入隊させられ、反政府軍掃討の片棒を担がされる直前の緊張を追った物語である。食事中に突然家に飛び込んでくる銃弾。その銃弾に倒れる隣家の少女。若い女性らは街で突然政府軍に拉致され、ゲリラ側に肩入れしたとして神父までも殺害される。
少年の初恋の少女も家ごと焼かれ、少年らも家を失う。ここには希望が一切ない。内戦はおよそ10年続き、92年には停戦が合意されるが不安な政情に変わりはない。戦場とは戦争とはそういうものだという達観を許さない現実が私たちに迫るのは少年チャバの生きる問いではない。昔のこと、遠いことだから関わりを持たないでおこう、関心を寄せないでおこうとする私たちに対し、昔のことではない、遠いことではない、関係のないことではないと突きつける痛みなのだ。
シャロン首相が瀕死の床にあってもパレスチナの民はフェンスで遮られ身動きできず、イスラエル軍に撃ち殺されるのは日常茶飯事だ。そしてイラクに派兵している日本はもはやイラク人から見れば対戦国となっている。そのイラクの民間人死者3万人。
戦争は遠いことでも昔のことでもない。ましてや日本と全く関わりがないことでもない。チャバが生きながらえたのはほんのたまたまで、いや奇跡でチャバの目前で殺された少年らのほうが多いのだ。その銃口のこちらがわにアメリカの属国たる日本の姿がある。
中米では大地主と結託し、民を貧しいまま押さえつけてきた軍事独裁政権が多く、それらに反抗する広がりの中で「解放の神学」も唱えられた。80年代ほどの激しい内戦は伝えられないが、ベネズエラやチリ、ボリビアなどアメリカと明らかに距離をおく政権が誕生している昨今、それらが「反米」色を露にしているとアメリカが考えたとき(実際にどうかは問題ではなく、それを判断するのは常にアメリカである)、またしても市民に銃口が向けられ、多くの血が流されないとも限らない。

「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」(日本国憲法前文から)
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魂の発現 エルンスト・バルラハ展

2006-03-12 | 美術
実は本展までエルンスト・バルラハという名を全く聞いたことがなかった。日本でも今回のような大規模な回顧展は初めてだそうである。ドイツ表現主義の仕事はドイツと第2次大戦期同盟国であった日本では比較的早く紹介されたそうである。しかし、ナチスドイツの「頽廃芸術」攻撃で、ヨーロッパにおける彫刻分野での紹介、発掘は遅れ、また日本でも彫刻までは紹介されなかった。もちろんドイツ表現主義を代表するキルヒナーは絵画以外にも版画や彫刻も手がけていたが、彫刻の紹介は少ない。そしてバルラハ。近代彫刻というとロダンとその弟子、ブールデル、マイヨール、デスピオらに焦点が当てられ、ドイツの近代彫刻ーバルラハはもちろん、コルヴィッツなど ー に光があてられることは少ない。しかし、ナチスドイツの恣意的なレッテル貼りによって不遇の制作を余儀なくされた作家は多い。ノルデやディックス、カンディンスキーなども。そして1938年ナチスの伸長する時代に失意のまま世を去ったバルラハ。
バルラハの彫刻を一口で言い表すことなどできないが、まず木彫作品に見いだせる中世ゴシックの影響は見逃せ得ない。筆者はバルラハの木彫にリーメンシュナイダーの人間に対する深い観察眼 ー それは教会彫刻を手がけたキリスト教主題であっても人間の魂により近づいたとも呼ぶべき洞察力の発現に他ならない ー を見た気がしたのだが、ロダン、ブールデルらの言わば人間=生及び動の讃歌的な作品とは対局をなす重い、暗い、静謐な作品群にそれは表れている。
リーメンシュナイダーの彫刻は、こちらが作品を見ているのではなくて、作品の側が、私たちを見ていると表現したのは高柳誠だが(『中世最後の彫刻家 リーメンシュナイダー』五柳書院)、バルラハの彫刻も伏し目がちのかたい表情とはうらはらに、こちらの気配を作品の方こそ感じているようである。
ノミの跡一つ一つにはバルラハの人生の痕跡、いや、両大戦期の暗いドイツの雰囲気やあるいはナチスの度重なる迫害に抗おうとした一彫刻家の悲しみや怒りがこめられているのかもしれない。
代表作「ベルゼルケル(戦士)」や「苦行者」はもちろん荒れた都会の雰囲気に嫌気がさしロシアの農村を旅した後いくつも制作したロシア農民らの姿といい、どの作品も見るものがこちらから主体的な力でもって見ることをやめるのを許さないほど引き込まれること間違いない。
やはり彫刻はいい。
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