kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ネイションがイコールカンパニーの国『(株)貧困大国アメリカ』

2013-09-15 | 書籍
堤未果さんの「貧困大国アメリカ」シリーズは、完結編とうたわれてついに「株式会社」となった。そう、アメリカの政策は国家の意思というより、企業の思惑、戦略により決まるというのが実態であるからだ。今回堤さんの問題提起の中にアメリカ中心主義、グローバリズムという名の一企業独占主義を示すキーワードがいくつか出てくる。
たとえば「回転ドア」。あるいは「GM食品」。「回転ドア」とは、政権の中枢と企業のお偉方を行ったり来たりするそれこそ超富裕層の「1%」の人たちの転身パターンのこと。「GM食品」は、キーワードというより、今や世界を席巻する帝国(主義)が生み出した産物、それも人類の未来を左右する、かもしれない。あらためて言うまでもない。GM食品はカーギルなどの穀物メジャー、モンサント社などのバイオ化学企業が開発、販売した農民の自活、自立力を奪う悪魔の技術、遺伝子組み替え作物から生まれた食品。農作物、植物というのは本来、多年生で収穫した種苗を植え付けるものと思っていたら、遺伝子組み替え作物は害虫への耐性を高めたためか、は本当のところは分からないが、単年生。そして単年生とはすなわち農家は毎年種苗を購入しなければならないということ。そして、生産物もきびしい規格にさらされる。規格に合うよう、つくり作り続け、ウォルマートなど巨大スーパーチェーンに納品し続けるか、規格を無視して、自己の信念のもとに農作物をつくり続けるか。しかし、ウォルマートなどのチェーン販売網に乗らなければ市場に出ることすら難しい。そしてグローバル企業に対して価格競争に勝ち目はない。「回転ドア」によって政府にいる間は、企業に有利な政策を実行し、企業の上役になったときは、それら政策を実行する役人に献金する。こうして、1%はますます富み、99%は貧困から抜け出せない。驚くことに、貧困層に配られるフードスタンプさえ、巨大流通・食品企業の懐がより肥えるようなシステムになっていること。この国は、そう「株式会社」なのだ。
ナオミ・クラインが『ショック・ドクトリン』で明らかにしたのは、極端な新自由主義的価値観を有する知識層、支配層を途上国や紛争国に送り込み、政府、いや、企業の思うままの政策を実行する政権・政策を打ち立て、農民やその国の民の土地を奪い、利益を奪い、健康を奪い、安全を奪い、そして命を奪う姿。惨事便乗型資本主義は、アメリカ国内の一部企業の思惑で終わらない、アメリカという国自体がそういった企業論理で成り立っているということ。(日本にも迫る惨事便乗型資本主義 恐るべき事実『ショック・ドクリン』http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/c33d3a335e980c2771c0120039b8e4b5)『株式会社貧困大国アメリカ』は、ショック・ドクトリンの処方箋を、アメリカという国が内包化しているということと、そしてそれなしにはアメリカという国の存立基盤さえ危うくするほど国の下部構造イコールであることを示した。
『貧困大国アメリカ』や『続・貧困大国アメリカ』で国家政策の基盤となる教育や軍事が、資本の論理と企業の利益で決定、遂行され、その反復と拡大でグローバリズムという名の帝国主義が世界を席巻していることを明らかにした堤さんは、今、日本をアメリカ、いや株式会社アメリカの傘下となるTPPに警鐘を鳴らす。選挙前はTPPに慎重姿勢を見せていた安倍自民党は、あっさり交渉参加を決定し、米など5部門は守ると言いながら、確実に自国の農業やその他産業を株式会社に売り渡そうとしている。
堤さんの3部作は、アメリカとその資本の論理の構造と根底を知るに好著だ。プライベートで関係ないのかもしれないが、堤さんのお連れ合いは、HIV感染者としてさまざまな人権擁護活動をしてきた参議院議員の川田龍平氏。川田さんは現在、小泉構造改革をもっとすすめろとの理念で結党されたみんなの党所属。二人の間でどんな会話がなされているのかも興味深い。
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北欧めぐり2013 ④

2013-09-09 | 美術
「北欧めぐり」と言いながらコペンハーゲンからハンブルクにやってきた。ハンブルクはドイツで3番目の大都市。ハンブルク中央駅は、東西南北がよく分からない四角くて巨大。自慢ではないが、ヨーロッパでもあまり道に迷わない方だが、方角を間違えた。というのは、ホテルに荷物を置いて中央駅に戻り、まず目指したのがハンブルク市立美術館。のはずだった。駅のそばにあり、なんなくたどり着き、市立美術館にしては、工芸品ばかりで絵画がないなと思っていたら、なんとリーメンシュナイダーの聖母子像に見(まみ)えた。リーメンシュナイダーがドイツ(やそのほかの国)のどこにあるか、どの作品が見ごたえがあるかは福田緑さんにご教示いただいていたが(「リーメンシュナイダーを歩く」 http://www.geocities.jp/midfk4915/j_top.html)。福田さんの労作は『祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(いずれも丸善プラネット刊)で楽しめる。)、ハンブルクにあると紹介されていたのをよく覚えていなかったので、うれしい驚き。1505年頃の作とされるが、正式には「三日月の上の聖母子像」というそう。そう、ここは市立美術館ではなく「市立工芸博物館」であったのだ。
リーメンシュナイダーに会えたのは、もちろんうれしかったが、工芸博物館はマイセンをはじめドイツが誇る磁器をはじめ、ヨーロッパ、近くはロイヤルコペンハーゲンだの、フランスのリモージュだとか、はては中国の景徳鎮まで、ものすごいコレクションで圧倒されたのだ。間違えて入ったのがこんなに眼福を授けてくれるなんて。疲れを飛ばしてくれる、とはいかず、かなり疲れていてゆっくり見られなかったが、ドレスデンの工芸館に並ぶドイツ(とその他の国)の巧緻と出会える至極贅沢な空間である。夕食はフリカデル(要するにハンバーグ)とビールをいっぱいいただいた。
今回の旅行最後の観光日。予約していたミニチュア・ワンダーランドへ。前日ドイツの巧緻に触れた気がしたが、こちらは現代の巧緻。しょせんプラモ、人形と侮るなかれ。そこは究極までリアリティを追求する職人の技にあふれている。展示コンセプトはハンブルク市街、北欧の都市、アメリカはグランドキャニオンなどと多くはないが、感動したのは、ベルリンの様子が中世の時代から、産業革命を経た近代、ナチスの時代、ベルリンの壁、そして壁崩壊後の現代と時代に沿ってジオラマが展開する特別展。見とれる。歴史絵巻を展示する際、時代考証にはとてつもない労力を割くと聞いたことがある。ここもオタクに突っ込まれないよう細心の注意をはらっているに違いない。そして、常設展の規模とメカの複雑さ。一日が過ぎるのを感じられるよう、昼間のざわめきから夜が更け、真っ暗になり、そして青く開けていく街並み。列車や自動車も夜は車内灯をきちんと点け、飛行機も飛び立ち、着陸する。プラモデル小僧もNゲージおじさんもここに来るがよい。多分一日では足りないだろう、見とれるのに。
前日間違えて行けなかった市立美術館へ。こちらは本当に絵画が充実。特にうれしかったのは、孤高の画家フリードリッヒのコレクションとドイツ表現主義、それもブリュッケの作品が充実していたこと。ノルデやキルヒナーなどブリュッケの作品は、ベルリンのブリュッケ美術館はそろっているが、ドイツ表現主義というとどうしても、ミュンヘン派の青騎士のコレクションが多い。青騎士はマッケなどドイツ人画家は夭逝したのでカンデインスキーなどドイツ人ではない画家が主導したものと思っているが、ブリュッケは、ナチスに迫害されながらも描き続けたノルデ、そして圧倒的な色彩演出のキルヒナーを擁し、こちらの方こそドイツ表現主義の王道のようにも思える。エルンスト・バルラハの彫刻も何点かあり、にんまりしたが、もう旅も最後。体力も限界だ。
アルスター湖遊覧したのは、座って過ごせるから。強い日差しの中を船は湖を一周。泳いでいる人、ボートを揺らしている人、競技艇を漕いでいる人。ハンブルク市民の日常を感じながらこの旅最後の夜に向かう。ネットで見て、なにか感じるものがあったのと、前日フリカデルを食べに行こうとした途中に、その店を目指すカップルのただならぬ意気込みに気になっていたフィレ・オブ・ソウルへ。すばらしい。
ドイツは料理の選択肢は少ないが、基本的に美味しいと思っている。が、洗練された料理となるとやはり探さないといけない。フィレ・オブ・ソウルの料理は魚料理もいくつか選べて、前菜のガスパッチョも絶品。お店の勧めるオリジナルワインもグッドで、やっと暗くなってきたハンブルクの夜を、この旅の最後を締めくくったのであった。(リーメンシュナイダー「聖母子」ハンブルク美術工芸博物館)      (了)
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北欧めぐり2013 ③

2013-09-08 | 美術
コペンハーゲンの3日目はハーバーバス(船のバス)に乗って「人魚の像」へ。さすがに世界3大がっかり!のことだけあって、小さくなんでこんなに有名なのか分からないほど。爆破されたり、頭をとられたりと受難も多いにもかかわらず、柵や金網もなく今でも触れるくらい近づけるのがコペンハーゲン市の度量の広さか。再びハーバーバスに乗ってクリスチャンスボー城へ。現役の宮殿で清潔で明るく設えられているようだ。ただ、宮殿の敷地内はあちこち工事中で、見学できる部分はそんなに多くはなかった(入口が分からなかった?)のと、宮殿のそばを保育園児くらいの集団が行きかうのに見とれていたほうが印象深い。本当にコペンハーゲンの街角ではどこでも小さな子どもをみかける。
 クリスチャンスボー城からはバスですぐのニュー・カールスベア美術館へ。ビールメーカーのカールスバーグがつくった巨大美術館。屋上からはある程度コペンハーゲン市内が見渡せ、中庭も広くくつろげる。彫刻も多いが、基本的にデンマーク近現代画家の作品群。デンマークというとハンマースホイしか知らないのが恥ずかしい。(「静かなる詩情」への近接 ハンマースホイとの初対面http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/0fc1ac03b9e7823de02ae4e7595bf804)
かなり広いのでゆっくり見ていたら切がないし、名前もどう読むのか分からない。向かいのチボリ公園のアトラクションの悲鳴が気になるが、コペンハーゲン随一の規模とコレクションであることは間違いない。国立美術館も周囲が工事中で、少し不安定な仮設通路を渡って入館する。思ったより広く、デンマーク画家のほか、マチスのコレクションもあった。開館されたのが1996年ということでかなり新しい美術館で、収容規模からするとまだまだコレクションも増えそうで楽しみだ。が、物価の高いコペンハーゲンに2度と来ることはあるだろうか。
夕餉は予約しておいたコペンハーゲン大学すぐ近くのレストランKrebse Gaardenへ。若者が寝そべってお酒を飲んだり、ドラッグかな?なんかタバコみたいなのを吸っている人も。レストランの向かいはSMショップ!で、チトタダならぬ雰囲気の中にお店はあった。スウェーデンでは8月末にならないと解禁されないザリガニを前菜に地ビール。メインは鱈を一度塩漬け、干したものをもどしてグリルしてトマトソース。塩辛くなく美味。勧められたワインもおいしく、デザートに10種のチーズプレートまでいただいて、テイスティングワインはサービス。ウエイターのよくしゃべること。よどみない英語をこれでもかというほど浴びせられたが、理解できたのは? それでも、ワインを選ぶとき、ボトルで取るな、グラスでおススメがあるから、そのたびに注文しろ、には納得。どっしりとしていてボトルで頼んだら飲みきれなかったかもしれない。物価の高いコペンハーゲンにしては良心的なお代で、コペンハーゲンの夜を満喫した。
翌朝は特急列車でコペンハーゲンからハンブルクまで移動。この行程を選んだのは、列車がそのままフェリーに乗りこんで海を渡るという珍しいものだから。2両編成くらいの列車が来るものと思っていたら、6~8両ある普通の特急列車。その日は一日雨で、風景は芳しくなかったが、予定通り列車はフェリーに。フェリーであるからほかに車がたくさん載っていて、列車もその一員に過ぎないだけである。列車の前にすでにほとんどの車が載っていて、乗船後車と同じく、列車の乗客も降車して客室に移動しなければならないのだが、もう座るところもない。レストランはもちろん印税店もあり、国境を越えるのだから当然と言えば当然。列車に乗り込んで、どんどん街並みに建物が増え、ハンブルクに到着したのは昼過ぎ。陽は高いしまだ観光の時間だ。(コペンハーゲンの町中を散歩する子どもたち)
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北欧めぐり2013 ②

2013-09-02 | 美術
ストックホルム観光の2日目はノーベル賞の受賞式会場となる市庁舎から。ガイドツアーを申し込んだが、北欧には珍しい小柄の女性の英語がきれいが速い! 分かった振りをして質問したら、とんちかんで恥をかいた。はさておき、授賞式のほか、晩さん会会場となるホール、受賞者の待機所?など広いが割とシンプルな造作である。ちなみに、平和賞だけオスロで、その他の賞がこのストックホルムなので、大江健三郎さんも山中伸弥さんもこちらのカーペットを踏んだのだ。
市庁舎は旧市街ガムラスタンを臨む海をはさんだ向かい側。とてもシーナリーというかフォトジェニック。少し強い陽光にさらされながら、海岸沿いをぶらぶらと歩くのは気持ちいい。ガムラスタンの小さな王宮などを見て空港へ。コペンハーゲンに向かうことにする。
コペンハーゲンのホテルは空港から行きやすいので選んだが、これが立地抜群。空港で時間をとったこともあり、ホテル近くで夕食をと考えていたら、コペンハーゲン美食のメッカ、ニューハウンまで歩いて10分ほど。観光客がわんさといるが、さておいしいお店は。結局ガイドブックに載っていたお店ではなくて、当方らの鼻がきいた?レストランを選んだが、正解。ブイヤベース風の魚介炊き合わせがグッド。ワインも飲んだが、会計にびっくり。2軒目にデンマークビールを出す店も寄ったが、とにかく物価が高い。心してかからねば。
空港であれだけ英語表示が多く、親切と感じたのに、鉄道は!? クロンボー城のあるヘルシンオアをめざし、地下鉄や郊外列車、国鉄をうまく乗り継ごうとしたが英語も少なくさっぱり分からない。結局、中央駅に戻り、インフォメーションで乗り換え方まで訊き、クロンボー城にたどり着いたのは予定よりかなり遅くなった。スウェーデン国境が海というヘルシンオアは、スウェーデン人がお酒をデンマークに買いに来るという地勢。ケネス・ブラナーが演じた映画ハムレットの舞台となったクロンボー城では、ノルウェー軍の攻撃にさらされるシーンがある。いまいち位置関係や距離が分からないが、それくらい北欧3国の交差点的位置なのだろう。クロンボー城は海に向かってそそりたち、その雄姿は心地よいほどかっこいい。し、地下の城砦のつくりも見ごたえ十分である。
ヘルシンオアからコペンーゲンへの帰途フムレベックにルイジアナ現代美術館はある。駅から20分くらい歩くが(「地球の歩き方」に10分くらいとの記載があったが、多分季節の良いとき速足で、ということだろう)、ここで一日過ごせたらというくらい心地よい空間が広がっている。実はルイジアナ現代美術館はヨーロッパでも指折り、知る人ぞ知る充実したコレクションで、海に連なる庭園、それを自然に見せる建物の設営といい、空間が総合芸術、いや文化空間としてこれほど美しいものはない。オランダは、ゴッホなど近代美術のコレクションで知られるクレラー・ミューラー美術館も広大な公園の一角を、「一角」と感じさせない配置で訪れる者をずっと過ごしたいと感じさせる美術館であるが、ルイジアナは海も近くその上を行く。デンマーク人の親子連れも多く見かけられ、庭で遊んだり、寝そべったり。館内は、工夫された回廊式の展示で近現代美術の逸品も多く、入ってにんまり、出てにんまりの空間。ヘルシンオア行きにとまどり、予定よりだいぶ遅く着いたが、この季節北欧はいつまでも明るい。堪能して、20分の道のりをまた歩き、コペンハーゲンに戻った。トラブルもあったが、夕食は、少し遅めにストロイエ(コペンハーゲン中心の繁華街)近くのデンマーク伝統料理のお店に落ち着き、充実したコペンハーゲン2日目の夜を終えた。(ルイジアナ現代美術館庭園にあったジャン・デュビュッフェの「ウルループ」)
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北欧めぐり2013 ①

2013-09-01 | 美術
連日35度の猛暑の日本を抜け出して涼を得ようと北欧まで来たが、暑かった。
ストックホルムもコペンハーゲンも連日30度近くまであがり、結局ジャケットは羽織っていたものの、持って行った長袖は一度も袖を通さず。けれど、そこは北欧、明け方は寒いくらいで、カラッとしていた。とは言うものの、昼間の日射しはとても強い。毎朝日焼け止めを顔に塗りたくって出かけたが、結構焼けた。今回は暑い北欧の旅から。
ストックホルム郊外のドロットニングホルム宮殿に船で行くところから観光は始まった。北欧の宮殿は概してシンプル。規模も小さい。北欧デザインの一環というのだろうか、無駄がなく合理的で中・南欧にあるような豪奢な出で立ちを期待するとはずれる。しかも、ノルウェーを除いて北欧はみな立憲君主国。いまだに王様が宮殿に住んでいたりして(ドロットニングホルムは違うが)、現国王一家のプロパガンダの場であったりする。まあ、国民が君主制を望んでいるのだから仕方ない。ドロトニングホルムはストックホルム市庁舎の向かいから船で出て、旧市街ガムラスタンを臨みながら50分ほどで着く。離宮の面持ちで静かな佇まいの上、船から見ていると徐々に宮殿が眼前に広がってきて優美だ。小さな桟橋で降り、ゆるやかな海風を受け宮殿に向かう。ヴェルサイユなどと比べると本当に小ぶりで、調度品も多くない。しかし、この小ささが絶対王政、革命へと共和制を選んだフランスとは違っていまだに王制を敷く北欧ならではの証なのだと思う。宮殿裏手の庭園は結構広い。中心部分へは残念ながら入れなかったが。近隣の家族連れだろうか、芝生でまどろんでいる親と走り回っている子どももいる。歩いて宮殿の庭で過ごせるなんてなんと贅沢なことではないか。しかし、それが楽しめるのも多分6~9月くらいだけだろう。真冬は凍てついた固い地面が広がっているだけに違いない。
船で市庁舎向いに戻り、国立美術館を目指すが改修中。よく調べてきたらよかった。ストックホルム現代美術館は、ガムラスタンの隣の島にあり、けっこう広い。ニキ・ド・サンファルのコレクションもあり楽しい。しかし暑い。季節がいい頃なら、島から島へそぞろ歩きするところだが、ガムラスタンのノーベル美術館へはタクシーで向かった。
ちょうど、平和を考える企画展をしていて、「平和」は戦争の反対語ではないと言った受賞者マザー・テレサの言葉を裏付けるように、紛争はもちろん、世界中の飢餓や差別、暴力を若い人や子ども向けに展示する手法は、その迫力や平易な説明とともに見る者を圧倒する。小さな博物館だが、見ごたえがあった。歴代平和賞受賞者の解説が続くが、佐藤栄作首相やオバマ大統領の解説がほとんどなかった(気づかなかった)ことにほっとした。(ドロットニングホルム宮殿)

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