kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ノルウェー、ドイツ美術めぐり ベルリン2

2006-09-24 | 美術
ベルリンは、東西に分かれていたときそれぞれの美術館を持っていたため、統一した時には互いにテーマや時代が似たような美術館が数多くあった。現代都市として変貌するベルリンの課題のなかにこの重複する美術館の整理があった。世界遺産として登録される博物館島にあるいくつかの美術館群も含め、これらの美術館が整理統合、改修されるのは2015年を待たなければならないという。そのすべての作業が終わるまでは待っていられない。それで5年ぶりにベルリンを訪れたのだ。そして今回のベルリン訪問で一番行きたかった美術館が国立絵画館(ゲマルデガレリー)である。
と言うのは、もともと近現代美術が見たいがためヨーロッパまで行くようになったのだが、西洋絵画はキリスト教(聖書)がわからないと全然面白くない。そして、この絵画館で大げさに言えばキリスト教美術に開眼したのだった。ちょうど前回訪れた際、美術館中央のホールで女性が聖歌を朗々と歌い上げていて、美術館全体にその澄み切った声が谺していたく感動したのだ。そして眼前に居並ぶ数々のキリスト教絵画。この時、もっとキリスト教のことを勉強しておればよかった、また来るぞと誓ったのだった。
なかでもあまりにも作品数が多く、見疲れてきた時に小さな作品であったが、はっと眼を覚まされた一品があった。レンブラントの「スザンナと長老」である。旧約聖書続編(外典)に出て来る美しい女性スザンナと、彼女に邪な気持ちを持った長老らがスザンナの拒否にあい、裁判官も兼ねていた長老らが死刑判決を下すが、ダニエルが長老らの矛盾を暴き彼らを死刑に処すという物語である。純血を守ったスザンナを讃えるお話ではあるが、もちろん水浴するスザンナを覗き見する長老らという主題で、画家らが裸婦を描く口実としてきた選ばれた格好の題材である。
この「スザンナと長老」のすぐ近くにあり、これも眼を開かされたのが風俗画フェルメールの傑作の一つ「真珠の首飾り」であった。国立絵画館の展示は18世紀以前の絵画に固められており、ルネサンス、バロック、ゴチックそしてロココまでである。場所がら北方ルネサンスも充実、ブリューゲルの「ネーデルラントの諺」はじっくり見たいのに一人の男性が一つ一つの諺を確認しているのだろうか、容易には絵の前を離れずいらいらしたものだ。ほかにもデューラー、クラナッハの充実ぶりは言うまでもなくそこで過ごした4時間が足の痛みさえなければ感じられないほどの魅力にあふれている。次ベルリンに来るのがいつになるかわからないが、絶対にここへは来るだろう。そして、中央ホールは本来彫刻スペースなのだが、今回は現代アートのインスタレーションが1点飾ってあっただけでバロック彫刻が展示されていなかったのは残念であった。
ヨーロッパのある程度の規模をほこる有名な美術館はたいてい訪れたが、国立絵画館はルーブルやプラド、ナショナルギャラリーに比べると規模は小さいがとても好きな美術館の一つである。ポツダム広場近辺のクルトゥーア・フォーラムには国立絵画館のほか、ノイエ・ナツィオナールガレリー(=新美術館。今回は旧館中だった)、クンストゲヴェルベムゼウム(美術工芸博物館)、銅版画ガレリーまであって全部回っていたらとても一日では終わらない。ノイエ…が開館する時を見計らってまた来ることにしよう。
ノルウェー、ドイツの美術めぐりもこれで終わりである。(写真はシャルロッテンブルク宮殿)
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「見えるがまま」にたどり着けるか  アルベルト・ジャコメッティ展

2006-09-18 | 美術
人出の多い日曜日の午後に美術館には行かないようにしているのだが、今回は事情が違った。その日の午後に館長中原佑介氏の講演があったからである。中原氏がこの4月に兵庫県立美術館の館長に就任したのには驚いたが、こんなに早く講演会に接することができるとはと二重に驚いた。現代彫刻に関する著作も多い中原氏の名前を知ったのは、『ブランクーシ』(86年、美術出版社)の著者であるからである。おそらくブランクーシのことだけをこんなに体系的に著わした日本語での著作はこれをおいて他にないだろう。今夏の休暇を利用してルーマニアはブランクーシの最初の家出先であって、現在ブランクーシ公園のあるトゥルグ・ジュ市になんとか行けないものか計画したのだが他都市をも経て行くには困難なことがわかり断念したばかりだった。ブランクーシの作品が言わば作者に見えたカタチを極限までシンプライズしたものであるとするならば、ジャコメッティの場合は見えたものを見えたままこだわるあまりあそこまでそぎ落とされた肉体(もはや“肉”さえも感じられない)として結実したのではあるまいか。
現代彫刻は難解とも思われがちだが、ジャコメッティの作品は逆に理解しやすいのではないか。いくら細くそぎ落としても女性像なのかそうでないか判るし、彫刻と並んで描いた膨大な量の絵画は被写体の輪郭を捉え切るまで何度も書き直した結果、あのような一瞬ぐちゃぐちゃにも見える描線の数となったことが分かるからである。
本展はジャコメッティの友であり、モデルをつとめた矢内原伊作との親交にスポットをあて展示しているが、もちろん他の作品ー肖像彫刻もーも多い。ジャコメッティの作品はどうしてもあの極端に細長い人物像が思い出されるため「あんな人間はいない」と見限ってしまいそうであるが、実は作品の中で矢内原なり、弟のディエゴあるいは妻のアネットなどを題材にし、作品名にもそう記している胸像等はあのような極端に細長い像とは違っていて「人間らしい」。
極端に細長い像の題はたいてい「裸婦像」とか「女性立像」とかで固有名詞がない。ジャコメッティは見えるものを見えるがままに描いた(彫った)というが、むしろ「見えるがまま」に表現する方が勝手な想像やデフォルメを排して描くよりはるかに難しい。写真であっても被写体にポーズをとらせ、何度も撮り直すことがあるならば「見えるがまま」とは言い難いだろう。ジャコメッティが「見えるがまま」にこだわり、作品に没入していくうちに固有名詞こそ必要なく、女か男か、人間かさえ曖昧になるほど彫り進んだのではあるまいか。そういう意味では「矢内原」とか「アネット」とかモデルの名前がわかる作品はモデルに対する信頼関係とそのモデルを他のモデルとは区別が可能なだけのサインを、いやジャコメッティなりの配慮をしていたのではないか。そう思える。
画家にもいろいろなタイプがあるだろうが、多くの場合作品完成に至るまで多くの習作を遺している。いや、常に書いているのだ。今回出品された多くのスケッチ、新聞の余白やレストランのナプキンや手帳の一片にまで、ジャコメッティの常に納得がいくまで描き続ける姿勢が見て取れて興味深い。
中原氏の講演はロダンがあまりにも見事に人物像を彫り出したので、ロダンは生身の人間の鋳型を作って製作しているに違いないと疑われたというエピソードから始まった。カタチにこだわるということはどういうことか、それが人間を対象にした時、作家の探究心と(非)妥協心が彫刻家も同じ人間であるのにここまで研ぎすまされるということ。ジャコメッティの細長い作品群はその長さだけ相対する者を惹き付ける。
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ノルウェー、ドイツ美術めぐり4 ベルリン1

2006-09-13 | 美術
ベルリンは2回目である。89年に壁が崩壊し、変貌の激しいベルリンを実感したいと思い訪れた。前回訪れたときは、東西ドイツにそれぞれあった美術館が整理されておらず、東側に位置する博物館島(世界遺産)の整地も未了、ブランデブルグ門にいたっては修復中で厚いクロスに覆われ見ることができなかった。
博物館島の旧ナショナルギャラリーは前回は閉館中であったが、改修も終わりとてもぜいたくなたたずまい。ドイツ印象派中心で恥ずかしながら知らない作家ばかりだったが、逆にドイツにおけるフランス印象派の影響の弱さと、しかしその豊かさと、そしてそれにもかかわらずナチス時代に迫害を受けたゆえ体系的には作品数も少ない19世紀頃のドイツ絵画の全貌に触れることができる。規模はそれほど大きくはないが、じっく見ることができる造りといい(小さなスペースなのに椅子も多い)、静かな空間に確かな作品群(ロマン主義的でもある)に触れられる環境でもある。
ベルリン中心地から列車で1時間、歩くこと30分で行くことができるのがザクセンハウゼン強制収容所跡である。こんな近郊にと驚くなかれ、20万人も収容されていた場所である。前回ベルリンを訪れたのはポーランドはアウシュビッツを訪れた後。ザクセンハウゼンはアウシュビッツのように当時の建物がそのまま残っているのは少ないが、その広大さに身震いする。ベルリン近郊であるし、そんなに遺していはいないだろうという浅はかさを破壊する広大さ。
人を殺すための工場がこれだけの土地を要したということ。そしてそれをいまだ遺しておこうとする言わば戦争責任を自覚した者の知恵。広大な土地に遺るものは少ないが、荒れ果て、無惨に野原と化した平原こそザクセンハウゼンで流された血、失われた命を像像することができるのかもしれない。
美術巡りとは少し離れたが、ベルリンは改修中の美術館も多いがやっぱり楽しい。ただ変貌が激しすぎて、美術館の改修期間、開館時間はきっちりと確かめて行った方がいい。そして、シャルロッテンブルグ宮殿は美術品はともかく、ガイド時間など不便なところもある。ヴェルサイユを真似たと言うが、ロシアはピョートル大帝のペテルゴフよりはかなり小規模。質実剛健のドイツらしいのだろうか。
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ノルウェー、ドイツ美術めぐり3 ドレスデン

2006-09-03 | 美術
第2次大戦で連合軍の爆撃により灰燼に帰したドレスデンがその美しい町並みの復活の道のりを歩み始めたのは東西ドイツの統一後数年経ってからである。その瓦礫の山を一つ一つ積み上げ、気の遠くなるような作業の末今年フラウエン教会が完成し、ドレスデンは今観光客でごったがえしている。とはいえ、ドレスデンの街の修復作業はまだ続いている。街の至る所が工事中なのは致し方ない。破壊されたドレスデンで生きながらえたのがザクセン王国のアウススト強王が造営したツヴィンガー宮殿である。現在宮殿内は7つの美術館、博物館からなっており中でも有名なのがアルテ・マイスター(古いマイスター=職人芸、名人芸 とでも訳すのだろうか)である。
「古い」というだけあって18世紀以前の絵画しか収めていないのがいないのがよい。ボッティチェリやマンティーニャなどイタリア初期ルネサンス期の作品から有名なラファエロの「システィーナのマドンナ」、ティツィアーノの「貢の銭」、コレッジョの「聖ゲオルギウスの聖母」、カラッチの「聖母の戴冠」などうれしくなる。アウグアウト強王は勢力にあかせて美術品を蒐集しまくったらしく、イタリア絵画以外にもエル・グレコやベラスケスなどのスペイン絵画、レンブラント、フェルメールなどのフランドル、そしてもちろんお膝もとのクラナッハやデューラーなどうっとりするほどだ。ちょうどクラナッハコーナーを開催していて幸運だった。
そしてザクセンのアウグスト強王といえば錬金術師ヴェトガーに作らせたマイセン陶磁器。宮殿の陶磁器コレクションはとてつもない数の焼き物が。大きな伊万里までお目にかかれてすばらしい。規模は小さいが彫刻コレクションもいい。
宮殿の斜め向かいのGrunes Gewolbeは最近開館したらしく、装飾工芸品の美術館でゆっく見回れば1日はかかろうというもの。職人の国だけあって本当に細密な技巧の粋が楽しめる。残念ながらアルベルティヌム(ノイエ・マイスターを併設)は閉館中だったが、どの美術館も歩いて行ける範囲ににあり、また一度訪れたいものだ。
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