kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

こちらを見ている彫刻 舟越桂「私の中のスフィンクス」展

2015-08-17 | 美術

舟越桂の彫像はこちらを見ない。たとえば、アイドルや女優のポスター、ピンナップはどの方向から見てもこちらを見ているような錯覚に囚われる。その反対だ。舟越は、全身木彫のなかに眼球だけ大理石を用いる独特の手法でかつ、その大理石の眼は、わざと外側を向き、決して鑑賞者とは正対しないという。作品そのものの不可思議さ、超現実性と相まって、それら作品群は、見るものを置いてきぼりにする。そう、見られているのではなく、見ている者が見ているかどうか。

彫刻は、見られる角度が一方向ではない。横から、背面から、ときには斜め下から、上方から。多分、彫られているときにどの方向から見られるかを想定しているのではなくて、どの方向から見ても、その作品の本質にはなんら影響を及ぼさないからであろう。それは、作家があらゆる方向から彫りすすみ、その彫りすすみと同じように鑑賞者も見てすすむからである。そういう意味で彫刻は元来多面的で、見据える方向は、見る側に委ねられているようにも思える。しかし、舟越の作品はそうではない。こちらを見ていない眼球がこちらをとらえて放さないのだ。

作家の小川洋子さんが、「舟越さんの作品はどれも、待たれる人々だ。打算も理屈も超えた、証明さえも必要としない約束のもと、待つ人々の願いを心で受け止めている。ただ単に不在を補っているのではなく、不在そのものとして、そこに存在する。」と述べている。「待たれる人々」。そう、こちらを見ていないけれど見据えている、見ないでおこうとすれば、それに気づく、不思議で、ある意味怖い存在。それが舟越作品の「待たれる人々」の本質かもしれない。

小川さんがいつ、どの作品群を指さして語ったのかは詳らかではないが、舟越作品は、近年両性具有やおどろおどろしい迫力をもってして対面していく。「私の中のスフィンクス」シリーズである。なぜ「私の中」であるのか。スフィンクスは人に対して「4本、2本、3本の脚を持つ生き物」の謎かけをしたが、人はそれを自分のことと認識した。しかし、人は、人間はスフィンクスの言うような変化を生きるのであろうか。あくまで「私の中」という完結しない自己完結ではないのか。

舟越の描くスフィンクスは雌雄同体である。人間を超えている。しかし、彫られたそれはどう見ても人間である。そのスフィンクスが私たちに問いかける。私はどう見えるのか、と。いやはや、舟越彫像はすべて、見ている者が見られている、その見方が試されていると冒頭に述べたことが、現実離れしたスフィンクス像でも貫徹されているのだ。描かれている、彫られている私がどのような異形になっても、あなたは、ちゃんと、私を見ているのかと。

彫刻作品は、ときに平面画業以上に抽象性が増すことによって、好き嫌いが分かれるという。舟越の作品に抽象性はみじんもないように見える。しかし、近代彫刻以降を見ても、ロダンの、ヴィーゲランの、あるいは高村光雲の作品に抽象性はなかったか。そんなことはあり得ない。作者の観念どおりに彫られていったにすぎない。

こちらを見ていないのに見ている。とは怖い。彫刻の側から見ているこちらを見られている。そのような怖く、深い体験を船越作品は、あちらこちらから試してくれる。(もう一人のスフィンクス)

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スコットランド・イングランドの旅紀行3

2015-08-05 | 美術

ロンドン2日目には、郊外のウイリアム・モリス・ギャラリーに足を運んだ。W・M・Gは、モリスが10歳くらいから通学生として過ごした学校の近くにあり、のち寄宿生となったそうである。W・M・Gは、モリスの父親が早逝する直前に購入した館であり、モリス一家はその後、金銭的に不自由のない生活をここで送ったという。モリスはのちに私立学校を退学、オックスフォード大学にすすむほんの数年間をここで過ごした。しかし、貴族のマナーハウスに比べて決して広くはない住まいは、モリスの豊かな少年時代を彩ったに違いない。W・M・Gのそばは広大な庭園(公園)。大学の休暇には帰省したこともあるだろう。そして、この家は、モリスの最愛の家族、母や姉の息吹がしみ込んだ住処でもある。

聞くのと違って、展示はこちらのペースで読めばいいのでなんとなく理解できた。モリスがここでどう過ごしたか、モリス芸術はどう花開いていったか。オックスフォードで運命の女性に出会ったモリスは、階級差をこえて求婚する。真黒な髪を持つ美しい女性ジェイン・バーデンである。ジェインはすでにロセッティらのモデルをつとめていて(ラファエル前派のミューズであった)、結婚したのに忙しいモリスや、自身の不運な結婚もあってロセッティは、ジェインと「affair」な関係にあった(そういう風に、説明版にあった)。しかし、モリスはジェインとは離婚せず奇妙な関係を続けたまま、モリス商会での旺盛な活動、のちに社会主義者としての活動もした。そのあたりがよく分かる展示であったし、小さな空間にモリス・デザインがあふれているのが心地よい。モリス・デザインは150年を超えて飽きの来ない豊かで、落ち着いた魅力が身上だ。それは工業化に異議を唱えたモリスが、花や草木など自然界の普遍に美を求めたからで、社会主義者となったモリスが産業革命後の工場労働者の境遇を告発したのとはうらはらに、手のかかる美しいモリス・デザインがブルジョアだけの所有物となり、現在も必ずしも庶民の日常使いのテキスタイルとなってはいないことが微妙かつ複雑な趣と思える。もちろん、モリス・スタイルがダイソーで入手できるのも悲しいが。

W・M・Gのあとはその流れからヴィクトリア&アルバート美術館へ。V&Aは、15年くらい前だろうか訪れたことがあるが、そのときはモリスのこともほとんど知らなかったし、そもそも絵画ではなく工芸品の美術館なので興味が持てず、時間を費やさなかった。しかし、筆者にドイツ中世の彫刻家ティルマン・リーメンシュナダーの魅力を教えてくださった福田緑さん(『続・祈りの彫刻 リーメンシュナイダーを歩く』(丸善プラネット 2013年)外 などの著者)の教示により、彼の作品があったから訪れたようなもの。なぜ、V&Aにあるのか定かではないが、旅の行く先々でリーメンシュナイダーに出会える、それを探すのは福田さんのおかげで今やとても楽しみとなっている。

ロンドン最後の日には、午前にナショナル・ギャラリーを訪れたが、企画展はサウンドとペインティングのコラボをしていたが、時間も考えあきらめ、テート・ブリテンへ。T・Bがこんなに広いと思わなかったのは、ロンドンの滞在時間が短いとN・GとT・Mばかり行ってT・Bにあまり行かなかったからかもしれない。たいてい天気も良くないし。

驚いた。T・Bの広さでも、ティモシー・スポールが好演した最近の映画「ターナー、光に愛を求めて」ばかりでもない。企画展にバーバラ・ヘップワース展をしていたことだ。

バーバラ・ヘップワースは、ヘンリー・ムーアと並ぶ英国を代表する抽象彫刻の大家といっていい。しかし、ムーアが柔らかい曲線の母子像で日本国内でも野外などよく見られるのに比べて、ヘップワースの作品はいわば難解である。しかし、今回の企画展で分かったのは、ヘップワースが野外彫刻などをとおして、石と格闘していた姿である。石との格闘。それは石像彫刻家として必然の道だが、ヘップワースのそれはジャン・アルプの影響故フォルムがやさしい。格闘しているのにやさしいフォルム。むしろ純粋、かつ完璧なフォルムを求めるために格闘していたのであり、結果として曲線のフォルムが生み出されたのかしれない。

(以下、船越桂展のブログも認めるつもりなので続く。スコットランドイングランド紀行は一応この項で終わり。(B・ヘップワース Untitled))

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スコットランド・イングランドの旅紀行2

2015-08-02 | 美術

エジンバラからロンドンへ特急列車で4時間半。実際にはもう少しかかったが、日本の新幹線やフランスTGVのない英国では、国の縦断は普通の特急列車での旅となる。延々と続く何の変哲もない風景。というのは、イギリスにはそもそも高い山や渓谷、大河がない。羊の群れや牛の群れ。干し草をくるくる巻いたものが続く。しかし、大河はないが、水の豊かなイングランドの河川に揺れる木々とそこではたらく人の姿。これはコンスタンブルの描いた世界ではないか。川の青と木々の緑と、変化の少ない色彩と情景と。そこには冗長な独白はなく、あるとすれば潔く、静かな自然に見えたほとばしりを告げる短編詩か。ワーズワースとか、バイロンとか、エリオットとか。てんで分からないが、晴れたと思ったら、すぐに雨の降る、気まぐれでそれも大げさではない天候に、それを受け止める起伏の穏やかな大地にこそ、詩人の心を揺るがした風景がそこにはあるのかもしれない。

ロンドンに着いたのは夕方近くであったので、テート・モダンに行ってみた。閉館まであと1時間くらいしかないのに、特別展はソニア・ドローネーとアグネス・マーチン展。うーん、どちらにするか。結局、コンセプチュアルではなく、キュビズム的に分かりやすい?ドローネーを選んだ。

ソニア・ドローネーは夫、ロベール・ドローネーの妻として紹介されることも多いが、ロベールが1941年に亡くなった後も、戦後もフランスのデザイン界で活躍したソニアこそ、その業績を広く、長く紹介されるべきだ。というのは、ウクライナで生まれたロシア人であったソニアは、ロベールと結婚したため、長くフランスに住み、フランス人とも見まがうが、筆者は、そのキュビズム的要素は、革命後のロシアを席巻した構成主義の影響を感じ取ってしまう。ソニアがロベール亡き後、こだわったのは幾何学的枠組みに色彩をあやつる構成主義であり、イタリア未来派の連続性をも取り入れた、ある意味クレー的楽しさに満ちたドローイングであった。

ソニア・ドローネー展をなぜ選んだのか。それは、後述のテート・ブリテンで催されていたバーバラ・ヘップワース展とも相通じるが、そもそも日本では考えられない企画展であるからである。ソニア、いや、ドローネー夫妻でもいいが、キュビズムやイタリア未来派だけにしぼった企画展は考えにくい。しかし、ピカソやブラックが静物をいかに3次元的に動的に表現するかと悩んでいたあとの時代、未来派は動的な対象を「動的に」表そうとした。それは2次元で表現できる限界を伝えようとしたのかもしれない。

ところで、テート・モダンの入口を象徴していたタービン・ホールの巨大なインスタレーション(とにかく大きい「幕」は美術館全体を覆いそうなものであった)は、現在取り外されているが、これは、すぐ隣に建設中の新館の関係であるらしい。もともとテート・モダンは発電所・工場を再利用したもので、ポンピドゥーセンターやMoMAとはコンセプトが違う。この新館で、いかにイギリス風モダン・コンテンポラリーをプレゼンできるか。新館開館は2016年12月という。また、ここに来られるであろうか。(テート・モダンからミレニアム・ブリッジ、セントポール大聖堂を臨む)

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スコットランド・イングランドの旅紀行1

2015-08-01 | 美術

スペイン・カタルーニャ地方、沖縄、そしてスコットランド。現在世界で独立の動きが強い3大地域をあげたつもりではない。が、ほんの最近、独立を住民投票でノーとしたスコットランドには興味があった。まあ、ほんの2日の観光だが。エジンバラは7月下旬だというのにとても寒かった。予報では最高気温が16度、最低気温が9度と出ていたあたり日本とかなり違うということは分かってもらえると思う。

エジンバラは街を南北にニュータウンとオールドタウンに分かつが、ニューといっても18世紀に開発されたという全体的に旧い街。坂の上がオールドで低いところがニュー。ヨーロッパのいずれも街もそうだが、バリアフリーとはほど遠い。それでもエジンバラ城や聖ジャイルズ大聖堂は美しい。大聖堂はゴシック様式とはいえ、北仏にあるような見上げるほどの高さはない。ステンドグラスが美しい。ゴシック様式と書いたが、高さがそれほどないのもうなずける、12世紀から建設を始めたというのであるからロマネスク様式の時代から始まったのだ。そしてスコットランドといえばメアリー(・スチュアート(朝))女王。悲劇の女王とか、その美貌ゆえさまざまな策略を弄した、あるいは、のまれた女王とも称されるが、宗教改革の波でプロテスタント勢力の波に押され気味のカトリック、ヘンリー8世のときにローマ・カトリックと袂を分かちイギリス国教会を設立した時代。ところが、カトリックのメアリーはチューダー朝側のエリザベス1世から謀反の疑いをかけられ19年幽閉ののち処刑されたという。そのあたりが、物語として今も語り継がれているのであろうが、スコットランドの反イングランド感情の複雑な露呈が今回の独立投票であったのかもしれない。ただ、貧しい英語力でネイティブとも交流できなかった身には、そのあたりの微妙な感性を知ることができなかったのが淋しい。スコットランド紙幣は、同じポンドでありながらロンドンなどイングランドでは使用できないという。同じ国なのか、違う国なのか。シチズンシップという、ナショナリティーとは違うところで市民権をはぐくんできたブリテンのあり方が垣間見えるとともに、そうはいってもグレートと一括りにすることによって、結局はイングランドもスコットランドも王制のもとに傅く姿にも見えた。

王室が好きなのは、居であるロンドンに勝るとも劣らないエジンバラは(広大なホルリードハウス宮殿とその庭園というか森)今も女王が滞在する場となっており、映画「クイーン」でヘレン・ミュラン扮する女王が、森で野生の鹿に出会うシーンがあるほど手つかずの自然にあふれている。だからだろう。ロンドンに並ぶ重要地として、ナショナル・ギャラリーを擁し、その規模ははんぱではない。ルネサンス以前から、西洋絵画の王道とばかりにラファエロ、ティツィアーノ、ティントレットと続く。レンブラントの自画像、フェルメールもある。ロンドンと規模的には雌雄つけがたいが、同規模の眼福といってよい。そういえば、西洋絵画の名品が紹介されるとき、結構「スコットランド国立美術館蔵」となっていたりする。ここまで来る価値のある美術館。そして避暑の地だ(エジンバラの7月の最高気温は16度から20度程度、最低気温は9度から13度程度!)。(スコットランド・ナショナル・ギャラリーのレオナルド・ダ・ヴィンチの習作とされる作品)

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