関西、大阪に長くいると飛田新地やその他の廓、女郎街の存在は知っていて、歩いたこともある。しかし、飛田も含め、現代では、廓ではなくて売買春が公然と行われている「風俗」と法律上は区分されている形態、地域であろう。そういった都会の「合法的」な営業形態とは遠く離れた地方でも「風俗」はあって、そこに働く女性は日本人でないことも多い。著者によれば東欧などからヤクザのコネクションで連れて来られた女性も多いという。日本も「性的人身取引」の当事国であったのだ。
著者の調査、データは日本語版の出版から20年以上前のものもあり、古いと思わされる。しかし、調査自体が、南アジア、南欧、東欧、東南アジア、アメリカと世界各地に渡り、その調査を裏付ける公式な統計、メディア、学術論文などを渉猟し、調査の実態を客観的に裏付けるのに数年も費やしているからだ。英語版の原著は2009年であり、翻訳者の原著の正確性、信頼性を確認しての12年後出版となった労苦がしのばれる。それくらい、大著で重要な仕事なのだ。
インド、ネパールでは子どもたちが親の債務の担保として、あるいは売買の対象として売られていく。強制売春させられるムンバイなどの大都会では、驚くほど安い値段で毎日何十人もの男性の相手をさせられる。病気や暴力にさらされ、多くが長くは生きられないだろう。性的ではないが、男の子は臓器を取られるだけ取られ、死体は闇に葬られる。現代社会にこのような非道があっていいのかと驚き、怒りが湧いてくるが、供給は需要があるからこそ成り立つ。それは、世界中どこでも変わらない。しかし、著者も指摘する通り、陸路の移動が可能、便利である場所から「商品」は調達されることが多い。タイの売春宿にはタイ奥地の村のほかラオスやビルマなどから、イタリアやバルカン半島には東欧や旧ソ連圏、西欧ではアフリカのナイジェリアからも「稼ぎに」来ているという。
東欧、旧ソ連圏からイタリアなどへ供給される「性商品」は、モルドバなど貧困国がもちろん多い。仕事がない、生計が成り立たないと被害者が一旦モルドバに帰国しても、出国、再び性産業に従事することも多いという。貧困が解消されないと解決できない問題でもあるのだ。
それにしても、著者が聞き取った彼女らの境遇には絶句する。13、4歳で無理やり、縫製などの仕事があると騙され、親が現金を得るために、全く知らない土地へ移され、そこでの暴力、幾度もの強姦、怪我や病気の手当てもなく、いつまでも「借金を返せてない」と脅かされる。そこでは医療的に十分ではない中絶や、産み落とした子どもがどこかへ奪われるというのもある。この世に希望は一切ない。しかし、それを聞き取り、明らかにするために著者は辛抱強く、調査を重ね、そして著した。
「(世界の)売買春」でもなく、「性奴隷の実態」でもなく、「性的人身取引」。サブタイトルに「現代奴隷制というビジネスの内側」に著者の意図するところは明らかだろう。現代社会では「奴隷」は冷酷なビジネスなのだ。そして、その奴隷になるのが多くの年はもいかない女性たちであることに、怒りと諦観と、でもなんとかしたいという思いを感じる。そのためには実態解明がまず必要なのだ。
もう、買うな。
(『性的人身取引 現代奴隷制というビジネスの内側』はシドハース・カーラ著、山岡万里子訳、明石書店、2022年刊)