kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

まさに「進化する伝説」 シルヴィ・ギエム

2007-12-23 | 舞台
上野水香というダンサーはおそろしく小顔なので小柄なイメージを勝手に持っていた。しかし初めて見た躯体はロシアやドイツのダンサーほど大柄ではないが、日本人の中で小柄というわけではないし、180度以上開く足といい、男性ダンサーの腕を掴まえそこなうほど長い手を見ていると小顔のと全く正反対に大きな出で立ち、を感じた。東京バレエ団所属の上野が今回プリンシパルを演じたのはカルメン。美貌かつ妖艶な姿態に男たちが惑わされ、そして嫉妬にかられた男に刺され命を落とす筋書きはあまりにも有名。その妖艶なカルメンを水野が演じ、見る前は意外な気もしたが水野のあの長い体躯は男を惑わせるに十分な色香を放っていたように感じた。
しかし今回の公演の観客のお目当てはもちろんシルヴィ・ギエムである。水野よりはるかに長い間トップダンサーとして君臨するギエム見たさというのが筆者の眼目でもあったからだ。演目は古典作品からは「椿姫」の一幕より(パ・ド・ドゥ。もちろんノイマイヤーの振り付けであるので「現代的解釈」が施されているそうである。)、コンテンポラリーがマリファント振り付けによるソロの「Two」とマリファントと踊った「Push」。まだまだバレエ・ダンスに疎い自分としてはコンテンポラリーはよいと思えるときとそうでない時がある。今回も二人で踊った、というか、ギエムがいわゆるリフトでなく、盛んにマリファントに乗っかる不思議な振り付けだ、「Push」より、ギエムがほとんど腕と上半身だけで表現する「Two」のほうがよかった。ダンサーは結局筋肉の塊であるというのが「Two」でよく感じられた。両腕を差し出し、回し、引くギエムの肉体は腕だけで踊っているのではない背中や肩、腰の筋肉が緊張し、うねっているのが見える。無駄な動きがないというのは、こういうことなのだろう。そしてそれができるのは鍛え上げられた肉体と通常の人以上に長く、自在に動けるギエムの両腕によるものにほかならない。
あの肉体と表現力を維持するためにどれほどの訓練とレッスンを重ねてきたであろうか素人にはおよそ測りしれないが、少なくともこれは言えるだろう。ギエムの古典作品をもっと見たくなるということを。それが完璧なダンサーであるギエムへの信望の証であることを。
東京バレエ団の全国縦断公演ということでプログラムには、群舞のファンキーな作品「シンフォニー・イン・D」もあった。シンクロナイズドスイミングを陸の上でしたならおそらくこうだろうというとても楽しい作品。若いダンサーたちも挨拶の時肩で息をしていた。躍動感とチームワークのコラボに喝采。
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ロシア社会の現実を映す     この道は母へと続く

2007-12-02 | 映画
子どもの成長物語を取り上げた作品は数多い。また、子ども特有の?執念をもって夢を成し遂げる物語も枚挙にいとまない。しかし子どもの成長映画と言えば、大人の女性を描けないイスラム世界の映画か、中国映画。ハリウッドでは旧作でスタンド・バイ・ミーもあるが、本作はむしろ貧困や親のない子の成長と自立、そして冒険も描くディケンズもの  デイヴィッドコッパフィールドやオリバー・ツイスト   の部類であろう。
そしてロシア映画というのが珍しいし、結局はワーニャの思いが通じるという意味ではハッピーエンドであるが、社会主義崩壊後のロシアを描いている本作は結構‘キツイ。
ワーニャ(イワンというロシアの典型的な名前の愛称)は孤児院で育ち、イタリア人夫妻に養子として迎えられようとしている。社会主義崩壊後、孤児院で育つ子どもが増える中、子どもを外国人に斡旋して多大な手数料をせしめる輩、「養子」として斡旋しているが、臓器移植の「部品」として選択されている事実もほのめかされ、身よりのない子どもの前途が多難であることを示している。しかし明日のない孤児院から出る方法はこれしかないのだ。ワーニャより先に養子に出されたムーヒンの母親が突然孤児院に会いに来、その後自殺してしまうのを機に産みの母への思いを募らせるワーニャ。養子に行くことを拒むワーニャに「仲間の明日を奪う気か」と脅かす年長。そう、孤児院に住まう年長組はアルバイトの外窃盗や売春で稼いでいる。その明日のない売春生活をしていた年長のイルカが、ワーニャの思いを受け止め、字を教え、脱出の手助けをしてくれるのだが。
国家体制が急変した後の社会は病みつくしている、というのが現実ではある。特に社会主義経済から資本主義経済・市場主義経済へ移行した場合は。ロシアも例外ではない。マフィアの暗躍もある。貧富の差の拡大で親に育ててもらえない子どもが急増しているという。その子らの行く末は路上生活、犯罪、売春や薬である。そこから逃げ出す希望の道が言葉もわからない外国人夫婦の養子(「部品」の場合ももちろんある)とは。
画中、ワーニャはホームレスとおぼしき少年らによって強盗の目に遭う。その少年らもアル中気味で、もはや長い人生は望めない。これがロシアの現実なのであろう。
豊かになった、とされる社会、好調とされるロシア経済。現実は自殺、行き倒れの激増、そして低年齢化する売春。プーチン人気はとどまるところを知らず、大統領降板後も院政を敷くのではないかとされる下院選も間近。若者がプーチン支持にうかれる姿は、格差の矛盾を作り出した張本人の小泉純一郎前首相を郵政選挙で大勝させたワーキングプアのこの国の若者の姿にだぶる。
チェチェン紛争では強権を発し、さらなる移民や貧困層を作り出しているプーチンへの批判と見ることはロシア映画の不自由性からは難しい。
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