上野水香というダンサーはおそろしく小顔なので小柄なイメージを勝手に持っていた。しかし初めて見た躯体はロシアやドイツのダンサーほど大柄ではないが、日本人の中で小柄というわけではないし、180度以上開く足といい、男性ダンサーの腕を掴まえそこなうほど長い手を見ていると小顔のと全く正反対に大きな出で立ち、を感じた。東京バレエ団所属の上野が今回プリンシパルを演じたのはカルメン。美貌かつ妖艶な姿態に男たちが惑わされ、そして嫉妬にかられた男に刺され命を落とす筋書きはあまりにも有名。その妖艶なカルメンを水野が演じ、見る前は意外な気もしたが水野のあの長い体躯は男を惑わせるに十分な色香を放っていたように感じた。
しかし今回の公演の観客のお目当てはもちろんシルヴィ・ギエムである。水野よりはるかに長い間トップダンサーとして君臨するギエム見たさというのが筆者の眼目でもあったからだ。演目は古典作品からは「椿姫」の一幕より(パ・ド・ドゥ。もちろんノイマイヤーの振り付けであるので「現代的解釈」が施されているそうである。)、コンテンポラリーがマリファント振り付けによるソロの「Two」とマリファントと踊った「Push」。まだまだバレエ・ダンスに疎い自分としてはコンテンポラリーはよいと思えるときとそうでない時がある。今回も二人で踊った、というか、ギエムがいわゆるリフトでなく、盛んにマリファントに乗っかる不思議な振り付けだ、「Push」より、ギエムがほとんど腕と上半身だけで表現する「Two」のほうがよかった。ダンサーは結局筋肉の塊であるというのが「Two」でよく感じられた。両腕を差し出し、回し、引くギエムの肉体は腕だけで踊っているのではない背中や肩、腰の筋肉が緊張し、うねっているのが見える。無駄な動きがないというのは、こういうことなのだろう。そしてそれができるのは鍛え上げられた肉体と通常の人以上に長く、自在に動けるギエムの両腕によるものにほかならない。
あの肉体と表現力を維持するためにどれほどの訓練とレッスンを重ねてきたであろうか素人にはおよそ測りしれないが、少なくともこれは言えるだろう。ギエムの古典作品をもっと見たくなるということを。それが完璧なダンサーであるギエムへの信望の証であることを。
東京バレエ団の全国縦断公演ということでプログラムには、群舞のファンキーな作品「シンフォニー・イン・D」もあった。シンクロナイズドスイミングを陸の上でしたならおそらくこうだろうというとても楽しい作品。若いダンサーたちも挨拶の時肩で息をしていた。躍動感とチームワークのコラボに喝采。
しかし今回の公演の観客のお目当てはもちろんシルヴィ・ギエムである。水野よりはるかに長い間トップダンサーとして君臨するギエム見たさというのが筆者の眼目でもあったからだ。演目は古典作品からは「椿姫」の一幕より(パ・ド・ドゥ。もちろんノイマイヤーの振り付けであるので「現代的解釈」が施されているそうである。)、コンテンポラリーがマリファント振り付けによるソロの「Two」とマリファントと踊った「Push」。まだまだバレエ・ダンスに疎い自分としてはコンテンポラリーはよいと思えるときとそうでない時がある。今回も二人で踊った、というか、ギエムがいわゆるリフトでなく、盛んにマリファントに乗っかる不思議な振り付けだ、「Push」より、ギエムがほとんど腕と上半身だけで表現する「Two」のほうがよかった。ダンサーは結局筋肉の塊であるというのが「Two」でよく感じられた。両腕を差し出し、回し、引くギエムの肉体は腕だけで踊っているのではない背中や肩、腰の筋肉が緊張し、うねっているのが見える。無駄な動きがないというのは、こういうことなのだろう。そしてそれができるのは鍛え上げられた肉体と通常の人以上に長く、自在に動けるギエムの両腕によるものにほかならない。
あの肉体と表現力を維持するためにどれほどの訓練とレッスンを重ねてきたであろうか素人にはおよそ測りしれないが、少なくともこれは言えるだろう。ギエムの古典作品をもっと見たくなるということを。それが完璧なダンサーであるギエムへの信望の証であることを。
東京バレエ団の全国縦断公演ということでプログラムには、群舞のファンキーな作品「シンフォニー・イン・D」もあった。シンクロナイズドスイミングを陸の上でしたならおそらくこうだろうというとても楽しい作品。若いダンサーたちも挨拶の時肩で息をしていた。躍動感とチームワークのコラボに喝采。