kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

女性も、移民も関係ない。音楽で繋がる、繋げる「パリのちいさなオーケストラ」

2024-10-15 | 映画

音楽のことはとんと分からない無粋人にて音痴の筆者だが、「音楽で世界は変わらないが、人を変える力はある」と信じられるような快作だ。女性の指揮者が6%、フランスに限れば4%なんていうのも知らなかったし、作品のモデルとなったザイアとフェットゥマ姉妹が学んだ1990年代でも女性差別がひどかったことも。

アルジェリア出身でパリ郊外のパンタンに住まう二人は、パリ中心部の富裕層が学ぶ音楽院に編入。そこではあからさまに女性差別、地域(移民層が多い)差別に遭う。しかも姉のザイアはこれまで取り組んできたヴィオラではなく指揮者志望。「女性は指揮者になれない」言い放つのは、男子学生だけではない、学校の教員も、のちにザイアを鍛えることとなる世界的指揮者のセルジュ・チェビリダッケも。嫌がらせに揶揄、恣意的な評価。二人を阻む壁は「女性」「移民」「居住区」と幾十にも張りめぐらされる。しかし、負けなかった。地域で障がいのある子どもたちに音楽を教えるなど、徐々に仲間を増やしていく様は、希望が広がり、増える様そのものだ。

チェビリダッケがザイアに言う。「(指揮者が孤独だなどと)言っている間は、演奏者たちと一体化していないからだ。一体感を感じれば音は変わる」と。この辺は、音楽(家)の世界に疎く、その精神性がすぐには理解できない朴念仁には遠い世界でもある。しかし、何らかの差異をわざと言い立てて、差別に転化する言説や行動に対する有効な反撃は、その差異を無効化する実践と共感でしかないというのは分かる。「女性だから」の「だから」の前に入る様々な決めつけは、そこに自分は入らないと思う臆病者の逃げ道でしかない。

ザイアはやがて交響楽団結成を思いつく。そんな地区で、練習場所は、資金は、団員は?の幾つもの困難を乗り越えていくうちにザイアも音楽家として成長していくが、これは全て史実なのだ。

作品が終始メロディに溢れているのが心地よい。楽団名は「Divertimentoディヴェルティメント」(「娯楽」、「楽しみ」または「嬉遊曲」。本作の題でもある。)。モーツァルトの作品が有名だそうだが、このディヴェルティメントほか、作品の前後を締めるボレロがいい。単調に思える楽曲はじれったくなるほどの遅さで楽器が増えていく。本来はフルートで始まるそうだが、本作ではザイアの盟友ディランがクラリネットで参加して大団円。自信をなくしていたザイアは再び、指揮台に立つ勇気を得て、姉妹はその後楽団結成、フランス全土で活躍する。上映中次はどんな楽曲が流れるか楽しみで仕方なかった。

ところで、同時期上映されているフランス映画の「助産師たちの夜が明ける」(http://pan-dora.co.jp/josanshitachi/)も優れたアンフィクショナルなドラマ。ドキュメンタリーではなく本作と同様にドラマであっても現実や歴史を描いているものには、全くの虚構は叶わないと感じた。ブラボー!

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

F1の被災地をゆく「Weフォーラム 見て、聞いて、感じて 伝えてほしい」に参加して

2024-10-08 | Weblog

福島第1原発事故により人が住めなくなった「帰宅困難区域」。字面は何度も見たが、具体的にどのような区域なのか、現状はどうなっているのか想像し難かった。それが過去に2回福島でのフォーラムの実績のある「Weの会」が区域内の入場ほか、自宅を津波で失った方と、解体せざるを得なかった方のガイドが組み込まれたフィールドワークをプランしたので2日間深い、濃いツアーに参加してきた。

1日目は、放射線作業従事者として原発関連の仕事の経験もあり、3.11時には女川原発に出張中だった今野寿美雄さん。自宅を放射能に汚染され、「公費解体」期限ギリギリに決断した。家族、子どもらとの思い出がいっぱい詰まった城を自らの決断で壊す悲しさ。今野さんはその後「子ども脱被ばく裁判(子ども人権裁判・親子裁判)」原告として、「福島原発訴訟団」ほか他の裁判の支援にも奔走する。浪江町ほか地域の現状、実情、裏側はこの人に聞け!と感じる、滑らかで分かりやすく、当を得たガイドに唸らされる。この道はどこに続き、地震当時どうだったのか、あの家は、事故前と後であの人は、あの地は…。次から次へと出てくる「福島原発事故地域掘り起こし辞典」とも言うべきまさに生き字引の趣。その舌鋒はお上やそれと一蓮托生の東電ほか企業側にも容赦ない。その地に実際に行って、目の当たりにして、今野さんのお話を聞かないと分からないことがいっぱいある。中でも今野さんが「世界一Hな場所」と名指す「福島イノベーションコースト構想」施設。Hとは水から分離する水素を指す。クリーンエネルギーにて巨大規模の産業誘致で復興、活性化とうたう。そこに元々あった建物、人の暮らしとは無縁だ。容易に軍事転用できる危険性は、経済安全保障政策との平仄も合う。ならば住民にとっては密室化し、情報公開されない。そして、原発事故も何もなかったかのように「復興」の前に過去のことをいつまでも話すなとの圧力。実際、原発事故地域に近い、大きな被害を受けた人ほど語り部が少ない、いないと言う。自ら「風評加害者」と名乗る今野さんには引き続き、このような「ショック・ドクトリン」を壊していってほしい。

2日目は、原発直近の大熊町の浜に自宅のあった木村紀夫さん。津波で父親、妻、娘を失う。特に次女夕凪(ゆうな)を探そうにも、原発事故でその区域に入ることもできず、夕凪さんの骨の一部が見つかったのは6年近く経ってから。見つかった場所などから津波に流されたのではなく、その場に遺されたからではとの疑念が。地震直後の捜索が続けられておれば助かったのではないかとの思いが強い。原発事故さえなければ。

「帰宅困難区域」は同地居住者の案内があれば入場することができる。ツアー参加者全員が名簿を提出し、スクリーニングを経て入ることができる。防護服の着用は自己判断だが、アスファルトでない土の部分は汚染度が高い可能性。マスクや手袋は汚染されたモノに触れる可能性があるため、出場後放射線廃棄物となる。草ぼうぼうの荒地の中を、対向車もない道をバスで行く。草ぼうぼうの荒地は家があったか、農地があったからなのだ。人の営みが全く消えた土地とはこういうものなのか。阪神淡路大震災では焼け野原に遭遇し、戦争で焼かれた土地とはひょっとしてこんなものかもしれないと想像したが、営みのない荒地は強制疎開させられた、やはり戦争の結果にも思える。そして谷や窪みに深く木々がしげる様は「風の谷のナウシカ」の腐海。人は近づいてはならないのだ。

木村さんの案内で、自宅のあった場所と夕凪さんの遺骨が見つかった場所へ。木村さんは自宅を再建したいし、夕凪さんの見つからない遺骨を探し続けたいと言う。小さな碑も建てられた。沖縄戦で亡くなった人の遺骨を今も探し続ける人がいる(夕凪さんの発見に繋がった具志堅隆松さん)。個人で戦争や災害その他で亡くなった人の遺骨を探す作業は、資金、道具その他の困難が多いし、限界がある。しかし、これを国など公が担うとややこしくなる。遺された個人の思いとは別に「打ち止め」の危険性があり、靖国神社に象徴されるようにクレンジングの効果(狙い)があることだ。それは再びその悲劇を甘受せよと国家の指令だ。

今野さんに案内いただいた「東日本大震災・原子力災害伝承館」が原発事故の責任に一切触れない姿勢や「コミュタン福島(福島県環境創造センター交流棟)」のなんと薄っぺらなことか。

「忘れない」「伝える」。そしてそれはしつこく。国家の前に個人のできることは知れている。しかしそれを続けることは、次の過ちを遅らせ、次代に繋げることができる。(左:「おれたちの伝承館(3.11&福島原発事故伝承アートミュージアム)」展示の立札。右:木村さん自宅近くにあるかろうじて残った漁協の建物)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする