12、3年前だろうか、初めてロンドンを訪れた時、ナショナル・ギャラリーでちょうどフランシス・ベーコン展をしていた。F・ベーコンはすでに知っていたが、あの奇妙にねじれた画風にはそれほど親近感を感じなかった。まあ、ベーコンのあの形態にいきなり惹かれるというのは、かなりぶっとんだ感性の持ち主か、変なもん好きではないかと思っていた。が、そもそもアートとは変なもんを変ではない世界に提供する営為ではなかったか。
ベーコンの作品はある意味、西洋的価値観を少しも逸脱していない。
幾度も描かれたイノケウティウス教皇像。ベーコン自身はアイルランド出身のプロテスタントで、信仰心は篤くないが、第二ヴァチカン公会議(1962-65)をかなり意識していたようである。教皇の図は、何度も描かれ、ベーコン自身はベラスケスのかの教皇像に感銘受けたから語ってもい、真相は不明だがこだわっていたのは間違いない。
20世紀美術、英国アートを代表し、その死後もさまざまな解釈にさらされるベーコンは、変なものを描き、同時にキリスト教的寓意にも目を向けていた。例えば、重ねて制作された三幅対。違ったポーズの肉体は、およそキリスト教と関係ないように見えるが、三幅対は、正面に聖母子、左右に東方三博士の礼拝、受胎告知を並べられるなどイエス誕生のお決まりの構図。ベーコンがどこまでそれを意識していたかは分からないが、3点で一まとまりの完成品とするあたり、妙に定型的ではある。しかも、ベーコンの三幅対はキリスト教の決まり事ほどではないが、十分定型的。
イノケティウス教皇を勝手に叫ばさせるなど冒涜的で、ゲイであることを表明していたベーコンは、そのねじれた作品群とはうらはらに現実世界と付き合う程度に十分謙抑的であったと思う。それは、82歳まで生きた破天荒とは正反対の人生にも垣間見られるが、ニーチェやドストエフスキーに親しんだ知性人であったばかりでなく、ピカソやマグリットの斬新性を取り入れ、また、その取り入れたことを否定する先達に対する熱心さと繊細さに表れているように思えてならない。
ロンドンで最初見た時は、正直少し気持ち悪い絵を描く人だなあ思った。けれど、人体の「神経組織」への執着(保坂健二朗東京国立近代美術館主任研究員)が、あの執拗な歪んだ身体に反映されるとき、それはまさに「絵画的に」「美しい」域に達していることを否定することはできない。それほど、ベーコンの身体解説は自然なのである、逆に言えば。
ベーコンが活躍した時代、アメリカではポロック、デ・クーニング、ジャッドなどコンセプチュアル・アート、ミニマル・アート全盛期であった。それらに反抗するかのように現実の肉体に愚直に挑んだベーコン。面白いことにベーコンは完成品と素人目には感じても「習作」と名付けている作品が多い。そう、歪んで見える、顔も潰されている、と第一印象をベーコンに突きつけるべきではない。そこにあるのは、教皇をはじめ描く対象への誠実な興味と、飽くなき完璧主義、それを裏打ちする絵画世界における具象の忠実な表現者としての矜持である。その圧倒的な印象と、その背景に触れた時、やはりベーコンは20世紀を代表する画家にほかならないと実感できる。(叫ぶ教皇の頭部のための習作)
ベーコンの作品はある意味、西洋的価値観を少しも逸脱していない。
幾度も描かれたイノケウティウス教皇像。ベーコン自身はアイルランド出身のプロテスタントで、信仰心は篤くないが、第二ヴァチカン公会議(1962-65)をかなり意識していたようである。教皇の図は、何度も描かれ、ベーコン自身はベラスケスのかの教皇像に感銘受けたから語ってもい、真相は不明だがこだわっていたのは間違いない。
20世紀美術、英国アートを代表し、その死後もさまざまな解釈にさらされるベーコンは、変なものを描き、同時にキリスト教的寓意にも目を向けていた。例えば、重ねて制作された三幅対。違ったポーズの肉体は、およそキリスト教と関係ないように見えるが、三幅対は、正面に聖母子、左右に東方三博士の礼拝、受胎告知を並べられるなどイエス誕生のお決まりの構図。ベーコンがどこまでそれを意識していたかは分からないが、3点で一まとまりの完成品とするあたり、妙に定型的ではある。しかも、ベーコンの三幅対はキリスト教の決まり事ほどではないが、十分定型的。
イノケティウス教皇を勝手に叫ばさせるなど冒涜的で、ゲイであることを表明していたベーコンは、そのねじれた作品群とはうらはらに現実世界と付き合う程度に十分謙抑的であったと思う。それは、82歳まで生きた破天荒とは正反対の人生にも垣間見られるが、ニーチェやドストエフスキーに親しんだ知性人であったばかりでなく、ピカソやマグリットの斬新性を取り入れ、また、その取り入れたことを否定する先達に対する熱心さと繊細さに表れているように思えてならない。
ロンドンで最初見た時は、正直少し気持ち悪い絵を描く人だなあ思った。けれど、人体の「神経組織」への執着(保坂健二朗東京国立近代美術館主任研究員)が、あの執拗な歪んだ身体に反映されるとき、それはまさに「絵画的に」「美しい」域に達していることを否定することはできない。それほど、ベーコンの身体解説は自然なのである、逆に言えば。
ベーコンが活躍した時代、アメリカではポロック、デ・クーニング、ジャッドなどコンセプチュアル・アート、ミニマル・アート全盛期であった。それらに反抗するかのように現実の肉体に愚直に挑んだベーコン。面白いことにベーコンは完成品と素人目には感じても「習作」と名付けている作品が多い。そう、歪んで見える、顔も潰されている、と第一印象をベーコンに突きつけるべきではない。そこにあるのは、教皇をはじめ描く対象への誠実な興味と、飽くなき完璧主義、それを裏打ちする絵画世界における具象の忠実な表現者としての矜持である。その圧倒的な印象と、その背景に触れた時、やはりベーコンは20世紀を代表する画家にほかならないと実感できる。(叫ぶ教皇の頭部のための習作)