ニースで暴走したトラックにより多数の死傷者が出たテロ事件のあった2016年7月、筆者は翌月ボスニア・ヘルツェゴビナなど旅行する予定であった。しかし、ニースの事件で不安を覚えた同行者の意向もあり、キャンセル料金が高額になる直前のタイミングで旅行を取りやめた。ちょうど前月に乗り継ぎ予定であったトルコの空港でのテロ事件の影響もあったからだ。ボスニア・ヘルツェゴビナではスレブレニツァの虐殺跡地のガイドツアーも予約していた。あれから身辺事情の変化や新型コロナウィルス感染症拡大により、残念ながら行けていない。
ヤスミラ・ジュバニッチ監督はこれまでも「サラエボの花」(2006)、「サラエボ、希望の街角」(2010)とボスニア紛争後の市民を描いてきたが、今回紛争の渦中を初めて描いた。8000人超の犠牲者を出したスレブレニツァの虐殺はどのようにして起こったのか、止められなかったのか。ドキュメンタリーではないので、フィクションと言ってしまえばそれまでであるが、映画の冒頭「本作は事実に基づく」「登場人物や会話には創作が含まれる」との断りが入る。「創作」と言っても、ジュバニッチ監督の綿密なリサーチによる迫真性で、観る者を圧倒する。それは残虐なシーンがほとんど描かれていないのに、その背後に存する恐怖が想像できるからでもある。
従来、クロアチア紛争に始まるユーゴスラヴィア内戦では、セルビア人=悪者、と単純に理解されることも多かったようだ。とくに、ボスニア紛争ではセルビア人勢力がボシニャク人(ボスニア人、ムスリム)を迫害、虐殺した構図は明らかであるからだ。そして、その理解は戦後もボスニア・ヘルツェゴビナの復興に対する西側の援助と、セルビアに対する冷淡さという構図に現れている。サラエボはある程度復興し、西側資本も入っているのに、セルビアの首都ベオグラードはそうではない現実となっている。そしてセルビアから分離独立したコソボをいち早く承認したのは日本を含む西側諸国であった。
実際の政治的構図はさておいたとしても、虐殺の実相は解明されなければならない。しかし、ジュバニッチ監督はセルビアの右派政治家が虐殺を否定している現実を、製作する上での大きな障害だったと明かしている。スレブレニツァの虐殺は全てのボシニャク人にとって大きなトラウマとしつつ、映画はセルビア人に対する責任追及や弾劾となっていない。そこで描かれるのは、アイダという一人の国連通訳が自分の家族を守るため奔走する様と、国連本部の怠慢と、少ない構成で現地の緊迫した状況に対処できない国連軍(オランダ軍)の右往左往する様だ。虐殺に関し、後にオランダ軍の責任が裁判で認定されるが、あのような小さな規模とセルビア人勢力のムラディッチ将軍の奸計に対応できたかは疑問だ。しかし、おそらく国連軍が積極的に動かなければセルビア人勢力による虐殺が起こり得ることは予想できたのではないか。
実はユーゴ紛争におけるセルビア人勢力によるボシニャク人やクロアチア人に対する迫害は、歴史的にはその逆の構図があったことも見逃せない(例えば、ナチスドイツと同盟を結んだクロアチア民族主義勢力ウスタシャによるセルビア人迫害)。ジュバニッチ監督の前作「サラエボ、希望の街角」や本作のラスト、夫と息子らを失ったアイダが教職に戻り、ボシニャク人、セルビア人などさまざまな民族の子どもが一緒に過ごす姿に、憎しみではなく融和に希望を持つ監督の想いが伝わる。
共存でしかジェノサイドは防止できないのである。