kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

自分が自分であることの権利と自由   「私は、ダニエル・ブレイク」

2017-03-27 | 映画

近年の作品からケン・ローチも好々爺となったかなど揶揄してしまったが、80歳になったローチがいったん映画から身を引くと言ったのに「怒り」故に本作を制作したということに、ケン・ローチが帰ってきた!と快哉を叫びたい作品となった。

そして「マイ・ネーム・イズ・ジョー」以来の労働者・貧困層ものの傑作と言いたい。傑作と言ったが、ストーリーはきつくエンディングは悲しい。

59歳の大工ダニエルは、医者に仕事を止められ、働くことができない。雇用支援手当を受けようと政府が民間委託した就労支援機関で「働ける」と認定され、手当てを打ち切られそうになる。その機関担当者たるや医師でも看護師でもない「医療専門家」。手当てを継続して受給しようとするためには、就労の意欲と活動を示さなければならない。しかし継続申し込み受付はネットのみ、担当者からの電話を待たなければならない。ネットが、グローバルにつながれる(という幻想の)分、個々のつながりや「お世話様」的、隣人的つながりを破壊したことは言うまでもないが、何十年も現場で大工をしてきたダニエルにネットは使えない。一方、機関で時間を護らなかったと追い返されるシングルマザーのケイティとその子どもと親しくなるダニエルは、生活に潤いを感じる。

しかし、貧困にあえぐケイティはフードバンクで極度の空腹で配給中に缶詰を貪り食い、スーパーで万引きをしてしまう。スーパーの警備員からの「困っているなら、連絡を」との誘いに乗ったら、案の定、体を売る仕事を紹介される。ケイティを助けたい、しかし自身も手当てが入らず困窮していくダニエル。就労活動をしないといけないので、自身の経験を話して採用されそうになるが「病気で働けないんだ」「ふざけるな!」。

「就労支援」機関でさんざんな目に遭ったダニエルは行動に出る。「I, Daniel Brake」などと建物にスプレーで大書するのだ。そう、就労希望者番号でも、ネットで区分けされ排除され、生活保護収容者予備軍(=国家の厄介者)でもなく、「私は、ダニエル・ブレイク」だと。ダニエルの抵抗はささやかすぎて、国家政策を動かすこともないし、ダニエルに手をさしのべる者もいない。しかし、もともと通信制大学に行っていたケイティが紹介した弁護士の手で不支給不服審査が通りそうになるが。

ケン・ローチがずっと描いてきたのは労働者だ。それは、ホワイトカラーのように種々のセイフティネットがあるわけでもない、将来が不安、しかししっかり働いて、それゆえ自己の尊厳を保ってきた労働者だ。

尊厳とは何か。筆者は「自分が自分であることのできる権利と自由」と定義したい。ダニエルやケイティを追い込んだのはもちろん経済的理由であるが、その前提として、ダニエルらの尊厳を奪う制度ややり方を告発しているのだ。大工としての腕はまっとうなのに、ネットが使えない、煩瑣な書類をことごとく要求して、それらができないとダメ人間のレッテルを張る仕組み。いかにして国の福祉・恩恵を与えないと、民間委託した「機関」にあの手この手で求職者、受給者を排除する国家。

イギリスは労働者の国ではなかったか?「ゆりかごから墓場まで」の国ではなかったか。もちろんサッチャー政権で福祉国家でなくなっていた。そして、今や、ブレグジットで主要な労働力である移民を排斥しようとまでしている。

しかし、湯浅誠さんは厳しく指摘する。「ダニエルはEU離脱を支持しただろうか。たぶんイエスだ。ダニエルはトランプを支持しただろうか。たぶんそれもイエスだ。」それは、私たち一人ひとりがダニエル、ケイティのような存在を忘れ去っていたのに、それに気づかないまま、トランプが「あなたを忘れていないよ」との声かけをして、それが効いたからとする。そう、ダニエルの尊厳を奪ったのは、国家政策、その末端機関、職員であったとしても、ダニエルに声をかけなかった、ケイティに手を差しのべなかった、新自由主義か高度資本主義か呼び方はどうでもよく、その流れを欲した私たちでもあったのだ。

人の尊厳が奪われることに無関心であるのは、自己の尊厳にも無関心であること。と思う。

ケン・ローチの復活に溜飲を下げている時ではない。

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その妖しさの虜になる快感   クラーナハ展

2017-03-01 | 美術

2017年は、ロシア革命100年であるが、もっと遡ればルターの宗教改革から500年である。だから去年東京は国立西洋美術館からはじまり、現在大阪の国立国際美術館で開催されているクラーナハ展は、ルターと近しかった故の開催でもある。

しかし、クラーナハはルターと敵対していたいわばカトリック側の注文にも応えており、一筋縄ではいかない。クラーナハは1505年ザクセン選帝侯フリードリヒ賢明候の宮廷画家となり以来3代、50年近く選帝侯に仕えている。ルターの宗教改革派を弾圧する側に身を置いていたのだ。しかし、そのような「保守派」の世界に身を置き、絵画の世界ではさまざまな革新を追求したところがすごい。その革新の成功が、クラーナハの描く裸体画である。

クラーナハが裸体画を描き出したのは、宗教改革後の1520年頃以降とされるが、クラーナハが実際裸体を描き始めたのはそれより以前らしい。そもそも、クラーナハは自己の工房を大々的に発展させ、同じモチーフの画を次々に生み出す、今でいう大量生産の手法を編み出した。現代の大量生産とはだいぶ違うであろうが、絵画印刷のなかった時代、同じ画を次々に生み出すやり方は画期的であった。そしてクラーナハは早描きの名人でもあった。

妖しい裸体と微笑みとも無表情ともとれる表情。登場する裸体は、もちろん現実のものではないが、裸体画の発展が、宗教や神話にかこつけて鑑賞する者が見たいものを制作した経緯に照らせば、クラーナハの仕事はその要請に十分に応えたものといえる。その視線は常に猥雑でありながら、クラーナハの手にかかるとビーナスも、イブも、ユーディットも蠱惑的でありながら、どこかセクシャリティに欠けるのはなぜか。それは現実にはあり得ないヌードなどであるからである。例えば何度も描かれたイブを見ると、あれほど細く引き伸ばされた体躯はない。体つきは華奢で子どもっぽいのに表情は妖艶。そしておよそ隠しているとは思われない極薄のベール。16世紀の技術であのようなベールはなかったことはもちろんのこと、あれは隠すためのベールではなく、見せるため、視線を集中させるためのベールなのである。と、同時に視線の先にある、見たいもの(もちろん男性の視線だけであるが)は実はそれほど鮮明には描かれておらず、観者の想像、いや妄想に委ねている。これこそがクラーナハのうまいところで、それまでの宗教画・神話画に見られた実際にはない姿から、あるがままを写実的に描こうとするルネサンス以降の肖像画の系譜の中間に位置する、発展段階ともとらえることができる。もっとも、肖像画のすぐれた技量は、イタリアでのそれより、クラーナハの属する北方で15世紀半ばにはヤン・ファン・エイクによってすでに確立されていた。そういう意味では、宗教画・神話画から離れ、いち早く実際の肖像画が発展したのが、宗教改革を生み出した北方であり、宗教画・神話画のままさらに発展したのが、ローマ教皇の勢力下であるイタリアは16世紀半ばにティツィアーノのすぐれた画業に集約されるのも理解できるのである。

ところで、クラーナハの双璧と言えばデューラーである。デューラーの絵や版画が、ことのほか繊細、職人技でどこか近寄りがたい雰囲気まで感じさせるのに対し、クラーナハのそれは先の蠱惑的なヌードをはじめ多くは親しみやすい、というかどこか惹きつけられてしまう。しかし、その中に人間の愚かさや傲慢さへの戒めなど、聖書やキリスト教的倫理観が垣間見える。

あの妖しさに自ら虜になる快感。クラーナハの魅力は尽きることがない。

 

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