kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ディアスポラがここにも~タッチ・オブ・スパイス

2005-04-25 | 映画
イスラエル建国まで祖国を持たないユダヤの民は、ディアスポラとして世界を流浪した。そのイスラエルが英仏の政治的思惑で無理矢理できた後も(1917年、バルフォア宣言)「祖国」に居を持たないユダヤ人はいた。ユダヤ人以外にもそのような歴史の変転に無力な民は、トルコに住まうギリシャ人とて同じである。
イスタンブール(コンスタンチノープル)に住まい平穏な生活を送っていた主人公ファニスのギリシャ人一家は地中海の小島キプロスの領有権をめぐって争うトルコ・ギリシャの政争(ファニスのお父さんに退去を告げに来たトルコ入管職員は「あなたは悪くない」と言っていた)ゆえ、ギリシャへ送られる。が、トルコでの生活の長い一家はギリシャでは受け入れられない。父親がトルコの職員に「改宗すればいられますよ」と耳打ちしたのが後でわかるが、彼らは敬虔なギリシャ正教徒。「一家」と書いたが、一族郎党でギリシャへの移住を果たしたのに、ファニスが大好きだったおじいちゃんは移住しなかった。トルコ国籍も持っていたし、スパイスなどの食料品店として地元で地歩を築いていた祖父にとって、もはやイスタンブールの街角は離れることのできない故郷だったのだ。
映画構成としては無理があるようにも思えるし、あまりにたんたんとした表現にディアスポラの苦悩は見つけにくい。しかし、移民(文化)が前提の欧州で、自己の苦しい宿命と対峙しつつも希望を失わない「欧州人」(奇しくもトルコはEU入りを目指し、その「人権後進国」ぶりに反対の国家もある)の悲哀を描いたというには、作品は軽く、面白い。そして乾いている。
ディアスポラの苦しさ、やるせなさを前面に出すでもなく、穏やかに流れる作品の作りように他民族、異民族とのせめぎ合いそのものが歴史になっている、あるいは現実であるヨーロッパの人たちの知恵と諦観を見た思いがした。
それにしても「人権後進国」と言われるだけのことはしてきたとされるトルコを題材にした映画は、少なくとも日本に入ってくるのはキツい。「アララトの聖母」「遥かなるクルディスタン」など。
世界最大の少数民族クルド民族が弾圧に晒されているというのは、トルコの現実のまた一部に違いない、と思う。そして、そのような過去の清算に鈍感と批判されるトルコは、ヨーロッパ(かどうか?)一の親日国であるというのにもまた複雑な思いがする。
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フランスの至宝 エミール・ガレ展

2005-04-17 | 美術
アール・ヌーボーの装飾展はしょっちゅう開催されているので目新しくはないと思ったが、そうでもなかった。と言うのは作品数、展示の仕方、説明書きとすべて充実していたからだ。やはりデパートの催事場とは桁が違う。ただ日本各地の美術館 ー 特に長野の北澤美術館と神奈川のポーラ美術館などからの出展が多いが ー から集めたてきた展示品からもわかるようにガレの作品は日本国内に数多くある。しかし国内から集めてきただけでこのような充実したものが開けるわけではない(もちろん、海外からの作品も多い)。そこには独立行政法人化し、集客に頭悩ませてきた国立国際美術館の学芸員らの工夫が結実しているのだ。
時代ごとの区分ももちろんわかりやすいが、ガレの技法を途中の展示で解説してみせ、そこから技法ごとの作品とという配列もいい。そして、世界史の教科書にも出て来るドレフェス事件をはじめとするガレがその政治的姿勢を作品に託したとする解説も的を得ている。あるいは、折しもパリ万博前後のジャポニズム人気の中でガレがその東洋趣味をどう作品に反映させていったのかも。美術解説は複雑な思想的背景、政治的関係、歴史的意味を含有していたとしても、圧倒的に素人が多い町の美術館ではわかりやすさが、次代の美術好きをつくるリターン効果につながると思う。本展はそのような意味でも成功したのではないか。
ただ、きらびやかな工芸品は貴族趣味の典型的な残滓ゆえ、20世紀にはより機能的なデザインに取って代わられる運命であって、モンドリアンやリートフェルトなどレ・ステイルにより親しみを覚えてきた自分としてはその美しさを表現できる力がないのがもどかしい。
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生と死の狭間で~キス・オブ・ライフ

2005-04-17 | 映画
いろいろなことを考えさせられた。一つはこの作品の主要テーマである人の死はすなわち生の完全な断絶ではなく、生から死への間には、その人のやり残したことに対する重層的な想いが巡るということ。死んだはずの人間の魂が完全に天に召されず、下界に降りて来るというお話は沢山ある。「天国から来たチャンピオン」「ゴースト/ニューヨークの幻」など。「キス・オブ・ライフ」はこれらロマンチック・ファンタジーではなく死者の視線での家族への慈しみである。
夫は、ボスニア紛争の難民救援に国連スタッフとしてクロアチアにいる。妻の誕生日にも帰られないと電話で話す夫に対し、妻は夫がいない間、子どもや父親の世話などで疲れているのだ。子どもたちもまた母親のぴりぴりとした感覚を嗅ぎとっている。同じ時間を過ごし、仲睦まじかった頃の夫婦の写真を見つけた妻は車にはねられ逝ってしまう。が、すぐには逝かなかった。生きている者の視線で子どもたちを見守り、夫との日々を取り返すのだ。一方、夫は「帰れない」と言ったものの、帰国することを決断するが、紛争地域。財布を奪われ、国境までも容易にたどり着けない。が、夫もまたその間、妻との日々、家族が森で鬼ごっこをした日を愛しく憶うのだ。
いろんなことを考えたもう一つ。難民救援という人道的に立派なことをしているが、どこか家族のもとに帰りたくない、現実から逃れようと、あるいは面倒なことから逃れようとする人間のエゴと弱さ。人間はきれいごとをしているからといってもきれいごとで済まされない現実を生きている。会いたいのだけれども会いたくない、会いたくないけど会いたい。都合のいいときだけ欲することができる関係とはもはや夫婦や家族とは呼ばないのだろう。
最後に本作のヒロインがカトリン・カートリッジに決まっていたいたのにクランク・イン2ヶ月前に若干40歳で亡くなったということに感慨を覚える。そう、彼女の遺作となった「ノー・マンズ・ランド」はボスニア紛争を描いたすぐれた作品であったからだ。カートリッジに匹敵する内面的強さを醸し出す美しいのだけれどもどこか疲れたヒロインに抜擢されたのがインゲボルカ・ダプコウナイテ。あの「恋愛小説」の狂気のヒロインである。見事なキャスティングだ。
人工呼吸を意味するキ・オブ・ライフ。息を吹き返すまでの、あるいは吹き返さないまでの間、人は生と死の狭間で遺される人たちの前をきっと去来しているのだろう。
それにしても、ピーター・ミュランの出演する作品はどれもなぜこうキツイのだろうか。
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権威からの解放 「大統領の理髪師」

2005-04-09 | 映画
国際政治の場はさておき文化の点では「韓流ブーム」は当分収まりそうにない。日本で公開される韓国映画はとてつもなく増えた。中には一昔前では公開されなかったであろう駄作、凡作の類も含まれているだろう。しかし、四天王も、チェ・ジウも出ていない、恋愛ものでもない、少し厳つい顔のソン・ガンホが主演した本作品は秀作である。時は李承晩(イ・スンマン)政権が倒れ軍人である朴正煕(パク・チョンヒ)大統領が権力を謳歌した60年代~70年代末。朴政権の徹底的な民主化運動弾圧、反共政策で市井の罪なき人々が繋がれ獄死した時代。お上のすることは常に正しいと大統領官邸そばでほそぼそと床屋を営んでいた男が大統領の理髪師に迎えられ、権力の内部を垣間見、幼い息子が「アカ(=北朝鮮)狩り」の対象と囚われ拷問を受ける。そのショックで歩けなくなった子どもをおぶって国中の名医を尋ね歩くが治癒しない。しかし、朴大統領が側近に暗殺され、次の全斗煥(チョン・ドファン)大統領にも理髪師として迎えられるが、全大統領にはほとんど髪がない。それまで町の友人らが囚われ、獄死しようとも「お上は正しい」と権威に盲従してきた主人公は「もう少し髪が伸びたら散髪しましょう」と言ってしまう。そう彼は初めて権威から解放されたのだ。当然、半殺しの目に遭い床屋の前に麻袋で投げ捨てられるが、息子は歩けるようになったのだ。
時代背景はとても厳しい。61年に軍事クーデターによって政権を掌握した朴大統領は民衆弾圧を繰り返すともに、韓国はベトナムに派兵。床屋の陽気な従業員はベトナム戦争で指を失い、暗い性格となる。68年には北朝鮮武装ゲリラがソウルに侵入し、青瓦邸(大統領官邸)にかなり接近し韓国軍と交戦。この事件は軍事独裁政権を震撼させ、後のシルミド事件へとつながっていく。そのような圧政の時代に庶民はどう生き抜いてきたか。ギターやジーンズなどアメリカ文化が流入する一方で反政府的な芸術活動、執筆活動は徹底的に弾圧された。経済成長の裏には弾圧を耐え抜き、小市民であろうとする庶民の智慧が息づいていたのだ。朴後政権を握った全大統領は、民衆弾圧の手を緩めず(80年光州事件)、韓国の民衆が民主化を手にするのには金永三政権の登場を待たねばならなかった。
シリアスドラマであるのにとてもコミカルで笑いが絶えない本作の魅力は、JSAで主役たる北朝鮮兵士を演じたソン・ガンホの演技によるところが大きい。四天王のような甘いマスクもなく、ダサイそこいらのおっさんにしか見えないガンホは、韓国では実力ナンバー1とも言われる。そのガンホに誘われ、下町のおかみさんを演じたのは、オアシスでその圧倒的な演技力を見せつけたムン・ソリ。本作では少し出番が少なかったのがさびしかったが、子役らもよく、純愛ものに疲れた韓国映画ファンにはとてもオススメだ。
時代背景はできるだけわかった上で見た方がより楽しめるし、韓国文化ががなぜ今元気であるのかは「民主化」を自分らで成し遂げ、勝ち取ってきた歴史によるところが大きいのがよくわかる。一方「民主主義国家」を標榜する日本に元気がないのは、この「民主主義」を自ら勝ち取った経験がないからとは言い過ぎだろうか。
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共生、共同プロジェクトの成功  ベルリン・フィルと子どもたち

2005-04-03 | 映画
バブルの頃、日本では企業が芸術振興に力を入れるメセナが流行ったものだが、景気が悪くなり、すぐには企業利益に結びつかない芸術に金をかける余裕はなくなってしまった。公もまた然り。ゼネコンの出番とばかりに立派な文化施設をあちこちに造ったのはいいが、どれも閑古鳥が鳴き、今や国立美術館さえ独立行政法人化、地方の美術館などにいたっては閉館止むなしのものさえある。
東西ドイツ融和の桎梏の象徴ベルリンは、壁崩壊後建設ラッシュに湧いたが、同時に貧富の格差が拡大し、高失業率、移民のスラム化などの問題も抱える。そのような貧困層、移民層の子どもたちは自信を持てず、新たな貧困層を再生産しかねない。自信を持てない彼らが友だちとのぺちゃくちゃ話、薄ら笑いで「真剣さ」から逃れようとする姿は仕方ない。しかしこれまで「年齢や能力、文化的背景が異なる人々が一緒に踊る」というダンス・プロジェクトを数々成功させてきた振付師のロイストン・マルドゥームは容赦なく子どもたちに「真剣になれ、君たちにはパワーがある」と叱咤する。自信のなかった青少年らは次第に真摯に向き合い、本番になる頃の彼らの動きは本当に美しい。世界でも最高峰の技術を誇るベルリン・フィルとこの250人もの素人のコラボレーションを企画したのは芸術監督兼首席指揮者のサー・サイモン・ラトル。彼は地面から湧き起こって来る力を表現(春の祭典)しようと細部まで完成度の高いものを求め、それに応える楽団員の姿は凛々しくさえある。ラトルは言う。「芸術はぜいたく品ではなく、必需品だ。空気や水と同じように生きるために必要だ」と。
廃墟となったサラエボの街でヨーヨー・マが渾身のセロを奏でたように、生きるために必要な芸術に気楽に出会えるベルリン市民は幸せだ。
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