kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

憎しみを癒す安全な場所とは  ライファーズ~終身刑を超えて

2005-09-25 | 映画
坂上香さんの仕事に初めて興味を持ったのは、少年法が厳罰化の方向へ「改正」されようとしていた4、5年(改正自体は01年4月)前一つの論考を認めた際に、坂上さんが「リストラティブ・ジャスティス(restorative justice=修復的司法)」を紹介していたものに接してからだった。この間、坂上さんはテレビ作品でエイズと生きる家族や犯罪更生施設、死刑囚など他に光の当たらない人々を丹念に描き、プロデューサーとして確実に業績を残してきた。その坂上さんが10年前からアメリカにおける受刑者の社会福祉施設「アミティ」に通い、ライファーアズ(終身刑もしくは無期刑受刑者)の「更生」を描いたものだ。
まず、刑務所の中にカメラが入り、ライファーズにインタビューしたり、ライファーズの仮釈放審議会も映すことができるなど、その開放度に驚く。そう、アメリカの受刑者は州によってもちろん差はあるが、電話をかけることができたり、自室に電気製品や写真など好きなものを持ち込んだり、受刑者同士交流することができるのだ。そして、アミティの活動は看守抜きの状態で行われると。
こんな風に紹介すると、だから出所者の再犯が多いのだ、受刑者を甘やかせるな、との思いを持つ人もいるだろうが、アミティで更生プログラムをきちんと受けた受刑者の再犯率はそうでない受刑者より3分の一も低いと言うのだ。そう、そもそもアミティのプログラムに耐えられない、あるいは最初から受けない人の更生はやはり難しいのだろう。
アミティのプログラムは、セミナー形式をとり、自己のことを話すことが中心である。強盗、殺人や度重なる薬物使用など重篤な罪を犯した受刑者は、幼い頃からさまざまな暴力を受けて育った人が多いというのは精神医学の今では常識だ。安全な幼少時代を過ごしたことのない彼らは他者にたいする慈しみ、想像する力が大きく欠けている。親や周りの大人に殴られ、レイプされ、時には犯罪の片棒を担がされてきた彼ら。彼らは一度として「安全な場(sanctuary)」を経験したことがないのだ、サンクチュアリこそ彼らに必要と説くのは、自身薬物で服役経験のあるアミティ創設者のナヤ・アービター。
自身の辛い過去と向き合い、それを語り、他者に聞いてもらうことによって得る安心とは。私たちの日常生活の中でも、自分一人胸に秘めて辛い思いをすることはある。誰かにシェアしてもらって楽になることはあるだろう。それがまして幼少時代の虐待経験であれば、そもそも告白するまでが大変だろう。そう、アミティのセミナーは聞くことから始まる。何度も何度も言いづらいことを語る同じライファーたち。その中で徐々に自分も話せるようになるのだと。
セミナーには危険が伴うと考える向きもあるかもしれない。そう、アメリカで発祥し、日本でも一部流行っている「自己啓発セミナー」というシロモノだ。高額の受講料が吸い上げられることで問題となったセミナーもある。
確かに、自己の解放のために大事な、あるいは恥ずかしい胸の内を吐露することは勇気が必要であるとともに、ある種の危険さもつきまとう。しかし、アミティは受講料を取っているわけではないし、アミティ自身出所者の再就職など抱える課題は多いと言う。そして、アミティの運営を担っているスタッフはもともとライファーズばかり。アメリカ全土へ広がるのは容易ではない(現在アリゾナ、カリフォルニア、ニューメキシコの3州に10の施設)。
しかし、犯罪が決してなくならない社会において受刑者の更生は避けて通れない人類の課題であるはずだ。厳罰化によって犯罪が減ると考える向きもあるだろう。しかし、厳罰化によって犯罪が減ったという統計はない(死刑を廃止しない日本で殺人が激減しているわけではない)。アミティのような試みは長く手間ひまがかかる。ただし、矯正施設の環境があまりにも違う日本では難しいのではと坂上さんも話しておられた。
第一級殺人罪で25年も刑務所に入っているライファーズのレイエス・オロスコは、仮釈放の審判でも堂々としていて、なかば悟りの人にさえ見える。彼のおかげで立ち直った、被害者への想像力が持てたと話す元受刑者も多い。彼の仮釈放を押しとどめたのは、前回は被害者家族の審議会での証言。しかしその2年後の審議会には被害者家族は出席しなかった。坂上さんも被害者(遺族)も憎しみを持ち続け、それを加害者の前で表明し続けるというのは辛いことではないかと指摘しておられた。だから欠席したのではないかと。そしてその審議会では釈放の決定を出したが、アーノルド・シュワルツネッガー知事がサインしなかったためにまたも釈放されず。シュワルツネッガー知事と言えばブッシュ大統領と大の仲良し、オーストリア時代のナチス容認発言疑惑も記憶に新しい。
アメリカ全土、世界的に見れば小さな活動ではあるが、育ってほしい憎しみの連鎖を断ち切る試み。文明の衝突ではないけれど、憎悪の悪循環が渦巻く現代世界で、人間の粘り強い、そして決してあきらめないという営みに一筋の光明を感じた。
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ロシア美術紀行5 エルミタージュ美術館その2

2005-09-20 | 美術
ニューヨーク近代美術館(MoMA)に行った際には、美術館が改装中で仮設展示ということもあってマチスの「ダンス」には惹かれたものであったが、エルミタージュに来てよくわかった。MoMAの作品があくまで習作であるということを。実は、これが見たいがためにエルミタージュまで行ったのだ。エルミタージュは都合2日費やしたが、生真面目に冬宮から展示の順番に見て回ったために新エルミタージュの2階、フランス近代美術は最後の最後になってしまった。で、出会えたのはマチスの間。ちょうど団体客が過ぎた後で、がらんとした空間に際立つ大作「ダンス」そして「音楽」。いやその前室に見(まみ)えた「家族の肖像」や「赤い部屋」で十分マチスを堪能した隣、眼前に拡がる「ダンス」。「音楽」ともどもわずか3色ほどしか使っていないのにこの表現力は何なのか。キャンパスに描く光を求めてマチスはフランスは南部へと移動し、遂にはスペインの田舎で村の踊り励む女性たち(もちろん裸ではないが)に出会い、その太陽光との見事なまでの調和に感動し「ダンス」を描いたと言う。それにしても、何たる単純明快さ、そして何たる躍動感。
マチスの絵をロシアにもたらしたのは19世紀末、革命直前までフランスを始めヨーロッパに渡航し、その蒐集熱を満足したセルゲイ・I・シチューキン。エルミタージュの遺産は、エカチェリーナ2世をはじめとする王室の蒐集癖がなしたものであるが、シチューキンの慧眼によるところが大きい。特に20世紀美術は。シチューキンのコレクションはマチスにとどまらず、まだヨーロッパ画壇で評価もされていなかったマチスをはじめ、セザンヌやドガなどを買い漁っていたという。
サンクトペテルブルグからはヨーロッパはやはり近いのだろうか。このような膨大な美術品を運ぶなど、陸続きの利点かとも思うが、エルミタージュにも陳列されているエジプト美術、ギリシア美術も海を隔てた大英博物館にたくさん収められている。要は時の権力と財力と、そして収集熱なのであろう。
至極当たり前のことであはあるが、美術作品の中には運べるものと運ばないものがあって、運べないものはそこまで行って見なければならないし、また、運べるものであってもそこにあるからこそ見る価値があるというものもある。運べないものの典型は古代遺産、教会美術であり、運べるもの代表格は19世紀のフランスをはじめとする印象主義であろう(前者はウフィッツィなどフィレンチェの美術、後者はオルセー美術館の作品群を見よ)。エルミタージュは建物はもちろん運べないし(ルーブルもメトロポリタンももちろん運べない)、その優雅な内部建築の一端さえも運べない。さらに言えば、作品の状態によるところが大きいがルネサンス美術は500年もたった現在運搬しないほうがいいだろう。エルミタージュに展示されている17、8世紀以降の多くの作品は運べるかもしれないし、「ダンス」も日本に持って来ることも可能かもしれない。けれど、美術鑑賞という受け身としての美への関わり方は、その美のあるところにこちら側が手間ひまかけてたどり着くというのが本来の姿ではないだろうか。そのたどり着く過程の中で、美術とは、その時代のその国/地域の美(術)意識とは、それを描いた作者の意図や背景とはと考えてはじめて触れる作品には、例えようのない美しさを感じることができる、と思える。
エルミタージュは遠い。観光立地としてのロシアにはまだまだ不便さもつきまとう。けれど、見てみたい、見てほしい。「美の殿堂」とはそこまで行かなければ決して体験できないということを説明できないと自覚するために。
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ロシア美術紀行4 エルミタージュ美術館その1

2005-09-19 | 美術
収蔵作品数だけならルーブル、メトロポリタンを凌ぐ300万点を要するエルミタージュ美術館は文句なし、世界屈指の規模である。最初にそのような世界的規模の美術館であるのに、洗面所の数が少ない、レストランがない(お粗末なカフェがあるだけ)、チケットブースが少ないなどインフラが整っていないという不満を述べておこう。しかし、それでも一度は行って見なさいとすすめたい。
まず、その巨大な建築群。「群」と記したのは、同館がピョートル大帝の娘エリザヴェータ・ペテロヴナ女帝の時代にコレクションがはじまり、エカチェリーナ2世の時代に一気に増えた収蔵品のため、冬宮から、小エルミタージュ、旧エルミタージュ、新エルミタージュ、エルミタージュ劇場とおよそ100年をかけて規模を拡大していったからである。
規模に圧倒されて、その内部を一々見て回る余裕などないが、18世紀の建築家バルトロメオ・フランチェスコ・ラストレッリや彫刻家B・カルロ・ラストレッリといった偉大な造形作家の大胆かつ優美なデザインに引き寄せられる。ロシア建築特有の壁や柱、窓枠に金箔をふんだんに使っているのに少しもくどい感じがしない。むしろ巨大な建築物を引き締めているようにさえ見える。洗面所が少ないものであるから、同じ階段、回廊を行ったり来たりしたが、何度見ても飽きない洗練の極みである。
収蔵作品の見所はいくつもある。まずレオナルド・ダ・ヴィンチ。イタリア・ルネッサンスの作品は多いが、「聖母子(リッタのマドンナ)」「花を持つ聖母子」でダ・ヴィンチの才能に感嘆していたら、フィリッポ・リッピやラファエルロの作品も同室にあり声を失う。
16世紀はティツィアーノと17世紀のレンブラントの「ダナエ」対決。各地域ごとに展示が分けられており、一度見たものに引き返すのは大変だが引き返したくなるほどに、それぞれの筆致を比較して楽しみたいという欲求にかられる。ネーデルランドではブリューゲル(子)の「東方三博士の礼拝」、スペインのエル・グレコは「使徒ペテロとパウロ」、フランドルではルーベンスの「地と水と神の結合」など、聖書やギリシア神話のストーリーを少しかじっているだけでも十分楽しめる場面が、これでもかと押し寄せて来る。回廊の天井とそこかしこに陳列してある彫刻に見とれていたら先に進めないのが難だ。(つづく)  画像はレンブラントの「ダナエ」
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愛の乾いた応援歌  メゾン・ド・ヒミコ

2005-09-18 | 映画
セクシュアル・マイノリティ映画(と私が勝手にカテゴライズしている)のいい作品を思い浮かべるとまず「苺とチョコレート」(93年 キューバ/メキシコ/スペイン)。実在の事件を取り上げた「ボーイズ・ドント・クライ」(99年 アメリカ)、少年の成長を描く「ぼくのバラ色の人生」(97年 ベルギー/フランス/イギリス)、イギリス寄宿舎ものの「モーリス」(87年 イギリス)など。アン・リーの「ウェデイング・バンケット」(93年 台湾/アメリカ)や実在の画家と作家の結ばれぬ恋を描いた「キャリントン」(95年 イギリス/フランス)も優れた作品だ。「ボーイズ」や「キャリントン」は悲劇的結末だがそのどれもがカラリとしているように思える。そう、乾いた感じ、が外国作品には多い。
乾いた感じ、という面では卑弥呼のカレを演じる春彦(オダギリジョー)のクールさが光っているからかもしれないが、ヒミコの住人はみんな湿気をまるきり抜いた笑いに包まれている。ゲイを描く時にキーワードにされる「孤独」と「連帯」は、セクシュアル・マイノリティに限らず人間誰しも向かい会わなければならない試練だ。しかし、ゲイはホモフォビア(同性愛嫌悪)とたたかわなければいけないし、ずっとたたかい続けるには笑いも必要だ。
高齢社会のこの国で老いた者たちが、自分らにふさわしい、支え合うホームをつくろうという試みは北欧やカナダを参考にした面もあり、女性だけのホームもできてはきている。しかし、ゲイはどうすればいいのか、家族にカムアウトしていなかった場合は特に。映画ではこれら老いたゲイの直面するさまざまな問題を挿入しつつ、ホモフォビアであった沙織(柴咲コウ)が住人と触れ合ううちに次第に心開いて行くという展開。が、ホテルの館主、卑弥呼(田中泯)は母と自分捨てた身勝手な父として赦せない。その卑弥呼も死の床につき、ホテルもどうなるのかという結末。
癌で逝く卑弥呼役に田中泯はぴったりくるのだが、なにせ迫力がありすぎる。しかし、病気とその深い思いを秘めた静かな立ち振る舞いは、地から湧き出るエネルギーを舞踏で表現する田中ならではのものと快哉。
「ジョゼと虎と魚たち」に続き、犬童一心と渡辺あやのコンビは絶品だ。アニメとタケシばかりが光の当たる中で、難しいテーマをさらりと描く技量に今後も期待している。
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ロシア美術紀行3 ロシア美術館

2005-09-11 | 美術
サンクトペテルブルグ出発の最終日の午後に時間があったため行ってみたが、およそ半日で見られるような規模ではない。以前エルミタージュのロシア部門にあった作品を集めた同館はもともと旧ミハイロフ宮殿であったそうで、宮殿であるからとてつもない規模なのはあたりまえ。ロシア美術が日本で紹介されることはめったになく、ロシア正教特有のイコン画が多く、興味深い。イコンは偶像崇拝の象徴であり、教会を訪れる字の読めない信者が一目見て内容を理解するための表現力が要請され、自然聖母子などのわかりやすい表象が多い。しかし、15世紀以前の古代ロシア美術は、革命後ソ連時代の散逸や略奪もあり、かなりの数が集められたとは言え、その整理は十分ではない。だが、ここまで来ないと見られない貴重な作品ばかりで、ローマカソリックから放逸されたロシア正教のその美術的違いもよくわかり、どこかビザンチン様式の香りも感じられる。
ロシア美術館のコレクションは19世紀以降の近代美術のその圧倒的な数にある。18世紀後半以後ヨーロッパでロマン主義が栄えた時代には、ロシア美術にもその影が、19世紀の写実主義はロシアでも開化し、カンディンスキーやマレーヴィッチを生み出した20世紀は、シュルレアリズムはもちろん、セローフはどこかクリムトを思わせる象徴派、アルヒーボフはフォービズムとロシア美術も確実に変化を遂げてきたのがよくかわる。いかんせん、膨大な提示室群、すべてを見ることはできなかったが、特別展でちょうどシャガール展をしていた。
日本でもシャガール展はしょっちゅうしているが、どれもベラとの愛にスポットをあてたものや、素描、スケッチを並べたものばかりと物足りない気がしていたがここは違った。それもそのはず、モスクワのトレチャコフ美術館、パリのポンピドーセンター、あるいは個人蔵まで駆り集めた展示は圧巻であった。
シャガールの群青は遠くからでもすぐわかる。たいそうな人出であったけれども行ってみて価値あり。エルミタージュ以外でもサンクトペテルブルグではお勧めの美術館である。
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ロシア美術紀行2 ペテルゴフとツァールスコエ・セロー

2005-09-04 | 美術
 ペテルゴフは、サンクトペテルブルグを築いたピョートル大帝がヴェルサイユ宮殿を模して1723年に竣工をはじめた噴水の大離宮。総面積1000ヘクタールとされ、端から端まで歩くのには1日では足りない規模だ。「水の宮殿」との名もあるほど、敷地内には幾つもの工夫を凝らした噴水が設えられ、豊かな水量を誇っているが、この噴水、すべて自然の水の流れだけで噴出していると言うのであるから驚きだ。一つとて同じ噴水はなく、しげしげと見とれてしまう。宮殿内にはピョートルが招く賓客のための贅をこらした部屋の数々。おもしろかったのは、別棟にあたるエルミタージュでは、2階に食堂があり、1階で各客の好みの料理を用意し、テーブル全体が2階にせり上がる大仕掛けがなされていたことなど。離宮全体が完成するのにはピョートルの発案から200年を要したと言うが、数々の建築家が関わってきた証が今日の壮大さを誇っている。エルミタージュ美術館の裏手から高速艇で40分ほどかかるし、高速艇代、入園料、入場料など結構な出費となることに覚悟を。
 ツァールスコエ・セローはエカテリーナ宮殿と庭園、アレクサンドル宮殿と庭園などの総称。ナチス・ドイツによって破壊、略奪された美術群もすっかり修復され、2003年に再現された「琥珀の間」には団体観光客がわんさかいる。しかし、一時期ほどの混乱は終息したようで、現在では個人客も予約なしにどの時間でも見ることができる(2005年8月)。エカテリーナ1世の遺言で皇女リザヴェータ・ペトローヴナが相続し、造園を完成させたもので、ペテルゴフのような見せびらかし、散策を目的としたシンメトリーとは違い、庭は狩りに向き、森のようなところさえあるので一体どれくらいの広さなのかもわからない。列車で行くには時間や治安の点から不安のある人には地下鉄2号線「マスコーフスカヤ」駅そばのレーニン像前(というかすぐ後)から出るマルシルートカ(乗り合いバス)が便利である(k-347a)。30分ほどで宮殿が見える通りで降ろしてくれる。「琥珀の間」は黄金とは違う不思議な輝きで一見の価値あり。
ペテルゴフも、ツァールスコエ・セローもそしてエルミタージュ美術館もロシアの宮殿は、柱や壁に黄金の縁取りがふんだんになされているが、少しもくどくないのが不思議で、むしろすっきりとした感じさえ与える。これも美の洗練の一手法か。(画像はペテルゴフ)
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