「テルマエ・ロマエ」のヤマザキマリさんが、『ヤマザキマリの偏愛ルネサンス美術論』(集英社新書 2015年)で、「偏愛」の対象として紹介した基準を「なんらかの意味で『変人』だった」からと述べている。同時に、「寛容の精神に満ちたルネサンス美術は、他のどの時代の美術よりも、自分を癒してくれるもの」とまで。ヤマザキさん自身14歳でドイツやフランスなどを一人旅、そこで知り合ったイタリア人陶芸家の誘いで17歳で日本の高校を中退して単身、油彩と美術史の勉強のために留学。それからは、ずっと海外での生活。出産と同時に彼と別れてシングルマザーに、お金のために漫画を描き始めて、現在の夫は14歳下の陶芸家のお孫さん。比較文学研究者の彼についてダマスカスやカイロ、リスボン、シカゴそしてフィレンツェなどと転々としながら、日本での漫画発表を続けている。ヤマザキさんこそ、十分「変人」的人生である。
言うまでもなく、イタリア・ルネサンスは、西洋美術史の大きな転換点であるが、芸術世界だけでなく文学や哲学、科学、そして宗教と大きな変革の時代であった。今回、16年ぶりにフィレンツェを訪れて、美術以外の世界を感じることはできなかったが、改めて「神が中心」から「人間が中心」という発想の大転換があったこと、美術の世界だけだが堪能できた。
オフシーズンであったためウフィッツイ美術館もそれほど混んでいなかった。ここではヤマザキさんのあげるルネサンス変人、サンドロ・ボッテチェリ、ミケランジェロ・ブオナローティ、レオナルド・ダ・ヴィンチそしてラファエロ・サンティらの作品がところ狭しと並ぶ。混ではいないが、ボッテチェリの「プリマベーラ(春)」などは、なかなかそばに近づけない。やはり、これらの画家、そして盛期ルネサンスの作品群は傑出している。というのは、ラファエロがその頂点であるが、聖母にしろ、実在の人間にしろ、対象を「人間らしく」描いたのは、まぎれもなくルネサンスの成果であるからだ。ルネサンス以前14世紀にジョットが大成した宗教画は、物語としての画面であって、登場人物の表情に重きが置かれていたわけではなかったものを、15世紀にマンテーニャが圧縮法を、ピエロ・デラ・フランチェスカが遠近法を駆使して、絵画に深みを与えたが、まだ、登場人物の表情細部の描写にまで発展していなかったものを、ボッテチェリ以降親しみやすい作品を発表した。そこにルネサンスの巨人らの功績があり、500年経った今でも人々を惹きつけてやまない輝きを持っている。
ルネサンス以後の美術は、ルネサンスをどう超克するかに重きを置かれていたように思う。メディチ家の衰退とともに、フィレンチェでのルネサンス美術は16世紀初頭にはマニエリズムに変容していったといわれるが、しかし、それとてルネサンスの偉業を継ごうとしたゆえの作品展開であり、16世紀以降のバロック美術はルネサンスの技術革新、「人間主義」精神抜きにはあり得ないのであった。(ピエロ・デラ・フランチェスカ「ウルビーノ公爵夫妻の肖像」)