ヴァチカンはその頑迷な思想背景と、現教皇ベネディクト16世の反ユダヤ発言(ホローコーストへの距離発言といったほうが正確か)からして決して親しみが持てる存在ではない。最近もガス室はなかった発言で司教資格を剥奪されていた人物を復権させるなど醜聞も多い。国家に対して「親しみが持てる」もないものだが、ルーヴルだろうがヴィクトリア&アルバートだろうが絶対王制ゆえに成立した美術館というものは、それゆえに見逃しがたい魅力にあふれているとも感じる。
人口800人ほどのカソリックの総本山、一握りの神父らが11億人の頂点に位置するのは気持ちが悪いといえば悪い。しかし、その11億人の献金(収奪)のおかげでミケランジェロやラファエッロの大作がとてもよい状態で500年の時空を越えて、私たちの眼前に広がっていることを眼福としよう。
さて、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」やラファエッロの「アテネの学堂」ばかり有名なのは仕方ないが、見とれるのはそれらばかりではないし、ヴァチカンが集めた絵画や彫刻作品は紀元前から現代美術まで及ぶ。なかでもローマ時代の彫刻は一つ見るのに10秒もかけていられないほどその数夥しい。しかもそれそれが違う表情をしているのだ。ローマ時代の彫刻は眼球が彫られていないこともあって、どこか冷たい感じが否めないが、もちろん作品のモデルは神々なので人間味がないのは当たり前といえば当たり前なのだが。
そして絵画ではフラ・アンジェリコの「聖母子と聖ドミクスと聖カタリナ」、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」、ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」など名品も多い。なかでも一品一品ごとの素晴らしさよりも天井画やタペストリーの贅に圧倒されるのが、ヴァチカンのヴァチカンたる所以であろう。
以前訪れた時は夏であったので、うだるような暑さの中を並んで待ったものだが、今はネット予約が可能。バウチャーを先に手に入れて並ばずに入れたが、冬のこの時期並んでもたいした時間はとらなかったようだ。今回のイタリア行きでは「最後の晩餐」、スクロヴェーニ礼拝堂、このヴァチカン、そしてボルゲーゼ、クイリナーレ(宮殿)と予約して訪れることが多かった。それもWeb予約が主流。時代は変わったものだ。便利になった分だけ、いつになったら入れるのだろうとヤキモキした行列もまた懐かしい。
(ミケランジェロ「ピエタ」サン・ピエトロ大聖堂)
人口800人ほどのカソリックの総本山、一握りの神父らが11億人の頂点に位置するのは気持ちが悪いといえば悪い。しかし、その11億人の献金(収奪)のおかげでミケランジェロやラファエッロの大作がとてもよい状態で500年の時空を越えて、私たちの眼前に広がっていることを眼福としよう。
さて、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」やラファエッロの「アテネの学堂」ばかり有名なのは仕方ないが、見とれるのはそれらばかりではないし、ヴァチカンが集めた絵画や彫刻作品は紀元前から現代美術まで及ぶ。なかでもローマ時代の彫刻は一つ見るのに10秒もかけていられないほどその数夥しい。しかもそれそれが違う表情をしているのだ。ローマ時代の彫刻は眼球が彫られていないこともあって、どこか冷たい感じが否めないが、もちろん作品のモデルは神々なので人間味がないのは当たり前といえば当たり前なのだが。
そして絵画ではフラ・アンジェリコの「聖母子と聖ドミクスと聖カタリナ」、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」、ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」など名品も多い。なかでも一品一品ごとの素晴らしさよりも天井画やタペストリーの贅に圧倒されるのが、ヴァチカンのヴァチカンたる所以であろう。
以前訪れた時は夏であったので、うだるような暑さの中を並んで待ったものだが、今はネット予約が可能。バウチャーを先に手に入れて並ばずに入れたが、冬のこの時期並んでもたいした時間はとらなかったようだ。今回のイタリア行きでは「最後の晩餐」、スクロヴェーニ礼拝堂、このヴァチカン、そしてボルゲーゼ、クイリナーレ(宮殿)と予約して訪れることが多かった。それもWeb予約が主流。時代は変わったものだ。便利になった分だけ、いつになったら入れるのだろうとヤキモキした行列もまた懐かしい。
(ミケランジェロ「ピエタ」サン・ピエトロ大聖堂)