kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

イタリア美術紀行6 ヴァチカン(終章)

2009-02-15 | 美術
ヴァチカンはその頑迷な思想背景と、現教皇ベネディクト16世の反ユダヤ発言(ホローコーストへの距離発言といったほうが正確か)からして決して親しみが持てる存在ではない。最近もガス室はなかった発言で司教資格を剥奪されていた人物を復権させるなど醜聞も多い。国家に対して「親しみが持てる」もないものだが、ルーヴルだろうがヴィクトリア&アルバートだろうが絶対王制ゆえに成立した美術館というものは、それゆえに見逃しがたい魅力にあふれているとも感じる。
人口800人ほどのカソリックの総本山、一握りの神父らが11億人の頂点に位置するのは気持ちが悪いといえば悪い。しかし、その11億人の献金(収奪)のおかげでミケランジェロやラファエッロの大作がとてもよい状態で500年の時空を越えて、私たちの眼前に広がっていることを眼福としよう。
さて、システィーナ礼拝堂の「最後の審判」やラファエッロの「アテネの学堂」ばかり有名なのは仕方ないが、見とれるのはそれらばかりではないし、ヴァチカンが集めた絵画や彫刻作品は紀元前から現代美術まで及ぶ。なかでもローマ時代の彫刻は一つ見るのに10秒もかけていられないほどその数夥しい。しかもそれそれが違う表情をしているのだ。ローマ時代の彫刻は眼球が彫られていないこともあって、どこか冷たい感じが否めないが、もちろん作品のモデルは神々なので人間味がないのは当たり前といえば当たり前なのだが。
そして絵画ではフラ・アンジェリコの「聖母子と聖ドミクスと聖カタリナ」、カラヴァッジョの「キリストの埋葬」、ダ・ヴィンチの「聖ヒエロニムス」など名品も多い。なかでも一品一品ごとの素晴らしさよりも天井画やタペストリーの贅に圧倒されるのが、ヴァチカンのヴァチカンたる所以であろう。
以前訪れた時は夏であったので、うだるような暑さの中を並んで待ったものだが、今はネット予約が可能。バウチャーを先に手に入れて並ばずに入れたが、冬のこの時期並んでもたいした時間はとらなかったようだ。今回のイタリア行きでは「最後の晩餐」、スクロヴェーニ礼拝堂、このヴァチカン、そしてボルゲーゼ、クイリナーレ(宮殿)と予約して訪れることが多かった。それもWeb予約が主流。時代は変わったものだ。便利になった分だけ、いつになったら入れるのだろうとヤキモキした行列もまた懐かしい。
(ミケランジェロ「ピエタ」サン・ピエトロ大聖堂)
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チェ 28歳の革命/39歳別れの手紙

2009-02-11 | 映画
若い人はチェ・ゲバラの名前も知らずに本作品を見に行っているとか。
チェ・ゲバラの目指したものは世界同時革命ではない。キューバ革命で成功したようにゲリラ戦で地方から政府(軍)が掌握する都市への進軍という形をとっていた。ゲバラは新生キューバの大臣職、カストロに次ぐナンバー2の地位を蹴ってゲリラ戦の前線に旅立った。コンゴでの敗退からボリビアへ。ゲバラの進軍は敗れたがその死後40年経って現在ボリビアは社会主義政権下にあるのは皮肉なことである。
ところでゲバラについて、キューバ革命の立役者、カストロの右腕、キューバ政権から忽然と消え、ボリビアで戦死以外何も知らなかった筆者にもよくわかったことがある。それは1970年代以降の左翼勢力がときに実体的にゲバラの戦略を真似していたこと、山岳にこもって武闘訓練に励み、都市の権力中枢に撃って出ようとしたこと、それに見られる。連合赤軍は、日本の学生運動・左翼勢力の衰退の原因としてあそこまで過激化、仲間を殺すタコツボ化したことがあげられてきたが、その指摘は誤り。連合赤軍は日本の左翼勢力の衰退故にあのような結末に陥ったのだ。そう、すでに人民が(市民層が、でもいいが)そのような革命指向勢力を支持していなかった証なのである。
ゲバラのボリビアでの革命が成就しなかったのも、ボリビア民衆(ゲバラが拠点としたのは特に保守的(情報過疎)な村と言われる)の支持を得ていなかったからも一つの要因。コンゴでの敗退も理念としての農村開放、都市への侵攻という形態はたとえば戦後間もない頃の日本共産党の山村工作体を彷彿とさせるが(もちろん、日本共産党は1955年の6全協で「武装闘争」路線を放棄した)、中南米でのゲリラ闘争路線はニカラグアのサンディニスタ民族解放同盟やエルサルバドルのファラブントマルチ民族解放戦線(FMLN)に受け継がれ、一定の勝利を勝ち取った(しかし、サンディニスタ政権はその後右派政権に獲って代わられた。)。
また、70年代以降の日本の左翼勢力が一部の勢力を除いて武装闘争路線を放棄したが、いまだにその時代を知っている市民運動層はデモ(最近はピースウォークなどと言うらしい)でも「勝利するぞ」と連呼するなど、ゲバラの言葉を知ってか知らずか引用している。
そして、39歳で散るまで一線で活動していたゲバラは神格化までいかずに憧憬の的ともなっているのだろう。
ゲバラがカストロの元を去ったのはキューバが親ソ路線を深めたためとも言われるが(そういう意味では、ゲバラはブレジネフ・ドクトリンの東欧圧政(1988年、新ベオグラード宣言により正式に放棄)=覇権主義をいち早く糾弾していたわけであるが)、一国の革命成就のさきにゲバラは何を目指していたのかまではよく分からない。そのソ連も崩壊し、覇権主義崩壊どころか(チェチェン問題は措いておくとしても)旧連邦内の共和国の争いも激化しているのを見るにつけ、現在のようなナショナリズムの勃興をゲバラは予想したであろうか。
ゲバラ自身アルゼンチン人、カストロもスペイン生まれ。その国の未来を誰が変えていくかということと、その国の真のネイティブ性に民衆がどう固執するかという点が民主化としての社会主義革命の意義が問われているのかもしれない。アメリカで黒人の大統領が誕生し、その彼がキューバのグァンタモ閉鎖を告げる現在、誰が、どのような人物がその国を引っ張れば、より民衆が幸せななるか、ろくな指導者が輩出しない日本から憧れをもってゲバラを思い起こす。そんな作品であった。
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イタリア美術紀行5 ローマ2

2009-02-05 | 美術
ボルゲーゼ美術館は2度目である。その時も事前予約制ではあったが、まだネット予約ではなく、当日入館時間の1時間前に行って予約。1時間くらい公園をぶらぶらしてなかなかよかったのを覚えている。今回はネット予約で直前に到着。味気ないといえば味気ないが時間の節約にはなる。
ミケランジェロを超えたと言われるベルニーニの「プロセルピナの略奪」と「アポロとダフネ」は見とれる。特に「プロセルピナの略奪」は大理石とは決して信じられないくらい柔らかい。冥界の神プルートにさらわれたプロセルピナが助けを呼ぶ姿、それを押さえんとするプルートの指がプロセルピナの太ももに食い込む様はバロック彫刻を代表するベルニーニのおそらくは最高傑作。これほどまでに大理石は弾力があり、反発力があるものなのか。
そしてプロセルピナの表情。ミケランジェロの彫刻がどこかローマ的に突き放したような冷たさを内包しているのに比べ(ダビデ、ピエタなど)、ベルニーニの作品は、絶望や悲嘆を見事に表している。そこにまるで命が宿っているかのように。
バロック彫刻から、19世紀にロダンが登場するまで彫刻の世界は絵画のそれほどメジャーではない。しかし、ボルゲーゼにもあるカノーヴァの作品はベルニーニが完成させた柔らかな大理石(彫像)に成功している。カノーヴァは古代の理想の美を目指した新古典主義の大家であるが、ルーヴルにある「アモルとプシュケ」もすばらしい。が、ボルゲーゼのヴィーナス像、その寝具のマットの波打つ様はおよそ大理石ではない。
彫刻のことばかり書いてしまったが、ボルゲーゼはカラヴァッジョの名品も多い。「ゴリアテの首を持つダビデ」など、劇的な構図で魅了するカラヴァッジョの比較的おとなしいい作品は多いとも見えるが、「花かごを持つ少年」や「聖ジェローム」など見逃せないものばかりである。ほかにもクラナッハやラファエロなどルネサンス期の作品もぞろぞろ。
そして見逃せないのが館を彩る天井画。見上げ続けていると首が痛くなるが、寝ころんで満喫したい画の数々。それほど大きな美術館ではないが濃密かつ凝縮したボルゲーゼはローマに行くたび訪れたいところである。
(カラヴァッジョ「花かごを持つ少年」)
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イタリア美術紀行4 ローマ1

2009-02-01 | 美術
イタリア美術紀行 4 ローマ1
バチカンは別に取り上げることにして、今回それ以外で訪れたところを。
まず、ローマ在住のライター岩田砂和子さんがブログで書いていて(All About Italia http://allabout.co.jp/travel/travelitaly/closeup/CU20081110A/)見つけたスクデリーエ・デル・クイリナーレへ。大統領官邸の離れで一般のガイドブックには載っていない美術館。そして、岩田さんによると電話予約しないと入れないそうで、ホテルから前日電話して行ってみた。岩田さんがオススメしていた理由はちょうど、ヴェネツィア派の巨匠ジョバンニ・ベッリーニの絵画展が開催されていたから。それも会期は1月11日まで。ベッリーニと言えば、日本ではそれほど知られてはいないが、ティツアーノ、ティントレットなどの巨星がベッリーニから学んだと言われるほどの技量の持ち主。ベッリーニの技量の証は肖像画、歴史画であるにもかかわらずその細密性にある。そして今回はバチカンをはじめルーヴルなど世界中から集められて展示されているし、それも戦後初の本格的回顧展という。ミケランジェロやラファエロらの陰に隠れて(いるわけではないが)、テレビや一般的な美術本では取り上げられることも少ないが、その正確かつ柔らかい筆致は驚嘆すべきもの。大きな図録しか販売していなかったので、買わなかったがやっぱり買って帰ればよかったと後悔している。 


前回ローマを訪れたとき行かなかった美術館の一つが、ベルベリーニ宮にある国立絵画館。とても小さく、もちろん観光客も見かけない、はっきり言って職員もだれてやる気なさそう…。だが、ここでグイド・レーニのチェンチに会うとは。
ベアトリス・チェンチは、16世紀末実在の人で、父親に性暴行を受けたため、その父親を殺したかどで処刑された薄幸の少女。ローマを騒がしたこの事件は絵画の格好の題材になったに違いない。グイド・レーニは17世紀に活躍した画家で、カラヴァッジョより30年ほど前活躍した。そしてこのチェンチこそがフェルメールの傑作「真珠の耳飾りの少女」の原題となったのであるから。
後期ルネサンス、マニエリスムへ、イタリア以外の地がルネサンスを追随していた時にイタリアはもう先にすすんでいた。その象徴がいわばバロックを先取りした形でグイド・レーニが現れた。もちろん、ルネサンスと比されるだけの劇的な構図を編み出したのはカラヴァッジョである。が、古典に画題をとりながらもなおかつ現実的な表象に成功したのは、チェンチのグイド・レーニなのである。
バロック絵画をもそろえる国立絵画館にはカラヴァッジョの傑作「ホロフェルネスの首をかき切るユーディット」もある。不思議にエロティックなユーディットに惹かれてしまう本作も訪れる価値のある逸品だ。国立絵画館も侮りがたし。(ホロフェルネスの首をかき切るユーディット)
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