信仰心のない筆者が畏敬の念を覚えざるを得ないキリスト教作品がいくつかある。ヤン・ファン・エイク「神秘の子羊」であったり、ミケランジェロ「ピエタ」であったり。フランス国鉄シャルトル駅で下車し、彫刻のある公園を横切って聖堂前の広場に立ったとき、ああ、これが大聖堂の中の大聖堂シャルトルか、天を仰ぐがごとく圧倒されていたのは本当だ。そして、大聖堂の眼前に立ったとき、信者でもない自分が跪いていいものだろうかと思えるほど。そのあまりにも大きく、であって崇高な様にひれ伏したくなったものだ。クリスチャンでもない者が跪く真似なんて本当の信者に対し無礼きわまりない。しかし、天気がよいこともあって、晴天に立ちはだかる大聖堂は、あなたもマリアの慈悲を受け取りなさいと言わんばかりの(と信者でない者が勝手に思う)寛容さなのであった。
宗教的?感動はさておき、実はゴシック建築の素晴らしさを表現するのは難しい。それは一つは先代のロマネスク建築との違いを確認することであるし、あるいは、その後このような大仰なキリスト教建築がもうなされなかったことの確認でもあるからだ。16世紀宗教改革がヨーロッパを席巻するまで、強大な権力を持った教会はいわば豪奢の贅を教会(美術)につぎこんだという点で、そう、やりたい放題であった。しかし、そのひどさがルターらの奢侈を咎め、信仰本来の姿を要望することになるのであるが、それはルネサンス期に顕著になったこれでもかと教会が贅を尽くすために金集めに走った結果でもある。つまり、ゴシック期の教会建築は、それ以前のことなのだ。もちろん、信者の浄財を集め得たから、すなわち収奪したから、あのような巨大建築が成り立ったのであるが。
シャルトルに限らず、大聖堂のステンドグラスをよく見てみると、旧約・新約聖書の物語が描かれる中で、地元の信者の日々の営みもよく描かれている。たとえば、ぶどうを収穫している農民であるとか、大工や居酒屋の場面も。むろん、聖堂建築に大工は欠かせないし、ぶどうからできるワインはキリストの血であるからだが。しかし、大聖堂がその大聖堂をつくり、まもる町の人たちの信仰の中心であったとともに、営みを再確認する場であったことも確かであろう。
シャルトル大聖堂の中に入ってステンドグラスを見上げてみる。あんなに高い位置にある小さな細工を字を読めなかった中世の人が聖書代わりに読んだという説も、いやいや、中世は字の読めない人は多かったかもしれないが、聖書の教えをちゃんと知っていたのだ、だから、自分たちの日々の営みの細工も混ぜ込んだのだという説もどちらもなるほどと思ってしまう。
けれどと、思うのだ。聖書の記述は、イエスの超自然的な行いの数々(奇跡)も含めて、私たち道徳的な日常生活を望む者にとっては実に教訓的、示唆的ではないか。それが分かっているからこそ中世の人は、あのとてつもなく高い位置に煌めくステンドグラスの物語に自身の信仰を確認したのではないか。800年前のことであっても、信仰とは自己の行いを映す鏡としての役割を果たしたこともあるという点では現在と何も変わらないと思うのである。
シャルトルの崇高さはその建物にあるのではない。それを造り、何世紀をも生きながらえた剄さとそれを可能にした人々の信念が崇高なのだ。
(シャルトル大聖堂 全景)
宗教的?感動はさておき、実はゴシック建築の素晴らしさを表現するのは難しい。それは一つは先代のロマネスク建築との違いを確認することであるし、あるいは、その後このような大仰なキリスト教建築がもうなされなかったことの確認でもあるからだ。16世紀宗教改革がヨーロッパを席巻するまで、強大な権力を持った教会はいわば豪奢の贅を教会(美術)につぎこんだという点で、そう、やりたい放題であった。しかし、そのひどさがルターらの奢侈を咎め、信仰本来の姿を要望することになるのであるが、それはルネサンス期に顕著になったこれでもかと教会が贅を尽くすために金集めに走った結果でもある。つまり、ゴシック期の教会建築は、それ以前のことなのだ。もちろん、信者の浄財を集め得たから、すなわち収奪したから、あのような巨大建築が成り立ったのであるが。
シャルトルに限らず、大聖堂のステンドグラスをよく見てみると、旧約・新約聖書の物語が描かれる中で、地元の信者の日々の営みもよく描かれている。たとえば、ぶどうを収穫している農民であるとか、大工や居酒屋の場面も。むろん、聖堂建築に大工は欠かせないし、ぶどうからできるワインはキリストの血であるからだが。しかし、大聖堂がその大聖堂をつくり、まもる町の人たちの信仰の中心であったとともに、営みを再確認する場であったことも確かであろう。
シャルトル大聖堂の中に入ってステンドグラスを見上げてみる。あんなに高い位置にある小さな細工を字を読めなかった中世の人が聖書代わりに読んだという説も、いやいや、中世は字の読めない人は多かったかもしれないが、聖書の教えをちゃんと知っていたのだ、だから、自分たちの日々の営みの細工も混ぜ込んだのだという説もどちらもなるほどと思ってしまう。
けれどと、思うのだ。聖書の記述は、イエスの超自然的な行いの数々(奇跡)も含めて、私たち道徳的な日常生活を望む者にとっては実に教訓的、示唆的ではないか。それが分かっているからこそ中世の人は、あのとてつもなく高い位置に煌めくステンドグラスの物語に自身の信仰を確認したのではないか。800年前のことであっても、信仰とは自己の行いを映す鏡としての役割を果たしたこともあるという点では現在と何も変わらないと思うのである。
シャルトルの崇高さはその建物にあるのではない。それを造り、何世紀をも生きながらえた剄さとそれを可能にした人々の信念が崇高なのだ。
(シャルトル大聖堂 全景)