イギリスに行くたび「フィッシュ&チップス」を食してきた。今回本作が公開されるや、「フィッシュ&チップス」ボイコット運動が起こったというから、衝撃の大きさを物語っている。しかし、本作はナイルパーチを食べないことで解決する問題ではないことこそを示している。
「ダーウィンの悪夢」のダーウィンとはもちろん進化論の主唱者にして、自然淘汰、弱肉強食、生存競争など自然界を説明したその人のことである。進化論を認めない立場の人もいるが、少なくとも自然界においては生態系の輪とは違う不均衡な事態が起こっていることは事実だろう。
「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたアフリカ最大の淡水湖ヴィクトリア湖は生物多様性の宝庫とされていたが、ナイルパーチの放流によってその様相が一変する。ナイルパーチは大型の白身魚としてヨーロッパ、そして日本の食卓にのぼり、タンザニアの漁業関係者は豊かになる。が、豊かになったのは一部でヴィクトリア湖周辺には漁民があふれ、その漁民相手に売春婦が増え、失業や死亡、行方不明の親から捨てられたストリートチルドレンがあふれる。売春の増加はタンザニアにエイズを蔓延させ、十分な医療もないまま多くの人が羅患し、そして死に至る。売春を業とする女性たちもナイルパーチを運ぶパイロットから暴力を受け時には命を落とす。飢えと暴力、性虐待にさらされる子どもたちはナイルパーチをEUなどに運ぶプラスチック容器を熱して溶かし、その煙を吸い込み眠りにつく。
一方、ナイルパーチは強力な肉食性でヴィクトリア湖の他の魚を駆逐し、生態系を壊していく。周辺住民の食していた魚は絶滅の危機にさらされ、ナイルパーチの身は海外に運ばれるが、その残骸を食べる。大量の残骸により発生するアンモニアガスに眼を失った女性をはじめ、体調をくずす住民。仕事を失った親の子どもはストリートチルドレンに。魔と絶望の循環である。
しかしフーベルト・ザウパー監督はナイルパーチの爆発、グローバリズムがもたらす南北の経済的不均衡を撃つと同時に、いや、それ以上にナイルパーチを運ぶ飛行機がアフリカに飛んでくるとき、カラではなく紛争地域に流すための武器弾薬が運ばれていることを突き止め、より問題にしているのである。ロシア人パイロットは最初は口を濁していたが「アンゴラに戦車を運んだことがある」と告白。従軍経験のあるタンザニア人も「(職につけるので)みんな戦争を求めている」と。戦争で難民が出れば、国連から援助物資が投下され、北側の企業はまた潤うことになる。ナイルパーチ(バナナでも、カカオでもいい)→ 反対に武器輸出 → 戦争拘泥化 → 難民爆発 → 食料援助 → ナイルパーチ工場などの資本投下 というこちらこそ魔のスパイラルなのである。
ザウパー監督は映画撮影と悟られないように、通訳とだけ行動し、タンザニアのそこいらにいる普通の人たち、漁民、工場主、娼婦、夜警、ストリートチルドレンなどに話を聞いてまわりドキュメンタリーの本質に則った手法で現実を描いて見せた。であるからこそ、単純なお涙ちょうだい、深刻な議論の喚起に止まらない深さがこのフィルムにはある。
スーパーに並ぶ、給食に供される白身フライにタンザニア、アフリカ、そして「死の商人」を必要とするグローバリズムの現実に私たちは思いを馳せることができるだろうか。
「ダーウィンの悪夢」のダーウィンとはもちろん進化論の主唱者にして、自然淘汰、弱肉強食、生存競争など自然界を説明したその人のことである。進化論を認めない立場の人もいるが、少なくとも自然界においては生態系の輪とは違う不均衡な事態が起こっていることは事実だろう。
「ダーウィンの箱庭」と呼ばれたアフリカ最大の淡水湖ヴィクトリア湖は生物多様性の宝庫とされていたが、ナイルパーチの放流によってその様相が一変する。ナイルパーチは大型の白身魚としてヨーロッパ、そして日本の食卓にのぼり、タンザニアの漁業関係者は豊かになる。が、豊かになったのは一部でヴィクトリア湖周辺には漁民があふれ、その漁民相手に売春婦が増え、失業や死亡、行方不明の親から捨てられたストリートチルドレンがあふれる。売春の増加はタンザニアにエイズを蔓延させ、十分な医療もないまま多くの人が羅患し、そして死に至る。売春を業とする女性たちもナイルパーチを運ぶパイロットから暴力を受け時には命を落とす。飢えと暴力、性虐待にさらされる子どもたちはナイルパーチをEUなどに運ぶプラスチック容器を熱して溶かし、その煙を吸い込み眠りにつく。
一方、ナイルパーチは強力な肉食性でヴィクトリア湖の他の魚を駆逐し、生態系を壊していく。周辺住民の食していた魚は絶滅の危機にさらされ、ナイルパーチの身は海外に運ばれるが、その残骸を食べる。大量の残骸により発生するアンモニアガスに眼を失った女性をはじめ、体調をくずす住民。仕事を失った親の子どもはストリートチルドレンに。魔と絶望の循環である。
しかしフーベルト・ザウパー監督はナイルパーチの爆発、グローバリズムがもたらす南北の経済的不均衡を撃つと同時に、いや、それ以上にナイルパーチを運ぶ飛行機がアフリカに飛んでくるとき、カラではなく紛争地域に流すための武器弾薬が運ばれていることを突き止め、より問題にしているのである。ロシア人パイロットは最初は口を濁していたが「アンゴラに戦車を運んだことがある」と告白。従軍経験のあるタンザニア人も「(職につけるので)みんな戦争を求めている」と。戦争で難民が出れば、国連から援助物資が投下され、北側の企業はまた潤うことになる。ナイルパーチ(バナナでも、カカオでもいい)→ 反対に武器輸出 → 戦争拘泥化 → 難民爆発 → 食料援助 → ナイルパーチ工場などの資本投下 というこちらこそ魔のスパイラルなのである。
ザウパー監督は映画撮影と悟られないように、通訳とだけ行動し、タンザニアのそこいらにいる普通の人たち、漁民、工場主、娼婦、夜警、ストリートチルドレンなどに話を聞いてまわりドキュメンタリーの本質に則った手法で現実を描いて見せた。であるからこそ、単純なお涙ちょうだい、深刻な議論の喚起に止まらない深さがこのフィルムにはある。
スーパーに並ぶ、給食に供される白身フライにタンザニア、アフリカ、そして「死の商人」を必要とするグローバリズムの現実に私たちは思いを馳せることができるだろうか。