kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

F1の被災地をゆく「Weフォーラム 見て、聞いて、感じて 伝えてほしい」に参加して

2024-10-08 | Weblog

福島第1原発事故により人が住めなくなった「帰宅困難区域」。字面は何度も見たが、具体的にどのような区域なのか、現状はどうなっているのか想像し難かった。それが過去に2回福島でのフォーラムの実績のある「Weの会」が区域内の入場ほか、自宅を津波で失った方と、解体せざるを得なかった方のガイドが組み込まれたフィールドワークをプランしたので2日間深い、濃いツアーに参加してきた。

1日目は、放射線作業従事者として原発関連の仕事の経験もあり、3.11時には女川原発に出張中だった今野寿美雄さん。自宅を放射能に汚染され、「公費解体」期限ギリギリに決断した。家族、子どもらとの思い出がいっぱい詰まった城を自らの決断で壊す悲しさ。今野さんはその後「子ども脱被ばく裁判(子ども人権裁判・親子裁判)」原告として、「福島原発訴訟団」ほか他の裁判の支援にも奔走する。浪江町ほか地域の現状、実情、裏側はこの人に聞け!と感じる、滑らかで分かりやすく、当を得たガイドに唸らされる。この道はどこに続き、地震当時どうだったのか、あの家は、事故前と後であの人は、あの地は…。次から次へと出てくる「福島原発事故地域掘り起こし辞典」とも言うべきまさに生き字引の趣。その舌鋒はお上やそれと一蓮托生の東電ほか企業側にも容赦ない。その地に実際に行って、目の当たりにして、今野さんのお話を聞かないと分からないことがいっぱいある。中でも今野さんが「世界一Hな場所」と名指す「福島イノベーションコースト構想」施設。Hとは水から分離する水素を指す。クリーンエネルギーにて巨大規模の産業誘致で復興、活性化とうたう。そこに元々あった建物、人の暮らしとは無縁だ。容易に軍事転用できる危険性は、経済安全保障政策との平仄も合う。ならば住民にとっては密室化し、情報公開されない。そして、原発事故も何もなかったかのように「復興」の前に過去のことをいつまでも話すなとの圧力。実際、原発事故地域に近い、大きな被害を受けた人ほど語り部が少ない、いないと言う。自ら「風評加害者」と名乗る今野さんには引き続き、このような「ショック・ドクトリン」を壊していってほしい。

2日目は、原発直近の大熊町の浜に自宅のあった木村紀夫さん。津波で父親、妻、娘を失う。特に次女夕凪(ゆうな)を探そうにも、原発事故でその区域に入ることもできず、夕凪さんの骨の一部が見つかったのは6年近く経ってから。見つかった場所などから津波に流されたのではなく、その場に遺されたからではとの疑念が。地震直後の捜索が続けられておれば助かったのではないかとの思いが強い。原発事故さえなければ。

「帰宅困難区域」は同地居住者の案内があれば入場することができる。ツアー参加者全員が名簿を提出し、スクリーニングを経て入ることができる。防護服の着用は自己判断だが、アスファルトでない土の部分は汚染度が高い可能性。マスクや手袋は汚染されたモノに触れる可能性があるため、出場後放射線廃棄物となる。草ぼうぼうの荒地の中を、対向車もない道をバスで行く。草ぼうぼうの荒地は家があったか、農地があったからなのだ。人の営みが全く消えた土地とはこういうものなのか。阪神淡路大震災では焼け野原に遭遇し、戦争で焼かれた土地とはひょっとしてこんなものかもしれないと想像したが、営みのない荒地は強制疎開させられた、やはり戦争の結果にも思える。そして谷や窪みに深く木々がしげる様は「風の谷のナウシカ」の腐海。人は近づいてはならないのだ。

木村さんの案内で、自宅のあった場所と夕凪さんの遺骨が見つかった場所へ。木村さんは自宅を再建したいし、夕凪さんの見つからない遺骨を探し続けたいと言う。小さな碑も建てられた。沖縄戦で亡くなった人の遺骨を今も探し続ける人がいる(夕凪さんの発見に繋がった具志堅隆松さん)。個人で戦争や災害その他で亡くなった人の遺骨を探す作業は、資金、道具その他の困難が多いし、限界がある。しかし、これを国など公が担うとややこしくなる。遺された個人の思いとは別に「打ち止め」の危険性があり、靖国神社に象徴されるようにクレンジングの効果(狙い)があることだ。それは再びその悲劇を甘受せよと国家の指令だ。

今野さんに案内いただいた「東日本大震災・原子力災害伝承館」が原発事故の責任に一切触れない姿勢や「コミュタン福島(福島県環境創造センター交流棟)」のなんと薄っぺらなことか。

「忘れない」「伝える」。そしてそれはしつこく。国家の前に個人のできることは知れている。しかしそれを続けることは、次の過ちを遅らせ、次代に繋げることができる。(左:「おれたちの伝承館(3.11&福島原発事故伝承アートミュージアム)」展示の立札。右:木村さん自宅近くにあるかろうじて残った漁協の建物)

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旧ユーゴスラヴィア訪問記③ セルビア・ベオグラード

2024-09-29 | Weblog

最後の訪問国、セルビアのベオグラードに着いた。ボスニア・ヘルツェゴビナではボスニア紛争の「被害者」としての側面を多く見た。スレブニツァのメモリアル・センターはその最たるものだろう。では「加害者」側とされたセルビアはどうか。ボスニア紛争の直接戦場とならなかった点、ボスニアに比べて非戦闘員の被害者が少ない点で、戦争を想起させるような施設はない。中国に南京虐殺の記念館はあるが、日本にはないことを見ればよく分かる。「加害者」と名指しされた側はダンマリを決め込むのだ。そこがドイツとは違うところだろう。

しかしベオグラードは紛争前のユーゴスラビアの首都。大都会である。紛争後、西側諸国はクロアチアやボスニアへは積極的に復興支援したとされるが、セルビアには冷淡だったとも。その事情を跳ね返すような煩雑ぶり。交通渋滞がひどい。ホテルからの移動は最寄りのトロリーバス停車場を頻繁に利用したが、前に進まない。余裕を持って移動しているが度々ヒヤヒヤした。そんなトロリーバスも使って参加したのが「ベオグラード 共産主義旅行」。共和国広場を起点に、共産主義時代の建物が現在ホテルとなっている様などを案内され、コソヴォ紛争の際にNATOに空爆された建物を周り、街の中心から少し離れた地にある国立歴史博物館へ。ユーゴスラビアの指導者ヨシップ・ブロズ・チトーの偉業を顕彰する施設だ。チトー夫妻の霊廟も併設されている。建物の規模はそれほど大きくはないが、周辺の広い公園敷地や霊廟を飾る花壇など憩いのスペースとなっている(もっとも訪れた日は猛暑で「憩う」どころではなかったが)。施設や公園の前に巨大なモニュメントやゲートがあり、いかにも社会主義といった趣である。チトーの若い頃から臨終までたどる展示は、詳しく、遺品も多い。展示物全ての説明書はとても読めないが、パルチザン出身のチトーは軍服姿も多い。王国から連邦共和国へ、女性の地位や工業生産の向上、ソ連に物申す非同盟の盟主。チトーを褒め称える言説は多いが、最も評価された物語の一つが、もともと複雑な民族構成であったユーゴを緩やかな連邦制によって民族紛争を防いだことがあげられる。しかし、紛争の種は常にあり、アルバニア人に対しては他の民族に比して苛烈に弾圧したとの話もあるが、そこまで展示では触れていただろうか。多分ないだろう。

チトーの死後(1980)、クロアチア、ボスニア紛争などで大量の血が流された。もしチトーがいたら防げたのにとの希望的観測?もあるが、ソ連崩壊(1991)後はもともと内包していた民族間の沸騰したお湯を、チトーという一人の鍋で押さえ込むことなどできたであろうか。こればかりは実際の歴史を後から振り返るしかない。

ツアーは共和国広場に戻って終了。そばの国立博物館はなかなかの規模で、セルビア正教ゆかりのイコン画をはじめ、バロック、近代絵画まで揃っていて見応えがある。ガイドの方に正教美術を見たいと言ったら、ぜひ聖サヴァ大聖堂へと勧められた。東方正教会としては世界大規模というその威容は、イタリアなどのカトリックの聖堂、教会のそれとも違う絢爛さに満ちている。これは聖サヴァ大聖堂自体が16世紀にトルコの侵攻によって焼失し、1935年から建造中といい、新しいこととも関係あるだろう。内壁を占めるカラフルな宗教画は素晴らしい。通常、カトリックの内壁画は、キリストの誕生や受洗、数々の奇跡、マリアの物語など聖書でイロハが多いが、ずいぶん違っているようだ。中世に強かったマリア信仰はこの大聖堂壁画を見る限り強調されてはいない。

セルビアをはじめ、旧ユーゴスラビアを去る最後の日にこのようなオーソドックス(正教の英語Orthodox)な観光ができ、眼福となった。この旅も終わりである。

(左:「国立歴史博物館」のチトー銅像(市街のいたるところにある)。右:クネズ・ミロシュ通りにあるコソヴォ紛争時のNATO空爆跡)

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旧ユーゴスラヴィア訪問記② クロアチア・ドゥブロブニクとモンテネグロ・ポドゴリツァ

2024-09-25 | Weblog

1つの国家、2つの文字、3つの宗教、4つの言語、5つの民族、6つの共和国、7つの国境。ユーゴスラヴィアをあらわす典型的な言い回しだ。今やユーゴ成立以前の6つの共和国(コソヴォを入れると7つ)に再び分かれた中でスロベニアとクロアチアは西側の支援もあり、優等生国である。中でも「アドリア海の真珠」とされるドゥブロブニクは世界遺産であり、クロアチア随一の稼ぎ頭。その分、観光客基準の物価はすこぶる高い。行き交う人も多かったがサラエヴォはどこかカントリーサイドの趣もあったが、ドゥブロブニクは観光に特化しているという面で「資本主義的」である。世界遺産指定に気を遣っているのだろう。景観も壊されず、街も清潔である。

クロアチアとモンテネグロは通貨もユーロ。その分、両国の物価は西欧基準でもある。ボスニア・ヘルツェゴビナとセルビアは独自通貨(それぞれマルカ、ディナール)。同じ国であったのに、一方はEUに加入、発展し、他方は復興から「遅れている」。ただモンテネグロはセルビアから分離独立したばかりで、主要産業もあまりなくこれからだ。その中にあって、ドゥブロブニクの南に位置する同じ美しいアドリア海を享受する旧都コトルはモンテネグロであり、同国はこの地に大きく頼っている(ただコトル旧市街からは海はあまり見えない)。

サラエヴォから長距離バスで移動した先がドゥブロブニクで、2泊後、コトルに移動した。そしてモンテネグロの首都ポドゴリツァへ。一国の首都だが、本当に見るところがない。ホテルから歩ける距離にある国立美術館もちょうど展示替え休館中だった。見るところはないが首都のビル群。暑さは変わらないので結構難儀した。

ところで、サラエヴォからドゥブロブニク、ドゥブロブニクからポドゴリツァへは陸路で入国したので前者はバスを降りて、後者は運転手がこちらのパスポートを預かってパスポートコントロールに示しただけですぐに越境できた。元々一つの国なのだ、多分親戚がいる国民も多いだろう。ポドゴリツァへ行きの運転手は送迎の仕事で、パスポートの押印欄がなくなって2冊目だと言っていた。

モンテネグロはもちろん、旧ユーゴの多くの国が復興から遅れていると前述したが、その遅れを地元民はどう感じているのだろうか。トランプ現象に並んで、欧州の右翼伸長の解説として「ブリュッセル(EU)のエリートが、地元で汗流す労働者の声を聞かず、物事を進めることに対する反発」と説明されることがよくある。スレブニツァへのツアーガイドが盛んにナショナリズムの伸長が危険だと強調していた。ここでいうナショナリズムはもちろん、ボスニア紛争の首謀者で後に国際戦犯法廷で収監、戦犯となったスロボダン・ミロシェヴィッチなどを指すのだろう。急激な民族主義は時に近しい敵を見つけて、攻撃する。それが言論にとどまらず、武力行使になれば再び紛争、虐殺の悲劇に繋がりかねない。一方、ポドゴリツァ行きの運転手は、ボスニア・ヘルツェゴビナ人だが「政治家が悪い」とこき下ろしていた。ボスニアは、複雑な民族構成を反映して、各民族に割り当てるため国の規模の割に国会議員がとても多いし、合意形成に時間がかかる。独裁主義に陥らないための民主主義の費用でもある。難しいところだ。

ポドゴリツァは一泊だけで午後には空港へ。いよいよ最後の訪問地、そしてボスニア紛争の相手方であるセルビアのベオグラードへの渡航だ。(左:「アドリア海の真珠」ドゥブロブニク旧市街からの風景。右:モンテネグロの首都ポドゴリツァの旧跡「古い橋」)

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旧ユーゴスラヴィア訪問記① サラエヴォ、スレブニツァ編

2024-09-22 | Weblog

コロナ禍もあり、遠ざかっていた久々の欧州旅行。訪れてみたかった旧ユーゴスラヴィアを目指した。理由はまだ紛争終結から30年もたっていない地であるから。特に1995年7月に起こったスレブニツァ虐殺ではボシニャク人およそ8000人超が犠牲となり、その墓碑と近くにメモリアルセンター(https://srebrenicamemorial.org MC)が整備されているのでガイドツアーを申し込んでいた。

MCは、閉業した電池工場の建物を利用して、だだっ広い空間にパネル展示と記録映像。最初に案内してくださった施設スタッフの英語は全く聞き取れなかったが、パネルや映像は理解できる。第二次大戦や沖縄戦などテレビで放映されるような古びたものではない。つい30年前なのだ。傷つき、力無く映る人たちの様子は現代、現在そのもの。しかし間違いなく殺され、時に殺した人たちなのだ。

スレブニツァは、ボスニア・ヘルツェゴビナの首都サレエヴォから3時間も車で走ったセルビアとの国境も近いところ。ツアーは1日がかりだ。それでも行ってみたかった。あの悲劇の記憶をどう遺し、伝えようとしているのか。例えば規模は大きく違うが、世界遺産にもなっているアウシュヴィッツ国立博物館は見せる工夫に長けているし、スタッフも多い。ベルリンの「ホロコースト記念碑」やユダヤ博物館は、現代アートを思わせるようなデザイン性に優れていて来訪者を驚かせる。その点、MCは廃屋の工場で展示の洗練さはない。しかし、工場の事務所棟の狭い部屋に区切られた展示スペースは、テーマごとにまとめられていて鑑賞しやすいし、来訪者が必ず見るビデオも分かりやすい。どこか手作り感もある。何も立派な施設を作る必要はない。どう記憶し、つなぐかということだろう。新たな悲劇を生み出さないために。

サラエヴォ1日目の午前は最大の旧市街の繁華街バシチャルシァの街めぐり。無料であったが、ガイド女性の英語は話題が飛び、ほとんど聞き取れず。その点、午後の「1984 Olympic、1992-1995 Besieged Saraevo(1984 オリンピック、1992-1995包囲されたサラエヴォ)」ツアーではガイドの青年は紛争時まだ4歳と言っていたが、身内に兵士もいて(ボシニャク人側)歴史を伝える活動をしているそうだ。英語も聞き取りやすかった。彼とスレブニツァまで運転手兼ガイドの方も何度か口にしていたのが「reconciliation」。「和解」だ。ボシニャク人からすれば多くの人が「殺された側」、特にスレブニツァ虐殺などの記憶からすれば、被害者から「和解」を言い出すのは、彼らが一方的な「被害者」と位置付けるのを拒否しているからとも言える。ボスニア紛争では欧米側メディアのプロパガンダもあり、セルビア人が一方的に悪者と捉えられることも多かった。サラエヴォ市街にはセルビア人狙撃手が道ゆくボシニャク人を「無差別に」撃ったという「スナイパー通り」もある。でも、仕返しを繰り返していては平和は決して訪れないというのも歴史の教訓だ。

サラエヴォ・ツアーでは爆撃された病院跡や、包囲されたサラエヴォとセルビア軍の外側を繋いだトンネル博物館、オリンピックでは華やかであったろうルージュ競技場(セルビア軍が一時陣地としたていたとも)などを訪れた。街の、平和に暮らす人々の日常は戦争であっという間に壊され、それら廃墟と被害を受けた人々の思いは容易に癒されることはない。

MC近くの墓石群は訪れる者を圧倒する。ムスリムが圧倒的だったボシニャク人の墓石に混じって、正教徒の墓石もある。墓石群入り口のモニュメントには「8372」という犠牲者数を示すが、骨片のかけらなどから割り出した数字で正確なとことろは分からない。一人ひとりの犠牲も数字になってしまう。それが戦争の実相の残酷な一面でもある。(左:サラエヴォ市内の爆撃された病院。銃弾の跡が無数に。右:MC近くの集団墓地。)

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パンドラの箱を開け、出てきたのは  「エルピス  ー希望、あるいは災いー」

2022-12-31 | Weblog

このブログで映画ではなくテレビドラマを取り上げるのは本当に珍しい。それくらい取り上げるに値する優れた作品だと思うからだ。

長澤まさみさん主演の「エルピス ―希望、あるいは災いー」(関西テレビ系)は、冤罪事件に関心のある者なら、物語のベースに飯塚事件や足利事件の要素があることにすぐ気づくだろう。現にプロデューサーの佐野亜裕美さんは、さまざまな冤罪事件を参考にしたことを明らかにしているし、同時に伊藤詩織さんの性被害もみ消し事件にもヒントを得ていると明かしている。なるほど、飯塚事件や足利事件はいずれも女児の殺害事件である。そして、飯塚事件で犯人とされた久間三千年さんが、確定後わずか2年で死刑が執行されたのは、ちょうど確度の高い新しいDNA鑑定により足利事件で服役していた菅谷利和さんの無実が明らかになる直前だったことから、久間の死刑を急いだのではと大きな疑惑がある。エルピスでは被害者が中学生に置き換えられてはいるが、飯塚事件のように連続犯、真犯人のDNA鑑定によって、無辜の死刑囚の雪冤につながるという点も同じだ。さらに、物語の前半が冤罪事件を追う展開が中心であるのが、後半は、真犯人を匿い、無関係の被疑者をでっち上げる権力犯罪の様相が大きくなる。そして、終始それを追い、描く報道の側の問題、視聴率重視や横並び、権力への忖度、自己保身といったテレビ業界の膿を自ら仔細に描いているところが凄みだ。

真犯人の父親が自己の地盤の有力支援者であり、その醜聞をなきことにするため、警察に圧力をかけ、無実の人を死刑にまで落とし込む政権与党の大門雄二副総理は、麻生太郎現副総理がモデルとのもっぱら話題となっている。そして麻生副総理といえば、安倍晋三政権を支えた功労者であり、伊藤詩織さんを性暴行した件で山口敬之元TBS記者に逮捕状まで出ていたのに、執行直前に取り消しになったのは菅義偉官房長官に近い中村格警察庁刑事部長が指示したことも明らかになっている。紛れもない権力犯罪(もみ消し)である。

ドラマでは、現実にはあり得ないと思いたい、大門副総理が自分に近い議員の性犯罪をもみ消すために、それを明らかにした娘婿まで「始末」する様が描かれる。もちろん自殺に見せかけて(もっとも、ロッキード事件での田中角栄秘書の「自殺」や、あの森友事件でも自殺者が出ている)。この議員による性暴行と娘婿の疑惑死をニュースでぶち上げようとする長澤まさみさん演じる浅川恵那キャスターに、現場責任者は放送させまいと必死で止めるが、聞かない浅川のもとに現れるのは元恋人で、テレビ局の政治部官邸キャップから大門の引きで議員出馬を目指し、現在はフリージャーナリストの斎藤正一(鈴木亮平)。斎藤は、浅川に今それを明かせば、日本の政治、外交、経済等に大きな影響が及び、不幸になる国民が夥しく生まれることを想像できるか、責任が取れるのかと問う。そして自分が国会に出た暁にはけじめをつけるとも。このシーンには若干違和感があった。と言うのは、権力が本当に権力たり得て怖いのは、一メディアの暴露により権力構造そのものが崩れることは考えにくいからである。たとえ政権与党が変わっても。「文春砲」を後追いする現在の野党に皮肉を効かせているのかもしれないが。むしろ、志を持ち、清廉な政治をと目指した一議員も権力に近づけば、近づくほど当初の志から遠ざかってしまう(だろう)という現実を暗に示しているのかもしれない。

「カーネーション」をはじめ、数々の傑作を送り出してきた脚本の渡辺あやさんと、この企画を数年がかりで、放送局を移ってまで実現させた佐野プロデューサーとのコンビで面白くないはずがない。ドラマでは死刑囚には解放された平和の日々が、マスコミに追い回される大門副総理の姿が描かれる。飯塚事件の久間さんの雪冤も是非と思うが、よりハードルが高いだろう。

中村格氏は論功で警察庁長官まで上り詰めたが、安倍氏銃撃事件の警護ミスの責任を取り、辞職した(退職金は8000万なそう)。歴史の皮肉とうやむや感はどこにもあるが、せめてドラマでは正義を通して欲しいし、それを考えさせるドラマであったと思う。

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韓国の民主主義にならう  「共犯者たち」と「スパイネーション 自白」

2019-03-10 | Weblog

1980年代、韓国はまだ軍事独裁政権そのものだった。80年は光州事件。民主化を求める民衆に全斗煥政権は軍隊を持って「鎮圧」した。後に大統領になる金大中氏にはこの民衆デモの「首謀者」として死刑判決を受ける。そのような国が、現在、民主主義の現実化という面では日本より一歩も二歩も先んじているように見える。それはなぜか。

朝鮮戦争という同じ民族が殺しあった戦争が終わったわけではなく「休戦」という状態にあって、北朝鮮は資本主義を否定する、韓国から見れば極端な王朝国家。しかし、文在寅(ムンジェイン)政権になって一気に雪解けの感がある。そもそも韓国の民主化がこのように一気に進んだのは何故か? それは軍事政権の後、金大中、盧武鉉と民主大統領がその下地を作り、李明博、朴槿恵と保守政権の揺り返しに対する批判が大きい。李明博政権の時は、アメリカ産牛肉のBSE疑惑隠しや4大河川事業汚職が、朴槿恵政権ではセウォル号事件に際順実ゲート事件。これらの政権にとっての大きなマイナス材料であるのに、KBSやMBCといった大手放送局に政権の息のかかった経営陣を送り込み、報道する記者を次々に解雇、取材の現場から放逐した。政権を脅かすスキャンダルは平穏なニュースに「着色」されて報道された。極めつけはセウォル号事件における「全員無事」報道。解雇された記者らが設立したのが調査報道専門の「ニュース打破」。そして解雇されなかった記者らは、ストに打って出、ある者は政権が送り込んだ社長を出ていけとSNSで拡散させる。そしてニュース打破記者による執拗な取材と責任追及。ロウソク革命で朴槿恵政権を倒したことは記者と市民ががっちり結びついた結果に他ならない。

一方、40年前の「在日同胞スパイ事件」から朴槿恵政権の時代に至るまで、繰り返し、北朝鮮のスパイをでっち上げてきた。拷問、虚偽自白を強要、中には自死した者、精神を病んだ者。脱北支、ソウルで公務員をしていた者をスパイ容疑で拘束し、妹に虚偽自白させる。妹は兄が無事帰ってくることを望んだが、兄が無罪を勝ち取り、釈放された時にはすでに国外退去処分の後。自死した被拘束者は氏名さえ書き換えられ、無縁仏にされる。取り調べ側=検察、証拠をでっち上げ、中国の公文書さえ偽造する。それらの事実をこれもまたニュース打破の記者はしつこく取材する。しかし、捏造を指揮した国家情報院の幹部は、誰も知らぬ、存ぜぬ、一切責任を取らない。でっち上げられた人たちが無罪となった後も。

公共放送の復活を描いた前者「共犯者たち」とスパイでっち上げを追及した後者の「スパイネーション 自白」。これらが描くのは正義とは何か、正義はいつまでも追い求め続けなければならないものだということ。韓国の最高大法院(日本の最高裁みたいなもの)を訪れたことがある。正面に大きく「民主、公正、正義」とあった。韓国の司法が、この3つを本当に体現しているかどうかは不明だが、これらのスローガンに反対する者はいないだろう。

しかし、文在寅政権以降、スパイにでっち上げられた人たちが次々に無罪となっているのは事実だ。民主主義の現実化は、市民のデモだけでも、報道の権力監視機能だけでも、司法の独立だけもない。これらの重層的な権力包囲網があってはじめてなし得るものだ。翻って、辺野古や高江などで座り込む老人らを屈強な警察官が弾圧、「公共放送」NHKは安倍政権の提灯持ち、菅官房長官は特定の記者を差別、数々の冤罪事件(そこには横浜事件などの戦前の権力犯罪も含まれる)を無視する司法と、日本の現状は韓国の民主主義より一歩も二歩も遅れていると思える所以である。

 

 

 

 

 

 

 

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世界を知り、世界とつながるとは  世界報道写真展2016

2016-06-19 | Weblog

先日、高遠菜穂子さん(2004年にイラクでボランティア活動中に武装勢力に拉致され、猛烈な「自己責任」バッシングを受けた。同じく拉致された今井紀明さんとともに、その後を描いた作品「ファルージャ」については、http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/e5e3dade79e798c4de5c1f08b57b0532参照)のお話を聞く機会があった。つい最近、高遠さんが現在もイラク市民支援の拠点としていてファルージャが、IS(イスラム国)からイラク政府軍が奪還したと報道があったばかりだが、この2年間ファルージャには入れていないという。高遠さんによれば、イラクのシーア派政権が「スンニ派狩り」として残虐非道の限りをつくしているという。政権は、IS討伐のためとファルージャの街を兵糧攻めにする、ISと関係のなかったスンニ派市民が、政権軍への対抗のためISに参加する。魔の連鎖である。

高遠さんは、スンニ派狩りのひどさや空爆の実態を映像など示して説明する。スンニ派の宗教指導者が突然連れ去られ、目玉をくりぬかれ、内臓を取り出された後胸や腹を縫い付けられた死体で発見される。病院が破壊され、医療スタッフも、器具も薬剤も圧倒的に足りないなか、瀕死の人たちが横たわる。

イラク戦争の時、米軍が劣化ウラン弾を使用したため市民に重篤な後遺症が出ているのは有名だが、同時に、「照明弾であって殺りく兵器ではない」と説明され大量に使用された白リン弾。その白リン弾によって黒焦げになった遺体や全身やけどを負った市民の姿も。

高遠さんが言いたかったのは、米軍(アメリカ)やそれに追随した日本の自衛隊、フセイン政権後のイラク政権やISを告発することではない。戦争の実相と、それを伝え、知ることの大切さだ。日本では高遠さんのときは自己責任バッシング、後藤健二さんと湯川遥菜さんが拉致・殺害されたときにも日本政府は有効な手立てを打てず、また、日本人が拉致されたときだけ中東情勢を大きく報じるだけ。普段、戦火に逃げ惑い、難渋の生活を強いられている人々を報道することない、日本の無関心、内向き志向こそ問題だとするのである。

「高校生の集まりに呼ばれた時には、英語が身につく方法知ってる? みんなが持ってるスマホのアプリに、世界のニュース報道を入れて、聞いていれば英語力が身につくし、世界に触れてるってかっこいいでしょ」「今日の集まりのような年配の人が多い会では、お孫さんにスマホで英語を聞いてるって教えてあげてください。孫に「えっ! おじいちゃん英語分かるの?」って言われたら「まあね」」と笑いを取りながら、世界に触れることの大事さを、今後自衛隊が海外に派兵され、殺し、殺される状況が来た時の覚悟と冷静な現状認識を持つためにも大事であると。「海外派兵後の覚悟」「現状認識」が今般の「安保法制議論に徹底的に欠けている」と、柳澤協二さんや伊勢崎賢治さんらも重ねて指摘しているところだ。

世界報道写真展では、世界で起こっていること、あることを写真という言わば「静止画像」で切り取って見せているが、そこには圧倒的な物語がある。その1枚によって、写っている人々、写っていない人々への想像力を掻き立て、暴力や民主主義、ときに小さな愛さえにも思いを馳せさせる。

今回、社会部門などで、シリア内戦とシリアやアフリカからのヨーロッパ難民を取り上げたものが多かった。それほど、世界をゆるがしている出来事に冷淡に無関心にさえ見えるこの国の報道。報道の自由度が世界で72位とされたこの国の中央誌を飾るのはアイドルグループの解散劇であるとか、不倫とか。恥ずかしい。(シリア内戦で傷つく子どもや、子の亡骸を抱き悲嘆にくれる父親(右上))

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イタリア ルネサンスの旅2

2016-03-04 | Weblog

街全体が美術館と言われるフィレンツェは、大きな美術館があるわけではない。ウフィッツイ美術館は有名であるが、規模はそれほど大きくはない。ピッティ宮内のパラティ-ナ美術館、近代美術館もしかり。もちろん街並み全体が美術館と言えるのだが、教会が多く、そのどれもが貴重、すばらしいからである。

駅の名前にもなっているサンタ・マリア・ノヴェッラ教会はドゥーモより古い1246年に建造が始まったという。ゴシックの時代である。しかし今ある建物は、ルネサンス様式を取り入れた特徴的なもので、ゴシック建築に関心のある筆者などからはどこがゴシック様式かと思わずにはいられない。であるから、逆にフィレンツェ独特のスタイルが保持されていて誠に美しい。内部は15世紀にアルベルティによって設計されたそうだが、大きなファサードを抜けて、内陣に至るとゴシック様式の教会とは正反対にとてもシンプルな内装。ルネサンス様式のそれはゴシックの「ゴテゴテした」装飾は一切ない。フィレンツェの教会はどこもそうであるが、「大聖堂」ではないのである。その分、ルネサンス時代の彫刻や壁画で飾られている祭壇は、幾分おとなしく感じるが大仰でない分味もある。と言うのは、ゴシックの大聖堂に比べて明るい堂内は、それも明るい彫像や絵画に似合うからだ。小さなキリストの彫像も、出来栄えの当否は別としてもあの空間では似つかわしいし、キリスト像やマリア以外の浮彫も分かりやすい。

今回訪れることができたサンタ・クローチェ教会も内陣の広さの割には、内装はシンプルで、むしろサンタ・マリア・ノヴェッラ教会もそうであるが、聖堂隣の回廊がすばらしい。サンタ・クローチェ教会も美しい回廊が広がる。フィレンツェの教会の多くはゴシック期に建築が始まったものや、ルネサンス期に改築、あるいは後世に再建されたものなど、築造年や現在の姿がいつの時代に建てられたものか一様ではないが、ルネサンス美術の精神をどれもが伝えている。というのは、ルネサンスの精神とは、それまでの考え方やモデルを刷新しつつ、多様な考え方を認め、包摂し、かつ全体として均整を求めたものと言えるからである。本稿①で紹介したヤマザキマリさんは、ルネサンスの魅力を寛容性に求める。それは、ヤマザキさんが愛してやまない「変人」たちを受け入れる社会の度量、それら「変人」たちが創作活動を続けられた社会の余裕みたいなものが感じられるというのだ。ゴシックの時代の荘厳、静謐であるが、ある意味堅苦しく見えるデザインに自由で明るい雰囲気を醸し出したルネサンス美術は、中世の強大な権力=教会と渡り合った、いや、それ以上の財力を持った商人・市民層の芸術への投資を爆発させた時代なのだ。だから、ルネサンスの教会をはじめ建物は明るく前向きに見える。ルネサンス様式の完成である。

フィレンツェの教会は、外見、建物がどれも清廉で優美だ。それは中世の静謐と後のバロックの豪華さにはさまれた美術史の中の必然段階であるのかもしれない。一方で、現代人から見れば怖いくらいに神秘的な中世ゴシックの聖堂内部ほどの威圧感はない。神が中心から、人間中心へ。フィレンツェは紛れもなく、街全体が美術史の図録、そして美術館なのである。(サンタ・マリア・ノヴェッラ教会)

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死刑制度を問う  『世界』9月号を読む

2008-08-15 | Weblog
「死に神」鳩山邦夫法務大臣が交代した。2ヶ月ごとに死刑執行命令に署名し、「法相が絡まなくても自動的に死刑執行が進むような方法」まで言及した鳩山氏が法務大臣である限り、いったい何人もの人が死刑執行されるのでであろうと危惧していた。後任の保岡
氏は法曹資格者であるが、前に法務大臣であったときに死刑執行しているので当分日本で死刑が止むことはないであろう。
鳩山氏を「死に神」呼ばわりすることが適切かどうかが、いつしか法務大臣が直接の職務である死刑執行することの是非に論点が変わり、朝日新聞が被害者団体に過剰な謝罪をしてことを終息させたように見えたのだが、このような見立ては間違っているだろうか。

本題は鳩山法相のキャラクターのことではない。世界の7割が法律上、事実上死刑を廃止している現状であらためて死刑制度を「問う」ことである。先進国日本で死刑制度支持が8割との報道もある。光母子殺人事件差し戻し審判決当日、裁判長が死刑を言い渡したと法廷外に伝わったとき拍手と歓声が起こった国である。
殺人被害者の遺族が死刑を望むというのは分からないでもない。しかし、直接遺族とも関係のない人が死刑を望む、それも声高にというのは奇異な感じが否めない。それほど人の死を望むものなのだろうか。これが死刑存置80%の実態なのだろうか。

来年5月に裁判員制度が始まる。制度反対、参加したくないという理由の大きな一つに裁判など難しいもの、やっかいなものに関わりたくないというのがある。裁判官3名、裁判員6名という構成体と変則多数決、公判前整理手続には裁判員は参加しない争点の取り扱い、部分判決など制度の欠陥は多い。しかし、難しそうなものは嫌だ、やっかいなものに一般の人を巻き込まないでくれというのは明らかに主権放棄である。確かに、日本の裁判制度は民主的基盤を持たないから憲法判断には謙抑的でなければならないなどと憲法判断回避の根拠として説明されてきた。しかし、市民が参加する裁判員制度には裁判所の判断に市民が実施的に関与するまさに主権行使の機会である。そして、裁判員制度の対象裁判は死刑などを含む重大事件に限定されており、当然憲法判断と無縁ではない。

死刑制度について、日本国民は国が凶悪犯を殺してくれる制度だと思っている節がある。しかし、死刑囚を実際執行する権力を行使するのは一人法務大臣ではない。法務大臣とて選挙で選ばれた人である可能性があるし、そもそもそのような法務大臣を選出した内閣を構成するよう時の与党を選んだ、あるいは、そのような議院内閣制を支持したのは他ならぬ有権者なのだ。そして制度は国民に支持されているから生きながらえているのであり(現に死刑支持80%である)、国が殺してくれるという他責的態度は間違っている。主権者として自分が死刑制度を存続させ、そして執行するのだという意識がないのが事実であると思う。国が殺すのではない、あなたが、私が殺すのだ。

死刑を存置するなら、現在のように法務大臣のキャラクターに依るものではなく、くじで選ばれた国民が署名、あるいは現在刑務官に押しつけている執行を実際行うようなシステムにしてはどうかという提案は肯える。同時にどのように死刑囚が遇されているか、どのように執行されているのか私たちはあまりにも無知である。それほどまでに情報遮断の死刑を支持する想像力のなさこそ、主権放棄こそ恐いのだ。「天皇陛下のために」の一言で思考停止に陥り、国民こぞって死を美とした全体主義国家の経験者として。

アメリカの死刑囚の更正活動を丹念に追い、「ライファーズ」を制作した坂上香さんは、リストラティブ・ジャスティス(修復的司法)の先進的紹介者でもある。オウム真理教の信者の日常をバイアスなく映した森達也さんは「殺すな」の地平から死刑に関する近著を著している。他にも日本の殺人事件は実際には家族間が多く、遺族とは加害者であるなど冷静に犯罪白書にかかわる数値を紹介するなど本号の読みどころは多い。
偽装、涜職、言論の自由なしとオリンピック開催の中国の非民主制をあげつらう前に、中国と同様に死刑執行しまくっているこの国のことを考えてみてはどうだろう。
コメント (2)
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「すべり台社会から」脱出しよう    反貧困(湯浅誠著)

2008-07-28 | Weblog
このブログとは別の機会に生活保護の実態を紹介するインタビュー記事をしたためたことがある。友人が市の生活保護部署の非常勤をしていて話を聞いたのだ。その記事のリードで生活保護というと「一家心中か、ベンツを乗り回すヤクザか、生活保護というと極端な例を思い浮かべがち」と書いたが、導入としては概ね間違っていないとしても湯浅さんの『反貧困』を読むと導入としてもそのような取り上げ方自体が二項対立を煽る「底辺への競争」に絡みとられていることに無自覚で恥ずかしい。「底辺への競争」、そう、低さくらべが、今や、貶めくらべという、そのような社会を招いた「勝ち組」(が、大企業なのか、新自由主義の発案者なのか)の掌で舞い踊っている実態こそ恐ろしいのだ。許せないのだ。
湯浅さんの『反貧困』は、基本的に湯浅さんがこの間「もやい」で相談を受けたこと、そのネットワークで見聞したこと、そして厚労省をはじめとする政府の貧困実態に対する姿勢、無策ぶり、というか無視ぶりを中心に記述している。そこで描かれるのは、ネットカフェ難民生活さえも続かなくなって、助けを求める人や、助けを求めるのを嫌がる人をいろいろ説明して、生活保護申請にこぎつげたり、生活保護の「水際作戦」で追い返されたりした人に寄り添い、生活保護を受給できるようにしたり、社会のセーフティネットから「底抜け」した人たちの姿である。湯浅さんは言う。社会的なセーフティネットにはいくつかの段階があり、まず雇用のセーフティネット。
非正規雇用がこれほど増え、請負派遣という労働力の究極の商品化がすすみ、将来のないこの仕事であっても失えば明日から住むことさえできないという生活し、将来設計に全くつながらない雇用形態。ちょうど秋葉原の「無差別殺人事件」に被疑者が典型的な派遣労働の現場にいたこと(日研総業という派遣会社、派遣先はトヨタの下請けたる関東自動車工業)、彼が自分のツナギが見つからなくて「クビにするのか」と怒ったことからも分かるように即解雇と隣り合わせの日々。「日雇い派遣」が今頃原則禁止という流れの中で(もちろん厚労省の研究会の提言であり、企業側の抵抗は強いだろう)、明日のない身をこれだけ放置してきた罪は重いし、そもそもそのような規制緩和の趨勢を支持した有権者の愚かさもきわまれりである。
次に社会保険のネット。働いておれば失業しても雇用保険がある、病気をしても厚生保険があるというのはあくまで正規雇用の話。上述の派遣などでは社会保険は一切ない。仕事がなくなれば間もなくホームレスに、病気もできないという場面は珍しくない。
そして働けなくなっても生活保護があれば生きていけるはずの公的扶助のネット。生活保護があればと書いたが、北九州で保護を求めた男性が追い返され餓死した事件は最近のことだ。その後生活保護申請に対する「水際作戦」が北九州以外でも報告されている。今や最後の生きる望みである公的扶助の道も絶たれたら。餓死した男性の例は「絶たれたら」というイフの例ではない、現実で起こっていることを示している。
ともすれば貧困の問題を訴える私たちの中には公的制度のここが悪い、年金改悪のここが問題だ、労働法制の抜本的な改革を、いや、そもそも小泉構造改革が、アメリカがと社会的扶助の低劣さを政策や政権に求め、それを解説しがちである。それら社会的な分析ももちろん必要で、個々の問題を見据えるために、その背景となった政策や国の流れに目を向けることはむろん重要である。しかし、私たちのそばで貧困と対峙せざるを得ない人たちを前にして評論家になっているわけにはいかない。湯浅さんの立ち位置はそこにある。いわゆる最高学府を出た湯浅さんは学生時代から山谷や野宿者の問題と関わってきた。湯浅さんの見る目はもちろん時の労働や年金、社会保険に対する政策とその変遷、問題点を見据えている。そして労働市場の開放を迫るアメリカの圧迫も。しかし、今、困っている人を助けるのはアメリカの政策がどうだ、それに追随する日本がどうだではない。
一緒に生活保護申請に預かり、アパートを探し、時には苛烈な取り立てに法的措置をとるべくアドバイスをすることだ。そのすべてを湯浅さんのグループができるわけではない。いろいろなネットワークを駆使して、一人、また一人と助けていく。もちろん自分さえ助かれば、もう二度と湯浅さんらの反貧困運動に関わろうとしない、他の人の力になろうとしない人もいる。しかし、まず助けることだ、共に考え動くことだ。
本ブログでは堤未果さんの同じ岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』も取り上げた(http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/499c1c32efe16ee11fad4293a5f51701)。併せて読むべきであろうと思う。
「愛の反対語は何ですか」「憎悪です」「いいえ、愛の反対は無関心です」(マザー・テレサ)
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