kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

銃後の民はグラデーションであるのにそれを許さない戦争とは「ぼくの家族と祖国の戦争」

2024-08-24 | 映画

不条理、不合理、残酷。戦争の実相を端的に伝える言葉はいくらでもある。しかし、それは戦闘や兵士がたくさん出てくるシーンとは限らない。むしろ直接戦闘と関係のない銃後や占領された地域も過酷な戦争の現在地でもある。

1945年4月。ドイツ本土への連合軍の空爆は苛烈を極めていた。デンマーク、フュン島のリュスリンゲ大学にドイツからの難民を受け入れるよう学長ヤコブは命じられる。200名と伝えられていたが到着したのは500名超。体育館に詰め込まれた難民らに瞬く間に感染症が広がる。しかもドイツ兵は一人残らず姿を消す。ヤコブの妻リスは飢える難民の子らにミルクを配布しようとするがヤコブは反対する。それが、難民の死者の子どもが圧倒的に多いと知り、今度はヤコブが難民に手助けしようとする。今度はリスが反対する。ドイツ人を助けることは「売国奴」と非難される。その一部始終を見ていたのがヤコブとリスの子セアン。映画はセアンの眼を通して終始描かれる。

戦争で一番被害を受けるのは子ども。現在では何度も叫ばれる「反戦」の一スローガンだが、子どもは同時に「残酷」でもある。「売国奴」の両親を持つセアンは同級生からナチス役を強いられ、酷いいじめ、辱めを受ける。日本でも少しでも懐疑心を持つ大人に比して、「小国民」世代はより戦意高揚に邁進した。セアンを助けたのは難民の少女ギセラだった。ドイツ人を助ける両親とくにヤコブに反発していたセアンは、両親をドイツ軍に殺されたパルチザン支援者のヤコブの学校の音楽教師ビルクに懐いて、手助けするようになっていたが、自分を助けたギセラが瀕死にあることを知り、思い切った行動に出る。

銃後や占領地の非戦闘市民はすぐに殺されるかどうかの瀬戸際に立たされていない分、その行動はよりグラデーションだ。パルチザンに身を挺し、徹底的に占領軍に抵抗する者からナチスの下僕になる者まで。ヤコブも当初は難民には一切関わろうとしなかったのに、それが変わっていたのはドイツを助けるのではなく、目の前で瀕死の子どもらを助けようと思ったからにすぎない。ドイツ人に手を差し伸べるのではなく、人間に手を差し伸べるのだと。

ここに宗教的観念や背景を読み解くのは容易であろう。けれど「人道」は信仰とは必ずしも関係がない。もちろん、人種や階級、階層、職業、普段の生き方とも関係がない。

ヤコブを人道主義に目覚めた素晴らしい人と称するものも簡単だが、反対に石を投げつけ、挙句には暴力を振るう者を「愛国者」と論じるのも簡単だ。同時に誰もがパルチザンたれ、あるいは、その時々でうまく立ち回れとは言えない。敵を見たら撃てるようにと訓練された兵士とは違うのだ。

ドイツの占領が終わり、瀕死のギセラを病院に連れて行くため、セアンと父ヤコブは大きな賭けに出て、ギセラは助かるが、もう一家はその地にはいられなくなった。時々の選択によって愛国者になったり、売国奴になったり。そういう一市民の営みは揺れて、また移動するのに、二種類に分け、互いを憎悪と迫害、排除の対象とする。戦争の最大の機能と言えるだろう。

イスラエルのガザ攻撃を非難したら「反ユダヤ」とレッテル貼りをされるアメリカやドイツをはじめとする西側諸国。ネタニヤフ政権の蛮行は紛れもなくパレスチナ人に対するジェノサイドであるのにどちらかを問う「蛮行」。戦争は間違いなく揺れさえも破壊する。

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HistoryではなくHerstoryが描く、忘れてはならない歴史の暗部「流麻溝十五号」

2024-08-09 | 映画

民主化する前の台湾の「白色テロ」時代を描いた映画はまず「非情城市」(1989)が思い浮かび、恥ずかしながらそれ以外は知らない。正確には「非情城市」が描いた2・28事件(1947)より後の蒋介石(と息子蒋経国)による国民党政府による弾圧が「白色テロ」時代なのだが、まさにその時代、故なき反共(反政府)・弾圧政策の犠牲が「流麻溝十五号」であった。

台湾南東岸に位置する小さな島・緑島。この島に30年以上もの間、政治犯収容の監獄が設置されていた。「火焼島」の名もある島内の「新生訓導処」(収容所)中、女性が収容されていた場所の住所が「流麻溝十五号」である。「政治犯収容」と言っても、厳密には「政治犯」はほとんどいない。今で言う自由や民主主義に触れたり、勉強会に参加、あるいはそういった運動のそばで「巻き込まれて」捉えられた人たちが多かった。「政治(的確信)犯」など一人もいないのである。

しかし、一旦収容所に送り込まれればなんとしても艱難辛苦に耐え、生き抜いていかねばならなかった。ダンサーの陳萍(チェン・ピン)は妹を守るために、年長で皆に頼りにされる看護師の嚴水霞(イェン・シュェイシア)はクリスチャンであり、強い。二人に憧れるまだ高校生の余杏惠(ユー・シンホェイ)はスケッチを欠かさず心身を保つ。嚴水霞が外の情報源として新聞を読み回したことで収容者の政治的反乱謀議を疑い、首謀者として嚴水霞が、重罪犯として余杏惠も囚われる。余杏惠は独房監禁でやがて放たれるが、嚴水霞は軍法会議にかけられ、死刑に。人の生死をたった一人蒋介石が軽くサインすることで振り分けられていたのだ。陳萍や余杏惠はやがて解放されるが、もう囚われる前に描いていた希望の時間は得られない。

本作は実話に基づいた創作という。「新生訓導処」は、1970年に閉鎖されるまでおよそ20年もの間、「政治犯」が送り込まれた。そして戒厳令が解除され、「白色テロ」が終わる1987年までの間およそ4,500人が処刑されたとされる。しかし「新生訓導処」での女性たちの聲は、無視されていたのだ。しかし彼女らの囁き、慟哭、叫びは確かにあった。たとえ創作であったとしても本作は確実にそれを伝えている。

同性婚や性的マイノリティに寛容な国として今や東アジアで最も民主的とされる台湾。しかし、その民主化の足取りは30年あまりに過ぎない。しかし、それ以前の独裁政権の暗部、それは自国の隠したい恥部でもある、を直視し描き始めている。同じ、軍事政権から民主化した韓国でも、戦後間もない頃の済州島4・3事件や光州事件への総括、断罪が進む。これらは自ら招いた汚い部分、許すべきでない歴史を葬り去らずに、後世の希望に繋げる強固な意思でもある。翻って、東アジアでいち早く「民主化」したことになっている日本では、戦前の国策の過ちや陰謀、それに伴い無辜の民が頚切られた歴史、その一つ大逆事件の真相究明や首謀者(とその体制)への断罪さえが行われていない。未だ「民主化」していいないのではないか。

本作の英語原題はUntold Herstory。男の語りだけで描かれるHisutoryでは明らかにならないものがある。

 

 

 

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