ホロコースト映画はなるべく見るようにしている。「シンドラーのリスト」(93年)以降、繰り返し描かれるホロコーストとそれにまつわる人々の姿を描いた作品は少なからず胸打つものが多い。「ライフ・イズ・ビューティフル」(97年)「アンナとロッテ」(02年)「戦場のピアニスト」(02年など。ほかにも広い意味でナチスの蛮行、それを支持、黙認した民衆を描いた作品、そして抵抗した者も描かれてきた(「バティニョールおじさん」「レセパセ」(02年))「愛を読む人」(08年)など)。「シンドラー」がアウシュビッツをはじめとした強制収容所での殺戮を直接的に描いたのに対し、その後の作品は、アウシュビッツに至るまでの人々の暮らしや周辺の人々、アウシュビッツ後の思いにも想像を働かせているように思える。そして、ヨーロッパ映画(イスラエル映画でないところが注目)がしつこく、ホロコーストを描く背景には、「許さない(赦さない)」というより、忘れない、忘れてはいけない、その前提として直視し、常に、向き合うという姿勢、矜持、があるように見える。
翻って、「村山談話」をいまだに国辱だの、誤った歴史認識の上での「土下座外交」などと攻撃する勢力、論壇が一定巾を利かせているこの国の状況は恥ずかしいばかり。ヨーロッパのあの戦争、ナチスとそれに従った者への直截なまなざしといかほど違うものか。
シラク大統領が、ユダヤ人を迫害、収容所送りとした「ヴェルディヴ事件」を、ナチスドイツにやらされたからではなく、自国の犯罪としてフランス国家としての責任を認めたのが1995年。「ヴェルディヴ事件」では1942年7月16日、フランス警察がパリのユダヤ人を一斉検挙、ヴェルディヴ(屋内競輪場)に押し込め、劣悪な環境の中、自殺、病死者が続出、その後強制収容所に送り込み、およそ7万人が犠牲となった。10歳のサラは警察に踏み込まれた朝、幼い弟を納戸に隠し、弟の収容所送りを免れさせる。両親はアウシュビッツで虐殺され、収容所脱走に成功し、助けてくれたフランス人老夫妻の手助けで、パリの納戸に閉じ込めたままの弟を助けに行くが。
老夫妻に育てられ、成長し、アメリカに渡ったまでを調査で明らかにしたのは、サラのアパートに住むことになるジャーナリストの現代のジュリア。「ヴェルディヴ事件」の実相、アパートが夫の祖父母が購入したことも分かり、調べるうちにサラの足跡を執拗に追うようになるが、同時に、夫が望まない自身の(高齢)妊娠も分かる。夫やその家族との距離も離れ、「過去をほじくるな」との責めにもひるまないジュリアだが、サラのその後を調べないわけにはいかない。アメリカに渡ったサラは20代で事故死したことも分かったが、サラは夫や子どもたちに自分のことをどう、どれくらい話していたのか。ジュリアの追跡は終わらない。
ジュリアとサラのオムニバスのような描き方は、次にジュリアはどうなるのだろう、サラは、と見る者のはやる心を見透かして展開する。「イングリッシュ・ペイシェント」や「ずっとあなたを愛してる」など過去の訳あり姿が堂に入ったクリスティン・スコット・トーマスは結局、夫と別れ、自己のこだわりに正直に生き、高齢出産も経験する姿を演じていてかっこいい。それにしてもサラを演じたメリュジーヌ・マヤンス(99年生まれ)のほうが末恐ろしいほどの演技力だ。弟を守るため納戸に隠したのに、あまりにも悲劇的な再会。それがトラウマとなり、育ててくれた老夫婦のもとを何も言わずに去り、渡米後結ばれた夫にも心を開かなかった(息子は母がユダヤ人であることを強硬に否定するが、アメリカのユダヤ人観もまみえてとても興味深い)まま自死にいたるサラ。一筋の光明はユダヤ人排外が当たり前の中で脱走したユダヤ人の子どもを守り続けたフランス人老夫婦の存在。シチュエーションは異なるが、満州に渡った日本人のこどもを「日本鬼子」としてではなく育てた中国人も多かった事実。絶望のなかでも愛はあった。
歴史を学ぶということと、事実を追うということは同じではない。ジュリアの探索は、ジュリアの家族に亀裂をもたらし、わだかまりをつくったが、それ以上に事実に向き合うという真摯な自己探求をそれぞれにもたらした。ジュリアの夫の父、サラの息子、そしてそれらを取り巻く多くの人たち。サラの過酷な歴史に思いはせるとき、忘れるということと、忘れたふりをすることの違いと罪を改めてつきつけるのは、現代に生きる私たちのあまりにも浅薄な現状認識だ。
二度とサラをつくってはいけないし、サラの記憶を消し去ってもいけない。向き合うつらさと覚悟を引き受けてでしか、歴史の過ちを自覚できる術はない。
翻って、「村山談話」をいまだに国辱だの、誤った歴史認識の上での「土下座外交」などと攻撃する勢力、論壇が一定巾を利かせているこの国の状況は恥ずかしいばかり。ヨーロッパのあの戦争、ナチスとそれに従った者への直截なまなざしといかほど違うものか。
シラク大統領が、ユダヤ人を迫害、収容所送りとした「ヴェルディヴ事件」を、ナチスドイツにやらされたからではなく、自国の犯罪としてフランス国家としての責任を認めたのが1995年。「ヴェルディヴ事件」では1942年7月16日、フランス警察がパリのユダヤ人を一斉検挙、ヴェルディヴ(屋内競輪場)に押し込め、劣悪な環境の中、自殺、病死者が続出、その後強制収容所に送り込み、およそ7万人が犠牲となった。10歳のサラは警察に踏み込まれた朝、幼い弟を納戸に隠し、弟の収容所送りを免れさせる。両親はアウシュビッツで虐殺され、収容所脱走に成功し、助けてくれたフランス人老夫妻の手助けで、パリの納戸に閉じ込めたままの弟を助けに行くが。
老夫妻に育てられ、成長し、アメリカに渡ったまでを調査で明らかにしたのは、サラのアパートに住むことになるジャーナリストの現代のジュリア。「ヴェルディヴ事件」の実相、アパートが夫の祖父母が購入したことも分かり、調べるうちにサラの足跡を執拗に追うようになるが、同時に、夫が望まない自身の(高齢)妊娠も分かる。夫やその家族との距離も離れ、「過去をほじくるな」との責めにもひるまないジュリアだが、サラのその後を調べないわけにはいかない。アメリカに渡ったサラは20代で事故死したことも分かったが、サラは夫や子どもたちに自分のことをどう、どれくらい話していたのか。ジュリアの追跡は終わらない。
ジュリアとサラのオムニバスのような描き方は、次にジュリアはどうなるのだろう、サラは、と見る者のはやる心を見透かして展開する。「イングリッシュ・ペイシェント」や「ずっとあなたを愛してる」など過去の訳あり姿が堂に入ったクリスティン・スコット・トーマスは結局、夫と別れ、自己のこだわりに正直に生き、高齢出産も経験する姿を演じていてかっこいい。それにしてもサラを演じたメリュジーヌ・マヤンス(99年生まれ)のほうが末恐ろしいほどの演技力だ。弟を守るため納戸に隠したのに、あまりにも悲劇的な再会。それがトラウマとなり、育ててくれた老夫婦のもとを何も言わずに去り、渡米後結ばれた夫にも心を開かなかった(息子は母がユダヤ人であることを強硬に否定するが、アメリカのユダヤ人観もまみえてとても興味深い)まま自死にいたるサラ。一筋の光明はユダヤ人排外が当たり前の中で脱走したユダヤ人の子どもを守り続けたフランス人老夫婦の存在。シチュエーションは異なるが、満州に渡った日本人のこどもを「日本鬼子」としてではなく育てた中国人も多かった事実。絶望のなかでも愛はあった。
歴史を学ぶということと、事実を追うということは同じではない。ジュリアの探索は、ジュリアの家族に亀裂をもたらし、わだかまりをつくったが、それ以上に事実に向き合うという真摯な自己探求をそれぞれにもたらした。ジュリアの夫の父、サラの息子、そしてそれらを取り巻く多くの人たち。サラの過酷な歴史に思いはせるとき、忘れるということと、忘れたふりをすることの違いと罪を改めてつきつけるのは、現代に生きる私たちのあまりにも浅薄な現状認識だ。
二度とサラをつくってはいけないし、サラの記憶を消し去ってもいけない。向き合うつらさと覚悟を引き受けてでしか、歴史の過ちを自覚できる術はない。