kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

「裁判をしない裁判官」が生み出す歪な現実 『「裁判官の良心」とはなにか』

2024-07-01 | 書籍

現役裁判官が国を訴えるということで、話題になっている竹内浩史津地方裁判所判事。竹内さんの言う「裁判官の良心」は明確である。民事裁判官の経験が長い竹内さんなりに「正直」「誠実」「勤勉」を重要な要素とする。この3点なら別に裁判官に求められるというより人間として求められるのと同じではないかと指摘されそうだ。が、本書ではその前提として「思想・良心の自由」(憲法19条)の「良心」とは全く同じではなくて、わざわざ「すべて裁判官は。その良心に従い独立してその職権を行」うと(憲法76条3項)あることから、「良心的裁判官」たるべき規範を改めて強調していると見る。「良心的裁判官」については、本書に何度も出てくるので、その言を確かめていただくこととして、その反対に位置する「ヒラメ裁判官」(上だけ見ている裁判官)の存在とそれを生み出す最高裁判所事務総局(その他)の「裁判をしない裁判官」という組織構造の問題点を鋭くついているのが本書の肝と言うべきだろう。

読後の印象はとても分かりやすいと言うことだ。現職裁判官らが結成した日本裁判官ネットワークが過去に出版した裁判所を憂える書籍では、どなたも硬すぎるくらい真面目に、少し控え目に書かれているように思えて、隔靴掻痒の感が少なからずあったが、本書は明快、遠慮はない。少なくとも過去の類例の書に比べて裁判所に怖気付いて?しているようには見えない。

折しも岡口基一仙台高等裁判所判事が、SNSへの投稿によって弾劾裁判にかけられ、罷免されると言う「暴挙」が起きた(2024年4月3日)。罷免判決に至るその論理構成には疑義が多々あるが、要は、「裁判官たる者、自由に発言していいわけではない」と言っているに等しい。竹内さんは、弾劾裁判で岡口さんの表現行為が罷免事由にあたるものではないと「裁判官の市民的自由」の論点から証人にもなったが、判決では一顧だにされなかった。そして著者によれば、裁判官でSNSを使用する人は自身と匿名のお一人だけになってしまったと言う。著者が憂える裁判官を目指す者がますます減るのではと危惧される不自由さの象徴である。

「裁判をしない裁判官」優遇、意思決定の歪さなど、その弊害は弁護士時代より裁判官経験の方が長くなった竹内さんの具体的なエピソードの数々で(時の所長等顕名にしているところも好もしい)納得することができるだろう。そこで、少しだけ注文もある。女性の方が心の優しい人が多いから裁判官向きだとするところや(80頁)、裁判官が男性の場合を前提として、官舎で夫の出世話でいたたまれなくなる妻の話であるとか(168頁)、ジェンダー感覚が少し古いのではないだろうか。最高裁判事の年齢を問題にしている点からも、裁判所におけるその不均衡を積極的に取り上げて欲しかった。

ところで、本書でどちらかというと「リベラル」系として名を挙げている泉徳治裁判官と金築誠志裁判官(いずれも最高裁判事)。1994年4月に司法修習を優秀な成績で終え、裁判官への任官を目指していた神坂直樹さんが「任官拒否」された際の判断機関、「裁判をしない裁判官」として最高裁事務総局人事局長だったのが泉裁判官、任用課長だったのが金築裁判官である。神坂さんは任官拒否の理由は思想差別であるとして、行政訴訟、国賠訴訟を争ったが、どちらも敗訴している。その訴訟では裁判官任用の経緯を明らかにするため泉、金築裁判官の証人採用を求めていたが、理由もなく採用されなかった。いくら判決や退官後の言論で「リベラル」であっても「裁判をしない裁判官」であるときはそのリベラルさを発揮できないという構造的問題があると言うことか。

本書は、一部の書店で平積みになるなど、大変な売れ行きとのことだ。散見される誤植の類も増販で訂正されることを望む。(『「裁判官の良心」とはなにか』2024 LABO)

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戦争をめぐる相克 忘れ去られた美術界のジェンダー視点『女性画家たちと戦争』

2024-06-25 | 書籍

画家たちの戦争責任という場合、そこでは藤田嗣治をはじめ、男性ばかりが取り上げられる。そこに女性はいない。Herstoryはなくhistoryのみだったのだ。

では女性美術家はいなかったのか。実は、明治政府が西洋の美術・文化を吸収、発展させようと設立した工部美術学校は女性に門戸が開かれていた(1876年)。日本で最初のイコン作家とされる山下りんや神中糸子がそうである。しかし、工部美術学校廃校(1883年)後、美術に特化した高等教育機関として設立された東京美術学校(1887年)には、西洋画科も設けられず、女性の入学も許されなかった。以後、女性の美術家志望者の私塾以外の公の教育機関としての受け皿は(私立)女子美術学校(女子美。1900年)だけとなった。女性が正規教育として美術を学ぶ機会を奪われた17年間に伸長したのは、「良妻賢母」思想であった。女性を家庭という私領域にとめおく今日の性別役割分業の始まりであったのだ。しかし、美術を学びたい、絵を描きたい女性たちはいたが「洋画家」になるにはさらにハードルがあった。

女性の洋画家としての活動、継続には同好の士のネットワークが必要、有用であった。やがて女子美の卒業生らも交えて、女性画家の存在を認めさせ、地位向上を図る中で時代は戦争へと突き進む。女性画家たちも当然戦時体制へと組み込まれ、奉国の証を立てんとする。そのような時代背景に描かれたのが大作《大東亜戦皇国婦女皆働之図》(1944 原題は一部旧漢字)である。《働之図》は、〈春夏の部〉と〈秋冬の部〉の2部構成であり、いずれも多数の女性画家による共同制作となっている。藤田嗣治をはじめ男性画家が従軍し、それぞれ個人の作品を制作したことの違いが明らかである。制作は「女流美術家奉公隊」。そして軍の要請による制作である「作戦記録画」のうち、洋画が主に戦地や戦況など具体的な事件、事案をモチーフとしているのに対し《働之図》は、「働く銃後の女性をテーマにした」合作図である(桂ユキ子の回想。107頁)。制作の指揮は長谷川春子が、構成の差配は桂が主に担ったことが分かっている。長谷川春子は現在では画家としての記憶にあまり残っていないと考えられるが、戦前「女流画家」界でトップの地位にあり、ネットワークを牽引した。

《働之図》には、銃後のあらゆる場面がおよそもれなく描かれている。戦闘機、弾薬など軍需物資の工場、田植えなどの農作業、傷痍軍人への慰問、さらに女性鼓笛隊の行進や炭鉱、水運、漁業など。制作された1944年はもう戦況も悪く、男性の働き手が極端に減っている銃後において、女性も本来力仕事であるどのような職種にも参画せざるを得なかったことから、描かれている男性は極めて少ない。そして上記のような生産や直接戦意鼓舞とは関係のなさそうな家内労働なども描かれている。まさに「愛国」の発露、「総動員」「挙国一致」である。

《働之図》は、同年に開催された陸軍美術展(3/8〜4/5 東京都美術館)に出品するために限られた制作時間、3部作(「和画の部」もあったようだが所在不明とのこと)という大作では共同作業にせざるを得なかったこと、そして「女流画家」の統制と奉国の意思統一という側面があったことであろう。現在〈秋冬の部〉が、靖国神社の遊就館に所蔵されていることは象徴的である。

さて、長谷川と並びすでに「女流画家」の中では傑出した存在であった三岸節子は、制作にはスケッチ程度で実際には関わらなかった。その点を長谷川に「非国民」と罵られた三岸は(104頁)、それまで共に仲間の地位向上などに尽くしてきた仲の長谷川と袂を分かつ。

戦後になり、戦争画に関わった男性画家たちはどうなったか。藤田嗣治は日本を離れ、二度と帰国しなかったし、戦争画に関わったことに触れられるのを嫌がった小磯良平など多くは発言さえ控えた。

一方「当時の戦いを聖戦として主張していたミリタリズムの信奉者であり、この戦争への否定や疑いはなかった」とされた長谷川は(田中田鶴子の回想。215頁)はやがて美術界を引退、忘れられた存在になっていく。三岸が94歳で没するまで旺盛な制作活動を継続したことは周知の通りである。女性画家たちの戦争をめぐる相克が《働之図》制作に至る過程で窺い知れるのである。

一点、本書と直接関係はないが、神戸市立小磯記念美術館にて「貝殻旅行 三岸好太郎・節子」展(2021.11.20〜2022.2.13)が開催された際に、「画業の長さ、展示作品数からすれば「三岸節子・好太郎」展ではないか。せめて「三岸好太郎・三岸節子」展とすべきではとアンケートに書いたが、さて。(吉良智子『女性画家たちと戦争』2023平凡社)

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待っていた好著  『この国(近代日本)の芸術 〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』

2024-06-05 | 書籍

「明治期以降、徐々にその輪郭と内実が形成されてきた日本の帝国主義・植民地主義が産み落とした鬼子として現代に残る歴史否定・人種差別・異性愛規範・健常者中心主義等々が未だにこの国(近代日本)で支配的であることを改めてはっきり認識した。」「本書は、「美術」というフィールドを足場に、そうした帝国主義・植民地主義の残滓を払拭することに挑戦している」(山本浩貴「おわりに」812頁)。

本書の目的は上記のように明らかだ。しかし、それをどう論考で説得づけるか、切り口はいずれか。浩瀚な参照文献と、同時代アーティストへのインタビューでそれは成功していると言えるだろう。では編者(小田原のどか 山本浩貴)を突き動かしたプロジェクトの発端、危機意識はどこから出現したものか。それは「飯山作品の検閲」(2022年、飯山の映像作品を『In-Mates』が東京都人権プラザにより上映中止となった)であるという。

本書には、飯山由貴自身のインタビューも収められているが、関東大震災での朝鮮人虐殺を描いた動画に対し、その事実を認めたくない小池百合子都知事に都が忖度したことは明らかであった。しかし、芸術作品の検閲や出展中止、開催禁止は飯山の件だけではない。2019年のあいちトリエンナーレ「表現の不自由展・その後」をめぐる一連の動きがエポックメーキングとされるが、むしろそれまでに内在、顕在していた「現代に残る歴史否定・人種差別・異性愛規範・健常者中心主義等々」が「その後」展によってさまざまな事象が集成されたと言えるだろう。既知の通り、「その後」展では爆破予告が、「その後」大阪展でも不審物の郵送があった。

「その後」展は、この国(近代日本)にすでにある不可触なスティグマを分かりやすく展示したに過ぎない。「従軍慰安婦」を表す「平和の少女像」、昭和天皇の写真を燃やすシーンが映り込む動画、沖縄における米軍の駐留、横暴(に結託する日本政府)に対する揶揄などである。これらはすべて「近代日本」に端を発することだ。つまり日本に「美術」がもたらされたのは近代になってからであり、美術以前(近世の絵画芸術や手仕事を思い浮かべると良いだろう)にはあり得なかった、すなわち「帝国」の出現以降のことだからである。そこには絶対主義天皇制を基盤とするヒエラルキー、当然下位の者が存在する、に絡め取られた差別構造、「外国人」たるエスニシティ、ジェンダー、台湾・朝鮮半島・満州などの植民地支配の必然的帰結であるコロニアルの問題等々がある。しかし「美術」はそれを避けていた。少なくとも問題提起にはひどく無関心で、逆に「その後」展のように剥き出しのレイシズムが噴出した。

本書をかいつまんで紹介する任は筆者の能力を超えるが、沖縄、アイヌといったマージナルな領域の描き方、描かれ方、それに伴うヤマト=「日本」といった虚構の論考。「慰安婦像」をめぐる表象とジェンダー規範、あるいは天皇と戦争画の関係、さらには被爆地広島出身でシベリア抑留の経験もある地元の画家四國五郎の再評価、大杉栄にゆかりの美術家を取り上げた小論、ブラック・ライブズ・マター運動とアートとの関係、そしてこれらに挟まれるアクティビスト、作家のインタビューや論考も読ませる。美術関連書と言えるのだろうが、図版の少ない800頁を超える大著にして夢中になれる。これらの視点と行動力を知らなかった美術「好き」が恥ずかしいくらいだ。

個人的には、筆者も何度も見(まみ)えた彫刻家舟越保武の《ダミアン神父》の作品名変更の経緯がとても興味深かった。先ごろ、世界最多の有権者を擁した選挙と言われるインド総選挙が報じられた。インドは「世界最大の民主主義国」を自称するが、もちろんモディ強権政権にそれを信じる者は少ない。それに抗い、抵抗してきた作家、文筆家にアルンダティ・ロイがいる。ロイは反グローバリズムの立場から「帝国」を論じるが(『帝国を壊すために』2003 岩波新書)、日本も天皇制軍国主義下と戦後もその流れを断ち切れなったと言う意味において間違いなく「帝国」であり、だから人に見せ、考えてもらう契機としての「芸術」を扱う「日本美術史」も「脱帝国主義化」の必要性があるのである。(『この国(近代日本)の芸術 〈日本美術史〉を脱帝国主義化する』2023 月曜社)

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ガザこそホロコーストである  岡真理『ガザとは何か』

2024-03-06 | 書籍

ちょうど、大阪府堺市にて毎月主要駅前でイスラエルのガザへの侵攻を抗議するスタンディング・アクションをしている地元の市民グループが岡真理さんをお呼びしての講演会を開催した。岡さんは、いくら時間があっても足りないように熱く語られた。強調されたことは、いくつかあるが昨年(2023)10月7日のハマースによるイスラエル攻撃だけをフィーチャーして語るメディアが信用ならないこと、ホロコーストによってドイツなどから逃れたユダヤ人がイスラエルを建国したという神話の誤りなどだ。そして、反イスラエル=反ユダヤの淵源が、ユダヤ教を排除するという宗教的観念が、ユダヤ人排除という血、人種の問題にされたことにあるという歴史的文脈だ。

講演は、本書に沿う内容だが、ガザでの犠牲者が3万人を超える現在(講演の3月3日時点)、恐ろしい意味でアップデートされている。しかし、古代から流浪の民として言及されたユダヤ民族のお話と、第2次世界大戦後に建国されたイスラエルの歴史とはほとんど関連性がないし、その事実は変わらない。ディアスポラであることと、パレスチナの地からアラブ人を抹殺しようとする国があるという現実は併存するのだ。ドイツのようにホロコーストの加害者の歴史ゆえに現在のイスラエルの蛮行を黙認することは許されないということでもある。

岡さんが本書であげる要点は「1 現在起きていることは、ジェノサイド(大量虐殺)にほかならないということ。2 今日的、中期的、長期的な歴史的文脈を捨象した報道をすることによって、今起きているジェノサイドに加担しているということ、3 イスラエルという国家が入植者による植民地国家であり、パレスチナ人に対するアパルトヘイト国家(特定の人種の至上主義に基づく、人種差別を基礎とする国家)である。4 何十年にもわたる、国際社会の二重基準があり、それを私たちが許してしまっている。」ということ。

少し解説が必要だろう。2は、前述のユダヤ人の歴史に関わることだ。キリスト教がヨーロッパ(ローマ)で「国教」となった以降、ユダヤ教が迫害されてきたのは事実だ。そして第1次世界大戦中、イギリスがシオニズム(ユダヤ人国家建設)を支持し、パレスチナをユダヤ人居住地と認めたこと(1917 バルフォア宣言)、ホロコースト、第2次大戦後の1948年国際連合によるパレスチナ分割決議によりイスラエルが建国されたこと。さらに、イスラエルが建国後早い段階からパレスチナ先住民を滅殺しようとしてきたこととそれに対抗するパレスチ人との戦い(第1次〜第4次中東戦争)と、イスラエルによるヨルダン川西岸への入植と、それらに対する抵抗(第1次インティファーダ(1987)、第2次インティファーダ(2000〜2005)とイスラエルがガザを「天井のない監獄」と化したガザ封鎖(2007)の歴史がある。これが「今日的、中期的、長期的な歴史的文脈」の一部である。そして4はアメリカの他国侵略を筆頭に、例えばアフガニスタンのタリバン政権やイラクのフセイン政権は民衆を抑圧しているからと瓦解にまで追い込んだが、イスラエルがパレスチナ人に対する殲滅政策には一貫して目をつぶってきたことに明らかだろう。

「ガザとは何か」。それはイスラルによるホロコーストである。ホロコーストはナチスドイツの被害者としてのユダヤ人(国家としてのイスラエル)の専売特許ではない。ジェノサイドもホロコースト決して許してはならないはずだ。と、岡さん講演および、著作の感想をまとめてみたが、日本政府による沖縄に対する仕打ちも心理的にはホロコーストやジェノサイドに値する。「蹂躙」では生やさしすぎると思えたのだがどうだろうか。

(『ガザとは何か パレスチナを知るための緊急講義』2023 大和書房)

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言葉を奪われた女性たちのシスターフッド 『誓願』

2024-02-22 | 書籍

マーガレット・アトウッドによる前作『侍女の物語』があまりに優れていたので(「分断、虐げられた女性のモノローグが秀逸 フェミニズムが推す『侍女の物語』」https://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/f43509c4a15e12bdd5958b59692cc84c)、

アトウッドの30年後の続編にものめり込んだ。女性を産むか産まないかだけに分け、一切の政治的・社会的権限から排除した独裁国家ギレアデの末路を描くが、その全体像を示しているのではない。分断された女性らのシスターフッドを背景に、脱出を試みる者たちのモノローグやダイアローグが連なる。それも3人の視点、女性社会のトップに立つ「リディア小母」、地位の高い司令官の娘「アグネス・ジェマイマ」、そしてジェマイマの異父妹であるカナダの平民出身の「デイジー」。特に後半の脱出劇はスリリングで読むのを止められない。

訳者の鴻巣友季子さんが解説するように、女性に限らず、人間の地位や尊厳を奪うというのは「言葉を奪う」ことである。ギレアデでは最上級の地位にある女性以外、文字を読み書きしてはならない。言葉を封じるというのは、発言させない、無視するということだ。現実の社会でも見られる実態だ。世界を見渡せば、女性の地位が男性のそれより低い国の方が多い。日本でも伊藤詩織さんやColaboの仁藤夢乃さんへの嫌がらせ、罵倒、攻撃を見れば分かるだろう。そしてギレアデのモデルであるアメリカでは、前大統領トランプによって、最高裁判事の構成が保守派に偏り、自身の信条である中絶禁止を合衆国に広げている。これは、産む、産まない、を女性自身が決めることを禁止するものであり、そういった生殖や生き方そのもののへの女性の発言を封じるものだ。

ギレアデはカルト宗教国家でもある。中絶を禁止しているからカソリック的に見えるが、カソリックは異端だ。中絶を禁止するということは、危険な出産で命を落とす女性も多いということである。そして、国民に死がとても近い。それは公開処刑の多さや、「侍女」に与えられる発散行為=違法をなした男性を文字通り「八つ裂き」にする、を含む。恐ろしく血生臭い行為だが、処刑も含めて彼女らは粛々とこなす。もちろん、それは「正しい」行為だからであり、命や人権といった民主主義における普遍的価値が一切ないからである。しかし、民主主義とはそれぞれ個性を持った一人ひとりへの差別や迫害、あるいはその内面に侵襲するそれらの自己正当化とのたたかいそのものでもある。であるから、アメリカの幾州や日本をはじめ、死刑を存置、執行する国の実態と地続きと言えるものでもある。さらに、鴻巣さんが紹介するように、アトウッドは「自分はこれまでの歴史上や現実社会に存在しなかったものは一つも書いたことがない」というから、未来・SFとジャンルされるディストピア小説とは、実は現実のルポルタージュであるのだ。

作品のエンディングは、ギレアデ崩壊後、その調査・発掘に勤しむ歴史研究者の講演で締められる。ということは、ギレアデの悪夢はとうの昔ということだ。ここに希望がある。2024年秋に行われる米大統領選では、トランプの復活の情勢とも。トランプの煽動のもと議事堂を襲い、ペンス副大統領らを本当に殺そうとした連中はカルト信者そのものだったが、トランプの復活でまた現れるかもしれない。しかし、ディストピアはいつか終わる。そして終わると言い続けなければならない。全ての人が言葉をもってして。(『誓願』2023 ハヤカワepi文庫)

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「表現物」で戦争を、原爆を問う 『反戦平和の詩画人 四國五郎』

2023-12-25 | 書籍

戦争を経験した世代がどんどん少なくなっている。ただ、そういった世代の多くが戦争を語ったり、その経験ゆえ反戦運動に関わったりしたわけではない。むしろ少数だろう。亡くなった私の父も中国戦線での軍隊経験があるが、その体験を語ったことはほとんどないし、戦争はいけないと言いながら靖国神社参拝への憧れを口にし続けていた。

四國五郎はその生涯を反戦表現に捧げた人だ。職業画家ではないが、数えきれないほどの作画をなし、文を紡いだ。その姿を最も間近に見てきた子息の四國光さんが父の詩画人としての活動、それにかける思い、背景と一生をまとめ上げたのが本書だ。光さんもプロの伝記作家ではないし、いわばアマチュア画家を素人作家が評伝に著したように見える。しかし、五郎のアマチュア性は、市井に生きる従軍経験のある一人の広島出身者ゆえの責務を体現しているし、光さんは等身大の父を描くことで画業にとどまらない四國五郎の姿を読む者に教えてくれた。アマチュアと言ったが、幼少の頃から画才に秀でた五郎の技量は著者のみならず、多くの認めるところだ。けれど画家への夢は招集、満州へ、そしてソ連軍の侵攻によりシベリアに抑留されたことにより絶たれた。ラーゲリでの生活は3年以上に及び、広島では最も愛したすぐ下の弟直登を原爆で失う。やっとことで帰国した五郎を迎えたのは破壊された故郷と弟の死だった。

戦後、市役所に職を得ながら、反戦活動に従事する。ともに活動したのが峠三吉。原爆詩人の峠と、画と詩を組み合わせた「辻詩(つじし)」=反戦反核のポスターをいく枚も書き上げる。しかし時代はまだ占領下。そして朝鮮戦争でGHQの言論統制も厳しい。それでも辻詩のほか、『反戦詩歌集』の発行など戦争と原爆への告発をやめなかった。ところで「辻詩」とは著者によるとバンクシーのような活動、神出鬼没で違法の抵抗アートのことだ。広島に原爆を落としたGHQ=アメリカが最も統制、弾圧の対象とする運動を繰り広げていたのだ。

やがて、占領下は終わるが、今度は逆コースの時代。日本にまた軍隊が、後の自衛隊が創設され、レッドパージも吹き荒れる。その中にあって、五郎は次々と活動の幅を広げ、市民に戦争の記憶の継承に道筋をつけた。1974年から始まった被曝体験者による「原爆の絵」募集や『絵本 おこりじぞう』(初出は1973年)の挿画などはその代表的な活動であろう。なぜ、五郎はそこまで反戦反核運動に生涯を捧げることができたのか。それは軍国少年としてそういうものだと従軍し、無知であった自己、そして不合理極まりない軍隊経験と仲間が次々に斃れ、次は自分の番と死を覚悟した収容所生活、そして原爆が落とされたその時広島にいなかった悔しさなどが合わさって作り上げられたものだろう。けれど思いだけで運動ができるものではない。若い頃から日記やすぐに絵にする画才、そして収容所ではソ連軍に隠れて記し、描き持ち帰った綴りものなど。飯盒に引っ掻いて描いたものまである。

父の生涯を丹念に追った光さんの筆致は正確で、あたたかい。それは光さんが何よりも父を尊敬しているからに違いない。尊敬できる人であったということだ。実は、身内、それも親を尊敬できるというのは難しい。世襲政治家が「父を尊敬します」というきな臭さとは正反対の尊敬のあり方だ。父としての実際の五郎は穏やかで声を荒げることもなく、いつも絵を描いている姿ばかり思い出されるという。近年、戦時トラウマの存在がクローズアップされる中で、己を律し、終始冷静かつ大胆に活動した四國五郎の凄さが改めて思い知らされる。

尊敬する戦争世代の中で「戦争出前噺」の本多立太郎(1914〜2010)さんがいる。本多さんは中国人を手にかけたこと、シベリア抑留の経験話を行脚なさっていて、一度話してもらったことがある。本多さんもシベリアから帰国後、ベ平連運動などずっと反戦活動に従事された。本多さんに四國五郎が重なって見える。ただ一点違うのは、本多さんが天皇(制)にたいする反駁を語っていたことだ(だから、「ムラの靖国」である箕面忠魂碑違憲訴訟をずっと支援されていた)。本書では、五郎にはあの戦争の一番の首謀者である天皇に対する思いがほとんど出てこない。本多さんもそうであるが、ソ連帰りということで実際以上に目の敵にされていたのではないか。右翼勢力からすれば「アカ」の頭目として。

闘病と執筆と。大変なお体で光さんが書き上げた四國五郎の実像とその執念に改めて敬意を抱く。(『反戦平和の詩画人 四國五郎』2023.5 藤原書店)

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「国」とは無縁のアイデンティティを   追悼 徐京植さん

2023-12-20 | 書籍

私が「中世最後の彫刻家」ティルマン・リーメンシュナイダーの名を知ったのは、徐京植(ソ・キョンシク)さんが「日曜美術館」で取り上げていたからだ。徐さんには『私の西洋美術巡礼』(1991 みすず書房)ほか、西洋美術にまつわる著書がいくつもある。その中には、20世紀美術、それもナチスによる迫害の時代強制収容所で命を落としたユダヤ人画家のフェリックス・ヌスバウムや二度の世界大戦の十分経験があり、戦争の悲惨さ、愚かしさを描いたオットー・ディックスも詳しく取り上げている(いずれも『汝の目を信じよ! 統一ドイツの美術紀行』(2010 みすず書房)。さらにご自身が在日コリアンであり、言葉をはじめとする置かれた環境に対する複雑さゆえ、その視座はユダヤ人に象徴的なディアスポラへの洞察へと続く。徐さんが、今年の7月31日東京で関東大震災100年、朝鮮人虐殺を取り上げた集会で講演されると知り、聞きに行った。そこで新著も購入した。

その徐さんが12月18日に亡くなった。ほんの5ヶ月前に講演されていたのに。報道では循環器系の持病とある。あの時も体調を押して話されていたのだろうか。とてもとても残念だ。

徐さんの姿は「美術評論家」だけではもちろんない。韓国に留学していた兄二人が当時の軍事政権にスパイにでっち上げられ、収監され、拷問を受ける。二人の救援活動を続ける中で同時に思索を深めた在日コリアンという立ち位置の複雑さ、不安定さ。徐さんをはじめ、在日コリアンがいるのは日本による植民地支配が原因で、第二次大戦後敗戦国日本は植民地であった朝鮮半島の南には韓国の国籍を認め、北には野晒しにした。ゆえに韓国籍を選択しない人々は無国籍者となった(国としての北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を表すのではない「朝鮮」籍を日本は認めていない)。徐さんも韓国籍がなかったため海外渡航もできなかった。しかし、後に欧州に出国でき、さまざまな国と美術作品と見え、したためた。その中で、自己にとって国籍とは何か、母語(自国語、祖語の概念も含めて)とは何か、そもそもアイデンティティはどこに存するのか?を問い続け、その明確な答えがないからこそ問い続ける意味を書き綴ってきた。その中で、ユダヤ人としてのアイデンティティゆえに殺されたヌスバウムや、アウシュビッツから生還したもののその経験と、イタリアを含め戦後ヨーロッパがその総括を個々のレベルできちんとできていない齟齬に悩み続けて自死に至ったプリーモ・レーヴィの生き様を追い続けた。そう、ヨーロッパの深い桎梏であるユダヤ人とともに、徐さん自身「在日朝鮮人」という国や言葉から規定できない、規定できるはずもないアイデンティティの存在としてのディアスポラを自認していたのだろう。

7月の集会で徐さんが紹介されたのは、韓国人映画監督が制作したルワンダの戦後を描く作品であった。ルワンダは1994年に多数派のフツ族が少数派のツチ族らおよそ100万人を虐殺した内戦の歴史を持つ。ルワンダは今やアフリカの新興国の筆頭で、イギリスは経済援助と引き換え自国の移民を送り込もうとしている件でも知られる。では、「内戦」後人々はどう暮らしているのか? 虐殺の歴史はどう継承されているのか? カメラは淡々とルワンダの人々の日常を追うが、虐殺の歴史が克服されていないこと、歴史のアーカイブ化、記憶の継承自体が困難な現状が垣間見られる。しかし、その現実を映像化することが大切なのだ。営みはすぐには始まらないし、遅々として進まないが、営みそのものを止めることは記憶の暗殺に繋がりかねない。

徐さんが問うたのは、アイデンティティの不安定さゆえに、個々のアイデンティティが問われない、問うことをやめてしまう思考停止。集団主義、全体主義の危険性ではなかったか。徐さんには寄るべき「国」がなかった。兄弟は内戦の果てに生まれた国に生を脅かされた。ディアスポラゆえに国を想い、国を欲すると同時に自分を助けてくれる国もない。ガザを無差別攻撃するユダヤ人の人工国家イスラエルはもちろん徐さんの欲する国の姿ではないだろう。

国とは一体なんなのか。徐さんの著作で考えたことを勝手に思い、書き続けるとキリがない。

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分断、虐げられた女性のモノローグが秀逸 フェミニズムが推す『侍女の物語』

2023-10-03 | 書籍

『侍女の物語』は、NHK「100分deフェミニズム」で鴻巣友季子さんが取り上げて、この度たちまち有名になるまで知らなかったのが恥ずかしい。オーウェルの『1984年』を想起せるディストピア小説の王道と言えるだろう。時は環境破壊や原発の影響などで、少子化が極端に進んだ近未来のアメリカ。キリスト教原理主義に基づくギレアデ共和国では、女性は4つの階級に分けられている。支配層の「司令官」との生殖行為だけのための「侍女」オブフレッド(司令官フレッド「の」という所有を表す「オブ」がつく名前)の語りで描かれる。「侍女」になるのは過去に中絶や不倫など「許されない」行為をなした女性たちだ。だが、「司令官」に派遣されても3回以内に妊娠しなければ「アンウーマン(不完全女)」となり、コロニーに送られる。コロニーでは長く生きられない。

なぜ、これがフェミニズムが推す作品であるのか。原作が発表された1980年代半ばはフェミニズムに対するバックラッシュが吹き荒れていた時代。そしてギレアデ共和国は、前政権を議会襲撃による大統領暗殺により権力を奪取した。恐ろしいほどのデジャブである。女性から権利を奪い、分断・支配するのは権力にとってコントロールしやすいから。オブフレッドが表す階級の上方である小母や妻、司令官をはじめとする周囲の男たち(不妊の原因がフレッドにあると見抜いた妻は、オブフレッドに運転手のルークと性交するよう強要する)、そして侍女仲間たち。その記述は正確で微細で人物像がよく立ち現れている。そうオブフレッドは賢明なのだ。しかし権利も財産もない。産む女か産まない女かだけだ。女性の意思、能力、状況を無視して分断する政治は、中絶が許される州とそうでない州に分けられたアメリカで現実化している。

鴻巣さんは、4つの階級のうち最下層の侍女を現在の日本では、新自由主義の進展、資本の論理であちらこちらに飛ばされる非正規雇用になぞらえる。そしてアンウーマンはコロナ禍で激増した女性の自殺や、暴発して殺傷事件を起こす人たちだろうか。

安倍晋三政権が集団的自衛権行使のために憲法解釈を捻じ曲げた際、憲法学者らを中心に政権の恣意的な言い換えを指摘していた。その際、『1984年』のニュースピークが引用された。ロシアによるウクライナ侵攻でプーチン政権は戦争と言わず、「特別軍事作戦」と言っている。『1984年』では戦争を「希望」と言い換えていた。

それにしても、虐げられた女性の、それも性的に搾取されている状態が日常 のモノローグによる描写はなんと説得力があり、冷静で、であるからこそ現実の恐怖を想起させることか。『侍女の物語』は21世紀の現在を描いているのだ。時代背景は過去、それも日本が大陸に侵略していた時代と違うが、気鋭の若手作家青波杏の『楊花(ヤンファ)の歌』も、モノローグの快作として推薦する。

(『侍女の物語』マーガレット・アトウッド作 斎藤英治訳 ハヤカワepi文庫、『楊花(ヤンファ)の歌』は2023年 集英社)

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画家は戦場で何を見たか そして美術史は戦争を今語るべきか 『反戦と西洋美術』

2023-09-04 | 書籍

著者の岡田温司先生(直接存じ上げているので、こう呼ばせていただく)は、博覧強記の方である。大学教授たるものそうでなくてはならないという面もあろうが、岡田先生はとても多くの著作があり、もともとのご専門がなんであったか不明なほど、その言及範囲は多岐にわたる。近年は影(陰)や、鏡、膜といった「間メディウム」に関する著作が多いようだが、それでも美術の地平から、作者の思惑を超えて、見る側、それが社会的にどういう意味を持ち、どう影響してきたかといった広範な関係性にかかる記述は美術にとどまることはない。

その岡田先生が、ロシアがウクライナに侵攻し、日本では安倍政権以降「軍拡」路線が進む中での危機感を基底に「反戦」を直接取り上げられたことに感慨を覚える。美術史・美学がご専門の人は、多くの人は現実の政治状況・国際関係にコミットしないし、その姿勢は少なくとも「非政治的」に見える。そして、政治学や社会学、国際関係論など実学部門、歴史学など過去の戦争を研究主体とする分野、あるいは憲法学、国際関係法などの法学から遠いと思われている芸術分野で現実政治に拘って発言する人は稀だ。

しかし、芸術作品とてその時代で起こった大きな事象、戦争が最たるもの、と無縁でないことは明らかで、有名なのはピカソのゲルニカなどであろう。『反戦と西洋美術』では、前近代の戦争画から紐解くが、著者によれば西洋において戦争の悲惨さに直面したのは17世紀からであるという。十字軍やルネサンス期のイタリア諸国の抗争では、英雄譚や勝利の栄光が描かれてきたからだ。それが、バロックの巨匠ルーベンスが三十年戦争におけるカトリックとプロテスタントの対立、ハプブルグ家とブルボン家の抗争に時期、戦争の悲惨さをギリシア・ローマ期の神々に訴えさせる形で描いたのが戦争画の転換点、嚆矢というのだ。確かに戦争終結の講和条約であるウエストファリア体制は主権国家の集合体であるヨーロッパの完成ともされる。しかし、主権国家間の対立は止まず、その後も数々の戦争を西洋は経験した。そして、戦争のフェーズが変わったのが、ザ・グレート・ウォーたる第一次世界大戦である。

タンク車、塹壕、毒ガスという総力戦、殲滅戦はそれまでと比較にならないくらいの若い命を奪った。画家もその例外にもれない。青騎士の仲間として友人のマルクやマッケを失ったパウル・クレーは自国の飛行機が落ちたことも喜んだ。そして、オットー・ディックスをはじめ、戦争の悲惨な面を容赦無く描く画家も多く現れた。第二次世界大戦になると、ユダヤ人であるということのみで逃れ、収容所で命を落とした者も少なくない。

そもそも第一次世界大戦という未曾有の不合理ゆえにダダ、そしてシュルレアリスムが発生、発展した歴史があり、ナチスの思想に反するとされたシュルレアリストたちも脅威にさらされた。マックス・エルンストをはじめアメリカに逃れた作家も多い。アウシュヴィッツで殺されたフェリックス・ヌスバウムのような戦後に奇跡的に発掘されたユダヤ人画家もいる。さらに、大戦後のヨーロッパで戦中の恐怖、鬱屈、韜晦、悔恨などさまざまに複雑な感情をドローイングでほとばしらせたのがジャン・デュビュッフェやジャン・フォートリエといったフランス人画家もいた。

もう世界大戦など起こらないと東西冷戦構造を横目に起こったのがベトナム戦争であり、それに対する大きな反戦のうねりもあった。河原温、草間彌生、オノ・ヨーコといった在米日本人作家が直接的な表現ではないにせよ、ベトナム反戦の作品を明確に打ち出していた。ベトナム戦争への抗議と抵抗は著者によると、フェミニズムとアート界の体制批判として特徴づけられるとする。そのいずれもが、ベトナム戦争以降、あらゆる戦争や体制へのアンチをその後表現し続けてきた今日を思えば的確な洞察だろう。

本書には、聞いたことのない作家、作品も多く紹介されるし、時代背景と無縁ではないそれらを取り上げる意義が丁寧に説明される部分など、岡田先生のいわば美術と世界(史)を結ぶ手綱に唸らされっぱなしであった。本書の的確、詳細な評は筆者の能力を超えるが、新書という形態ゆえ、多くの人に読んでほしい好著であると思う。そして、ここからは勝手な思いだが、ロシアのウクライナ侵攻により、戦争が人類にとって常時身近にあると認識させられた現在こそ、美術史家として、このような書を世に出さねばと岡田先生は考えたのではないだろうか。(『反戦と西洋美術』2023 ちくま新書)

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『死刑すべからく廃すべし 114人の死刑囚の記録を残した明治の教誨師・田中一雄』 「大逆事件」の過酷がまた明らかに

2023-06-28 | 書籍

著者には『大逆事件 死と生の群像』(2010岩波書店)という労作がある。労作というのは、『大逆事件』の取材に10年以上の歳月をかけ、その後も『飾らず、偽らず、欺かず 管野須賀子と伊藤野枝』(2016 同)、『一粒の麦 死して 弁護士・森長英三郎の「大逆事件」』(2019 同)と徹底して「大逆事件」を追及してきた最近作であるからである。実は、著者の田中伸尚さんには30年以上前に講演をお願いしたことがあり、その中で「大逆事件」で死刑判決、減刑、獄中で自死した高木顕明のことを取り上げられた。であるから著者にとってこの労作には40年いやそれ以上を超える取材とこだわりがあると考える。

著者は『大逆事件』で、幸徳秋水、管野須賀子ら以外の著名ではない被告人に思いを馳せる重要性を指摘している。そうである。24名もの冤罪で「大逆」を問われ、うち12名が判決後まもなく頚きられた戦前日本で最大級の国家犯罪であるのに、その雪冤が全くなされていない。『一粒の麦』では、死刑を免れた坂本清馬の戦後の再審請求を担当した森長を取り上げたが、本書の教誨師・田中一雄はさらに資料がない。どこに光を当てるのか、当てられるのか。田中一雄の手記には森長の調査の過程で出会ったという。200人を超える死刑囚の教誨師を務めた田中は浄土真宗の僧侶であった。そして著者の記するように当時の教誨は「教育勅語にもとづく国民道徳を説き、極悪人の心を落ち着かせて死を受け入れさせる『安心就死』であった」(4頁)。しかし、田中は死刑(制度)に違和があった。教誨を通して、死刑囚が自己を振り返り、十分な機会が与えられれば更生の可能性が大きいと感じていたからだ。制度としての死刑の壁はあつく、田中の悲憤はどう描かれたか。

本書は4章構成である。教誨した114名分の記録を残した田中のその全体像から、死刑囚に寄り添う姿勢を分析する第1章。多いのは強盗殺人や田中が取り上げる「情欲殺人」といった現代の刑法概念で捉えると、動機の背景や態様が複雑ではなくどちらかというと「粗暴犯」に分類される事案かもしれない。しかし、そのようないわば単純な動機や犯意を持つ被告人は、更生の可能性こそ高いと田中は考えた。「手記には、情欲に絡んだ殺人事件は十数件を数えるが、いずれについても田中は『死刑の必要なし』『死刑するには及ばず』『死刑は無益なり』などと言い切っている。」(43頁)

さて、人を実際に殺したわけでもなく、その「謀議」にかかずらったとされるだけであるのに24名もの死刑判決を出した大逆事件を扱う第2章。判決からわずか6日で12名の死刑が執行されたこともあり、どの死刑囚にどのような教誨がなされたか不明な部分が多い。執行には立ち会った田中も手控えには判決をそのまま写すのみで、感想もない。著者は「『大逆事件』が政治的でっち上げでもそれを見抜ける立場にはいなかった田中は紛れもなく明治人で、同時代のほとんどの人びとに共通する明治天皇への敬愛は強かったろう。それゆえ押し黙ったように寡黙になったのだろうか。」(101頁)と推しはかる。同時に「『沈黙』を貫いたのは田中のぎりぎりの抵抗だったのかもしれない。」(104頁)。しかし手記から田中が管野須賀子の明晰さを読み取り、著者によればお互いを尊重する交流があったことを示す資料もある。ただ、やはり大逆事件の核心は実行行為ではなく、思想そのものを刑死させる(当時の)刑法第七十三条の存在であった。大逆事件後の田中の教誨メモは一気にそっけなくなる。

田中の手記が残された経緯を辿るのが第3章。その最重要のキーパーソンたる教誨師がキリスト者の原胤昭(たねあき)である。田中から手記を託された原がその保管と分析に尽力した。田中一雄が旧会津藩士で前歴があり、医師でもあった。それがなぜ東京で僧侶となり、教誨師を務めることになったのか。真偽を確かめる道行きが第4章である。結局決定的な立証とはまではいかないまでもその可能性は十分にあり、幕末維新の激動期、その激動の目撃者たる旧会津藩という特殊な出自、さらに天皇教には完全に絡め取れなかったクリスチャンの原に手記を託した必然性。

物語は多分終わらない。「死刑制度」は「未決の問題」であり続けるからだ(204頁)。田中の、生きていてこそ更生が得られるという考えは、浄土に行く仏教概念より、肉体の復活を信じるキリスト教に近いとも言える。しかし、現実に死刑はあり、現在も続く。冤罪が明白である袴田巌さんの再審が決まったのはついこの間だ。だからこそ「死刑すべからく廃すべし」なのだ。

(『死刑すべからく廃すべし 114人の死刑囚の記録を残した明治の教誨師・田中一雄』2023 平凡社)

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