百貨店の催し物も、コンサートや舞台の案内、美術展覧会のお知らせまで、頼みもしないのに(登録しているからだが)どんどんメールやSNSで送られてくる時代に紙の宣伝媒体は不要か?いや、意味がないものだろうか?そんなことは決してないと思う。
百貨店の催し物は、大呉服市だろうが北海道物産展だろうが自分に全く関係なさそうなものであっても、電車の吊り広告はしげしげと読んでしまうし、美術展はいまだに館のチラシコーナーを漁っている。それくらいポスターやチラシに描かれたデザインが自分にとって大きな訴求力を持っていると感じる。
松井桂三は、米アップルのMacintoshのパッケージデザインやヒロココシノのアートディレクションで知られる。松井の仕事は、ポスターはもちろん、プロダクトデザインや大阪芸術大学での後進の育成など多岐にわたる。しかし、広島に原爆が投下された翌年に生を受けた松井はその点については深くこだわっていたようだ。ニューヨーク近代美術館に永久保存となった「惨劇への発令」(1980)は、アメリカ国立公文書館所蔵の「原爆投下指令書」がモチーフとなっている。松井の反核(兵器)の姿勢は、他の作品にもうかがわれる。しかし、膨大な量の仕事の中でそれはほんの一部で、見るものを圧倒する多彩さに驚く方が優ってしまう。同時に、松井が手がけた政府広報ロゴは有名、定着しているし、また、高松宮が関わる行事のポスターも手がけるなど、政治的には「色なし」と言っていいだろう。
商業デザインを志す者が、(たとえ後に「ブラック企業」などと批判されることも含めて)無節操であることは重要かつ必然で、政府が決めた意匠しか許されなかったり、広告主がデザイナーの発想に大きく介入するような社会では自由なデザインといったものは成り立たないだろう。また、デザインに限らないが、視覚表現の多くは、現状への皮肉や問いかけ、違った角度からの追求によって、視る者に新たな観点や論争を生み出す効用もある。そしてそのオルターナティブな姿勢を担保するのが、さまざまなデザイン、ポスター、プロダクト、WEB広告などを問わず、より斬新な切り口を提示する力量だろう。
松井は、大学を中退後、フリーの仕事をしながら独立するまで高島屋宣伝部に席を置いた。関西の優れたデザイナーの先達には百貨店に勤めた者も多い。住友銀行のポスターやメンソレータムのデザインで知られる今武七郎は、戦前の神戸大丸、画家としての知名度の方がおそらく高い菅井汲は阪急電鉄、泉茂は大阪大丸にいた。百貨店業界が厳しい現在、各店舗ごとにデザイナーを雇っているとは思えないが、百貨店広告はもちろんのこと、見てすぐわかるポスターやパッケージデザインといった類のものは、購買意欲を高めさせ、たとえ買わなくても中身についてもっと知りたいと思わせるワクワク感に溢れている。
ずいぶん昔、職場の労働組合新聞の編集をしていた頃、アメリカがイラク戦争を始めた際には、通常記事を全部ぶっ飛ばして、一面を「NO WAR」だけとしたことがある。組合の新聞なんてほとんどの人が読まないという冷めと編集権がいい加減なためにできたごくごく個人的な「驕り」ではあった。あのデザインが優れていたとは決して思わない。けれど、政治性ももちろん含めて、描いた先を想像、期待させるデザインはやっぱり大切だと考える。
松井桂三展の題は「化学反応実験」。実験は時に素晴らしい新構成物を生み出すかもしれないし、爆発して周りを雲散霧消させるかもしれない。だがデザイン提供におけるワクワク感もそういった反応を楽しみにしているのだろう。(松井桂三展は宝塚市文化芸術センター 5月14日まで)