大好きな漫画のシリーズに「日本人の知らない日本語」というのがある。日本語学校に通う外国人に日本語を教える先生の日常を描いたものだが、日本語ネイティブでない人たちに日本語を教えることがいかに難しいかが垣間見られて面白い。その中では日々氾濫する誤った日本語を覚えてくる外国人と格闘する先生。いや、格闘の相手は言葉そのものだ。例えば宿題を出すと先生が言うと生徒は「マジですか!」「今日習った、丁寧な表現で今の「マジですか」を言ってみましょう」「マジでございますか」といった具合。
外国人が学ぶ日本語の世界は、言わば地図も持たずに大海に漕ぎ出すようなもの。けれど、その大海は同時に未知の魅力に溢れている。その大海を渡るには一語一語を大事にしなければならない。
「大渡海」。新しい国語辞典を編纂するのに抜擢されたのは営業部でお荷物扱いだった真面目な青年。その彼をして15年の歳月をかけて編まれたのがこの言葉の未知の世界へ漕ぎ出した「大渡海」。普通の書籍が3校までするというのは知っていたが、国語辞典は10校!まですると読んだことがある。10校は大げさにしても「大渡海」は5校。そして収録するのは24万語。15年の歳月の間に消える言葉、生まれる言葉。「大渡海」は中型辞典との設定で広辞苑や大辞林などと同じだそう。広辞苑がどのように創られるか想像すればよい、というか想像できない。言葉は生きているし、その用例、解釈も変わっていく。加藤剛演じる国語学の大家は「用例採集」と、街に出て聞きかじった言葉を集めている。合コンまで出かけ「チョベリグ」「キモい」まで。その中から辞典に載せる語を選び、的確な「語釈」をつける。広辞苑は「誤った用例」と断っているとか(例えば「憮然」とか)。語釈には用例がつく。「ダサい」の使い方にピタっとくるのは「酔っぱらって勢いでプロポーズする奴はダサい」などと。そして気の遠くなるような校正が待っている。さきに辞書は10校すると書いたが、5校でも終わりが見えないほどの作業であることは間違いない。しかも加藤剛演ずる大家の余命は幾ばくも無い。営業部からはせっつかれる。
主役の馬締(真面目!)演じる松田龍平をはじめ、引退する編集者に小林薫、馬締を応援するチャライ先輩にオダギリジョー、馬締の下宿のおばあさんに渡辺美佐子などカタい脇などに評価が高い作品であるが、それは認めざるを得ないとはいえ、やはり文字(もんじ)の魅力を語るのが本作のキモである。いや、文字が辞書として私たちの眼前に開ける過程こそわくわくする。そしてそこに至る、あるいは至らない展開が、言葉・文字に対する愛を感じるのだ。
国家公務員試験にTOFEL導入などと思いつきでぶち上げた閣僚がいた。またグローバル企業を売りにして、そのため疲弊し辞めていく社員が数多くいるのに(その会社の入社3年での離職率は50%超!)、自らのブラック企業ぶりに知らんぷりして社内言語を英語とするなどとした衣料大手小売り企業もあった。この日本の好き嫌いは別にしても、まだまだ知らない日本語の大海に航海する心意気はとても大事と思う。言葉を大事にするということはそれを使う人、文化を大事にすることにも繋がればとも思う。役者の達者ぶりとは違って、そんなところに共感できる、それが「舟を編む」である。
外国人が学ぶ日本語の世界は、言わば地図も持たずに大海に漕ぎ出すようなもの。けれど、その大海は同時に未知の魅力に溢れている。その大海を渡るには一語一語を大事にしなければならない。
「大渡海」。新しい国語辞典を編纂するのに抜擢されたのは営業部でお荷物扱いだった真面目な青年。その彼をして15年の歳月をかけて編まれたのがこの言葉の未知の世界へ漕ぎ出した「大渡海」。普通の書籍が3校までするというのは知っていたが、国語辞典は10校!まですると読んだことがある。10校は大げさにしても「大渡海」は5校。そして収録するのは24万語。15年の歳月の間に消える言葉、生まれる言葉。「大渡海」は中型辞典との設定で広辞苑や大辞林などと同じだそう。広辞苑がどのように創られるか想像すればよい、というか想像できない。言葉は生きているし、その用例、解釈も変わっていく。加藤剛演じる国語学の大家は「用例採集」と、街に出て聞きかじった言葉を集めている。合コンまで出かけ「チョベリグ」「キモい」まで。その中から辞典に載せる語を選び、的確な「語釈」をつける。広辞苑は「誤った用例」と断っているとか(例えば「憮然」とか)。語釈には用例がつく。「ダサい」の使い方にピタっとくるのは「酔っぱらって勢いでプロポーズする奴はダサい」などと。そして気の遠くなるような校正が待っている。さきに辞書は10校すると書いたが、5校でも終わりが見えないほどの作業であることは間違いない。しかも加藤剛演ずる大家の余命は幾ばくも無い。営業部からはせっつかれる。
主役の馬締(真面目!)演じる松田龍平をはじめ、引退する編集者に小林薫、馬締を応援するチャライ先輩にオダギリジョー、馬締の下宿のおばあさんに渡辺美佐子などカタい脇などに評価が高い作品であるが、それは認めざるを得ないとはいえ、やはり文字(もんじ)の魅力を語るのが本作のキモである。いや、文字が辞書として私たちの眼前に開ける過程こそわくわくする。そしてそこに至る、あるいは至らない展開が、言葉・文字に対する愛を感じるのだ。
国家公務員試験にTOFEL導入などと思いつきでぶち上げた閣僚がいた。またグローバル企業を売りにして、そのため疲弊し辞めていく社員が数多くいるのに(その会社の入社3年での離職率は50%超!)、自らのブラック企業ぶりに知らんぷりして社内言語を英語とするなどとした衣料大手小売り企業もあった。この日本の好き嫌いは別にしても、まだまだ知らない日本語の大海に航海する心意気はとても大事と思う。言葉を大事にするということはそれを使う人、文化を大事にすることにも繋がればとも思う。役者の達者ぶりとは違って、そんなところに共感できる、それが「舟を編む」である。