kenroのミニコミ

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男女平等ランキング110位の国から見る「ビリーブ 未来への大逆転」

2019-03-23 | 映画

NHKの「サラメシ」で東京地方裁判所の女性裁判官の日常にフォーカスしていて、ランチタイムの「女子会」では、裁判官以外の一般職員との交流が描かれる。裁判所が建物内の撮影を許可したのも驚きだが、裁判官の日常シーンの撮影を許可したのも驚きだ。とはいえ、裁判所は安倍政権の言に則って「女性活躍」と、裁判官、一般職とも女性採用・任用に躍起である。裁判所では管理職試験には男性より女性に「受けろ」との圧力が強いともあるそうだ。

なぜか日本公開では「ビリーブ」とあるが、原題は「ON THE BASIS OF SEX」である。「性」に基づいて、という原題そのもので、主人公のルース・キンズバーグの秘書が、「SEXではなくてGENDERで」というシーンがある。ジェンダー=社会的性差。それこそ、80年代以降フエミニズムの運動によって定着した言葉である。

1950年代。アメリカでも女性は働く者、男性の稼ぎに頼らず自立した個としての人間とは認められてはいなかった。やっとハーバード・ロースクールへの女性入学が認められたとはいえ、500人のうち女性は9人。学年トップの成績も、夫のニューヨーク赴任についてコロンビア大学法科大学院に転籍するが、ここでも主席で卒業。しかし、女性でユダヤ系の者を雇う弁護士事務所などどこになかった。大学で「性差別と法」の教鞭を取っていた1970年。夫マーティンが持ってきた訴訟記録に自ら弁護する決意を固める。それは女性には認められていた親の介護に伴う税控除が独身男性には認められないという税法上の性差別事案。ルースはこの差別法が憲法違反だと認めさせる戦いに挑む。

「法は天候には左右されないが、時代の空気には左右される」。映画で何度も繰り返されるキーフレーズは、アメリカでもこの日本でも当てはまる。しかし、法は時として、時代を先取りしないといけない場合もある。というのは、上野千鶴子さんが解説で、1)時代がとっくに変わっていったところにようやく法が追いついた例、2)時代が変わってしまったのに法が頑迷に変化しない例、3)時代の現実が追いついていないのに形式的平等があてはめられて、かえって問題が起きる例。と3例にわけて分析しているが、1)は男女雇用機会均等法を、2)は夫婦別姓選択制、3)は子どもの引き渡しを求めるハーグ条約の例をあげている。男女雇用機会均等法によって採用差別や定年差別が表面上は禁止されたが、東京医科大の女性入学差別や、非正規労働に就くのは圧倒的に女性が多いことなど、まだ均等法だけでは不十分と思える。世論調査で5割、50歳未満では6割超の賛意のある夫婦別姓選択制を国会は  国会議員の女性割合がG20で最下位のためなどで、男女平等ランキングが世界で110位(2018年)  絶対に認めようとしない。2015年の最高裁判決でもどちらでも選べるから差別ではないとするが、選ぶ自由が男性より女性にない実態を無視している。

日本よりはるかに進んでいるように見えるアメリカでも70年代までは、明らかに女性差別のひどい国だった。その逆境にあって税法上の性差別を違憲だと勝ち取り、他に様々な功績を残したルースは、1993年クリントン大統領によりアメリカ史上2人目の連邦最高裁判事に任命され、86歳の今も現役である。日本の最高裁でも女性判事は何人も誕生しているが、先の夫婦別姓合憲判決では岡部喜代子、櫻井龍子、鬼丸かおる、の3裁判官は違憲の少数意見を書いている。しかし現在最高裁の女性判事はたった1名。より後退してると言えるのではないか。

「法は天候には左右されないが、時代の空気には左右される」がいい方向に向かえば、時代を先取りすることもできるが、現在の日本の司法は、数々の原発訴訟や沖縄の辺野古基地建設を巡る判断など「時代の空気」を「政権の思惑」に限定して読んでいるように見える。ルースの戦いのエキスが、男女平等ランキング110位のこの国に大量に必要なのは言うまでもない。

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韓国の民主主義にならう  「共犯者たち」と「スパイネーション 自白」

2019-03-10 | Weblog

1980年代、韓国はまだ軍事独裁政権そのものだった。80年は光州事件。民主化を求める民衆に全斗煥政権は軍隊を持って「鎮圧」した。後に大統領になる金大中氏にはこの民衆デモの「首謀者」として死刑判決を受ける。そのような国が、現在、民主主義の現実化という面では日本より一歩も二歩も先んじているように見える。それはなぜか。

朝鮮戦争という同じ民族が殺しあった戦争が終わったわけではなく「休戦」という状態にあって、北朝鮮は資本主義を否定する、韓国から見れば極端な王朝国家。しかし、文在寅(ムンジェイン)政権になって一気に雪解けの感がある。そもそも韓国の民主化がこのように一気に進んだのは何故か? それは軍事政権の後、金大中、盧武鉉と民主大統領がその下地を作り、李明博、朴槿恵と保守政権の揺り返しに対する批判が大きい。李明博政権の時は、アメリカ産牛肉のBSE疑惑隠しや4大河川事業汚職が、朴槿恵政権ではセウォル号事件に際順実ゲート事件。これらの政権にとっての大きなマイナス材料であるのに、KBSやMBCといった大手放送局に政権の息のかかった経営陣を送り込み、報道する記者を次々に解雇、取材の現場から放逐した。政権を脅かすスキャンダルは平穏なニュースに「着色」されて報道された。極めつけはセウォル号事件における「全員無事」報道。解雇された記者らが設立したのが調査報道専門の「ニュース打破」。そして解雇されなかった記者らは、ストに打って出、ある者は政権が送り込んだ社長を出ていけとSNSで拡散させる。そしてニュース打破記者による執拗な取材と責任追及。ロウソク革命で朴槿恵政権を倒したことは記者と市民ががっちり結びついた結果に他ならない。

一方、40年前の「在日同胞スパイ事件」から朴槿恵政権の時代に至るまで、繰り返し、北朝鮮のスパイをでっち上げてきた。拷問、虚偽自白を強要、中には自死した者、精神を病んだ者。脱北支、ソウルで公務員をしていた者をスパイ容疑で拘束し、妹に虚偽自白させる。妹は兄が無事帰ってくることを望んだが、兄が無罪を勝ち取り、釈放された時にはすでに国外退去処分の後。自死した被拘束者は氏名さえ書き換えられ、無縁仏にされる。取り調べ側=検察、証拠をでっち上げ、中国の公文書さえ偽造する。それらの事実をこれもまたニュース打破の記者はしつこく取材する。しかし、捏造を指揮した国家情報院の幹部は、誰も知らぬ、存ぜぬ、一切責任を取らない。でっち上げられた人たちが無罪となった後も。

公共放送の復活を描いた前者「共犯者たち」とスパイでっち上げを追及した後者の「スパイネーション 自白」。これらが描くのは正義とは何か、正義はいつまでも追い求め続けなければならないものだということ。韓国の最高大法院(日本の最高裁みたいなもの)を訪れたことがある。正面に大きく「民主、公正、正義」とあった。韓国の司法が、この3つを本当に体現しているかどうかは不明だが、これらのスローガンに反対する者はいないだろう。

しかし、文在寅政権以降、スパイにでっち上げられた人たちが次々に無罪となっているのは事実だ。民主主義の現実化は、市民のデモだけでも、報道の権力監視機能だけでも、司法の独立だけもない。これらの重層的な権力包囲網があってはじめてなし得るものだ。翻って、辺野古や高江などで座り込む老人らを屈強な警察官が弾圧、「公共放送」NHKは安倍政権の提灯持ち、菅官房長官は特定の記者を差別、数々の冤罪事件(そこには横浜事件などの戦前の権力犯罪も含まれる)を無視する司法と、日本の現状は韓国の民主主義より一歩も二歩も遅れていると思える所以である。

 

 

 

 

 

 

 

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