NHKの「サラメシ」で東京地方裁判所の女性裁判官の日常にフォーカスしていて、ランチタイムの「女子会」では、裁判官以外の一般職員との交流が描かれる。裁判所が建物内の撮影を許可したのも驚きだが、裁判官の日常シーンの撮影を許可したのも驚きだ。とはいえ、裁判所は安倍政権の言に則って「女性活躍」と、裁判官、一般職とも女性採用・任用に躍起である。裁判所では管理職試験には男性より女性に「受けろ」との圧力が強いともあるそうだ。
なぜか日本公開では「ビリーブ」とあるが、原題は「ON THE BASIS OF SEX」である。「性」に基づいて、という原題そのもので、主人公のルース・キンズバーグの秘書が、「SEXではなくてGENDERで」というシーンがある。ジェンダー=社会的性差。それこそ、80年代以降フエミニズムの運動によって定着した言葉である。
1950年代。アメリカでも女性は働く者、男性の稼ぎに頼らず自立した個としての人間とは認められてはいなかった。やっとハーバード・ロースクールへの女性入学が認められたとはいえ、500人のうち女性は9人。学年トップの成績も、夫のニューヨーク赴任についてコロンビア大学法科大学院に転籍するが、ここでも主席で卒業。しかし、女性でユダヤ系の者を雇う弁護士事務所などどこになかった。大学で「性差別と法」の教鞭を取っていた1970年。夫マーティンが持ってきた訴訟記録に自ら弁護する決意を固める。それは女性には認められていた親の介護に伴う税控除が独身男性には認められないという税法上の性差別事案。ルースはこの差別法が憲法違反だと認めさせる戦いに挑む。
「法は天候には左右されないが、時代の空気には左右される」。映画で何度も繰り返されるキーフレーズは、アメリカでもこの日本でも当てはまる。しかし、法は時として、時代を先取りしないといけない場合もある。というのは、上野千鶴子さんが解説で、1)時代がとっくに変わっていったところにようやく法が追いついた例、2)時代が変わってしまったのに法が頑迷に変化しない例、3)時代の現実が追いついていないのに形式的平等があてはめられて、かえって問題が起きる例。と3例にわけて分析しているが、1)は男女雇用機会均等法を、2)は夫婦別姓選択制、3)は子どもの引き渡しを求めるハーグ条約の例をあげている。男女雇用機会均等法によって採用差別や定年差別が表面上は禁止されたが、東京医科大の女性入学差別や、非正規労働に就くのは圧倒的に女性が多いことなど、まだ均等法だけでは不十分と思える。世論調査で5割、50歳未満では6割超の賛意のある夫婦別姓選択制を国会は 国会議員の女性割合がG20で最下位のためなどで、男女平等ランキングが世界で110位(2018年) 絶対に認めようとしない。2015年の最高裁判決でもどちらでも選べるから差別ではないとするが、選ぶ自由が男性より女性にない実態を無視している。
日本よりはるかに進んでいるように見えるアメリカでも70年代までは、明らかに女性差別のひどい国だった。その逆境にあって税法上の性差別を違憲だと勝ち取り、他に様々な功績を残したルースは、1993年クリントン大統領によりアメリカ史上2人目の連邦最高裁判事に任命され、86歳の今も現役である。日本の最高裁でも女性判事は何人も誕生しているが、先の夫婦別姓合憲判決では岡部喜代子、櫻井龍子、鬼丸かおる、の3裁判官は違憲の少数意見を書いている。しかし現在最高裁の女性判事はたった1名。より後退してると言えるのではないか。
「法は天候には左右されないが、時代の空気には左右される」がいい方向に向かえば、時代を先取りすることもできるが、現在の日本の司法は、数々の原発訴訟や沖縄の辺野古基地建設を巡る判断など「時代の空気」を「政権の思惑」に限定して読んでいるように見える。ルースの戦いのエキスが、男女平等ランキング110位のこの国に大量に必要なのは言うまでもない。