kenroのミニコミ

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神戸長田のくず鉄業界にこの男あり!  その男・榎忠(エノチュウ)

2006-04-16 | 美術
美術がアートと呼ばれ、美術家がアーティストと名乗るようになったのはおそらくここ10、20年くらいだろう。最近台頭している比較的若い芸術家は自らアーティストと名乗っているようであるし、反対にある程度年配の人は美術家であるような気がする。前者の代表が村上隆であり、後者の代表が森村泰昌である。と言ってもこれは筆者の感じ方で、厳密にはどうであるわからない。そして他人があんたはアーティストとは言えないなんて否定することはできない。
昨年会社を定年退職し(彼がサラリーマンだったというのも驚きだが)たエノチュウは自分では「美術」という言葉をよく使うが、紛れもなくアーティストであり、アクティビストであり、パファーマーである。と横文字を並べたのはエノチュウの「作品」が「美術」や「芸術」では納まらないからだ。
1944年香川県善通寺で生まれ、神戸を舞台にずっと活動を続けてきたエノチュウは、鴨居玲らと親交があったが、その頃吉原治良ら関西で活動していた「具体美術協会」が集団でパファーマンスをしていたのと違って、基本的には単独の作品が多い。 今から見ると「具体」も相当ぶっとんだ活動をしていたようだが、エノチュウの行動もスゴイ。腹部と背中に大阪万博のシンボルマークを焼き付けてふんどし一枚で銀座のホコ天を歩いた「裸のハプニング」(70年)。有名な「ハンガリー国へ半刈り(ハンガリ)で行く」(77年)など。エノチュウのすごいところは、奇抜なアクションを繰り返しているだけではなく、今で言うインスタッレーション、巨大な鉄の模型?など見る者の目を奪う作品も残していることだ。いや、残っていないものも多く今となっては写真や映像でしか確かめられないので、正確には残すことを意識せずに「つくった」ということだろう。
「目を奪う」というのはどう表現していいかわからないが、エノチュウの無骨な鉄の塊には見とれてしまうということだ。大砲をつくったり、廃材を寄せ集め1年がかりで完成させた「スペースロブスターP-81」など。そして今回のために製作され、キリンプラザに展示されている「RPMー1200」。意味がわからなかったり、何を表しているのかすぐには見抜けなくてもなぜか惹かれてしまうアイアン、スチール。妙に冷たさを感じさせず、そしてコンピューターのような無機質さとも違う。これは見た人にしかわかってもらえないだろう。
とにかくエノチュウの作品の通底にあるのはある種の文明批判であり、現実懐疑である。例えば「スペースロブスターP-81」は、地球から大量に排出されたゴミが固まりとなって宇宙から送り返されてきたという具合に。「大量殺人がすごく夢」だった語るエノチュウ(「美術手帳」06年4月号)。今時のホントに人を殺してしまう少年らと違い、自分には美術があってそういった妄想からも離れていったと言う。規則や横並びでがんじがらめに見えるこの国で「(何事にも)とらわれず、疑う」を表現してきたエノチュウの仕事には、職人的な志を妙に感じてしまうのだが。
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