「子どもたちをよろしく」(http://kodomoyoroshiku.com)は、このブログで紹介したかったのだが、あまりにキツイ内容であったためもあり、書けなかった。「ぜんぶ、ボクのせい」はある意味、それ以上の苦さである。救いはないが、この国の現実を描いているのは明らかである。
児童養護施設で暮らす優太は、中学生になったら母親が迎えに来てくれると聞いていたのに一向に現れない母。施設の説明にも不信感を増し、飛び出した優太は、自分を邪魔者とする母に直面し、ホームレスの「おっちゃん」、おっちゃんを話し相手に来る訳ありそうな女子高生詩織と居場所を見つけたに思えたが。
ここでは施設の現況や課題を伺わせる場面は明確には描かれない。しかし、職員の数に比して子どもの数の多さは明らかだ。優太を気にかける職員も優太にだけかまっているわけには行かない。そして、優太は自分のことを、考えるところを全く話さない子である。優太が生まれ、幼かった時は母親も本当に可愛がり、甲斐甲斐しく愛したのだろう。けれど、男に頼って生きるしかない母親は、次第に優太が邪魔になった。話は飛ぶが、大阪で小さな子どもを自宅に置き去りにして、男友だちと過ごしている間に子どもらを死なせてしまった母親がいた。彼女にはさまざまな批判の声があがったが、彼女自身、スポ根で厳格すぎる父親からとても厳しく育てられ、その反動として若いうちから自立、幸せな結婚を演じようとした無理がたたったことが事件の背景にあることが明らかになっている。優太の母親にこの大阪の女性を見た。幸い優太は施設に入り、命の危険には晒されなくなったが、優太には優しく、自分を愛しく接してくれた頃の母親の記憶しかない。だからだらしない母親の姿を知らないし、それを実感するには幼すぎたのだろう。
でも、責められるべきは母だけなのだろうか。大阪の事件では、子どもらの父親は何をしているのだ、関わらなかったかのか、との追及の意見もあったが、結局、「父親」は不在だった。
父を知らない優太に、時に父のように接する「おっちゃん」は自由だ。そして優太にお姉さんのように接する詩織も、優太のあれこれを詮索しない。けれど、ホームレスへの差別や排外、地域社会の均衡を大事にする現実から、優太も詩織もおっちゃんも自由のままではいられない。ほんの束の間の自由だったのだ。
「8月のジャーナリズム」という言葉がある。広島・長崎の原爆忌や終戦(敗戦)日を中心に8月だけ戦争モノが取り上げるメディアの姿勢を揶揄していう。その中に被爆者に「平和とはなんですか?」と訊くシーンがあり、被爆者の方が「普通に過ごせること」と答えていた。私がもし問われたら「子どもが、食事ができて、屋根のある住居があって、信頼・安心できる大人に囲まれていること」と答えることを勝手に想定していた。優太には、一応、食事も屋根のある寝床も、おっちゃんもいた。が、優太は「平和」を享受できていただろうか。
できていたかもしれない。しかし永遠ではなかったのだ。「自由」と同じく、ずっと得られるものではなかったのだ。だから、現実にいる優太らに「平和」は必要だ。