kenroのミニコミ

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「個人と個人、個人と集団との間に生じる齟齬」 隙間を「仮縫い」でまつろう試み 髙橋耕平展 

2016-10-16 | 美術

失礼ながら髙橋耕平さんを知らなかった。現代美術シーンの「若手」作家は数多いるが、髙橋さんのコンセプト「記憶の継承と忘却や断絶」「個人と個人、個人と集団との間に生じる齟齬や共感」(「遠隔同化 二人の耕平」展リーフレットより)は、何かと黒か白か、こちら側かあちら側かと二項対立したがる風潮に疑問符を投げかけるアート本来の役割、それはたぶん現実の政治・社会状況に異なった視点からストップをかける役割を持っていると思う。

2016年4月に施行された障害者差別解消法では、民間企業に対し、障害者にたいする「合理的な配慮」を欠いたと申し出のあった場合の主務官庁への報告義務と、その報告義務を怠ったたり、虚偽の報告をなした場合の罰則を定める。しかし、実効性に疑問があるとの批判もある。問題は実は「合理的な配慮」という国家的線引きでない。政府広報は「合理的配慮」の例として、目の見えない人に対する点字書類の用意や、車いす利用者に対するフラットな通路などをあげる。それらも大切だが、この国家的線引きは、これを用意すればいいのでしょうという健常者側の一般的な基準と、その基準をどんどん厳しくしてしまう可能性を包含している。どんどん厳しくしてしまうというのは、主に、企業に準じて官庁や自治体など公共機関では、文句が出る前により「配慮」していますよと、全体的に自由度の低い間口を用意することにつながりかねないからだ。

実は、上記おもに身体的障害を対象にしたバリアフリーへの取り組みとその「配慮」は、思想的、精神的な自由度を狭める発想につながりかねない。というのは、個人と個人の段階で解決できた取り組みを「配慮」の名のもとに画一化するからである。例えば、障害者と一言でくくられがちであるが、これができる、これはできない、これは介助者がここまで関わる、関わらないが個々別々であるのに、エレベーターがあるからいいでしょ、スロープがあるから配慮しているでしょうとなりかねないからである。そこに個々の「個人」の姿はない。

「障害者」と一括りにされがちな一人ひとりが何を考え、何を望むのかについて、社会の側が丹念に聞き取ってきたとは言えない。それは「健常者」がそうではなかったから、より無視されることの多い「障害者」故であるかもしれない。そして、何がベストなのかを問う過程にはベターやワースに対する回避があるべきだろう。

阪神淡路大震災という未曽有の災害で、一人で生きていくのが困難な「障害者」があの時どう過ごし、どう生き抜いてきたか。その前提として、それまでどう生活してきたか、その後どう過ごしてきたか。ドラスティックな経験をした人もいるだろうが、多くの人はそうではない。そして、「健常者」であっても一人で生きていくことはできない。

髙橋さんは、本展で震災と震災後の「障害者」がどう生きているかを震災とは関係なく、言わば日常を追うドキュメンタリーの手法で、描いている。例えば西宮市の車いすユーザー鍛冶克哉さんは、とてもアクティブで、神宮球場や海外にも出かけている。それは「障害者がそこまで…」ではなく、「障害者」と「健常者」と間の壁を高く設けたからの嘆息に過ぎない。そして鍛冶さんは震災のときまだ小学生だった。

2014年9月に東京で開催された「反戦 ― 来るべき戦争に抗うために」展にも髙橋さんは出展されている(主催は沖縄在住の美術評論家土屋誠一さん)。同展は、同年7月に安保法制を閣議決定した政権の横暴を指弾するアーティストの表現活動である。それはいいか悪いか以前に議論をすっ飛ばした逡巡を拒否する横暴に対する異議申し立てであると、少なくとも、筆者は感じている。

髙橋さんの提示を楽しく、そして、少しだけ腕を組んでは考えなおしている。

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日本酒の深さと造り人の広がりに「カンパイ! 世界が恋する日本酒」

2016-10-10 | 映画

愛の映画である。日本酒への愛、作り人への愛、コメ農家への愛、日本酒を広げようと奮闘する人への愛。しかし、愛では日本酒の魅力を伝えきれない。愛の奥に合理的な戦略、簡単には真似できない努力がある。

日本酒というか、アルコール全体の消費量はじり貧である。その理由は、若い人がアルコールをあまり飲まなくなった、飲酒運転による悲惨な事故が相次いだ、飲酒時のマイナスイメージなどいろいろあるだろう。しかし、「悪酔い」という言葉もあるように良い飲み方を実践すればよいし、そのためには悪酔いしないお酒を選ぶこと。日本酒、アルコール全体の消費は減っているのに、日本酒の海外輸出はどんどん伸びている。三増酒(三倍増醸清酒)の時代しか知らない者からは、これが日本酒!と思わせるほどの洗練されたSAKEが今や世界を席巻しつつあるといっても過言ではないのである。

そのような洗練された日本酒をつくることを目指し、紹介してきた3人が本作の主人公である。英国は地方出身のフィリップ・ハーパーはアメリカ人ジョン・ゴントナーとともにJETプログラム(日本の公立学校への英語教師派遣プログラム)で来日した。日本酒について全く興味も知識もなかった2人がそれぞれ日本酒の魅力に取りつかれ、ハーパーはその後奈良県の酒蔵の蔵人となり、大阪の酒蔵を経て、京都の木下酒造の杜氏として迎えられ、新しいお酒をどんどん生み出している。片や、ゴントナーは日本酒伝道師として世界にその魅力を発信するとともに、英語で日本酒を教える「酒プロフェッショナルコース」を開催し“信者”を増やしている。やがて信者らは日本の外で蔵(ブリュワリー)を展開していく。

造り酒屋の5代目、久慈浩介は地元で「蔵を継ぐぼんぼん」という視線に重圧を感じていたが、蔵に戻り、蔵元となると持ち前の行動力、アピール力で南部美人を海外展開していく。  

映画はこの3人へカメラを向けて展開していくが、日本人のどの蔵人以上に職人気質のハーパーは最初撮影を断ったという。しかし小西未来監督の説得と「押しかけ」によって、その日本酒と造りに対する揺るぎない信念を見せつける。主人公はこの3人だが、彼らを取り巻く仲間や支えあう人々も撮りこまれる。久慈の友人で東京農大の同級生の鈴木大介はハーパーと蔵人として一緒に働いたことがあり、そして、東日本大震災で友人や実家の蔵を失った。流された蔵の跡や友人の墓を訪ねる鈴木にカメラは同行する。失くしたものは還らない。しかし、鈴木は現在山形県で旨し酒造りに挑むことで、震災を失ったものを忘れないようにしているように見える。震災後すぐに花見で酒を呑んでくださいと訴えた久慈も思いは同じだろう。当時は「自粛」ブームの中「花見なんてとんでもない。酒を売りたいだけだろ」という中傷もあったそうだ。しかし、このような「自粛」(=実際に被害者が止めてくれと言っているのではなく、周囲や関係のない人が、被害者感情を過剰に忖度する日本人的感性)では地元の復活や、心の回復にはつながらないと、むしろ世界に打って出た久慈こそ勇気ある人だろう。

映画が伝えたいことはたくさんある。日本酒の奥の深さは言うまでもない。しかし、久慈が自分の息子を継がせるかどうか、彼が継ぐかどうかなど分からないと言った言葉に、娘は対象でないというジェンダーの問題。ハーパーほどの求道者でなければ務まらない蔵の「ブラック」な労働条件、そして杜氏制度をなくし大成功した「獺祭」(旭酒造)に見られるような近代化・合理化の波とどう付き合うかなど。

 現在女性杜氏も複数誕生し、東京農大の風景では女子学生がたくさん見られた。変わらなければならないことと変わってはいけないこと。酒造りはその難しさを端的に見せてくれる世界なのかもしれない。ところで英語で表記されるSAKEは英語では目的とか理由といった意味である。お酒をつくる目的と理由とは何か?人に幸せをもたらすため? イスラム世界を除外しているようだが、含意深い語ではある。

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