kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ニキフォル  知られざる天才画家の肖像

2009-05-24 | 映画
スイスはローザンヌと言えば、バレエで有名だが、ここには世界的にも珍しいアール・ブリュット美術館がある。アール・ブリュットとはフランス語で「生の芸術」。精神障がい者芸術を積極的に紹介したジャン・デュビュッフェが名付けたとされる。「生の」とは、正式な美術教育を受けていない、あるいは、感性からほとばしる程度の意味である。デュビュッフェが障がい者芸術に出会い、その作風を大きく変容させていった以前は比較的分かりやすい具象画を描いていた。しかし、障がい者芸術に出会ってから、そのアンフォルメぶりはとてつもなく発展、後にウルループという曲線と赤、青、白の組み合わせの不思議なフォルムが展開されていった。
デュビュッフェを長々と紹介したのは、ニキフォルについて何も知らなかったこと、ニキフォルがデュビュッフェとは反対に徹底的に具象であったことを示すためである。アール・ブリュット美術館には日本の障がい者アートも数多く展示されていて、そのどれもがとても緻密で色鮮やかである。それらを想起させつつ、かつ、ポーランドというカソリックの強い社会でイコンのような肖像画など宗教画をそれこそ、数万点も描いた(ニキフォルの生涯描いた作品で残っているのが4万点と言われる)奇才の姿と彼を支えた人物を描いたのが本作である。
ニキフォルを演じたのが80を越えるポーランドの国民的女優のクリスティーナ・フェルドマンでその迫力と孤高の画家ぶりには圧倒される。ニキフォルはマリアン・ヴォシンスキという才能のない画家兼公務員に支えられたから後世に残った。晩年になってニキフォルはヨーロッパで認められるが、もしマリアンがいなければもっと早く亡くなっていたかもしれないし、作品が残ることもなかったかもしれない。今や、ニキフォルの作品はオークションでもっとも高値がつく画家の一人だというから驚きだ。そして忘れてはならないのは、社会主義下のポーランドで医療費はおそらく無料あるいは低廉、マリアンを支える友人の医師らの姿、ニキフォルの世話のために転職するマリアンなど弱肉競争主義ではない社会故に救われた部分もあるということだ。
道ばたで観光客相手に絵を売ってなかば浮浪者のような生活であったニキフォルが描く絵はとても鮮やかで表情豊かである。それはやはりニキフォルの観察眼によるところが大きいであろうし、絵を描く以外になにも興味がなかったからであろう。そしてそのような偏った人間を支えたマリアン。
ニキフォルはこれから日本でもどんどん紹介されるであろうが、その色遣いにはアール・ブリュットの資質が、独特のフォルムはマレーヴィッチの雰囲気が漂い、お気に入りの一人になりそうである。ただし、映画は1960年代のポーランドの田舎を描いた割には時代考証が甘いような気がした。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

博覧強記の好奇心  杉本博司「歴史の歴史」展

2009-05-17 | 美術
レンブラントはあれだけの画業をこなし、生前かなり稼いでいたにもかかわらず、散在がすぎてついには破産したというのは有名である。その散在の理由がとてつもない蒐集癖であったこと。ルネサンス期の絵画など直接の美術作品はもちろんのこと、イスラムのミニチュアや貝殻、あるいはガラクタとしか思えないものまで集めまくったという(尾崎彰宏『レンブラントのコレクション─自己成型への挑戦』三元社)。
杉本博司の膨大な蒐集癖にまずレンブラントを思い出した。ただし、今回本展に出品されたのは、どうやって入手したのか何億年前の貴重な化石や空から降ってくるのをずっと待つわけにもいかない隕石、人類の文明発祥を想起させるエジプト「死者の書」や古代日本は法隆寺の絹、そして『タイム誌』のバックナンバーまである。古週刊誌などガラクタに見えなくもないが、集められたのはほとんど第2次大戦前のものでヒトラーをはじめ、ムッソリーニや、昭和天皇、東条英機などファシズム期の指導者が表紙を飾ることも多く、その登場回数から時代、時代の重要度がかいまみえる。
杉本博司という人をよく知らなかったのだが、2005年に森美術館で回顧展をしていて、それで「ああ、このような写真を撮る人なのだ」という少し変わったコンセプトで対象を捉える写真家というイメージを勝手に持っていた。しかし、今回、その写真家としての広がり、というか写真家には違いないのだけれども、「写真家」というにはあまりにも杉本を評するには足らない気がしてしまった。
本展のタイトルが示すようにこれは「歴史の歴史」である。それこそ地球誕生から今世紀の最先端の建築物までカメラで写し取るという行為は、「歴史」から考えれば、それはあまりにも一瞬である。しかし、杉本は写真という何千分の一秒の世界であるからこそ、その世界で「歴史」を表そうとしたのではないか。もちろん、杉本の撮影方法はいわゆる動物写真や植物写真のようにほんの一瞬を切り取った(あるいはタイミングがすべて)写真とはひと味も二味も違う。露出を長くして、普通には露光できないものも描いている。そしてそうであれば、この世界に流れる時間を意識させるために徹底的に被写体に付き合う時間も長かろう。そして、人間の生などほんの100年足らずの中でその短い生しかない存在であるからこそ、海であるとか、宗教事物であるとかより長いスパンで人間に対峙する被写体と向き合っているのである(宗教発現の杉本の解説もまた簡潔でよい)。
展覧会での杉本自身の説明は、レンブラントもおそらくそうであったように思うのであるが、ある種の博覧強記を感じざるを得ない。好奇心が過ぎるのだろう。歴史を語るためには、杉本の場合、写すには、歴史が語られた歴史を繙かなければならない。そういう広角レンズ(というか360度か)を持った写真家の宿命として時間を我がものにした説明責任が杉本にはあるように思える。
45億年の中でほんのゴミくずの私たちにも時間を感じる特権は許される。
(写真は十字架教会 建築設計は安藤忠雄)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

その情景の背後が描けるか  子供の情景

2009-05-03 | 映画
イラクからの撤兵を表明したアメリカ・オバマ政権は同時にアフガニスタンへの増兵も明らかにした。9・11の実行犯をアルカイダとし、その全面支援国家(勢力)をアフガン政権のタリバーンとしたアメリカはアフガニスタンへ派兵し、これまで5万人もの兵力をつぎ込み、民間人死者は5千人超とも言われる。同時に難民は10万人とも言われ、アフガニスタンをめぐる状況は決して安定しているとはいいがたい。
タリバーンの偏狭な圧政についてはこれまでも描かれ(忘れてはいけないアフガニスタン~  ヤカオランの春 http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/db317ee7e05a0d2bdb2d262059c3c504)、それが女性差別をあからさまに示しているという点で肯じえない。そしてそれは本作で十分に判断材料を提示している。
6歳の少女バクタイは隣の男の子が読み書きの練習をしているの見て自分も学校に行きたいと思う。しかし学校に行くにはノートと鉛筆がいる。ノートを買うため、子守を放り出して、市場に卵を売りに行く。なんとかノートを手に入れるが、学校に向かう途中、悪童にノートをちぎられてしまう。隣の男の子の学校にたどり着けば、女の子の学校は川の向こうという。また一所懸命学校めざし…。
ここで描かれているキツイ現実の一つは、女性に教育はいらないとするタリバーンの考えが子どもたちにも蔓延しているということと、もう一つは子どもたちがタリバーンの真似をして戦争ごっこに興じる様。もちろんアフガニスタン以外のイスラム社会で国家政策として女子教育を禁止するなどありえないが、タリバーンの時代、女子教育は禁止され、女性は家に閉じこめられていた。そしてあの体をすっぽり隠すブルカ。
ハナ・マフマルバフ監督は、子どもらのタリバーンをかたった戦争ごっこを、撮影の準備で実際に見たから作品中に取り上げたという。日本のようにモノがあふれている子どもらの戦争ごっこは、最新鋭の銃などの武器が登場するだろうが、アフガンの子どもらは枝を銃に見立てて、あとは口で音を出すだけだ。でもバクタイには恐いし、少年らの目は本当にタリバーンが乗り移ったかのよう。
タリバーン政権が倒れたとき、あまりにも短期間で倒れたため結局、タリバーンは民衆の支持がなかったためと解説されていたが、なるほど、そうかもしれないが現実の子どもたちはタリバーンの真似をし、実際パキスタン国境付近はタリバーンの勢力が強いという。女性を極端に社会的排除する政策、盗みをした者は手を切り落とすなど前近代的な厳罰主義などタリバーンを支持はできないにしても、無差別爆撃を繰り返す米軍への反発からタリバーンへの傾斜という民衆意識や実態は理解できる。
それにしてもバクタイの力強さはどうだ。卵が新鮮だよと売り歩き、「戦争ごっこはイヤ」と言い放ち、悪童らの攻撃にひるまない姿は、イラン人監督ハナ・マフマルバフの女性の地位が高まりつつあるイランの現況と、監督がイランの名監督モフセン・マフマルバフの娘にして映画監督。いわば帝王教育を受けた証故ともまみえる。
しかし、監督の描きたかったのは、あくまでアフガンの現実である。ソ連に侵攻され、タリバーン政権の恐怖を味わい、今は米軍の傀儡カルザイ政権のもとですべてアメリカの言うがまま(もちろん、日本もその片棒を担いでいる)のアフガンの民に自分で撰び、切り拓くものなどないという現実。その現実が、バクタイが悪童に襲われたとき、隣の男の子が「自由になりたかったら、死ぬんだ」というアドバイスに収斂されているのだ。
アフガンの子供の情景は大人の情景であるということに気づかないではいられない。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする