kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

引退する草刈に拍手     レニングラード国立バレエ団「ジゼル」

2009-01-31 | 舞台
バレエのいいところは映画やテレビドラマなどの映像表現と違って、演じる人の年齢が登場人物の年齢に制約されないことである。舞台芸術というのはそういうものであるが、皮肉なことに舞台の感動をより感じたいと舞台近くに陣取れば、演じる人の容姿がより間近に感じ取られ、実年齢との差を感じ取ってしまうことになる。
本ツアー公演でクラシックバレエからの引退を宣言した草刈民代は、村娘ジゼルを演じるのには映画的に言えば年を取りすぎているが、そんなことは問題ではない(60歳を越えた森下洋子さんは現役である)。草刈はレニングラード国立バレエ団とは10年来の付き合いがあり、「白鳥の湖」でオデット/オディールを演じてきた。そして、今回のジゼルである。
バレエにはそれほど造詣がないが、ジゼルは登場人物も少なく、比較的分かりやすいので(要するに単純明快)、踊る人の容姿、技量を確かめやすい作品と思っていた。男性ダンサーのアルベルトも含め激しい舞いもなく、穏やかにたおやかに。だが、クラシックバレエを引退する草刈に技術的に演じやすいからという含みがあったとすれば(ないと思うが)、クラシックの有名作品のなかでは的確な選択である。
全盛期の草刈を知らないので大きなことは言えないが、跳躍力が少し弱いように思ったが、小柄な人が多い日本人バレリーナの中で西洋人とひけをとらない身長もある草刈は村娘ジゼルはよく似合う。
ところで草刈はレニングラード国立バレエ団への客演はすこぶる多く、ジゼル以外にも「レ・シルフィード」や「海賊」「白鳥の湖」などたいていの演目をこなしており、プロたるもの与えられた演目はどれも完璧にこなしてきた草刈の矜持(どこぞの首相が「矜持」を使いまくっていたがもちろん使用法の誤り)がまみえる。草刈と違い西洋人に比べて小柄で腕も短い吉田都は英国ロイヤルバレエ団のトップを守ってきたが、その吉田がインタビューで「踊るたび、後で、あそこは十分でなかった。今度はもっとよく踊ろうと思う」と語っていたのが思い出される。
それくらいプロというのは極めるべき頂点がない(到達しない)ものらしい。今回クラシックを引退する草刈とて同じだろう。草刈の公演は春まで続くが、その後の活躍を期待したい。
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イタリア美術紀行3 ヴェネチア

2009-01-25 | 美術
ヴェネチアを訪れたのは、もちろん世界遺産の水上都市を見たかったからでもあるが、ペギー・グッゲンハイム美術館を訪れたかったからである。グッゲンハイム美術館はニューヨークの本館(?)を訪れ、その建物のユニークさと収蔵品のすばらしさに感嘆したものだが、ビルバオ(スペイン)のグッゲンハイムは建築は斬新で面白いが、常設展がなく、すこしがっかりした覚えがあって(もちろん、ちょうどしていた企画展がイヴ・クラインでよかったが)、常設の多いというヴェネチアを見たかったからである。
ペギー・グッゲンハイム美術館は、緑に囲まれた邸宅を改造したもので、運河に相対する様も、中庭もとても素敵だ。ただとても小規模なので(閉館1時間前に行ったら、「1時間前だがオーケーか?」と訊かれたので「大きいのか?」と訊いたら「piccolo(小さい)」と言って受付の人が笑っていた。たしかに小さいし、通路に作品も架けてあって見づらいことは部分はある。しかし、モランディやマリーニなどイタリアの近代絵画(彫刻)がどっさり。キリコやフォンタナもある。ルネサンスばかりと思っていたが、近代美術も豊かななのだイタリアは。

アカデミア美術館は、ジョヴァンニ・ベッリーニを擁してヴェネチア派の百花繚乱というところ。ヴェネチア派勢揃いということでティントレット、ティツィアーノ、ヴェロネーゼがぞろぞろ。ベッリーニの「聖母子」、ティントレットの「ダナエ」、ヴェロネーゼの「ラヴィのキリスト」など見とれるものばかり。ジョルジョーネの「嵐」は、女性がなぜか下半身には何も着けずに、赤子に乳をやっているそばで羊飼い?がその様子を見るでもなく佇んでいる不思議な構図。ベッリーニの「ピエタ」は聖母とイエスの姿そのものよりも、後景がまるで建設途上のショッピングモールさながらで、その異形?に惹かれた。
基本的にルネサンス、マニエリスム以降の風景画はあまり興味が沸かないのだが、日本に帰ってから「ウィーン美術史美術館展 静物画の秘密」を見て、ルネサンスの大胆さから、細かな筆運びで完成させる風景画の妙技もあながち無視するものでもないものだと感じたのがカナレットであった。
ただ、おそらく、細密画のような神経質さを見せる風景画ももともとはルネサンス以降のより正確さを極める過程の結果だと考えれば納得がいく。その納得の証はやはりベッリーニである(ローマ編で述べる予定)。
ミケランジェロやラファエロだけではない。ルネサンス美術紀行ははじまったばかりである。そしてその端緒の一つとして訪れるべきアカデミア美術館である。(ティントレット「奴隷の奇蹟」)
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イタリア美術紀行2 ミラノ

2009-01-18 | 美術
ファッションやブランドになんの興味、造詣もないので「最後の晩餐」(サンタ・マリア・デッレ・グラツィエ教会)がなければ一生行くことがなかったかもしれないミラノ。けれど来てよかった。「最後の晩餐」はもちろんすばらしいが(前稿)、小さな美術館も見応えがあったからだ。
ポルディ・ペッツォーリ美術館はミラノの貴族ペッツォーリの邸宅を彼の集めたコレクションと共にそのまま美術館としたもの。規模は小さいが、ロンドンはウォレス・コレクションと並ぶヨーロッパ屈指のプライベート・コレクションだそうである(美術館説明)。収蔵作品はもちろんルネサンスを中心に、マンテーニャの「聖母子」、ベッリーニ「ピエタ」、ピエロ・デラ・フランチェスカ「聖ニコラス」、ポッライウォーロ「若い貴婦人の肖像」など。そして本館で最も有名なのがボッティチェリ「(書物の)聖母(子)」。どれも繊細かつ鮮やか。前期ルネサンスの作品が多いためか、その雰囲気は静かだが力強い。特にボッティチェリはすぐそれと分かり、かつ書物を前にしてマリアと幼子イエスが視線を交わす様が美しい。時代をさがって、ティエポロやカナレットの作品もあるが、個人的にはルネサンス期のほうが好もしい。
「貴族の趣味の良さが味わえる」とガイドブックにあるが、趣味の良さとはそれら収集品を集めた(もちろん小作人などの上前をはねた結果といえばそれまでであるが)ことではなく、後世にそれを惜しみなく開放したり、寄付することで味わえるものであるだろう。
ブレラ絵画館は、ヴェネチア派などを主体に有名作品がずらり。マンテーニャの「死せるキリスト」は短縮法を示すため(すなはち画家の技量を示すため)に描かれたとものとされるが(『ルネサンス美術館』)、その圧倒的な迫力は実物を見てとしか言いようがない。
見とれる作品は多い。ベッリーニの「聖母子」、カルパッチョの作品群(日本語でどう表現するのか不明)、マンテーニャの大きな板絵、扉絵もたくさんある。
ティツィアーノ、ヴェロネーゼそしてティントレット。ヴェネチア派の大仰な構図がこれでもかと押し寄せてくる。しかし、そのどれもが状態よく、じっくり見ていたい逸品揃いであった。が、ブレラを訪れたのはその日の最後で疲れていた上で、とても寒かった。イタリアの美術館はだいたいエアコンが効いていないところが多いようで、美術館の係員も屋外と同じ格好をしていた。
ブレラは「絵画館」というだけあって、ルネサンス期以降の作品、カラヴァッジョ、ファン・ダイク、ヨールダンスなど17世紀以降の画家の作品も多い。そして、驚いた。モランディやマリーニなど20世紀の作品の充実ぶり。はたと気がついた。モランディもマリーニもイタリアの現代作家。イタリア20世紀美術も豊かであることを実感したひとときであった。
(「死せるキリスト」Webより転載)
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イタリア美術紀行1 最後の晩餐、スクロヴェーニ礼拝堂

2009-01-12 | 美術
ダ・ヴィンチ コードの人気以来かレオナルド・ダ・ヴィンチへの関心が高いように思う。訪れた「最後の晩餐」も他にも日本人の姿がまみえた。が、さすがに「スクロヴェーニ礼拝堂」には日本人の姿はなかった。
どちらも予約制で、拝観できる時間はわずか15分。もちろん撮影は禁止(You-Tubeに動画があるのは隠し撮りか)。いずれも見応え十分、Web予約、クレジットカードで払い込みまでして見に来た甲斐があったというもの。
まず、最後の晩餐。500年間の風雪に耐え、第2次世界大戦期には壁が爆撃され一部損傷したのは有名。この間、「未熟な」修復家たちの手によってダ・ヴィンチの描いたものとは違うものとなっており、近年それらが洗浄され、ダ・ヴィンチの筆が甦った。もちろん損傷は激しく鮮やかとは言い難いが、それでもダ・ヴィンチの豊かな筆さばきがわかる。イエスの表情をはじめ、イエスの言葉に驚き、議論をなし、無実を訴える使徒らの姿はとても生き生きとしている。そして、全体を俯瞰する完璧な構図。写真や映像ではない本物の感動というのがここにはある。
最後の晩餐はそれこそ、キリスト教絵画の中でも数多く描かれてきた題材であるが、ルネサンスの時代までイエスをはじめ聖人らには金環がかぶせられ、時には裏切り者のユダだけ金環をはずしたり、違う色合いにしたり、あるいはユダだけをテーブルのこちら側に配置し、誰がユダであるか分かりやすいように描かれてきた。しかし、ダ・ヴィンチはこの構図を破壊、金環をはずし、イエスから左右対称、使徒を3人ずつ配置するという大胆かつ劇的な描画に成功した。それを実体験するには現実に見るしかない。15分ではもちろん足りない。
そしてスクロヴェーニ礼拝堂。最後の晩餐より200年近くも遡るが保存状態がよく、その色あざやかさといったらない。ジョットについては昨年触れたが(プレルネサンスの至宝   ジョットとその遺産展    http://blog.goo.ne.jp/kenro5/e/e4d08824220dd3a698242520cffd5b82)、ジョットはおそらくルネサンスを控え、ゴシック様式の最高峰に位置するだろう。そして、ジョット派と弟子たち(ジョッテスキ)が、遠近法を取得し、ルネサンスの成功へと導いたことは明らかである。一般民衆が文字を読めなかった時代、キリスト教の教えを教会などの壁画にしたためたことは当然であるが、スクロヴェーニ礼拝堂の場合は、名前のとおりときの権力者エンリコ・スクロヴェーニがその権力を誇示するために建築した礼拝堂に当時の最高の画家ジョットを招いて描かせたものであり、逆に言えば、広く一般に公開などして保存に支障を来すことなく残されたことが幸いしたようだ。
マリアの父親ヨアキムから始まって(もっとも、マリアの母親アンナも「種なしヨアキム」のせいで「受胎告知」を受ける)、キリスト昇天まで順を追って見れば聖書の物語がよくわかり、かつ、もっと知りたくなる。一枚一枚の絵に1分もかけられないのが残念。しかし、重ねて言える。本物はすばらしいと。
(スクロヴェーニ礼拝堂 外観)
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