kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

ヨーロッパシチズンシップの挑戦  やさしくキスをして

2005-06-26 | 映画
キツイ労働者ものを撮ってきたケン・ローチとしては甘いかもしれない、ちょっと理想主義的かもしれない。けれど「マイ・ネーム・イズ・ジョー」や「ブレッド&ローズ」を書いてきたポール・ラヴァティの脚本は全然非現実的ではないし、そして美しい。ストーリーは至って簡単。パキスタン移民の青年カシムと身寄りのないアイルランド移住者ロシーンは付き合うが、イスラム世界に生きるカシムの家族は絶対に許さない。カシムには親が決めた会ったことのない結婚相手さえいる。カシムの姉は、カシムの異教徒との付き合いで自分の結婚が破綻し、策まで労してロシーンをカシムから離そうとする。カシムの唯一の理解者は末の妹、親の反対を押し切って、ジャーナリストへの道を歩むため下宿、遠い大学へ進学しようとするタハラだけだ。しかし、親、特に母とイスラム社会の共同性、因習を断ち切れないカシムも必ずしもロシーンにはっきりとした態度をとっていたわけではない。
家父長制。父親の絶対的な権威、それに従属するだけの母親と、共同体、家族の存在の前に個人の思いなど一顧だにされない価値観。近代的自我の発祥が妨げられる要因がカシムらパキスタン移民の日常に大きくのしかかっているとしても、移民として差別され、ネイティブとして助け合い懸命に生きてきた彼らの拠り所をもちろんイギリス社会の寛容性に求めることはできない。そう、不寛容だからだ。隣の島から移住してきたロシーンにとっても事情は似ている。アイルランドに多いカソリックの厳しすぎる道徳観、男女観、結婚観の前に個人の恋愛の自由も仕事も認められないのであるから。
ただ、個人の解放には「◯◯からの解放」と「◯◯への解放」があって、カシムやロシーンにとって宗教、旧慣やそれらから発する呪縛からの解放がまずあって、次に誰もが出自やそれまで属していた価値共同体によって差別されない社会への解放がある。そう、ローチが描きたかったのは「への解放」だろう。ただし、ローチは単純に家父長制を体現するイスラム系移民の近代的自我とは相容れない価値観や、女性の結婚や生き方を極端に縛るカソリック的宗教観、不合理性を簡単に旧いものとして断罪するようなことはしない。まず、そのような価値観、宗教観の中でもがきながら生きている不十分な一人一人を見よと問うているのである。
そして「解放」は同時に「変革」を内包する。その変革は社会的変革が目指されていたとしても、本来は自己変革から始まるものであって、自己変革なしに社会変革などありえず、そのためにはいろいろな個人をやさしく見守る必要がある。
カシムの親はインドとの紛争からパキスタンを逃れてきて、商いで身を粉にして働き一定の地位、財産を築いてきたのだろう。そうなるためにはイギリス、それも古い労働者の町グラスゴーで同じパキスタン移民社会の大きな共助関係があったはずだ。しかし、時代は変わってゆく。カシムの姉は旧慣側であるが、妹はその閉鎖社会を打ち破る側に回ろうとしている。
グローバル社会とは、何もアメリカが自国文化/価値観をすべて押しつけ、諾としない者には銃をも突きつけるというのではなく、異人種、異民族とどう付き合っていくかを手探りの中で解決点を見いだしていくことである。大陸側であるフランスやオランダ、ドイツなどではイギリスよりもっとその手探りに時間、お金、人手をかけていて、争いない社会を模索しているのかもしれない。ヨーロッパのシチズンシップ(citezenship=市民権)の誕生と発展は、EU後も「変革」の兆しとして展開し続けている(『ヨーロッパ市民の誕生 ー開かれたシティズンシップへー』宮島喬(岩波新書 2004年))。
分かり合えるためにやさしく手を差し伸べて、そしてやさしくキスをして。
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「狂気」だけではない等身大のゴッホ

2005-06-25 | 美術
国立国際美術館で開催されているゴッホ展は、行き過ぎた献身を理由に伝道師の資格を剥奪された姿や、ゴーギャンとの生活の中で次第に心を病み、最後には自ら命を絶つと言う「狂気」に焦点をあてた紹介のされ方が多かったゴッホを「狂気の画家といった孤立したものとしてではなく、美術の歴史の一部として見直そおうとする試み」だ。したがって、ひまわりのような超有名作品がどんと中央に鎮座して後は習作ばかりという展示の仕方ではなく、オランダ時代、パリ時代、アルル、そしてサン・レミ療養所と時代を通してゴッホの作風がどのように変遷していったかわかりやすく展示してある。これを見ると、ゴッホは印象派はもちろん、スーラなどの点描、日本の浮世絵への傾倒、ドラクロアなどの宗教的寓意を含んだ作品の模写などスタイルをどんどん変遷させていることがわかる。そして、私たちがゴッホというすぐに思い浮かべる黄色を基調としたあの力強いタッチがアルル以降、亡くなるまでのわずかの間に花開いたということも。
バブルの時代に日本のある企業が「ひまわり」を58億円だったかで落札し、その後の日本企業の美術品漁りの先鞭となったのは有名だ。他の「バブル作品」が散逸する中で幸い「ひまわり」はまだ安田火災東郷青児美術館で見ることができる。ただし「ひまわり」もいいが、ゴッホのその生涯を俯瞰するなら本展のような試みが必要だ。何年か前に京都国立近代美術館だったか弟テオとのやりとりにスポットをあてた展覧会があり、おもしろいなと感じたのを覚えている。
本展はオランダはゴッホ美術館とクレラー・ミュラー美術館からの出展だが、クレラー・ミュラーにはゴッホでなく、デュビュッフェの野外展示があり、それ目当てで行ったこともあって、ゴッホがこんなにたくさんあったとは覚えていなかった。金曜日は7時までの展示ということでたくさんの人出だったけれど、ヨーロッパの美術館のように週に一日だけでも9時までとか工夫できないものだろうか。
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愛欲の陥穽は自らつくるもの  スカーレットレター

2005-06-19 | 映画
ジェンダーバイアスの要素の強い言葉は使うことはないが「女は怖い」。「女は怖い」の裏側には男が我が世の人生とばかりいい目ばかりしている(風に見える)虚構がある。そう、従順、貞淑な妻は最近妊娠したばかり、美しい愛人もいて、仕事の上では着々とキャリアを積みつつあるエリート刑事キフンに破滅など、全てを失うことなどあり得なかったはずだ。
「女は怖い」というからには沢山の女性たちがいる。でも本作に出てくるのは3人だけだ。そのうちの一人が2月に24歳で亡くなったイ・ウンジュ。本作が遺作となったウンジュの演技はすばらしく、並々ならぬ意欲が見て取れたのにとても残念だ。ただ、ウンジュの自死の原因はわからないが本作でのヌードシーンなどに悩んでいたとも伝えられる。あそこまでベッドシーンに固執する必要もないと思うが、この作品では欲情のありのままを描く必要性からピョン・ヒョク監督は撮ったのかもしれない。けれどやはり残念だ。
映画の話に戻ろう。居心地の悪い作品、後味の悪い作品。今の韓流映画の主流はヨン様、ピョン様ら四天王とジウ姫ら人気俳優を前面に出したものでハッピーエンドだろうが悲劇だろうが後味は悪くない。本作もハン・ソッキュの魅力満開でソッキュのセクシャリティこそ魅力との解説もある(和久本みさ子「性的に成熟した男性ほど落ちる穴は深い」パンフレット)。居心地が悪いのは、結局誰も幸せにならないし、かといって韓国ドラマの本源たる恨(ハン)の回収もないからかもしれない。恨(ハン)の回収。そういえば近年の韓流映画にはそもそも恨(ハン)とは関係のない世界で恨が描かれることは少なかった。現在の386世代の監督らよりずっと年上の林権澤(イム・グォンテク)の描いてきたのは恨そのものであった。「西便制」を代表として最新作「酔画仙」も。そう、恨と関係がないなら、恨みの回収はどこへ行ったのだ?スカーレットレターとはアメリカ文学ナサニエル・ホーソーンの代表的な復讐劇「緋文字」のことだそうだ。監督は原作と関係なく題だけ借りたらしいが、ウンジュ演じるカヒやその他の女たちの言動は十分復讐的だ。享楽が大きければ大きいほどその代償も大きいという教訓的主題がかすむほど、あのような環境にあって堕ちない人間などいるのだろうか、男も女も。しかし、男は全てを失うと廃人にのようになるが、女はまた復活する。だから「女は怖い」のだ。

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静謐な先進性  ギュスターブ・モロー展

2005-06-12 | 美術
印象派ばかりもてはやされるこの国で、同時代のモローが取り上げられたのをまず多と思う。同時代とはいえ、モローは写実主義のクールベよりサロンに出たのは遅く、印象派の主立った人たちより年長である。そして主題の古典性と同時に反逆性。キリスト教的主題よりギリシャ・ローマ神話に題材をとり、キリスト教主題をとりあげたと思ったらそれまで誰も描いたことのないヨハネの首の浮かぶ「出現」である。毀誉褒貶のはげしい画家との解説もあるが、最初から最後まで評価された画家など少ないし、それはそれで後世に名を残さない絶対条件かもしれない。
生涯独身、ヨーロッパ古典神話とキリスト教寓意画の研究の発表として画業をつむいだモローはかえって、画材や絵画技法の先進性に無頓着とも見える。しかし、アジアの線描技法に引き寄せられ、かつ、彼の描く題材の神秘性(ギリシャなど古典神話の題材は、人間臭い新約聖書の題材よりはるかにピクチャレスクであるのは当たり前)は驚くほどで、サロメの指差す空中に浮かぶヨハネの首や、モローの生涯の起点たる母親を描いたとされるキマイラなど、これが水彩、あるいは油彩かと見紛うほど精巧かつ不可思議極まりない。印象派の画家たちが題材的には風俗画など、今で言うコンテンポラリーアートを実践した割にはカンバスに油彩一本やり、とは距離をおいた制作態度ではある。
モロー美術館は、パリの一角ラ・ロシュフーコの閑静な住宅街にある。ヨーロッパの小さな美術館はわりとそうであるが、モローが遺言で美術館にと残しただけあってその全体の雰囲気の良さ、いい意味での頑さは抜群。本展のエピローグを飾る「購い主 キリスト」は日本に運べなかったため、より小さな代替作とあるが迫力は十分。ただし、モローの作品から奏でられる静謐な訴えは、モロー美術館のあの螺旋階段で感じた方がより雰囲気としてはふさわしいだろう。
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コンテンポラリーな惑いこそ共感  ベルリン、僕らの革命

2005-06-06 | 映画
ベルリンは「ベルリンフィルと子どもたち」でも書いたが、壁が崩れた後の東西ドイツの格差を如実に表している都市であると同時に、そうであるからこそ旧来の文化にとらわれない新しい発想の発現地でもある。主演のダニエ・ブリュールは、壁崩壊直後の混乱と連続性をファンキーに演じた「グッバイ・レーニン」でもあの力のある視線は本作でも変わりなく、魅せられる。
ベルリンは現代ドイツのコンテンポラリーアート、コンセプチュアルアートの拠点である。というのは、壁崩壊後、若者が住人のいない建物を占拠しその区画だけ言わば解放区にして、そこからさまざまなアートが誕生したという事実があるからだ。なかでも、私がベルリンを訪れたとき、そのアート発祥の象徴とされたタヘレスは、見るからにアバンギャルト、アナーキーな風情で、60年代末から70年代の抵抗する若者の残滓が匂ってくるかのようであった。
「ベルリン、僕らの革命」はジョン・レノン的非暴力革命の成就を願う若者の挑戦と、若いからこそ担うパートナーシップ(友情もヘテロの恋愛感情も)の狭間で揺れる青臭い青春ドラマである。しかし、70年生まれの監督ワイン・ガルトナーは革命の挫折も恋愛の失敗も描かなかった。たしかにeducators(主人公のヤン=ブリュールとピーターが金持ちの家に忍び込んでモノは盗まず、家具などをとんでもない配置換えをしては「ぜいたくは終わりだ」というメッセージを「教育者」名で残す)のアクションは荒唐無稽で、家賃が払えず家を追い出されるユールも不思議と現実感がない。そしてピーターと恋人同士だったユールがヤンとくっついた後のさわやかなピーター、誘拐される大金持ちハーデンベルクが昔革命指向の闘志であったことも都合良すぎる。けれどガルトナーはわざとこのような展開にしたという。あまりにもきれいな理想主義の革命指向も、カップリングにおける固定的概念からの解放という新しい価値観、考え方の提供であると。
確かに、60~70年代の学生運動の称揚は暴力主義的になったため敗北したとの解説が一般的であるが、むしろ逆で敗北しつつあったから暴力主義的になったのだ。日本では連合赤軍事件をとりあげた「光の雨」があるが、全共闘世代でもドグマティズムやジェンダーを超えられなかったのは事実で、その意味からも革命や恋愛について旧来の価値観(勝ちか負けか、モノガミーかなど)はあまりにも単純でもっと複雑、オルターナティブな提案もあっていいのではないか。
ヤンとピーターの革命は挫折したし、ユールとの恋愛もどうなるかわからない。けれどあれほど強固に見えた壁がわずかの間に崩れ去り、変化に対応できないと思われていた東ベルリンが今や現代アートの発祥地となっている(タヘレスは東ベルリンの中心、ミッテ地区にある)。
そう、ベルリンで試されたのは「僕らの」革命であって、それ以外の何ものでもないのだ。だからこそ、拡がらないし、拡がらないことこそ純粋の証でもある。
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戦争を知るということ  Little Birds イラク 戦火の家族たち

2005-06-05 | 映画
ずいぶん昔のことだが、その当時の職場の労働組合の斡旋で沖縄旅行に行った。オフシーズンだったが、戦跡巡りと嘉手納基地案内など実際見なければ経験し得ない貴重な体験をした。ただ、本土の捨て石として太平洋戦争期日本で最も激戦を経験し、辛酸な目に遭った沖縄の歴史(「皇軍」による住民虐殺、集団自決なども)を少しは知っていた自分にとって戦争責任の追及が前面に出ず、客観的な語りに重きをおくひめゆり資料館などはもの足らない気がしてもいた。また、戦争の悲惨さを伝える写真や遺物は広島や長崎の原爆資料館で十分見たことがあった。
ひめゆりやチビチリガマなどをまわって夜の懇親会で私の隣に座ったのはまだ20位の若い組合員。彼にその日の感想を聞いてみた。「全然知らなかった。あんなことがあっただなんて…」。ひめゆりの語り部の話や数々の写真、実際の戦跡などにいたく心動かされた様子で、「ああ、若い人が見聞して感じるだけでも、こんな旅行も意味があるな」と思ったし、若い人の感受性にこちらが感動してしまったことを覚えている。
イラク(アメリカ等による侵略)戦争開戦から2年以上が過ぎた。小泉首相は「自衛隊が行っているから非戦闘地域」という珍答をしていたが、イラク全土で戦闘や自爆テロルで毎日たくさんの人が亡くなっているのは事実。しかし、バクダッドはもちろん「安全な」サマワにも日本の主要メディアの報道陣はいない。アジアプレスに属する綿井健陽さんのようなフリージャーナリストだけが現地にとどまり、戦争の事実をイラクの人たちと同じ目線で伝えている。アメリカの爆撃で3人の子どもを一瞬にして失った男性、クラスター爆弾の破片が目に突き刺さった少女、同じく不発弾で右腕を吹き飛ばされた少年。
国際社会におけるフセインの圧政を追及したり、石油権益についてのアメリカの野望を解説してみせたり、あるいは「国際貢献」を語る日本の自衛隊派兵を論じるのは大事なことだ。が、戦争とは何なのか、どのような状態になるのか、誰が傷づくのか、どんな風に傷つくのか、戦火に生きる市民らは何を考え、どのように過ごしているのか。戦争の実態を知らなければ反戦もあるいは戦争擁護も、そしてその戦争の意味付けも語り得ないだろうし、語ったことにはならないだろう。
辺見傭はメディアは戦争の実態を隠さず伝えよ、ちぎれた腕、夥しい血、原型をとどめないほど破損された人の体など戦争の暴力とはどのようなものなのか伝えよ、と訴えていた(『いま、抗暴のときに』毎日新聞社)。そして家族を失い、自らの体が傷つき、家を失っても生き続ける巨大な暴力の前には無力な民の声を聞けと。その声を拾い集め、戦争とは無縁(と思っているが、イラクから見れば日本はもはや対戦国である)の日本やその他の国々に同時代の戦争を伝えるジャーナリストの責任を果たしているのが、本作「Little Birds」だ。
イラク戦争の正当性の議論などどこへやら、今や憲法「改正」ばかり論じている私たちこそ見た方がいい。アメリカこそ「悪魔」であることがわかるだろう。同時にイラク帰還兵の3分の一か4分の一はPTSDとも言われる。使い捨てられるアメリカ兵士にとってもアメリカは悪魔なのだ。
劇場には映像専門学校の若い生徒らがたくさん来ていた。授業の一環か、単位をやると言われて渋々来ていたのかわからないが、沖縄で私の隣に座った彼のように感受性を研ぎすませて見入っていたと思いたい。
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罪ある人の罪なきおこない  サマリア

2005-06-03 | 映画
宮台真司は援交を「性的自己決定権」を獲得した少女たち、管理売春でないからOKと評価していた。が、最近の新聞対談「オウム10年」を振り返る中で「そう評価していたけど援交少女はリスカに走り、自分の見極めが甘かった」みたいな発言をしているのを読んで、詭弁の固まり(と宮台みたいな社会学者はそう見えてしまう)がちゃんと反省するのはいいことだなあと思うとともに、てめえ、あれだけ「性的自己決定権」というキーワードで少女らを煽ったのはなんだったのか?みたいな感じも受けた。
韓国の援助交際(=売春)状況が実際どれほどのものなのか知らないが、ヨーロッパ旅行のお金を貯めるため、自分を「パスミルダ(インドの娼婦、彼女と寝た男は仏教徒になるという)」になぞらえるチェヨンは少なからず壊れている。そのチェヨンが命を落とした後、見張り役で自分は寝なかったヨジンがチェヨンが死んだのは自分のせいで、もうお金を貯める必要はなくなったと過去の男たちと寝続ける姿もまた贖罪や、自己の生存確認などという言葉では言い表せない逸脱した世界ではある。しかし、宮台が言うように「援交」少女であるチェヨンもヨジンも自分の心にむけてリストカットをし続けていたのだという指摘は、逆に少女自身の性を、彼女らの思いを代弁しているわけではなく、その希少性を必要以上に持ち上げ買った男たちと同じ穴のムジナということにならないだろうか。
「悪い男」のキム・ギドク監督は、本作でも後味のよくはない、ある意味で現代韓国人の欲望と、その成就しない(するわけがない)やるせなさをドクマ的手法で丹念に描いて見せた。わかりやすい純愛もの、バイオレンスものが人気の「韓流」映画の中で現代のサマリアに寄り添える人は多くないかもしれない。
「イエスはサマリア人の女に答えて言った。『この水を飲む人は皆乾く。誰でも私が与える水は飲む人は、決して乾くことがなく、私が与える水は、その人の中で、永遠の命を与えるために沸き上がる水の泉となるのです』。サマリア人の女はイエスに言った。『私にその水をください。私が乾くことなく、またいつも水をここに汲みに来なくてもいいように』」(ヨハネ伝4-13節)
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