kenroのミニコミ

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「動く絵」にゴッホの晩年に思いをはせる  ゴッホ 最後の手紙

2017-11-12 | 映画

ゴッホの死にまつわる話は多い。本命?の自殺説に加えて他殺説も多い。それも本編で出てきた村の不良説から、ガシェ医師説、最愛の弟テオ説まであるという。他殺説は眉唾とされているらしいので、一応自殺説がかたいのだろう。本作は、ゴッホのテオあての最後の手紙を郵便配達人の父から託された息子ルーアンが渡す相手を探す物語。ゴッホの死を探索するなかで、ゴッホが最後に泊まっていた宿の娘、ガシェ医師の娘と家政婦、ゴッホが訪れたボート屋の主人にパリの画材商などゴッホを知る人を訪ねるが、口々に語られるゴッホ像は一致しない。最後を看取った場所である宿の娘は「冷静な人」といい、家政婦は「邪悪な人」という。ゴッホの最大の理解者であったガシェ医師の娘は、言を左右する。

本作はストーリーもさることながら描かれるタッチがすばらしい。アニメーションの一技法であろうが、ゴッホのタッチを真似ることのできる画家が公募で150名も集められ、彼ら彼女らがアニメーションの原画を丁寧に描いて完成させたのだ。気の遠くなるような作業の成果は、まるでゴッホの描いた人物がそこにいて動き、話しているような効果を現出せしめた。郵便配達人、タンギー爺さん(パリの画商)、宿の娘、ガシェ医師、医師の娘、ボート屋の主人。すべてゴッホ作品に登場する人物たち。ゴッホは寝食以外すべて描画に時間をさいていたという。もともとのデッサン力はもちろんのこと、その人となりを滲み出させる画力は驚くべきものだ。

もともと画家を目指していたわけではないゴッホは、親が美術商であったが、その後継ぎに失敗し、牧師を目指しても挫折。奮起一転画家を目指した時点でその志を支え続けた4歳下の弟テオの存在なくしてゴッホの偉業は語れない。無一文のゴッホに、テオは仕送りを続けた。しかし生前売れた絵はたった一点というのは有名な話。そして心を病み、自殺。テオもゴッホの後を追うように半年後に病死。テオの妻ヨーがゴッホとテオの書簡を出版したことからゴッホの偉業が知れ渡るようになった。ゴッホが最後に過ごしたオーヴェールでの10週間で70点の作品を遺したという。晩年の創作意欲は驚異的だ。

それら晩年の肖像画を中心に「動く絵」でこの映画はできている。それだけでも新しいのに、ストーリーそのものがゴッホ評伝に忠実なのがすばらしい。そう、映画に限らずある特定の人物を作品化するとき、さまざまな「解釈」もあり得るが、ゴッホの場合、自殺説を前提にするならその道行きに齟齬はない。ゴッホの足跡を緻密にたどる描き方は作品の基本だろう。しかし、ともすれば歴史的評価が大きく分かれるような人物の場合「解釈」に、描きたい製作者の「評価」が上乗せされることも珍しくない。少なくともゴッホが「近代絵画の父」という表現が当を得ているかどうかは別にして、それまで歴史画・宗教画を中心とするアカデミーが独占していた絵画を、印象派が屋外や一人ひとりの市民や風景を描く革新を経た後、表現主義やシュールレアリズムの端緒となったフォービズムの鍵であることは間違いないだろう。そのゴッホでさえ、そこに行きつく前にパリでゴーガンやロートレック、日本の浮世絵などの影響を受けたことが大きいのは明らかだ。

現在動画界の主流であるCGにしてもアニメーションの丹念な作業の賜物である。「ゴッホ 最後の手紙」は、ゴッホの生涯そのものと、「動く絵」の醍醐味を味わえる稀有な作品である。あのうねるようなタッチのゴッホであるから成し得た業であるとはいえ、他の画家、たとえばオデュロン・ルドンやジョルジュ・ルオーなども取り上げら面白いのではないだろうか。楽しみである。

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