kenroのミニコミ

kenroが見た、読んだ、聞いた、感じた美術、映画、書籍、舞台、旅行先のことなどもろもろを書きなぐり。

なかったことにはできない『トリック』が明かす関東大震災朝鮮人虐殺の事実

2019-10-17 | 書籍

はっきり言って、言いっ放しの「ネトウヨ」にいちいち対応するのは面倒臭い。多分言いっ放しの根拠など何もないんだろうけれど、それを検証するなど。でも前著『九月、東京の路上で 1923年関東大震災 ジェノサイドの残響』(ころから 2014年)で関東大震災での朝鮮人虐殺の実相を細かに跡付けて見せた著者の姿勢からは当然、そして「よく書いてくれた」である。

「ネトウヨ」を中心に右派言論で喧伝される「関東大震災で朝鮮人虐殺はなかった」の元々のネタ本は、工藤美代子著『関東大震災「朝鮮人虐殺」の真実』(2009年 産経新聞出版)である。ところが、工藤氏の夫の加藤康男氏執筆で刊行された『関東大震災「朝鮮人虐殺」はなかった』(2014年 WAC)は「同一の本でありながら再版にあたって著者名が変更されるという奇怪なことになっている」(79頁)。内容はほぼ同一なので、両書をあわせて『なかった』といい、逐一検証していくのが本書の肝である。

そもそも本書がなぜ「トリック」なのか。それは、『なかった』で描かれる朝鮮人虐殺の反対論証の前提となる文献引用がことごとく恣意的、意図的であるからだ。『なかった』が最大の論拠とする震災直後の新聞は確かに朝鮮人が暴動などと報道している。しかしすぐにそれが誤報であったことを認めているが、『なかった』はそれには触れない。そしてその時期以降民間人による朝鮮人虐殺があったことを伺わせる報道もあるが、『なかった』にはそれにも触れない。しかも新聞などの原典引用をする場合全文そのまま引用が当然であるのに、『なかった』はつまみ食いで前述を補強する。要するに『なかった』は実証主義的に朝鮮人虐殺はなかったことを立証するといいながら、結論ありきのために史資料の引用自体が偏っているのだ。あるいは出展の出元が工藤氏の近親者なの言説だけなど。けれど『なかった』読者がよもやそんな引用方法はしていないだろうと信じる。当たり前だ。まがりなりにも現物の史資料を前提としての論証なら、その史資料引用が恣意的などと一般読者は思わないからだ。工藤は歴史研究者ではないが、著名なノンフィクション作家だと思われている。その逐一の誤謬を指摘する加藤の作業は、武田砂鉄も指摘するように度を越しているというか、ただただ頭が下がる。個々の誤りを色まで変えてアンダーライン、吹き出しなどで解説する丁寧な表示もありがたい。

ところで、虐殺否定論はいろいろな方面でその威力を発揮していることは恐ろしい。小池百合子東京都知事が2017年に朝鮮人虐殺犠牲者追悼式典への追悼文送付を取り止めた件は、その効果!が現れている。小池都知事は関東大震災での全ての犠牲者に追悼の意を表しているからと、を理由にしているが、朝鮮人虐殺の犠牲者はいっしょくたんにはできない。震災そのもので亡くなった人と殺された人を同列に扱うのはおかしいからだ。しかし、小池都知事の決断に勢いを得た?右派はまず虐殺数を問題にし(都議)、ついに虐殺はなかったのだから小池都知事の判断は正しかったとする。美しい国の日本人が朝鮮人虐殺などに手を染めるわけがないというという安倍晋三首相を応援する歴史修正主義者の常套手段である。

本書で『なかった』論は破綻していること明らかだが、加藤の前著『九月、東京の路上で』を工藤の夫加藤は「いかにも韓国仕込みのプロパガンダ臭紛々とする左翼ヒステリー本」と決めつけたそうだが、本著にはどのようなレッテルを張るのだろうか。『なかった』が引用する新聞記事などの原典、関東大震災時の原資料にあたり、逐一検証する姿勢は彼らにはそもそもないのだろう。しかし言いっ放しで良いとする現政権の閣僚、近しい人々に対するカウンターは地道、細かな論証にかかる反撃でしか戦えない。『なかった』派の土俵に乗って非論理的な言説にかまけているわけにはいかないからだ。リベラル派もプロパガンダに頼るのもでなく、加藤直樹の仕事にそれこそ頭が下がっている場合ではないのだろう。

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あいちトリエンナーレ 「現在」と「現実」を視る 3

2019-10-12 | 美術

「表現の不自由・その後」展が再開した。早速出かけたが、抽選で1回の観覧者は35名。筆者が行った日には3回の抽選で1回の抽選につき35名ずつのグループを2回、都合210名を選出するものでこの日の当選番号からすると3500名超の応募者があり、当選率は5、6%。当たるわけがない。当選しても手荷物は不可で、ボディチェックと物々しい。

このような事態になったのは直接の要因はガソリンを撒くなどといった脅迫だが(容疑者は逮捕)、展示自体が問題だと発言した河村たかし名古屋市長らの責任は重い。展示再開に対し、河村市長は8日午後に会場である愛知県立芸術文化センターの敷地内で!抗議行動をした。その際の河村市長が掲げたプラカードが「日本国民に問う! 陛下への侮辱を許すのか!」である。この非難は、今回出展している大浦信行さんの「遠近を超えて PartⅡ」で「昭和天皇の肖像を燃やす」シーンがあるとされたことを指すものと思われる。しかし、大浦さんも語っているように、これは「燃えているのは僕の作品です。『遠近を超えて』のうち4枚を燃やしました。天皇が入った版画です」(「朝日新聞」2019.10.12)であって、「天皇の肖像を焼いた」わけではない。河村市長の非難は、作者の意図、作品の意味を知らない、知ろうとしないSNSや電凸、「ネトウヨ」の言説と変わりない。そして、天皇だけ特別視する姿勢は、天皇不可侵の大日本帝国憲法の思想そのもので、現行憲法の理念とあい容れない。

今回の「不自由」展再開を受けて、中止に抗議し、展示を全部あるいは一部中止、変更していた作家らも元の展示を再開した。前回のブログで触れたモニカ・メイヤーの、自身に降りかかった女性差別を直視・告発するメッセージを集めたタッグがたくさん掲示されていたので見た。女性からのメッセージがピンク色のカードであるのはどうかといった、ジェンダーバイアスの指摘もあったが、その多くが性暴力、セクシャル・ハラスメントに対する怒りと糾弾、悲しみであったと思う。心が痛んだ。

日本人作家の中でただ一人、作品を完全封印していた田中功起は、「抽象・家族」で、両親の一方が海外にルーツを持つ人たちが語り合い、大きなキャンバスにドローイングを仕上げていく様を複数のフィルムで1時間50分もの長尺で映し出す圧巻の映像だ(愛知芸術文化センター)。イム・ミヌクは北朝鮮の金正日総書記と韓国の朴正煕元大統領の葬儀が並んで行われたことから、その葬儀を経験する分断された民衆の姿を映し出す。そこにあらわれた悲しみと、その背景にある一見正しく見えるようで矛盾している現実に疑問を呈する。映像を囲む部屋中に吊り下げられた朝鮮半島の民族衣装チマ・チョゴリ。

「不自由」が再開されなければこれらの作品も見られなかった。つくづく「中止」の不利益、過ちを実感するが、再開を喜んでばかりもいられない。冒頭に紹介した河村市長らの抗議行動は再開1日目のそれだけでそれ以降なんの抗議行動もしていない。単なるパフォーマンスだったのだ。しかし、元々の河村市長らの公人の発言、これに勢いを得た電凸、今回のパフォーマンス等で「不自由」展を限られた人数しか見られない開催形態に持っていったという点で、彼らの意図は奏功し、勝利したと言える。一度審査を通っておきながら、後になって「申請の不備」を理由に補助金不交付を決めた文化庁=萩生田文科相の判断といい、「不自由」展の中身に対する攻撃は明らかで、補助金不交付に対しては愛知県は国を訴えるという。

見るべき芸術、守るべきアートはどこにあるのか、誰が守るのか。表現の自由、検閲、公人の一方的価値観のみを良しとする抑圧発言など。論点は多大に広範に渡る。今回の「不自由」展中止と再開に至る「あいちトリエンナーレのあり方検証委員会中間報告書(抜粋版)」が会場で配布されていた。全体版に目を通したいし、より深い「最終版」の発表を待ちながら、本展は来週10月14日閉幕する(台風19号の影響で10月12日は終日閉館となった。天災とはいえ観覧者が減ったことは重ねて残念だ。)。(写真は「表現の不自由・その後」展中止に抗議するメッセージの数々)

 

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