kenroのミニコミ

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英雄をつくること、自国民をほめたたえることが本意ではない 「ニコラス・ウイントンと669人の子どもたち」

2017-01-10 | 映画

杉浦千畝が日本で人気なのは、人道主義に基づいてユダヤ人を助けた、からではない。日本人にも世界に誇るいい人がいる、日本人はスゴイ、からである。そこにはその時代の戦争でユダヤ人を迫害・殺りくしたナチスドイツと同盟国であったこと、ナチスと同じように他国の人を迫害、殺りくした事実は顧みられることはないし、その世界大戦で圧倒的に侵略側であった事実が見返されることはない。「日本(人)は素晴らしい」から一歩も出ていないのである。

同時に、その戦争でドイツに対する見方はホロコーストに偏っているのも事実である。またユダヤ人の計画的殺りくは、絶滅収容所設立以降ととらえた場合、ホロコーストという語はその時期以降を指すものであり、それ以前のユダヤ人迫害と分けて考えなければならないのに、映画の世界も含めてナチスドイツのユダヤ人迫害全般=ホロコーストと捉えがちで、かえってナチスドイツによるユダヤ人迫害の全貌が一面的に描かれてしまうという指摘もある(本作のパンフレット、映画評論家江戸木純氏の論考による)。

ナチスがドイツの全権を握り、膨張=侵略、ユダヤ人迫害をすすめる中で、当初ナチスがとったのは、ユダヤ人の国外出国政策であった。それは、ユダヤ人の財産を奪い、追い出し、一文無しのユダヤ人を周辺諸国に押し付けることによって、周辺諸国でのユダヤ人=厄介者視、急激な移民流入による財政圧迫を企図したものであった。ニコラス・ウイントンによるチェコスロヴァキアでのキンダートランスポート(子どもの輸送)は、そういった背景を抜きに語ることはできない。イギリスの証券会社のディーラーであったニコラスは、請われるままプラハを訪れ、ナチスの迫害にさらされ、明日の命も危ういと感じた多くのチェコ人を目の当たりにする。まるで、取引をするかのように公的機関の移住担当を装って、チェコのユダヤ人の子どもらを移住させる計画を実行するが。

要請したすべての国に移民を断られたニコラスは、唯一受け入れを表明した母国英国での里親探しを徹底的に行い、受け入れの法的整合性を確保する。かくて1939年3月から9月1日に第二次大戦が勃発するまで669人の子どもの英国移送に成功した。これがもしナチスによるユダヤ人絶滅政策以降ならおよそ成功しなかったであろう。しかし、ニコラスは第二次大戦直前の9月に移送を予定していた250人の子どもらの移送を戦争勃発によって断念したことを悔い、669人を助けた事実を誰にも明かさなかった。それが、戦後50年経ってニコラスの妻グレタがたまたま物置で見つけたスクラップブックによってニコラスのなしたことが明らかになったのである。スクラップブックには「輸送」の克明なデータが記載されていたのだった。

映画は、完成に先立つBBCのドキュメンタリーなどが下敷きになっている。グレタから資料を得た記者が、ニコラスに助けられた子どもらを探しだし、テレビ番組で再会させるというサプライズを用意したのだった。ニコラスはすでに90歳だったが、それまで長きにわたり慈善活動を続けていて、すでに大英帝国勲章を受章するなど有名な人道活動家であった。しかし、若い頃、戦前チェコで子どもらを助けたなどグレタも知らなかったことだ。そして、その子どもらの親らはほとんどすべて絶滅収容所に送られるなどして、子どもらと再会できていない。ニコラスに子どもを託したことで子どもらだけは助かったのだ。

本作の肝はニコラスの善意を描くことだけではない。その後ニコラスに救われた子どもらの子、孫らが世界で自分たちができること、知らない世界の子どもらを支援する取り組みに踏み出したことが描かれる。そこにユダヤ人であるとか、キリスト教精神があるからとかは関係ない。謙虚であったニコラスが助け、その思いをつないだ孫の世代はやはり謙虚にできることをしようとしているだけだったのだ。

ある一つの民族や人種、階層を迫害した歴史の中、ニコラスのように時に無私の構えで迫害される他者を支える行動はのちに賞賛されるし、されてしかるべきだ。しかし、そのような歴史が繰り返されると分かっているのに、何もしないのは大きな罪である。ヘイト・スピーチが跋扈し、世界的に不寛容なすう勢と歩調をそろえるかに見える日本の在り様もまた、そのような英雄でないニコラスを見習いたい時代であると思う。

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「日常」を蝕む「銃後」という実相  「この世界の片隅に」

2017-01-03 | 映画

茶色のやつを探せばいいだけだとわかるさ。

子犬だって見つけられる。

そうすれば、俺たちと同じように、

規則を守ってるんだと安心して、

死んじまった昔の犬のことなんてすぐに忘れるだろう。

(『茶色の朝』フランク・パヴロフ)

 

資金が足りず、クラウドファンディングで支援を集め、やっと制作、上映したところ、異例のロングランヒットとなり、年を明けても上映中でやっと観られた。地味なアニメーション、静かな展開、大きな事件と言えば主人公のすずが米軍の落とした爆弾で右手を失うことくらい。描かれるのは日常。広島市で海苔業を営む両親のもと育ったすずは縁談が来て、そのまま呉の北條家に嫁ぐ。夫周作の姉黒村径子からは「いけず」をされるが、径子の子晴美からは慕われ、平々凡々と過ごす日常。しかしその平凡な日常とは銃後の日常。

戦時統制で食糧は欠乏。配給はどんどんひどくなり、食べられるものは雑草でも何でも工夫して食いつなぐ。きれいな着物はすべてモンペに。防空壕を掘り、軍事教練と防空演習。それでも文句も言わず、苦しい日々を生きるすずをはじめ、北條家の人間はせっせと働いて過ごす。やがて防空演習は、本物の空襲となり、それでも世の流れには決して逆らわない。しかし、銃後は生活そのものを、一人ひとりを、人との関係を壊していく。すずの兄は戦死し、石ころ一つで還ってくるが、命があまりにも軽く失われていく。天皇を守るためには、己の命など、鳥の羽より軽いと思え(「人固有一死 或重於泰山 或輕於鴻毛」司馬遷『史記』より)とした軍人勅諭のもと、一兵卒の命などどうでもよかった天皇制軍国主義下、兵隊でもない人の命などもっと軽かった。そしてその死について、何の説明も保障もない。そもそもなぜ戦争をしているのか、いつまで続くのかも分からない。すずらにとって。

右手を失ったときに晴美も命を奪われるが、それら最大の理不尽を強要するのが戦争の実相、実態だ。ただ、知らないこと、知ろうとしないことも罪であると佐高信が指摘するように戦争「責任」は、日常の無知、無視から発展する。そういった意味ではすずらもあの戦争の加害者でもある。

しかし、同時に先述のようにすずは徹底的に被害者でもあった。呉に嫁いだために原爆に遭わなかっただけのことだ。そしてすずの日常は、日本国内あまねく銃後を担った人たちの日常であった。玉音放送の後、静かだったすずが初めて「なんで今になって」と戦争が長引き、多くのものを失ったことを嘆き、慟哭する。好意的な見方をすれば、本作がこれほどヒットしたのは、原作者のこうの史代が言うように、現在の政権のすすめる「嫌な感じ」が戦前のあの時に似てきているように感じる危機感を、多くの人が持ったからせめてと映画館に足を運んだからかもしれない。同時に、ただアニメーションの可能性とか、「安保」法制や南スーダン派兵など現実で進行している事象を自分とはなんの関係もないと「平和ボケ」日本人が「無視」を決め込む一般的な感性でもあるのだろう。

 

茶色以外の猫をとりのぞく制度にする法律だって仕方がない。

街の自警団の連中が毒入り団子を無料で配布していた。

えさに混ぜられ、あっという間に猫たちは処理された。

その時は胸が痛んだが、

人間ってやつは「のどもと過ぎれば熱さを忘れる」ものだ。

(同)

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