kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

奈良・寅のお寺 信貴山 ②「仁王門~信貴大橋~西方守護神白虎」

2023年10月09日 | ハイキング・登山
①「JR王寺駅~仁王門へ」のつづきです。

信貴山の山門「仁王門」

宝暦10年(1760)に大阪宝栄講が再建され
明治14年(1881)に大修理をしました。



その後、大正11年(1922)に



成福院鈴木恵照師の代の時に、この場所へ移転されました。


仁王像(金剛力士像)

「阿形(あぎょう)」「吽形(うんぎょう)」の仁王さま

金剛力士の「金剛とは」
仏敵を成敗するための武器の一つである金剛杵(こんごうしょ)のことを意味して、仁王門の左右に安置されています。



一般的な仁王像(金剛力士像)は
向かって右:左側が阿形(口を開いて発する最初の字音)
向かって左:右側が吽形(口を閉じて発する最後の字音)

信貴山の仁王像は左右逆でしたが
東大寺仁王像・善光寺の仁王像も逆だそうです。


仁王像の裏側

仁王門をはいると、裏側に狛犬が・・・



上を向いている狛犬は初めて見ましたが



狛犬の首筋が見えるほど、頑張って上を向いています。



仁王門の横から大門池が見えます。


赤い橋「信貴大橋」

大門池は、大門ダムによってできたダム湖です。
その大門池に架かる赤い橋が「信貴大橋」です。



「西方守護神 白虎」と「信貴大橋」

下の方で見たいものがあるので
信貴大橋バス停のある方へ下りてきました。



虎(寅)は、毘沙門天王の由来から朝護孫子寺のシンボルです。
そして、信貴山のある場所は奈良県の西方に当たります。

平城遷都1300年祭の際に、キトラ古墳の壁画でも有名になった中国の伝説上の神獣である「西方守護神 白虎」を設置したそうです。



仁王門→信貴大橋バス停→西方守護神白虎

長くなりますので、次へと続きます。
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奈良・寅のお寺 信貴山へご一緒にどうぞ ①「JR王寺駅~仁王門へ」

2023年10月08日 | ハイキング・登山
今日は「信貴山」に何度も行かれている友人の案内で
信貴山に向かいました。

JR 王寺駅 10月6日(金)秋晴れ

王寺駅ホームでお迎えです。

阪神が優勝した時に「寅のお寺 信貴山に行こう」と決まったので、優勝が無ければ今回の信貴山行きは無かったのです。



JR王子駅着時間は、バス時間に合わせて10時過ぎでした。



改札口を出ると、王子町の雪丸君の応援姿がありました。

いま開催中の「第19回アジア競技大会」の応援ですね。
開催地杭州(中国)日程9月23日(土) ~ 10月8日(日) 



改札口から左の道を通り、バス乗り場へ向かいます。



初めての「JR 王子駅」ですが
数十年前のイメージでは、もっと田舎だったので 



友人が「電車が遅れると、バスに乗れないから・・・」と
約束していた一つ前の電車に変更しましたが
時刻表を見ると、バスは1時間に1つしかありませんでした。



「王子駅 北」から奈良交通バスに乗って
大和川に架かる明治川を渡って行きます。


廃線の「東信貴山のケーブルカー」が見えました。

1922(大正11)年に開業した、奈良県側から鋼索鉄道で信貴山に登るルートがありましたが、1930(昭和5)年に西信貴ケーブルが出来たため、東信貴ケーブルは1983(昭和58)年に廃止されたそうです。



バス中から、廃線跡ハイキングの道が数カ所見えました。



仁王門まで、昔の門前道を散策したくて
「信貴大橋バス停」の手前にある「信貴山バス停」で降りました。



現在地から、⑦千体地蔵がある道を歩いていきます。
バスでご一緒だった人たちは、⑩の展望台を通り⑫のバス停へ



名前は分かりませんが



昔の門前道で見ました。



以前は旅館だった建物です。



大門ダムサイトや展望園地に行く階段が



写真左に見えていますが
私たちは、パスして仁王門へ向かいます。



たくさんのお地蔵さんが見えています。



「千体地蔵さん」でした。

室町時代から子宝地蔵として信仰を集めており、子宝に恵まれない人が願をかけ子供を授かるとお礼に新しい地蔵を造って借りた地蔵と一緒に置いていくので、その数は数え切れず、このことから由来して千体地蔵と呼ばれている。 Wikipediaより



道の先に「仁王門」らしきものが見えてきました。
名前は聞いて知っていましたが、初めての信貴山です。(^^♪

長くなりますので、次へと続きます。
コメント (2)
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大阪・高槻市の花「うの花で知られる玉川の里」2022/01/28

2022年03月14日 | ハイキング・登山
大阪・高槻市「史蹟 番田大樋から玉川まで」2022/01/28 のつづきです。


友人が教えてくれたので、分からずに撮りましたが
その鳥は「ヨシガモのオス」でした。


そして、これは友人が撮った「ヨシガモ」の写真です。

私の写真と違い、とてもきれいに撮られています。(^^ゞ
ヨシガモのオス(メスは地味)は、緑色に輝く美しい姿で
尾っぽの羽は、くるっと可愛くカールしています。


橋が架かって、他の川と合流しています。

番田水路玉川緑地

玉川に着いたようです。

番田拝水路は、江戸時代槻市大冠地域の悪水を玉川へ放流するため、芝生大樋より下流が開削されたのがはじまりです。


初夏の玉川を詠んだ和歌・俳句には、「うのはな」が多く登場します。

全国に6ヶ所の玉川(六玉川)があり、高槻の玉川は、山城国、近江国などの玉川とともに、「摂津国三島の玉川」として六玉川のひとつに数えられていました。
それらは、地域ごとに、それぞれ詩歌に詠み込まれている風物が決まっていて、山城国井手は山吹、近江国野路は萩、武蔵国調布は晒布(さらしぬの)、陸前国野田は千鳥、紀伊国高野は旅人または氷で、摂津国三島は「うのはな」とされています。


道路を渡り、玉川橋の手前の道を左へ行きます。


元禄7年(1694)の夏、松尾芭蕉が伊賀上野(現伊賀市)に帰郷し、大坂や京に頻繁に出入りしていた頃に詠まれた句があります。


前の時も、左に見える道を通ってきました。


句碑の近くへ行ってみます。


「うのはなや 暗き柳の およびごし」  松尾芭蕉

2010年05月30日に、友人から「うの花」を見に行こうとお誘いがあり、玉川の里で白い可憐な「うの花」を見たのが思い出されます。
昭和42年(1967)市民の花に「うのはな」が選ばれました。



~~~~~~~ 2010年05月30日 投稿 より ~~~~~~~
玉川沿いの遊歩道は、高槻市の花 「卯の花」が見ごろでした。 



夏 は 来 ぬ
作詞:佐佐木信綱     作曲:小山作之助


卯の花の 匂う垣根に 時鳥 早も来なきて
忍音もらす 夏は来ぬ  ♪

さみだれ そそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして
玉苗植うる 夏は来ぬ  ♪

橘の かおる軒場の 窓近く 蛍飛びかい 
おこたり諫むる 夏は来ぬ  ♪

棟ちる 川べの宿の 門遠く 水鶏声して 
夕月すずしき 夏は来ぬ  ♪

五月闇 蛍飛びかい 水鶏なき 卯の花咲きて
早苗植えわたす 夏は来ぬ  ♪


卯の花といえば、誰でも知っている童謡の 「夏は来ぬ」 と・・・
“おから”でつくる美味しい卯の花ではないでしょうか。 (^^ゞ


卯の花は、日本や中国などに分布する落葉性の低木で5~6月に1.5cmほどの花をつけます。空木(ウツギ)の花の別称で、枝が成長すると内部が中空になるところから名付けられたそうです。


川沿いの遊歩道から、松尾芭蕉が残した「卯の花や 暗き柳の およびごし」の句碑が見えます。歌にも詠まれている「玉川の里」は、古くから卯の花の名所として知られていたのです。
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大阪・高槻市「史蹟 番田大樋から玉川まで」2022/01/28

2022年03月13日 | ハイキング・登山
今年の1月に友人から誘って頂いたのは
 友人:玉川まで歩きませんか?
 kiko:えっ! 玉川まで遠いけど歩いて・・・
 友人:何度も歩いているけど大丈夫。


番田大樋(ばんだ おおひ)

ここは、スタート地点の番田にある水門です。

友人から「高槻の下水は、何処に流れているか知ってる?」
と言われて、今まで考えたことは無いけど川ですよね。
そして、その下水がここに流れていることを初めて知りました。

慶安3年(1650)高槻は大洪水に見舞われ、淀川沿いの村々では収穫が半減するなど被害を受けました。
これを契機に、翌4年から高槻藩主 永井直清により、番田の排水路(井路)掘削工事が行われる事になりました。


ここは、色んな水路(下水)から集まっているそうです。

これは、天井川である芥川の川底の下を横断する木管で
番田井路と天正年間に完成した三箇牧井路を結ぶものでした。

工事は承応2年(1653)に完成し、番田の悪水は柱本で淀川に流されるようになりました。
でも、淀川川床の上昇のために改修が必要になり、元禄13年(1700)から、京都の高瀬川開削で知られる川村瑞賢の監督で再工事が行われ西に井路を、番田から芝生・玉川・安威川を経て神崎川へ至る経路を開削しました。


その後も改修が行われました・・・が

大正6年(1917)の大塚切れと呼ばれる大洪水を機会に大正12年(1923)改修工事が着工され、大正15年(1926)に2艘の樋を統合改築する工事が完成しました。大樋は、鉄筋コンクリート製で樋門の正面は赤煉瓦の構造物だったそうです。


番田側から流れてきた水は
玉川から安威川を経て神崎川へと流れます。


それでは、玉川へ向かって歩いて行きます。


写真左の道を歩いて行きます。


ここは、人も少なく豊富な水に囲まれて
水鳥の天国です。


そして、あの怖かった北大阪地震の傷跡が残っています。


歩いて行くと橋があり、いま歩いてきた道が
車の通る道路に遮られていますが


信号のない車道を渡ると、今までのような道が続いています。


ここは、水鳥のオアシスですね。


かわいいですね。(^^♪


何処を見ても、水鳥が見えます。


団地の方に架かる橋があります。


そして、何度も見た合流地点です。

もうすぐ目的地の玉川です・・・うの花で知られる玉川へ続きます。
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箕面の「大滝・・・ライトアップ」& 渋谷の「エジプト専門美術館」

2021年10月17日 | ハイキング・登山
今朝は雨だったこともあり、肌寒くなりました。

箕面大滝・箕面公園ライトアップ 

毎年恒例のライトアップが
今年は10月16日(土)から開催します。写真はお借りしました。

大阪府で唯一「日本の滝百選」に名を連ねる、箕面大滝のイベントです。
 箕 面 大 滝 :10月16日(土)~11月14日(日)
 昆虫館前・瀧安寺:11月13日(土)~11月23日(月・祝日)

  その他は、10月16日(土)~12月5日(日)
  時間:午後5時~午後8時   詳細は・・・こちら

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

日本で唯一のエジプト専門美術館

毎日放送「世界ふしぎ発見!」を見ていて
古代エジプト美術館が、日本にあることを知りました。


その美術館は、東京の渋谷にありました!
第18王朝ツタンカーメン前後が、2000点以上は集められているそうです。
渋谷で古代エジプトが見れるんです。「行きたい!」(^^ゞ
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大阪・箕面大滝までウォーキング⑨「筆塚・もみじの天ぷら」完

2021年10月16日 | ハイキング・登山
大阪・箕面⑧ 「瀧安寺・・・」の続きです。10月6日(水)


瀧安寺から瀧道に出ると
川床と望海丘展望へ行くときに渡る、もみじ橋の前でした。


駅へ向かって歩き出すと、友人が川床の右にある所を指さし
『あれ、何だろう~ 気になっていた。』と、言ったので
気になった時は行かなければ・・・と、もみじ橋まで戻りました。


もみじ橋を渡り、川床の右手にあったのは
「筆」の碑がはめこまれた石の塚でした。


何か書かれているようなので見たのですが


読めませんでしたが
この場所は、筆供養が行われる「筆塚」のようです。


この景色と、もう少しでお別れだと思いながら歩いています。


瀧道には、大正時代を思わせる立派な建物があり
そこは1日1組が宿泊できる「音羽山荘」でした。


大滝までは登りなので、少し長く感じましたが
帰り道は下りなので早く感じます。(^^ゞ


一の橋まで下りてきました。


このお店は、何度もテレビで紹介されている


90代の元気なご主人の「もみじの天ぷら」のお店です。


ご近所の人たちにお土産にしたいと
「もみじの天ぷら」を、4袋買いました。


ご近所に届けると
「私、もみじの天ぷらが大好きで箕面へ買いに行くのよ。」
「大阪にいても珍しいので、ありがとう~」と、喜んで頂きました。
”みのお名物 もみじの天ぷら”は、好評でした。(^^♪
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大阪・箕面⑧ 瀧安寺は「最古の弁財天・大護摩道場・宝くじ発祥の地」

2021年10月15日 | ハイキング・登山
大阪・箕面大滝までウォーキング⑦の続きです。10月6日(水)

箕面山 龍安寺(りゅうあんじ) 
日本最初にして最古の弁財天

西暦658年、役行者が箕面滝で修業し弁財天を祭祀しています。


行者尊は、自ら弁財天の像を作製し


滝の側に祭祀して箕面寺と称しました。(後に瀧安寺と改称)


拝殿と神殿の神道形式で、江戸初期の建築。

多くの修行者が入山し、最盛期には堂舎が八十余りも存在しました。
奈良時代の行基を始め、空海(弘法大師)、聖宝(理源大師)
圓珍(智証大師)、鎌倉時代の法然、日蓮、蓮如の諸師達がいます。

大黒堂

大黒堂の前にある百度石に
漫才師の「かしまし娘」三人姉妹の名前がありました。


左の建物は「大黒堂」です。

妙音天像 (弁財天の異称)



妙音天像の前を通り、階段を下りていくと


見えたのは「大護摩道場」でした。


毎年 4月15日、7月7日、11月7日 いずれも11時より
年に3度、山伏が参集して修法しているそうです。


石が△の形に積み上げられています。


左に見える蝋燭には、火が付いていました。


そして、仏様のような前にはお供物が見えます。

瑞雲橋 登録有形文化財

瑞雲橋は、瀧道と箕面川にかかる朱色の太鼓橋です。


大滝に向かう時は、この橋の下(右下)を通りました。

鳳凰閣 国の有形文化財

建築家、武田五一氏によって設計されました。


鳳凰が森の中で羽ばたいているように見えます。

山門額 

山門は撮り忘れましたが・・・(^^ゞ
文化六年(一八〇九年)に京都御所より移築された総﨔造りです。

宝くじ発祥の地

今の宝くじ発祥の地で「箕面富」と呼ばれていました。

現在も「箕面富くじ」が、毎年10月10日に行われていて
当たりは、招福と健康にご利益がある伝来の特別お守りです。
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大阪・箕面大滝までウォーキング⑦「瀧道の気になるトンネル・・・」

2021年10月13日 | ハイキング・登山
今日は、4月の予定だった歯科検診に半年遅れで行って来ました。
4月の検診が遅れたのは「緊急事態宣言」で外出を控えていたからです。


大阪・箕面大滝までウォーキング⑥の続きです。10月6日(水)
箕面公園 大滝

大滝を前にして、お昼をゆっくりと頂いてきました。(^^♪

お弁当を食べながら、いつも優しくて温和でいる友人の子供の頃の話を聞きながら・・・友人の知らなかった一面を知りました。


帰り道でみたのは「鮎の塩焼き」
箕面にマス釣りがあるのは知ってましたが、鮎も釣れるの・・・


鳥の鳴き声はすれども、姿は無しの箕面でしたが
目の前に蝶が飛んできました。


蝶の名前は分かりませんが、箕面にいる蝶です。(^^ゞ


蜜を吸っているようなので、邪魔しないで駅に向かいます。


瀧道の大滝に向かう時に、野口英世像と唐人戻石の間にある
気になっていたトンネルがありました。


それが、このトンネルでしたが
このトンネルの先は「五月山」と書かれています。


トンネルの名前は、消えて見えないですが
落合谷川橋が見えるので「落合谷トンネル」・・・かな~?


トンネルの先には、五輪塔の右横に祠が見えています。

初めはチョとだけトンネルに入りたかったのですが
鬱蒼とした森が、入っていくのを拒むような気がして止めました。

気になって調べると、トンネルを抜けて落合谷に入っていくと
標高395mの六個山(ろっこやま)、ようらく台コースがありました。

トンネルは、ハイキングコースの入口でしたが
何故か空気が違うような気がしたのは、私だけでしょうか・・・?
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大阪・箕面大滝までウォーキング⑥「人工の滝になった・・・大滝?」

2021年10月12日 | ハイキング・登山
大阪・箕面大滝までウォーキング⑤の続きです。
「唐人戻岩」の前を通って、唐人戻橋(大門源)を渡りました。


阪急箕面駅から滝道を歩いて
大滝までは、約2.8km 約40~50分です。


振り返って「戻岩橋」を撮りました。

釣鐘淵

ひと昔前に、釣鐘のような形の滝つぼがあったことから呼ばれているそうですが、どこに滝つぼがあったのか分かりませんでした。


大滝は、もうすぐだと思います・・・


アッ! 正面に見えるのが大滝でしょうか。(^^♪


数年前に「箕面大滝はトンネル工事の影響で水涸れし、人工の滝になった」と、何かで見たことがありましたが・・・人工の滝は誤解でした

トンネル工事を行うと、当然に湧水が発生するため、全国でもトンネル工事を行った場合には湧水の汲み戻しを行います。

湧水はトンネル坑道の下に貯水し、ポンプでくみ上げて近くの河川に放水されていますが、貯水、放水場所は箕面川ダムよりも上流です。


まずは、大滝の前まで行って撮りました。


瀧の前は人が多いので、場所を替えてお弁当にします。

箕面川ダムは、昭和42年の集中豪雨被害をきっかけに治水目的で、昭和57年に設置されました。ダムは川の氾濫を防ぎつつ生態系を守るため、流れてきた水をため一定の量で放水しているそうです。


そして私たちが選んだのは、大滝が良く見えるこの場所です。

大滝を見ていると、パワーを頂いている気分です。
来て良かった。。。(^^♪


お弁当を広げていると、お猿さんがやってきました。
向かいの席で、おにぎりを食べている人を見つめています。

「箕面市といえば、猿!」というイメージでしたが
初めて見たお猿さんは、一匹だけだったので意外でした。


少し前までは、箕面の滝付近にたくさんのお猿さんがいたのですが、餌付けが進むと猿が人に慣れすぎてしまい、餌を求めて観光客に飛びついたり、民家に侵入したりするようになったのです。

平成22年に「箕面市サル餌やり禁止条例」が施行され、野生生活に戻れるために、山に果実などがなる木を植えたり、山の中の決められた場所のみで小麦の餌を与えたりして、お猿さんを自然に帰すサポートをしていたのです。

最近は、お猿さんと出会うことが無いそうなので
あの時に出会えたのは、どうも運が良かったようです。(^^ゞ
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大阪・箕面大滝までウォーキング⑤「川床から・・・唐人戻岩」

2021年10月11日 | ハイキング・登山
大阪・箕面大滝までウォーキング④の続きです。 10月6日(金)
「箕面公園 昆虫館」を通り過ぎて、大滝に向かっています。

川床

川床でお昼を頂くのも良いですが・・・
今日は、箕面駅前で調達してきたので大滝の前で頂きます。

紅葉橋

紅葉橋から、望海丘展望台へ上がる階段があります。

瀧安寺

左の道へ入ると瀧安寺です。
帰りに寄りたいと思いますが。。。


瀧安寺は、とても広いようです。


何があるのかな~


野口博士が、箕面へお母さまとご一緒に来られたのです。

野口英世博士 像

上の方にあるようなので


ここから見るだけにして、大滝へ向かいます。


右に修行古場、地獄谷へ行く道があります。
若い男性一人が、修行古場、地獄谷へ向かって行きました。


大滝に向かって歩いていると・・・大きな岩があって
思わず『前の大きな岩が人の顔に見える!』と叫びましたが

唐人戻石

唐人戻石でした! (^^ゞ

ここは箕面駅から2km地点なので
あと800mで大滝です。(^^♪

戻岩橋

戻岩橋の東詰めと大門橋の東詰の間の、道路となっている所が大門原です。

昔は戻岩橋はありませんでしたから、この間は何もない草原の平地で人々は戻岩からそのまま右岸を進んで大門橋で左岸へ渡りました。

昔ここに僧坊があって
この草原に初夏にはヒガンバナが咲いていたそうです。
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