今年の1月17日に、6434人が亡くなられた阪神・淡路大震災が
発生から27年を迎えました。阪神・淡路大震災を機に受け継いだ「ホテルに建つ公式灯台」の一般公開に行きました。
そして、須磨に行くなら見ておきたいと思っていた「須磨寺」と
現存最古の鉄造灯台「旧和田岬灯台」を見てきました。
「赤灯台(あかとうだい)」の愛称で親しまれている
旧和田岬灯台は(写真左)、砂浜からすぐに分かりました。
旧和田岬灯台(わだみさきとうだい) 登録有形文化財
1867年(慶応3年)4月、英国と締結した大坂条約で兵庫の開港に備え、航路安全を図るために建設を約した5基の灯台の1つが、この和田岬灯台は兵庫の開港を前に設置されたものでした。
現存最古の鉄造灯台は、3層構造で、高さが15.76メートル。
1層は倉庫とホール、2層は螺旋階段、3層は広い空間を確保し
最上部に灯篭を設置しています。
上を見れば、東・西・南・北の方角が分かります。
「日本の灯台の父」と言われるR.ブラントン氏の設計で初点時(明治5年)は木造でしたが、明治17年に鉄造に改築されました。
この2代目灯台は、和田岬(兵庫区)にあったものですが、1963(昭和38)年に廃灯になったあと永久保存するため、昭和39年に現在の須磨海浜公園の西端に移設されました。
歴史的文化財的価値が高く、1998年(平成10年)に「旧和田岬灯台」の名称で国の登録有形文化財に登録。近代化産業遺産に指定され後に続く鉄造灯台のモデルになっています。
入口の上には・・・全然読めないのですが探してみると
「明治五年一月二九日初点燈於舊臺一七年三月一日再点燈於新臺」
改築の経緯が示されているそうです。
須磨海岸と赤灯台にお別れして・・・
ラッシュ時間と重ならないようにと
早めの時間に「月見山駅」から帰りました。
発生から27年を迎えました。阪神・淡路大震災を機に受け継いだ「ホテルに建つ公式灯台」の一般公開に行きました。
そして、須磨に行くなら見ておきたいと思っていた「須磨寺」と
現存最古の鉄造灯台「旧和田岬灯台」を見てきました。
「赤灯台(あかとうだい)」の愛称で親しまれている
旧和田岬灯台は(写真左)、砂浜からすぐに分かりました。
旧和田岬灯台(わだみさきとうだい) 登録有形文化財
1867年(慶応3年)4月、英国と締結した大坂条約で兵庫の開港に備え、航路安全を図るために建設を約した5基の灯台の1つが、この和田岬灯台は兵庫の開港を前に設置されたものでした。
現存最古の鉄造灯台は、3層構造で、高さが15.76メートル。
1層は倉庫とホール、2層は螺旋階段、3層は広い空間を確保し
最上部に灯篭を設置しています。
上を見れば、東・西・南・北の方角が分かります。
「日本の灯台の父」と言われるR.ブラントン氏の設計で初点時(明治5年)は木造でしたが、明治17年に鉄造に改築されました。
この2代目灯台は、和田岬(兵庫区)にあったものですが、1963(昭和38)年に廃灯になったあと永久保存するため、昭和39年に現在の須磨海浜公園の西端に移設されました。
歴史的文化財的価値が高く、1998年(平成10年)に「旧和田岬灯台」の名称で国の登録有形文化財に登録。近代化産業遺産に指定され後に続く鉄造灯台のモデルになっています。
入口の上には・・・全然読めないのですが探してみると
「明治五年一月二九日初点燈於舊臺一七年三月一日再点燈於新臺」
改築の経緯が示されているそうです。
須磨海岸と赤灯台にお別れして・・・
ラッシュ時間と重ならないようにと
早めの時間に「月見山駅」から帰りました。