kikoがスタート

2005年8月にスタートしました。
私が観た(見た)、感じた、覚書き、気になることを書いてます。(^^ゞ

京都・修学院離宮参観 「中御茶屋(なかのおちゃや)」

2017年05月13日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか
下御茶屋からのつづき・・・


下御茶屋裏門の「下御茶屋東門」


下御茶屋東門を出ると視界が急に開けます。

比叡山を中心にして左手に北山、右手に東山の山々が連なり、正面にはなだらかな御茶屋山です。御茶屋山の斜面に向かって延びる松並木は上御茶屋につづく連絡路で、手前右方向に分岐する松並木は中御茶屋への連絡路です。


中御茶屋に向かって延びる連絡路の左右に田畑が広がっています。
※ 上・中・下の各離宮の間に8万㎡に及ぶ農地です。


中御茶屋表門


階段を上がっていくと・・・


中御茶屋の表門


中御茶屋表門は通らず右横から入ります。


楽只軒(らくしけん)が見えてきました。


左の建物が楽只軒で、みぎの建物が客殿です。
前庭にある小さな苑池は創建当初よりあったことが古図により知られており
客殿前からの遣水(やりみず)が小さい滝となって落ち込んでいます。


楽只軒はみなみがわの庭に面して廂の深い広縁を設け
雨や強い日差しを避けるように工夫されています。


楽只軒の二の間は八畳の座敷で、西側の壁に狩野深い信が描いた金地に
龍田川の紅葉の絵が貼付されていることから龍田の間とも呼ばれています。


池のくびれたところに架けられた石肌が野面の石橋です。


客殿杉戸・山鉾


客殿一の間

一の間は十二畳半で、北側に一間の床の間と一間半の飾り棚があります。床の間の貼付には雲形に金の砂子を散らし和歌とそれに因んだ絵の色紙をつらね、腰貼に金と群青の菱形つなぎ模様をあしらっています。


客殿一の間の杉戸に金色の網で覆われた親子の鯉、二の間には大鯉が一匹描かれています。言い伝えによると、鯉が夜毎に杉戸を抜け出て池で遊ぶので金色の網を伏せたそうです。
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京都・修学院離宮参観「下御茶屋(しものおちゃや)」

2017年05月12日 | 観戦・鑑賞・参観・見学ほか

修学院離宮は、17世紀中頃に後水尾上皇(ごみずのおてんのう)によって造営された離宮で、上御茶屋(かみのおちゃや)、中御茶屋(なかのおちゃや)、下御茶屋(しものおちゃや)と呼ばれる3ヶ所の離宮があります。

宮内庁が管理する、京都御所、京都迎賓館、桂離宮、仙洞御所へは行きましたが
修学院離宮(しゅがくいんりきゅう)はまだ行ってなかったので行ってきました。
(4月30日 日曜日)


表総門

桂離宮でも外国から来られたグループらしい参観者の姿を見ましたが
修学院離宮でも、フランスから来られたご夫婦の姿がありました。


修学院離宮は、京都市左京区修学院の比叡山麓にあります。


下御茶屋御幸門

参観は、下御茶屋→中御茶屋→上御茶屋へと進みます。


下御茶屋 中門(ちゅうもん)

御幸門を入ると正面に高い石垣があり、右手奥の中門をくぐって寿月館へ


一の間に掛けられた「寿月館」の扁額は、後水尾上皇の宸筆です。

寿月館には、一の間・二の間・三の間があり
●一の間は、十五畳で三畳の上段が設け、一間半の床と琵琶床と飾り棚。●二の間は、十二畳で東側の庭に面する南半分。奥に一の間の床裏に当たるところに、四畳半の空間に高窓を明かり取りした配慮がある。●三の間は、六畳敷きの茶室で女院の御座の間であったと言われ、化粧棚や水屋があり西側に開かれた肘掛け窓からは苑池が見渡せるそうです。


一の間の四枚の襖は、岸駒が描いた「虎渓三笑(こけいさんしょう)」
※ 岸駒(がんく)は江戸時代中期から後期の絵師。


白糸の滝

寿月館の東にある小さな滝は上御茶屋から引かれたものです。後世に付け加えられたもので、滝の落口に据えられた三角形の石を富士山に見立て、水の細く分かれて落ちる様子が白糸を引いたように見えることから「白糸の滝」と呼ばれています。

「修学院」の名称は、10世紀後半ここに修学院というお寺が建立されたのが始まりで、南北朝時代以後このお寺は廃絶したが地名は修学院村として残ったそうです。
コメント (4)
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